追放文官、幸せなキスで旅に出る

二ッ木ヨウカ

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目が覚める

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(ああ……くそ、ダメだ。全然進まない)

 翌日、弱々しい太陽が南の空に昇りきった頃。金ペンを置いたコーディエは立ち上がって大きく伸びをした。それからその原因であるところの男を見下ろす。

(全く、こいつのせいで)

 家に連れてきて手当てをしてやったものの、男は一向に目を覚まさなかった。そのせいでちゃんと息をしているか、懐石は冷たくなっていないか、気になって仕方ないのだ。気づくと男の胸元を見つめながらじっと耳を澄ませている自分がいる。お陰で徹夜までしたというのに写本は遅々として進んでいない。昼近くなった今になって眠くもなってきていて、もう仕事どころではなかった。
 一度仮眠を取らないと無理だ。ため息をついたコーディエは諦めて本を閉じ、男の横に持ってきていた机を居間に戻した。

(……もう一回、治癒をかけてやるか?)

 男の容態は安定しているように見えるが、仮眠から起きたら冷たくなっていました、ではあまりに寝覚めが悪すぎる。
 首の下に手を入れ、軽く頭を上向かせる。筋肉質な男の体は、昨晩より温かみを増しているようだった。眉毛のはっきりした意志の強そうな顔を見下ろし、何歳だろうか、彼はどこから来たのだろうか、とコーディエはしばし考えた。背中に大きな傷があったが、あれはどうしてついたのだろうか、なぜあのソリに乗っていたのだろうか、出身はどこだろうか。

(……いや、そんなことを知ってどうしようというんだ、私は)

 日常生活を乱す輩にはさっさと退散してもらうに限る。目が覚めたら麓まで送ってやって、それで終わりだ。
 乾燥してきた唇を合わせ、生命力そのものである魔力を吹き込む。「ん」と小さく男が身じろぎした。ぴくりと指先が動き、それから瞼が持ち上がる。髪と同じ、暗褐色の瞳が現れた。

「う……」
「起きたか。痛いところはないか?」

 男の頭を下ろしたコーディエが尋ねると、手足をもぞもぞとさせた後「ああ」と男がかすれた声で答えた。

「……俺……あれ……?」
「雪崩に巻き込まれたんだ。覚えてるか?」
「ああー……」

 まだぼうっとしているらしく、肯定とも否定ともわからない声を上げて男は瞬きをした。

「なにか食べられるか? 待ってろ、今スープを出してやる」

 答えを聞かずにコーディエは立ち上がった。居間に置きっぱなしだった木箱を開け、一番消化に良さそうな気がした野菜スープを取り出して温める。自分も一緒に食べようと二人分のスープとパンを持って戻ると、体を起こした男は興味津々な様子で部屋の中を眺め回していた。ぱっと振り向いた顔が、コーディエを見て輝く。

「おっ、いい匂いだな、ありがとう! えっと……」
「リラ……いや、コーディエライト・スプリンゲンだ」

 最近すっかり慣れてしまった偽名で名乗りそうになり、本名に訂正する。何となくだが、この青年に嘘をつきたくなかった。

「そうか、恩に着るよコーディー! 俺はカロトポンのエウダイモノスってんだ。ダイモンでいいぜ」
「あ……ああ……」

 ちょっとの間に元気になりすぎだろ。いきなり名前を短縮され、自分の呼び方まで指定してくる馴れ馴れしさにコーディエは少し怯んだが、青年——ダイモンはまったく気にした様子もない。そういうタイプの人種なのだろう、とコーディエは小さく咳払いをした

「それにしても……カロトポンというと、ヘロースか。美を司る女神の神殿がある場所だろう。随分と遠いところから来たもんだな」

 へロースは「輝きの宝石」とも呼ばれる、ここからはるか南東方向に位置する国だ。カロトポンは海沿いに位置する、女神信仰の盛んな漁村だと以前読んだことがある。どうりでこの男が南国の雰囲気と美しさを纏っているはずだ、とコーディエは一人納得した。

「おっ、知ってんのか! すげえなコーディー、小せえ村だから、へロース国内でも『どこ?』って言われることが多いのに! お前も旅好きなのか?」
「い、いや……前に本で読んだだけだ」

 ダイモンに真っ直ぐ見つめられ、コーディエは視線を彷徨わせた。たまたま女神教の歴史についての本の中に記述があったのを覚えていただけなのに、太陽のような笑顔を向けられるのは眩しすぎる。

「本! へえ、あんな村のことをわざわざ書き記すやつとそれを読む奴がいるのか。物好きだな」
「っ……ほ、ほら、いいから食べろ」

 対応に困り、ずっと持ちっぱなしだったトレイを押し付けるように差し出す。当然のような顔をして受け取ったダイモンはスプーンを口に運び、考え込むように顎に手を当てた。

「ううん、ちょっと味が薄いかな。コーディー、塩あるか」
「あるが……?」

 言われるまま台所に行き、塩の小瓶を手に取る。いったい自分は何をしているのだろう、と思いつつ戻ると、スープに塩少々を振りかけて味をみたダイモンは「これでいい」と頷いた。

「ほらコーディー、お前のにも入れてやる」
「えっ」

 止める間もなくコーディエのスープにも塩が足される。恐る恐るスプーンを口に運ぶコーディエへ向けるダイモンの表情は自信に満ちていて、あたかも自分がスープを作ったかのようである。

「どうだ、こっちのがうまいだろ」
「まあ……そうだな」

 渋々コーディエは頷いた。認めるのは癪だったがその通りである。少し塩が足されただけだったのに、野菜たちが目を覚ましたかのように甘みや旨味がはっきりとしていた。これまでのスープは寝ていたのかもしれない。
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