追放文官、幸せなキスで旅に出る

二ッ木ヨウカ

文字の大きさ
7 / 23

羽根ペン

しおりを挟む
 かり、さり、とペン先が紙をひっかく柔らかい音が響く。

「ペン先にもいろいろあるもんだな」
「ん?」

 小一時間経った頃、またもや沈黙を破ったのはダイモンの声だった。目を上げると、ベッドの中にいたはずのダイモンがいつの間にか机の前に移動していた。もう回復したのか。呆れながら文字を書く作業に戻ると、伸びてきた大きな手が机の上に置いていたペンを弄り始める。先の太さや形の違う、何本ものペン先を見比べているようだ。

「底本の書体や雰囲気にできるだけ近くなるようにしているからな」
「へえ。確かに、細かい装飾文字や絵とかは普通のペンじゃ書けないか」
「いや、そっちはそっちで専門家がいる」

 写本を作るのは分業制である。コーディエのような写本師が修復しながら文字を写し、そのあと装飾師が文頭のイニシャルやイラストを書き入れる。最後に製本師が綴じて終了だ。場合によっては装丁師を入れたり、装飾を文字とイラストや線画と彩色などに担当分けすることもある。

「ってことは文字だけでこんなにあるのか、面白ぇもんだな。お、羽根ペンまであるたぁまた手の込んだ……」
「それに触るな!」

 机の端、一本だけ離して置いてあった羽根ペンをダイモンが手に取った瞬間、コーディエは叫んで椅子から立ち上がっていた。ダイモンの手からペンをひったくると、その勢いでぶつかった机からインク瓶とペンが落ち、床の上に散らばった。

「あ、ああ……すまない。商売道具だもんな、ベタベタ触ったりして悪かったな」

 軽く目を見開いたダイモンが、もう触らないよ、と両手を上げてコーディエの机から一歩遠ざかった。

「……違う。これは……使わない。使ってない。ただ……」

 ただ……何だろう。コーディエは自分でも、なぜダイモンが羽ペンに触れることにそんなに過剰反応してしまったのか分からなかった。

「……いきなり怒鳴って、申し訳ない」

 ため息をつきながら、机の下に散らばったペンとインク瓶を拾う。蓋を開けっ放しにしていたせいで、インクのほとんどは床の黒いシミになってしまっていた。

「大切なものだったんだな」
「いや……どうだろう。そうでもない……かな。普通の羽ペンだ」
「そうか……」

 困惑した顔でベッドに腰を下ろすダイモンは、倒れたときよりよほど元気をなくしているように見えた。気まずい雰囲気の中、木目の間を這っていくインクを心持ちばかり拭ったコーディエは、ぱんと軽く手を叩いた。ふわりふわりと本が書架の中に戻っていく。仕事を続けるような気分ではなかったし、どのみちインクがなくなってしまってはやりようがない。
 ダイモンに対する申し訳なさを感じながら、コーディエは手元に残った羽根ペンの先端をじっと見つめた。今拭いたインクとは違う、青黒い色が染み付いている。経年で色が変わる、改竄防止用のインクだ。

「……昔、これで……公文書を書く仕事をしてたんだ」

 ぽつりと独り言のように呟く。紙が日常生活に溶け込んで久しいが、ここブロンデスではいまだに公的な文書には羊皮紙を使う。羊皮紙は紙に比べて穴が開きやすいから、金ペンではなく羽根ペンを使って書くのだ。
 弁解したいというよりも、ただダイモンに話を聞いてほしかった。彼なら、コーディエの過去の話も面白がって聞いてくれそうな気がしたのだ。視線を上げると、ベッドに腰掛けた青年の、予想以上に真剣な眼差しがコーディエを貫いた。

 先を促すように軽く頷かれ、コーディエは椅子をベッドの横、ダイモンと視線が垂直になる位置に移動させた。

「公文書ってえと……なんだ? 土地の登記書とかか?」
「それも公文書だな。私は……あー、王宮で、会議の記録やそこで決まった条約なんかを書く担当だった」
「おう」

 さすがにそれは予想外だったのか、ダイモンがパチパチと目を瞬かせた。

「なるほど、すげえエリートだったわけか。道理で何でも知ってるし、魔法だって使えるわけだ」
「上級書記官な」

 あまりにも雑なダイモンの表現に、思わず笑みがこぼれる。同時に、どこかにあった緊張感も溶けていくのが分かった。

「そんで、なんでそんなエリート書記官サマがこんなところで枯れ果てた生活してんだ?」
「上司を殴りつけてクビになったんだよ」
「ほおお、コーディーでもそんな事すんのか」

 そいつは面白い、とばかりにダイモンの目が輝くのが見えた。好奇心丸出しで前のめりになるその姿勢が、今はかえって嬉しい。

「ま、簡単に言えば痴情のもつれってやつだな。その時私は同僚と……まあ、付き合ってたわけなんだが、ある日忘れものを取りに戻ったら上司にそいつが襲われてたんだ。助けようと思って上司の方を引っぺがして殴りつけて、そうしたら鼻の骨かなんか折れたみたいで、あたりが血だらけになったよ」

 手に持った羽根ペンを見下ろし、くるくると回しながら話す。あの日忘れたのが魔法の杖で良かったと思うべきなのか、それとも残念だったと捉えるべきなのか、今でもコーディエは決めあぐねていた。

「気がついた時には上司はうめき声を上げるだけになっていて……もう大丈夫、そう思った私が振り返った時――あいつが駆け寄って縋りついたのは、上司の方だった」

 滑稽だろう、と手を広げてダイモンに笑いかけようとしたコーディエは、目頭が熱くなるのを感じて慌てて俯いた。もう昔のことだ、そのはずなのに、口に出そうとすると息が詰まった。

「何のことはない。私が、浮気……相手だった、それ、だけだったんだよ」

 結局、事件は「同僚に横恋慕したコーディエが上司に交際の解消を迫り、暴力を振るった」という結論になった。違う、と弁明する気力はなかったが、問われた罪が「上司への暴力行為」ではなく「神聖なる王宮内を血で汚したこと」だと知ったときだけは少しだけ愉快だった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

竜帝陛下の愛が重すぎて身代わりの落ちこぼれ薬師は今日も腰が砕けそうです 〜呪いを解いたら一生離さないと宣言されました〜

レイ
BL
「死ぬ覚悟はできています。でも、その前に……お口、あーんしてください」 魔力を持たない「無能」として実家で虐げられていた薬師のエリアン。 彼に下されたのは、触れるものすべてを焼き尽くす「死の竜帝」ヴァレリウスへの、身代わりの婚姻だった。

逃げた弟のかわりに溺愛アルファに差し出されました。初夜で抱かれたら身代わりがばれてしまいます💦

雪代鞠絵/15分で萌えるBL小説
BL
逃げた弟の身代わりとなり、 隣国の国王である溺愛アルファに嫁いだオメガ。 しかし実は、我儘で結婚から逃げ出した双子の弟の身代わりなのです… オメガだからと王宮で冷遇されていたので、身代わり結婚にも拒否権が なかたのでした。 本当の花嫁じゃない。 だから何としても初夜は回避しなければと思うのですが、 だんだん王様に惹かれてしまい、苦しくなる…という お話です。よろしくお願いします<(_ _)>

身代わり召喚された俺は四人の支配者に溺愛される〜囲い込まれて逃げられません〜

たら昆布
BL
間違って異世界召喚された青年が4人の男に愛される話

冤罪で堕とされた最強騎士、狂信的な男たちに包囲される

マンスーン
BL
​王国最強の聖騎士団長から一転、冤罪で生存率0%の懲罰部隊へと叩き落とされたレオン。 泥にまみれてもなお気高く、圧倒的な強さを振るう彼に、狂った執着を抱く男たちが集結する。

追放されたおまけの聖女♂は冷徹王太子の腕の中から離してもらえない〜今さら戻れと言われても、もうこの人の魔力しか受け付けません!〜

たら昆布
BL
聖女のおまけで召喚されたと思われて追放された不憫受けが拾われて愛される話

朝目覚めたら横に悪魔がいたんだが・・・告白されても困る!

渋川宙
BL
目覚めたら横に悪魔がいた! しかもそいつは自分に惚れたと言いだし、悪魔になれと囁いてくる!さらに魔界で結婚しようと言い出す!! 至って普通の大学生だったというのに、一体どうなってしまうんだ!?

悪役令嬢の兄、閨の講義をする。

猫宮乾
BL
 ある日前世の記憶がよみがえり、自分が悪役令嬢の兄だと気づいた僕(フェルナ)。断罪してくる王太子にはなるべく近づかないで過ごすと決め、万が一に備えて語学の勉強に励んでいたら、ある日閨の講義を頼まれる。

処理中です...