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退屈な日常
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「それでは、また来週」
「ありがとう。よろしく頼むよ」
ようやっと見慣れてきた新しい御者がソリに乗り込み、馬が歩きだすのを見送る。ずるずると曳かれていくソリの音がやや重いのは、雪が溶けてきているせいだ。もう少ししたら馬ソリではなく馬車が走ってくるようになるだろう、と思ったコーディエの心のなかでは、ある疑問が大きくなってきていた。
春とは、いつを指すのだろうか。
ダイモンは「春になるまで」と言っていた。しかし、明確に「今日から春」と決まった日があるわけではない。彼はいつここを発つつもりなのだろうか。
平地の方はすでに雪解けの季節になっているのが見えるし、この山中の雪も少しずつ減ってきている。
(だが、まだ春と言うには早い……だろう?)
新芽や若葉が出てきているわけではないし、春告鳥だってまだ鳴いていない。今週分の食料が入った木箱と手紙の束を抱えたコーディエが部屋の中に入ると、ストーブの上で鍋をかき回していたダイモンが寄ってくる。
「お、野菜来たか?」
入ってるよ、とコーディエが答える前に勝手に木箱を開け、ダイモンは中から玉ねぎを取り出していた。ひゅう、と口笛を吹いて皮を剥きはじめる様子は何年もこの家に住んでいるかのようである。
ダイモンがこの家に来て二か月が過ぎた。最初は家に他人がいることに慣れなかったものの、今やすっかり彼はコーディエの日常に溶け込んでいる。ダイモンを雪崩から拾う前の暮らしは、既にはるか昔の出来事のようだ。
鼻歌を歌い、無駄に肉感的な尻を左右に振って野菜を刻むダイモンを眺めながら、手紙の封を開ける。いつここを離れるつもりなのか、気になるならダイモンに直接聞けばいい。それはコーディエにもわかっている。だがなぜか、それができない。そんなもの聞いたって意味がない、まだまだ先のことだから、と心の中で言い訳し、その質問を投げかけるのを先延ばしにしていた。最初は鬱陶しいと思っていたのにおかしなものだ。
(……きっと、この快適な生活が名残惜しいんだろうな)
そう自分の中で結論付けたコーディエは、ダイモンがかき回す鍋を覗き込んだ。トマトと香草の食欲をそそる匂いが立ち昇ってくる。今日はこれをピラフにかけると言っていたはずだ。
くるくるとよく働くダイモンだが、特に食事には並々ならぬこだわりがあるらしい。缶詰とパンの三食に憤慨してコーディエに新鮮な野菜を要求し、棚の奥でホコリを被っていた調理器具を引っ張り出して来たかと思ったら、こうして毎日料理を作ってくれている。これまでさまざまな国を旅する中で覚えてきたという、バラエティに富んだダイモンの料理はどれも美味しかった。
缶詰が不味いわけではない。だが、決まりきった味をローテーションするあの毎日に戻るかと思うと、なんだか味気なくてつまらない気がするのだ。
「なんだコーディー、いい子だからもうちょっと待ってろ」
「いや、毎食よく作るなと思って」
「何いってんだよ、毎日三回も食事するんだぞ? 楽しまなきゃもったいないだろ」
「ふうん……?」
その考えはなかった。コーディエにとって食事とは飢えを満たして生きながらえるためのものだ。時間と手間のかからない、食べられる程度のものであれば何でもいい。
「人生ってのは短いんだよ、コーディー。この前みてえに突然終わるかもしれねえんだし、いろんなもん食って、いろんなとこ行って、いろんなもん見て、体験して……できるだけ楽しまなきゃ損じゃねえか」
「……だから君は、旅に出たのか?」
「そうだ」
ダイモンはニヤリと口角を上げた。
「ちっせえ村の中のことしか知らないで死んでいくなんて耐えられなくてな。幸いにして剣の腕は立つ方だから、護衛やら魔物の討伐やらで路銀を稼げるし」
そうだったのか、と頷いたコーディエは、ダイモンの言葉に引っかかりを覚えて天井を見上げた。
「ん? ということは、つまり、今の私との暮らしは君にとって、その……非常につまらないものだったりするのか?」
「そうだな。悪ぃけどクソつまんねえな。毎日同じ時間に起きて、一日中本眺めて、同じ時間に寝る繰り返しで家から一歩も出ねえし、来るのは週に一回の配達員だけときてる。面白味ってもんが一切ねえ。スパイと間違われて投獄されたときの方がまだ愉快だったぜ」
率直な意見をぶつけられて、コーディエは絶句した。自分の生き方そのものを否定されたような気がして立ち尽くしていると、仕方ないというようにダイモンは肩をすくめた。
「ま、元はといえば俺が言い出したことだし、気にすんなよ。それにコーディー、お前と話すのは面白いしな」
そう言われても無理である。感情の落としどころを見つけられず「それは……どうも」となんとか返す。肩を竦めたダイモンは木べらに付いたソースを小指で拭い、舌先でそれを舐めた。
「ほら、できたぜ。片付けろよ」
「うん……」
コーディエが小さく手を叩くと、広げていた本にしおりが挟まり、ひとりでに閉じていく。ふわりと本が書架に戻り、書きかけの紙も棚の上に移動した後、空いた机の上に食器棚から皿とスプーンが飛んでくる。
「ありがとう。よろしく頼むよ」
ようやっと見慣れてきた新しい御者がソリに乗り込み、馬が歩きだすのを見送る。ずるずると曳かれていくソリの音がやや重いのは、雪が溶けてきているせいだ。もう少ししたら馬ソリではなく馬車が走ってくるようになるだろう、と思ったコーディエの心のなかでは、ある疑問が大きくなってきていた。
春とは、いつを指すのだろうか。
ダイモンは「春になるまで」と言っていた。しかし、明確に「今日から春」と決まった日があるわけではない。彼はいつここを発つつもりなのだろうか。
平地の方はすでに雪解けの季節になっているのが見えるし、この山中の雪も少しずつ減ってきている。
(だが、まだ春と言うには早い……だろう?)
新芽や若葉が出てきているわけではないし、春告鳥だってまだ鳴いていない。今週分の食料が入った木箱と手紙の束を抱えたコーディエが部屋の中に入ると、ストーブの上で鍋をかき回していたダイモンが寄ってくる。
「お、野菜来たか?」
入ってるよ、とコーディエが答える前に勝手に木箱を開け、ダイモンは中から玉ねぎを取り出していた。ひゅう、と口笛を吹いて皮を剥きはじめる様子は何年もこの家に住んでいるかのようである。
ダイモンがこの家に来て二か月が過ぎた。最初は家に他人がいることに慣れなかったものの、今やすっかり彼はコーディエの日常に溶け込んでいる。ダイモンを雪崩から拾う前の暮らしは、既にはるか昔の出来事のようだ。
鼻歌を歌い、無駄に肉感的な尻を左右に振って野菜を刻むダイモンを眺めながら、手紙の封を開ける。いつここを離れるつもりなのか、気になるならダイモンに直接聞けばいい。それはコーディエにもわかっている。だがなぜか、それができない。そんなもの聞いたって意味がない、まだまだ先のことだから、と心の中で言い訳し、その質問を投げかけるのを先延ばしにしていた。最初は鬱陶しいと思っていたのにおかしなものだ。
(……きっと、この快適な生活が名残惜しいんだろうな)
そう自分の中で結論付けたコーディエは、ダイモンがかき回す鍋を覗き込んだ。トマトと香草の食欲をそそる匂いが立ち昇ってくる。今日はこれをピラフにかけると言っていたはずだ。
くるくるとよく働くダイモンだが、特に食事には並々ならぬこだわりがあるらしい。缶詰とパンの三食に憤慨してコーディエに新鮮な野菜を要求し、棚の奥でホコリを被っていた調理器具を引っ張り出して来たかと思ったら、こうして毎日料理を作ってくれている。これまでさまざまな国を旅する中で覚えてきたという、バラエティに富んだダイモンの料理はどれも美味しかった。
缶詰が不味いわけではない。だが、決まりきった味をローテーションするあの毎日に戻るかと思うと、なんだか味気なくてつまらない気がするのだ。
「なんだコーディー、いい子だからもうちょっと待ってろ」
「いや、毎食よく作るなと思って」
「何いってんだよ、毎日三回も食事するんだぞ? 楽しまなきゃもったいないだろ」
「ふうん……?」
その考えはなかった。コーディエにとって食事とは飢えを満たして生きながらえるためのものだ。時間と手間のかからない、食べられる程度のものであれば何でもいい。
「人生ってのは短いんだよ、コーディー。この前みてえに突然終わるかもしれねえんだし、いろんなもん食って、いろんなとこ行って、いろんなもん見て、体験して……できるだけ楽しまなきゃ損じゃねえか」
「……だから君は、旅に出たのか?」
「そうだ」
ダイモンはニヤリと口角を上げた。
「ちっせえ村の中のことしか知らないで死んでいくなんて耐えられなくてな。幸いにして剣の腕は立つ方だから、護衛やら魔物の討伐やらで路銀を稼げるし」
そうだったのか、と頷いたコーディエは、ダイモンの言葉に引っかかりを覚えて天井を見上げた。
「ん? ということは、つまり、今の私との暮らしは君にとって、その……非常につまらないものだったりするのか?」
「そうだな。悪ぃけどクソつまんねえな。毎日同じ時間に起きて、一日中本眺めて、同じ時間に寝る繰り返しで家から一歩も出ねえし、来るのは週に一回の配達員だけときてる。面白味ってもんが一切ねえ。スパイと間違われて投獄されたときの方がまだ愉快だったぜ」
率直な意見をぶつけられて、コーディエは絶句した。自分の生き方そのものを否定されたような気がして立ち尽くしていると、仕方ないというようにダイモンは肩をすくめた。
「ま、元はといえば俺が言い出したことだし、気にすんなよ。それにコーディー、お前と話すのは面白いしな」
そう言われても無理である。感情の落としどころを見つけられず「それは……どうも」となんとか返す。肩を竦めたダイモンは木べらに付いたソースを小指で拭い、舌先でそれを舐めた。
「ほら、できたぜ。片付けろよ」
「うん……」
コーディエが小さく手を叩くと、広げていた本にしおりが挟まり、ひとりでに閉じていく。ふわりと本が書架に戻り、書きかけの紙も棚の上に移動した後、空いた机の上に食器棚から皿とスプーンが飛んでくる。
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