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春になったら
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「でもその夜にすげえ雨降って来てさ、もう滝かな? ってくらい。翌日村の横に川ができてて驚いたよ」
「涸れ川というやつだな。川そのものはすぐに消えてしまうが、地下水脈として残っているから近くに村ができやすいと聞く」
「へえ、だからあそこ、砂漠の中なのに井戸があったのか」
多分な、と言いながらエールを一口飲み、オイルサーディンの乗ったバゲットをコーディエはつまんだ。その指先を、早くも翳ってきた夕陽が照らす。
過去の話を聞いてもらったことに気恥ずかしさはあったが、「いいじゃねえか」と言ってくれたダイモンのおかげで、ずっと心の奥深くに淀んでいたものが洗い流された気がした。その空気感が心地よくてコーディーがうだうだしていると、唐突にダイモンが「そういえば、昔行ったティガトア族の村では『失恋したことのないものは結婚の証人になってはいけない』という決まりがあったな」と話しはじめた。
「なんだそれは」
思わずコーディエが笑ったところからダイモンのこれまでの旅の話を聞く流れになり、まだ早い時間から、二人は酒を飲みながらだらだらと話をしていた。
雄大な景色、その土地ならではの料理、それから思わぬ大失敗。十五の時に村を出たというダイモンの話は、それを聞くコーディエも色鮮やかな様子や土地の風の香りを感じられるようだった。
羨ましい、と思った。
コーディエが書物の記述でしか知らず、いつか見てみたいと思っていることを彼は実際に体験してきているのだ。
弾むような口調で、身振りを交えて大仰に話すダイモンは魔法をはじめて使ったときのように目を輝かせていて、その言葉の端々から、更に未知のものに出会いたい、また旅に出たいといううずうずした気持ちがあるのが見えた。
(そう……だから、「春になったら」行ってしまうんだよな)
コーディエの退屈な暮らしに、いつまでも彼をとどめておくわけにはいかない。ふとそのことに気づいたコーディエは、心地よく浮かれていた気持ちが、すとんと冷たい池の中に墜落していくような気がした。話に夢中になっているうちに日も落ちていて、部屋の中も大分薄暗くなっている。
ダイモンの話がひと段落したところで、コーディエは杖を振ってランプに火を点けた。オレンジ色の光が、彫りの深い顔を更に際立たせる。
「なあダイモン、ここを……出たら、どこへ行くつもりだ?」
今日の夕飯は。外の天気は。同じような調子でコーディエは尋ねたつもりだったが、声には不安が滲んでしまっている気がした。
「んー、そうだな」
気づかなかったのか、それとも気づいていて無視することにしたのか。首を傾げたダイモンは、上を見上げて長い足を組んだ。
「まず下のギーザの村に出て、ちょっと金を貯めるところからかな。雪崩で全部雪に飲まれちまったし。運よく隊商なんかが通ればいいけど……でも、できれば西の方に行きたいとは思ってる」
「西」
「おう。ここから西に、『美食の国』ガレーアがあるだろ? 料理好きとしちゃ一回は行っておかないとな」
「……そうか」
三日三晩続く饗宴の形態があるとか、あえて料理に毒虫を入れ、痺れる感覚を楽しむ調理法のせいで年間何人もが命を落としているとか、ガレーアの噂はコーディエも聞くところだ。きっとダイモンが行ったら今以上に料理の腕を上げるに違いない。毒虫を食べて死ななかったら、だが。
(ああ……なんだ、そうだよな)
当たり前だが、ダイモンが自分の家から出て行った先のことを考えているという事実に、コーディエの心はさらに冷え込んだ。
手に持っていたエールの瓶を呷ると、屋根の上の雪が落ちていく音がした。びちゃりと湿った音がするのは、みぞれになってきているからだ。ここ数日で気温が上がったせいで、山の雪は一気に溶けはじめている。
「涸れ川というやつだな。川そのものはすぐに消えてしまうが、地下水脈として残っているから近くに村ができやすいと聞く」
「へえ、だからあそこ、砂漠の中なのに井戸があったのか」
多分な、と言いながらエールを一口飲み、オイルサーディンの乗ったバゲットをコーディエはつまんだ。その指先を、早くも翳ってきた夕陽が照らす。
過去の話を聞いてもらったことに気恥ずかしさはあったが、「いいじゃねえか」と言ってくれたダイモンのおかげで、ずっと心の奥深くに淀んでいたものが洗い流された気がした。その空気感が心地よくてコーディーがうだうだしていると、唐突にダイモンが「そういえば、昔行ったティガトア族の村では『失恋したことのないものは結婚の証人になってはいけない』という決まりがあったな」と話しはじめた。
「なんだそれは」
思わずコーディエが笑ったところからダイモンのこれまでの旅の話を聞く流れになり、まだ早い時間から、二人は酒を飲みながらだらだらと話をしていた。
雄大な景色、その土地ならではの料理、それから思わぬ大失敗。十五の時に村を出たというダイモンの話は、それを聞くコーディエも色鮮やかな様子や土地の風の香りを感じられるようだった。
羨ましい、と思った。
コーディエが書物の記述でしか知らず、いつか見てみたいと思っていることを彼は実際に体験してきているのだ。
弾むような口調で、身振りを交えて大仰に話すダイモンは魔法をはじめて使ったときのように目を輝かせていて、その言葉の端々から、更に未知のものに出会いたい、また旅に出たいといううずうずした気持ちがあるのが見えた。
(そう……だから、「春になったら」行ってしまうんだよな)
コーディエの退屈な暮らしに、いつまでも彼をとどめておくわけにはいかない。ふとそのことに気づいたコーディエは、心地よく浮かれていた気持ちが、すとんと冷たい池の中に墜落していくような気がした。話に夢中になっているうちに日も落ちていて、部屋の中も大分薄暗くなっている。
ダイモンの話がひと段落したところで、コーディエは杖を振ってランプに火を点けた。オレンジ色の光が、彫りの深い顔を更に際立たせる。
「なあダイモン、ここを……出たら、どこへ行くつもりだ?」
今日の夕飯は。外の天気は。同じような調子でコーディエは尋ねたつもりだったが、声には不安が滲んでしまっている気がした。
「んー、そうだな」
気づかなかったのか、それとも気づいていて無視することにしたのか。首を傾げたダイモンは、上を見上げて長い足を組んだ。
「まず下のギーザの村に出て、ちょっと金を貯めるところからかな。雪崩で全部雪に飲まれちまったし。運よく隊商なんかが通ればいいけど……でも、できれば西の方に行きたいとは思ってる」
「西」
「おう。ここから西に、『美食の国』ガレーアがあるだろ? 料理好きとしちゃ一回は行っておかないとな」
「……そうか」
三日三晩続く饗宴の形態があるとか、あえて料理に毒虫を入れ、痺れる感覚を楽しむ調理法のせいで年間何人もが命を落としているとか、ガレーアの噂はコーディエも聞くところだ。きっとダイモンが行ったら今以上に料理の腕を上げるに違いない。毒虫を食べて死ななかったら、だが。
(ああ……なんだ、そうだよな)
当たり前だが、ダイモンが自分の家から出て行った先のことを考えているという事実に、コーディエの心はさらに冷え込んだ。
手に持っていたエールの瓶を呷ると、屋根の上の雪が落ちていく音がした。びちゃりと湿った音がするのは、みぞれになってきているからだ。ここ数日で気温が上がったせいで、山の雪は一気に溶けはじめている。
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