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羽根ペン
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かり、さり、とペン先が紙をひっかく柔らかい音が響く。
「ペン先にもいろいろあるもんだな」
「ん?」
小一時間経った頃、またもや沈黙を破ったのはダイモンの声だった。目を上げると、ベッドの中にいたはずのダイモンがいつの間にか机の前に移動していた。もう回復したのか。呆れながら文字を書く作業に戻ると、伸びてきた大きな手が机の上に置いていたペンを弄り始める。先の太さや形の違う、何本ものペン先を見比べているようだ。
「底本の書体や雰囲気にできるだけ近くなるようにしているからな」
「へえ。確かに、細かい装飾文字や絵とかは普通のペンじゃ書けないか」
「いや、そっちはそっちで専門家がいる」
写本を作るのは分業制である。コーディエのような写本師が修復しながら文字を写し、そのあと装飾師が文頭のイニシャルやイラストを書き入れる。最後に製本師が綴じて終了だ。場合によっては装丁師を入れたり、装飾を文字とイラストや線画と彩色などに担当分けすることもある。
「ってことは文字だけでこんなにあるのか、面白ぇもんだな。お、羽根ペンまであるたぁまた手の込んだ……」
「それに触るな!」
机の端、一本だけ離して置いてあった羽根ペンをダイモンが手に取った瞬間、コーディエは叫んで椅子から立ち上がっていた。ダイモンの手からペンをひったくると、その勢いでぶつかった机からインク瓶とペンが落ち、床の上に散らばった。
「あ、ああ……すまない。商売道具だもんな、ベタベタ触ったりして悪かったな」
軽く目を見開いたダイモンが、もう触らないよ、と両手を上げてコーディエの机から一歩遠ざかった。
「……違う。これは……使わない。使ってない。ただ……」
ただ……何だろう。コーディエは自分でも、なぜダイモンが羽ペンに触れることにそんなに過剰反応してしまったのか分からなかった。
「……いきなり怒鳴って、申し訳ない」
ため息をつきながら、机の下に散らばったペンとインク瓶を拾う。蓋を開けっ放しにしていたせいで、インクのほとんどは床の黒いシミになってしまっていた。
「大切なものだったんだな」
「いや……どうだろう。そうでもない……かな。普通の羽ペンだ」
「そうか……」
困惑した顔でベッドに腰を下ろすダイモンは、倒れたときよりよほど元気をなくしているように見えた。気まずい雰囲気の中、木目の間を這っていくインクを心持ちばかり拭ったコーディエは、ぱんと軽く手を叩いた。ふわりふわりと本が書架の中に戻っていく。仕事を続けるような気分ではなかったし、どのみちインクがなくなってしまってはやりようがない。
ダイモンに対する申し訳なさを感じながら、コーディエは手元に残った羽根ペンの先端をじっと見つめた。今拭いたインクとは違う、青黒い色が染み付いている。経年で色が変わる、改竄防止用のインクだ。
「……昔、これで……公文書を書く仕事をしてたんだ」
ぽつりと独り言のように呟く。紙が日常生活に溶け込んで久しいが、ここブロンデスではいまだに公的な文書には羊皮紙を使う。羊皮紙は紙に比べて穴が開きやすいから、金ペンではなく羽根ペンを使って書くのだ。
弁解したいというよりも、ただダイモンに話を聞いてほしかった。彼なら、コーディエの過去の話も面白がって聞いてくれそうな気がしたのだ。視線を上げると、ベッドに腰掛けた青年の、予想以上に真剣な眼差しがコーディエを貫いた。
先を促すように軽く頷かれ、コーディエは椅子をベッドの横、ダイモンと視線が垂直になる位置に移動させた。
「公文書ってえと……なんだ? 土地の登記書とかか?」
「それも公文書だな。私は……あー、王宮で、会議の記録やそこで決まった条約なんかを書く担当だった」
「おう」
さすがにそれは予想外だったのか、ダイモンがパチパチと目を瞬かせた。
「なるほど、すげえエリートだったわけか。道理で何でも知ってるし、魔法だって使えるわけだ」
「上級書記官な」
あまりにも雑なダイモンの表現に、思わず笑みがこぼれる。同時に、どこかにあった緊張感も溶けていくのが分かった。
「そんで、なんでそんなエリート書記官サマがこんなところで枯れ果てた生活してんだ?」
「上司を殴りつけてクビになったんだよ」
「ほおお、コーディーでもそんな事すんのか」
そいつは面白い、とばかりにダイモンの目が輝くのが見えた。好奇心丸出しで前のめりになるその姿勢が、今はかえって嬉しい。
「ま、簡単に言えば痴情のもつれってやつだな。その時私は同僚と……まあ、付き合ってたわけなんだが、ある日忘れものを取りに戻ったら上司にそいつが襲われてたんだ。助けようと思って上司の方を引っぺがして殴りつけて、そうしたら鼻の骨かなんか折れたみたいで、あたりが血だらけになったよ」
手に持った羽根ペンを見下ろし、くるくると回しながら話す。あの日忘れたのが魔法の杖で良かったと思うべきなのか、それとも残念だったと捉えるべきなのか、今でもコーディエは決めあぐねていた。
「気がついた時には上司はうめき声を上げるだけになっていて……もう大丈夫、そう思った私が振り返った時――あいつが駆け寄って縋りついたのは、上司の方だった」
滑稽だろう、と手を広げてダイモンに笑いかけようとしたコーディエは、目頭が熱くなるのを感じて慌てて俯いた。もう昔のことだ、そのはずなのに、口に出そうとすると息が詰まった。
「何のことはない。私が、浮気……相手だった、それ、だけだったんだよ」
結局、事件は「同僚に横恋慕したコーディエが上司に交際の解消を迫り、暴力を振るった」という結論になった。違う、と弁明する気力はなかったが、問われた罪が「上司への暴力行為」ではなく「神聖なる王宮内を血で汚したこと」だと知ったときだけは少しだけ愉快だった。
「ペン先にもいろいろあるもんだな」
「ん?」
小一時間経った頃、またもや沈黙を破ったのはダイモンの声だった。目を上げると、ベッドの中にいたはずのダイモンがいつの間にか机の前に移動していた。もう回復したのか。呆れながら文字を書く作業に戻ると、伸びてきた大きな手が机の上に置いていたペンを弄り始める。先の太さや形の違う、何本ものペン先を見比べているようだ。
「底本の書体や雰囲気にできるだけ近くなるようにしているからな」
「へえ。確かに、細かい装飾文字や絵とかは普通のペンじゃ書けないか」
「いや、そっちはそっちで専門家がいる」
写本を作るのは分業制である。コーディエのような写本師が修復しながら文字を写し、そのあと装飾師が文頭のイニシャルやイラストを書き入れる。最後に製本師が綴じて終了だ。場合によっては装丁師を入れたり、装飾を文字とイラストや線画と彩色などに担当分けすることもある。
「ってことは文字だけでこんなにあるのか、面白ぇもんだな。お、羽根ペンまであるたぁまた手の込んだ……」
「それに触るな!」
机の端、一本だけ離して置いてあった羽根ペンをダイモンが手に取った瞬間、コーディエは叫んで椅子から立ち上がっていた。ダイモンの手からペンをひったくると、その勢いでぶつかった机からインク瓶とペンが落ち、床の上に散らばった。
「あ、ああ……すまない。商売道具だもんな、ベタベタ触ったりして悪かったな」
軽く目を見開いたダイモンが、もう触らないよ、と両手を上げてコーディエの机から一歩遠ざかった。
「……違う。これは……使わない。使ってない。ただ……」
ただ……何だろう。コーディエは自分でも、なぜダイモンが羽ペンに触れることにそんなに過剰反応してしまったのか分からなかった。
「……いきなり怒鳴って、申し訳ない」
ため息をつきながら、机の下に散らばったペンとインク瓶を拾う。蓋を開けっ放しにしていたせいで、インクのほとんどは床の黒いシミになってしまっていた。
「大切なものだったんだな」
「いや……どうだろう。そうでもない……かな。普通の羽ペンだ」
「そうか……」
困惑した顔でベッドに腰を下ろすダイモンは、倒れたときよりよほど元気をなくしているように見えた。気まずい雰囲気の中、木目の間を這っていくインクを心持ちばかり拭ったコーディエは、ぱんと軽く手を叩いた。ふわりふわりと本が書架の中に戻っていく。仕事を続けるような気分ではなかったし、どのみちインクがなくなってしまってはやりようがない。
ダイモンに対する申し訳なさを感じながら、コーディエは手元に残った羽根ペンの先端をじっと見つめた。今拭いたインクとは違う、青黒い色が染み付いている。経年で色が変わる、改竄防止用のインクだ。
「……昔、これで……公文書を書く仕事をしてたんだ」
ぽつりと独り言のように呟く。紙が日常生活に溶け込んで久しいが、ここブロンデスではいまだに公的な文書には羊皮紙を使う。羊皮紙は紙に比べて穴が開きやすいから、金ペンではなく羽根ペンを使って書くのだ。
弁解したいというよりも、ただダイモンに話を聞いてほしかった。彼なら、コーディエの過去の話も面白がって聞いてくれそうな気がしたのだ。視線を上げると、ベッドに腰掛けた青年の、予想以上に真剣な眼差しがコーディエを貫いた。
先を促すように軽く頷かれ、コーディエは椅子をベッドの横、ダイモンと視線が垂直になる位置に移動させた。
「公文書ってえと……なんだ? 土地の登記書とかか?」
「それも公文書だな。私は……あー、王宮で、会議の記録やそこで決まった条約なんかを書く担当だった」
「おう」
さすがにそれは予想外だったのか、ダイモンがパチパチと目を瞬かせた。
「なるほど、すげえエリートだったわけか。道理で何でも知ってるし、魔法だって使えるわけだ」
「上級書記官な」
あまりにも雑なダイモンの表現に、思わず笑みがこぼれる。同時に、どこかにあった緊張感も溶けていくのが分かった。
「そんで、なんでそんなエリート書記官サマがこんなところで枯れ果てた生活してんだ?」
「上司を殴りつけてクビになったんだよ」
「ほおお、コーディーでもそんな事すんのか」
そいつは面白い、とばかりにダイモンの目が輝くのが見えた。好奇心丸出しで前のめりになるその姿勢が、今はかえって嬉しい。
「ま、簡単に言えば痴情のもつれってやつだな。その時私は同僚と……まあ、付き合ってたわけなんだが、ある日忘れものを取りに戻ったら上司にそいつが襲われてたんだ。助けようと思って上司の方を引っぺがして殴りつけて、そうしたら鼻の骨かなんか折れたみたいで、あたりが血だらけになったよ」
手に持った羽根ペンを見下ろし、くるくると回しながら話す。あの日忘れたのが魔法の杖で良かったと思うべきなのか、それとも残念だったと捉えるべきなのか、今でもコーディエは決めあぐねていた。
「気がついた時には上司はうめき声を上げるだけになっていて……もう大丈夫、そう思った私が振り返った時――あいつが駆け寄って縋りついたのは、上司の方だった」
滑稽だろう、と手を広げてダイモンに笑いかけようとしたコーディエは、目頭が熱くなるのを感じて慌てて俯いた。もう昔のことだ、そのはずなのに、口に出そうとすると息が詰まった。
「何のことはない。私が、浮気……相手だった、それ、だけだったんだよ」
結局、事件は「同僚に横恋慕したコーディエが上司に交際の解消を迫り、暴力を振るった」という結論になった。違う、と弁明する気力はなかったが、問われた罪が「上司への暴力行為」ではなく「神聖なる王宮内を血で汚したこと」だと知ったときだけは少しだけ愉快だった。
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