18 / 46
第三章 Duae Sankt(ドゥアエ・サンクト)
Duae Sankt.1
しおりを挟む
麦畑の中央を隔てて通る、初夏の田舎道。何処までも広がる麦の穂は青々として、通り過ぎる風の軌跡をざわざわと靡いて教えてくれる。もう間もなく正午になろうという高い日差しの下を、連れ立って歩く二つの姿。
「…ねぇ、ミディアン神父。街道から村の真ん中まで馬車を回してくれるって言ってくれてたんだから、その厚意、素直に受け取ったらよかったんじゃないのぉ──?」
「だーめ。司祭がそういうのに気軽に甘えてたら、他の人たちに示しがつかないでしょ。…あぁ、この村は風が気持ちいいねぇ。」
「そりゃ、アンタは身軽でいいけどさぁ──。」
軽い足取りに、揺れる臙脂色の武装神服の裾。黒い短い外套。左の肩に黒い弓銃を帯びた小柄な男の後ろに、両手と背中に大量の荷物を持たされ、その上、背に長柄の槍斧を背負った長身の男が、ブツブツと文句を言いながら足取りも重そうに続き歩く。
一見して、聖霊教会の武装司祭と、その従者であるかのような二人。背丈も、服装も異なる二人連れは、村の中心部までもうしばらくは掛かろうかという麦畑の中の道を進んでいく。背の低い司祭より大分長身の従者の男は、被っているつばの広い黒い帽子の影から、茶色い色硝子の嵌まった丸眼鏡越しに眩しげに太陽を見上げ、溜息交じりに、しかしのんびりとした口調で呟いた。
「アウエンブルフ、か──。ここも、暮らしやすい静かな村だといいけど。」
*****
辺境の村グレンツドルフから、街道を馬車で数刻、徒歩で半日と少々。隣村であるアウエンブルフ小教区に、別の武装司祭が転任したという噂は、すぐにゲオルギウスの元に届けられた。ここも都市からは遠く、グレンツドルフに負けず劣らず小さな村の西には荒れた平原と湿地帯とが荒涼と広がっているような土地だ。辺境伯の領土に近く、また、荒れ地の古戦場からは屍人が這い出して来るという話もまことしやかに広まっているため、長らく武装司祭の転任はなかったが、どういう風の吹き回しか、献身的に転任を望む司祭があったのだという。
その風変わりな武装司祭が、隣の教区グレンツドルフのゲオルギウスの元に挨拶に訪れるということを、村を往復する馬車の御者により数日前に知らされていた。聖堂から少し離れたところに建てられた、聖職者の居住に使われる司祭館の狭い卓を整え、昼過ぎに馬車で到着するという新任の司祭を待つ。
程なく到着したのは、ゲオルギウスと同じグナーデン派の臙脂の武装神服に身を包んだ小柄な神父、そして、その後にぴたりと付き従う、ゲオルギウスよりも背の高い黒服の男の二人連れだった。
「お目に掛かれて光栄です。シュルツ神父。アウエンブルフに転任の命を頂いた、ミディアン・ブラァンです。それで、こちらは、私の聖堂番。」
「あ、どうも。初めまして。ブラァン神父の猟犬です。オレは、ユージィン・ミュラーと。」
穏やかそうな神父と、長身の険しい外見に反して意外な陽気さを見せる聖堂番の男。頭を垂れて右手に額を押し当てる敬意の礼を交わした後、ゲオルギウスは、彼らを司祭館の古い質素な食卓へと招き入れる。
「ようこそおいで下さいました。親愛を込めて、ミディアン神父、それにユージィン。見ての通り、小さな村の古い教会です。応接のための広間もない。非礼をお許し頂きたい。」
「では、親愛を込めて、ゲオルギウス神父。とんでもない、私たちの教区も同じです。清く、質素で、常に吸血鬼の脅威に曝されている村。…先任の、しかも辺境伯と対峙されたというゲオルギウス神父がお近くにいらっしゃるのは大変心強いと思いまして、今日はこうして御挨拶に伺わせていただいたのですよ。」
四人掛けの卓に向かい合って座るミディアン神父は、外見通りの穏やかな口調で話しながら、掛けている銀縁の楕円の眼鏡の下で少しだけはにかみ笑いを見せる。対して、ユージィンに人見知りはないようで、茶色いレンズを嵌めた丸眼鏡の向こうでいかにも人懐こそうな笑顔を浮かべているのだ。
ミディアン・ブラァン神父は、武装司祭としては大層小柄な部類に入る、ゲオルギウスより二回りほど背の低い男だった。ゲオルギウスと同じ武装神服に念珠、そして、何に使うのか、銀色の十字形の呼子笛を首に掛けている。癖掛かって柔らかな長めの黒髪を頭の右側から左側に流すように梳り、襟足はさっぱりと刈り上げていた。濃い茶色をした大きな瞳は相当に視力が悪く、楕円のレンズを嵌めた眼鏡がなければ余程近くのもの以外はほとんど見えないのだという。そのせいか、凛々しい眉間に皺を寄せる癖があり、押し黙っていれば気難しい印象であるとも受け止められた。
今年で三十五歳になるという彼の黒髪にはよく見れば幾つもの白い糸が交じってはいるが、生来の顔立ちと小柄な体格、そして、言い伝えでは生まれた時に小妖精が摘まんでいったと称される大きく厚い耳朶により、実年齢より幾分か若い風貌に見える。武装司祭の中では後方支援隊になる弓銃の使い手で、とりわけ、個人的には薬学や化学、装置の組み立ての類が得意なのだとミディアンは語った。
「──ですから、闇の眷属を相手に戦うとなれば、接近戦の堂番が必要なのです。穢れの夜は、いつもこのユージィンと対で務めを果たしています。」
「ハイハイ、オレ、腕力には自信あるからね。神学はからっきしだったけど、重い得物を振り回すのは昔から得意で。ね?ミディアン?」
その時、卓の下で、ミディアンの固い長靴の先が素早くユージィンの脛を蹴り上げたのを、ゲオルギウスは決して見逃さなかった。革の長靴の上からとはいえ、相当に鋭い一点集中の打撃を受け、長身の男は肩を震わせて悶絶を隠しながら俯き、咳払いをして居住まいを正す。
「──失礼しました、ブラァン神父。仰る通り、聖職者ではなくただの堂番の私が猟犬役です。ですが、オレ達は一人一人が別にいるよりも、二人でいることに意義がある…まあ、そんな感じですよ。」
落ち着き払って澄ましているミディアンの横で眉尻を下げ、処遇に対してやや不満げな内心を露わにしているユージィンは、肩に掛からない程度に長く、均一に伸ばした真っ直ぐな黒髪を中分けにした、面長で頬骨の高い精悍な顔立ちの男だった。年の頃は二十代の後半ほどか、上背はゲオルギウスよりやや高く、ただでさえ小柄なミディアンと並べばその凹凸の差が歴然とする。昼間は常に、茶色のガラスが嵌まった丸眼鏡を掛けているのは、ミディアンより淡い鳶色をした瞳が太陽に弱いからなのだとユージィンは語り、そのせいでつばの広い黒い帽子や、暑い盛りでも袖の長い上着が手放せないのだという。
口を開けば立て板に水の如く言葉の軽いユージィンを、ミディアンは何処か不安げに横目で眺めていた。壁際に立て掛けてある重たげな槍斧が彼の背負っていた得物であり、ならばなるほど、斬り込み役としてはうってつけなのだろう。噛み合わないようでいて、その癖どこかがしっかりと噛み合っている風に見える神父と堂番。その様子に、ゲオルギウスはつい口許を緩めてクスリと笑いを零してしまう。
「──いや、失礼。お二方は、とても良き戦いの相棒であるように見受けられましたので。」
「お恥ずかしい限りです。…ですが、まあ、この男の腕だけは確かですよ。お陰で、穢れの夜には背を預けて戦える。」
一瞬、互いに目を見交わして浅く頷く二人の男。その間に流れる確かな信は、一年や二年で築き上げられるものではないのだということは明瞭に見て取れた。
仮に。と、ゲオルギウスは思う。もし自分に、これほど信を預けられる相手がいたとしたら、十七年の間、棘草の蔓のように身に纏わりついていた怨讐や妄念も、少しは形の違うものになっていただろうか。秘密を打ち明けることで、心の枷は少しでも軽くなっていただろうか。
詮のないことだ、と理解はしていても、そう考えずにはいられなかった。僅かに睫毛を伏せて苦悩に沈む顔を、ミディアンが不思議そうに窺っている。それに気づき、ゲオルギウスは場を取り繕うように首を横に振って微笑して見せた。
「ここには、街にあるような娯楽は何もありません。その分、神と精霊に祈りを捧げる時間を長く取れる──と言いますかね。慣れるまでは、寂しいと感じる日もありました。しかし、お二方ならば、その心配はなさそうですね。」
「いやぁ、そうでもないですよ。祈祷中はともかく、薬の調合中だの何かの組み立て中に話し掛けると、オレ露骨に無視されますもん。」
再び、卓の下でミディアンがユージィンの脛を鋭く蹴り付ける。二度目の痛みに悶えるユージィンを綺麗に視界の外に置き去りにして、ミディアンはいっそ清々しいほど穏やかな表情で微笑を返した。
「…アウエンブルフと同じく、この村にも正式な医者はいないそうですね。もし、急な病人がありましたら、遠慮なさらず早馬を飛ばしてください。お役に立てるかもしれません。」
「傷病者の手当てを担う弓銃隊は、若い医者よりも余程優れた薬学や治療の知識を持っておられると聞いております。有事の際は、是非ご助力を賜りたい。私も、同じ神と精霊の子である兄弟のために協力を惜しみません。──できることがあれば、ですがね。」
親愛の意を込めて右手を差し出せば、ミディアンもすぐさま右手を差し出して、両者の間で固い握手が交わされる。
「次の機会には、不死伯ルゴシュとの戦いについてお伺いしたいものです。不死鬼はただの吸血鬼とどう違うのか…。尋ね出すと長くなりそうなので、今日はこれでお暇します。では、ゲオルギウス神父。──良き一日を、汝、聖なれ。」
「──結局のところ、私はあれを取り逃がしていますから。しかし、ミディアン神父の頼みとあらば、いつでも。…努めて、聖なるべし。お気をつけて。」
ミディアンが椅子を立つよりも早く、気配を察したユージィンが立ち上がってさりげなく彼の腰掛けていた椅子の背を引く。その手慣れた所作から見ても、ミディアンとユージィンがただの司祭と堂番の間柄ではないことは薄々と理解できた。主従というよりも、どちらかというと息の合った友情のようなものを感じさせる。だが、二人の関係性について深く尋ねるべき時期は、少なくとも今ではない。武装司祭と聖堂番、その風変わりな二人が何故辺境に近い寒村に転任を申し出たのかということに興味がない訳ではなかったが、理由については追々聞き出せばいいだろうとゲオルギウスは考えた。第一、ゲオルギウスには、決して他人に、それも聖職者には絶対に知られてはならない不死伯についての秘密がある。
隣村に向かう荷馬車に乗り込む二人の姿が見えなくなるまで街道で見送り、ゲオルギウスは、空高く昇った初夏の太陽を見上げて眩しげに目を細めた。
今夜から、月が欠け始める。もう半月も経たずに穢れの新月が訪れようが、あの神父と堂番は、無事に務めを果たせるのだろうか。
「──まあ、あの様子ではこれは余計な心配、だろうな。」
そう呟くと、右から左、頭から胸に十字を切って、同じ辺境の地で闇の眷属と対峙する二人の盟友の息災を神と精霊に祈った。
*****
グレンツドルフからアウエンブルフに向かう幌馬車の荷台には、ミディアンとユージィンの他には誰も乗っていない。積み荷の隙間にミディアンは腰を下ろし、ユージィンは、被っていたつばの広い黒い帽子を顔の上に乗せて、広い場所にごろりと仰向けになって昼寝を決め込んでいる。ゴトゴトと揺れる車輪の音を耳にしながら、弓銃を帯びた神父は眼鏡の下の目を伏せて小さな溜息を吐いた。
「──まったく。君が余計なことを話しやしないかと、僕は心配でしょうがなかったよ。」
ぼそりと零れたミディアンの言葉に、顔を隠して眠っていた筈のユージィンが帽子の下から答えを返す。
「大丈夫だよ、心配性だなぁ。──オレたち、今までもいつだって二人でどうにかしてきたじゃないか。」
聞き慣れた、たった一人の親友の声に、ミディアンはふっと表情を緩めて微笑を浮かべた。荷馬車の幌の隙間から遠ざかってゆくグレンツドルフの村をぼんやりと眺め、浅く頷く。
「…そうだね。手始めに、最初の穢れの夜が待ってる。──手早く片付けよう。」
「…ねぇ、ミディアン神父。街道から村の真ん中まで馬車を回してくれるって言ってくれてたんだから、その厚意、素直に受け取ったらよかったんじゃないのぉ──?」
「だーめ。司祭がそういうのに気軽に甘えてたら、他の人たちに示しがつかないでしょ。…あぁ、この村は風が気持ちいいねぇ。」
「そりゃ、アンタは身軽でいいけどさぁ──。」
軽い足取りに、揺れる臙脂色の武装神服の裾。黒い短い外套。左の肩に黒い弓銃を帯びた小柄な男の後ろに、両手と背中に大量の荷物を持たされ、その上、背に長柄の槍斧を背負った長身の男が、ブツブツと文句を言いながら足取りも重そうに続き歩く。
一見して、聖霊教会の武装司祭と、その従者であるかのような二人。背丈も、服装も異なる二人連れは、村の中心部までもうしばらくは掛かろうかという麦畑の中の道を進んでいく。背の低い司祭より大分長身の従者の男は、被っているつばの広い黒い帽子の影から、茶色い色硝子の嵌まった丸眼鏡越しに眩しげに太陽を見上げ、溜息交じりに、しかしのんびりとした口調で呟いた。
「アウエンブルフ、か──。ここも、暮らしやすい静かな村だといいけど。」
*****
辺境の村グレンツドルフから、街道を馬車で数刻、徒歩で半日と少々。隣村であるアウエンブルフ小教区に、別の武装司祭が転任したという噂は、すぐにゲオルギウスの元に届けられた。ここも都市からは遠く、グレンツドルフに負けず劣らず小さな村の西には荒れた平原と湿地帯とが荒涼と広がっているような土地だ。辺境伯の領土に近く、また、荒れ地の古戦場からは屍人が這い出して来るという話もまことしやかに広まっているため、長らく武装司祭の転任はなかったが、どういう風の吹き回しか、献身的に転任を望む司祭があったのだという。
その風変わりな武装司祭が、隣の教区グレンツドルフのゲオルギウスの元に挨拶に訪れるということを、村を往復する馬車の御者により数日前に知らされていた。聖堂から少し離れたところに建てられた、聖職者の居住に使われる司祭館の狭い卓を整え、昼過ぎに馬車で到着するという新任の司祭を待つ。
程なく到着したのは、ゲオルギウスと同じグナーデン派の臙脂の武装神服に身を包んだ小柄な神父、そして、その後にぴたりと付き従う、ゲオルギウスよりも背の高い黒服の男の二人連れだった。
「お目に掛かれて光栄です。シュルツ神父。アウエンブルフに転任の命を頂いた、ミディアン・ブラァンです。それで、こちらは、私の聖堂番。」
「あ、どうも。初めまして。ブラァン神父の猟犬です。オレは、ユージィン・ミュラーと。」
穏やかそうな神父と、長身の険しい外見に反して意外な陽気さを見せる聖堂番の男。頭を垂れて右手に額を押し当てる敬意の礼を交わした後、ゲオルギウスは、彼らを司祭館の古い質素な食卓へと招き入れる。
「ようこそおいで下さいました。親愛を込めて、ミディアン神父、それにユージィン。見ての通り、小さな村の古い教会です。応接のための広間もない。非礼をお許し頂きたい。」
「では、親愛を込めて、ゲオルギウス神父。とんでもない、私たちの教区も同じです。清く、質素で、常に吸血鬼の脅威に曝されている村。…先任の、しかも辺境伯と対峙されたというゲオルギウス神父がお近くにいらっしゃるのは大変心強いと思いまして、今日はこうして御挨拶に伺わせていただいたのですよ。」
四人掛けの卓に向かい合って座るミディアン神父は、外見通りの穏やかな口調で話しながら、掛けている銀縁の楕円の眼鏡の下で少しだけはにかみ笑いを見せる。対して、ユージィンに人見知りはないようで、茶色いレンズを嵌めた丸眼鏡の向こうでいかにも人懐こそうな笑顔を浮かべているのだ。
ミディアン・ブラァン神父は、武装司祭としては大層小柄な部類に入る、ゲオルギウスより二回りほど背の低い男だった。ゲオルギウスと同じ武装神服に念珠、そして、何に使うのか、銀色の十字形の呼子笛を首に掛けている。癖掛かって柔らかな長めの黒髪を頭の右側から左側に流すように梳り、襟足はさっぱりと刈り上げていた。濃い茶色をした大きな瞳は相当に視力が悪く、楕円のレンズを嵌めた眼鏡がなければ余程近くのもの以外はほとんど見えないのだという。そのせいか、凛々しい眉間に皺を寄せる癖があり、押し黙っていれば気難しい印象であるとも受け止められた。
今年で三十五歳になるという彼の黒髪にはよく見れば幾つもの白い糸が交じってはいるが、生来の顔立ちと小柄な体格、そして、言い伝えでは生まれた時に小妖精が摘まんでいったと称される大きく厚い耳朶により、実年齢より幾分か若い風貌に見える。武装司祭の中では後方支援隊になる弓銃の使い手で、とりわけ、個人的には薬学や化学、装置の組み立ての類が得意なのだとミディアンは語った。
「──ですから、闇の眷属を相手に戦うとなれば、接近戦の堂番が必要なのです。穢れの夜は、いつもこのユージィンと対で務めを果たしています。」
「ハイハイ、オレ、腕力には自信あるからね。神学はからっきしだったけど、重い得物を振り回すのは昔から得意で。ね?ミディアン?」
その時、卓の下で、ミディアンの固い長靴の先が素早くユージィンの脛を蹴り上げたのを、ゲオルギウスは決して見逃さなかった。革の長靴の上からとはいえ、相当に鋭い一点集中の打撃を受け、長身の男は肩を震わせて悶絶を隠しながら俯き、咳払いをして居住まいを正す。
「──失礼しました、ブラァン神父。仰る通り、聖職者ではなくただの堂番の私が猟犬役です。ですが、オレ達は一人一人が別にいるよりも、二人でいることに意義がある…まあ、そんな感じですよ。」
落ち着き払って澄ましているミディアンの横で眉尻を下げ、処遇に対してやや不満げな内心を露わにしているユージィンは、肩に掛からない程度に長く、均一に伸ばした真っ直ぐな黒髪を中分けにした、面長で頬骨の高い精悍な顔立ちの男だった。年の頃は二十代の後半ほどか、上背はゲオルギウスよりやや高く、ただでさえ小柄なミディアンと並べばその凹凸の差が歴然とする。昼間は常に、茶色のガラスが嵌まった丸眼鏡を掛けているのは、ミディアンより淡い鳶色をした瞳が太陽に弱いからなのだとユージィンは語り、そのせいでつばの広い黒い帽子や、暑い盛りでも袖の長い上着が手放せないのだという。
口を開けば立て板に水の如く言葉の軽いユージィンを、ミディアンは何処か不安げに横目で眺めていた。壁際に立て掛けてある重たげな槍斧が彼の背負っていた得物であり、ならばなるほど、斬り込み役としてはうってつけなのだろう。噛み合わないようでいて、その癖どこかがしっかりと噛み合っている風に見える神父と堂番。その様子に、ゲオルギウスはつい口許を緩めてクスリと笑いを零してしまう。
「──いや、失礼。お二方は、とても良き戦いの相棒であるように見受けられましたので。」
「お恥ずかしい限りです。…ですが、まあ、この男の腕だけは確かですよ。お陰で、穢れの夜には背を預けて戦える。」
一瞬、互いに目を見交わして浅く頷く二人の男。その間に流れる確かな信は、一年や二年で築き上げられるものではないのだということは明瞭に見て取れた。
仮に。と、ゲオルギウスは思う。もし自分に、これほど信を預けられる相手がいたとしたら、十七年の間、棘草の蔓のように身に纏わりついていた怨讐や妄念も、少しは形の違うものになっていただろうか。秘密を打ち明けることで、心の枷は少しでも軽くなっていただろうか。
詮のないことだ、と理解はしていても、そう考えずにはいられなかった。僅かに睫毛を伏せて苦悩に沈む顔を、ミディアンが不思議そうに窺っている。それに気づき、ゲオルギウスは場を取り繕うように首を横に振って微笑して見せた。
「ここには、街にあるような娯楽は何もありません。その分、神と精霊に祈りを捧げる時間を長く取れる──と言いますかね。慣れるまでは、寂しいと感じる日もありました。しかし、お二方ならば、その心配はなさそうですね。」
「いやぁ、そうでもないですよ。祈祷中はともかく、薬の調合中だの何かの組み立て中に話し掛けると、オレ露骨に無視されますもん。」
再び、卓の下でミディアンがユージィンの脛を鋭く蹴り付ける。二度目の痛みに悶えるユージィンを綺麗に視界の外に置き去りにして、ミディアンはいっそ清々しいほど穏やかな表情で微笑を返した。
「…アウエンブルフと同じく、この村にも正式な医者はいないそうですね。もし、急な病人がありましたら、遠慮なさらず早馬を飛ばしてください。お役に立てるかもしれません。」
「傷病者の手当てを担う弓銃隊は、若い医者よりも余程優れた薬学や治療の知識を持っておられると聞いております。有事の際は、是非ご助力を賜りたい。私も、同じ神と精霊の子である兄弟のために協力を惜しみません。──できることがあれば、ですがね。」
親愛の意を込めて右手を差し出せば、ミディアンもすぐさま右手を差し出して、両者の間で固い握手が交わされる。
「次の機会には、不死伯ルゴシュとの戦いについてお伺いしたいものです。不死鬼はただの吸血鬼とどう違うのか…。尋ね出すと長くなりそうなので、今日はこれでお暇します。では、ゲオルギウス神父。──良き一日を、汝、聖なれ。」
「──結局のところ、私はあれを取り逃がしていますから。しかし、ミディアン神父の頼みとあらば、いつでも。…努めて、聖なるべし。お気をつけて。」
ミディアンが椅子を立つよりも早く、気配を察したユージィンが立ち上がってさりげなく彼の腰掛けていた椅子の背を引く。その手慣れた所作から見ても、ミディアンとユージィンがただの司祭と堂番の間柄ではないことは薄々と理解できた。主従というよりも、どちらかというと息の合った友情のようなものを感じさせる。だが、二人の関係性について深く尋ねるべき時期は、少なくとも今ではない。武装司祭と聖堂番、その風変わりな二人が何故辺境に近い寒村に転任を申し出たのかということに興味がない訳ではなかったが、理由については追々聞き出せばいいだろうとゲオルギウスは考えた。第一、ゲオルギウスには、決して他人に、それも聖職者には絶対に知られてはならない不死伯についての秘密がある。
隣村に向かう荷馬車に乗り込む二人の姿が見えなくなるまで街道で見送り、ゲオルギウスは、空高く昇った初夏の太陽を見上げて眩しげに目を細めた。
今夜から、月が欠け始める。もう半月も経たずに穢れの新月が訪れようが、あの神父と堂番は、無事に務めを果たせるのだろうか。
「──まあ、あの様子ではこれは余計な心配、だろうな。」
そう呟くと、右から左、頭から胸に十字を切って、同じ辺境の地で闇の眷属と対峙する二人の盟友の息災を神と精霊に祈った。
*****
グレンツドルフからアウエンブルフに向かう幌馬車の荷台には、ミディアンとユージィンの他には誰も乗っていない。積み荷の隙間にミディアンは腰を下ろし、ユージィンは、被っていたつばの広い黒い帽子を顔の上に乗せて、広い場所にごろりと仰向けになって昼寝を決め込んでいる。ゴトゴトと揺れる車輪の音を耳にしながら、弓銃を帯びた神父は眼鏡の下の目を伏せて小さな溜息を吐いた。
「──まったく。君が余計なことを話しやしないかと、僕は心配でしょうがなかったよ。」
ぼそりと零れたミディアンの言葉に、顔を隠して眠っていた筈のユージィンが帽子の下から答えを返す。
「大丈夫だよ、心配性だなぁ。──オレたち、今までもいつだって二人でどうにかしてきたじゃないか。」
聞き慣れた、たった一人の親友の声に、ミディアンはふっと表情を緩めて微笑を浮かべた。荷馬車の幌の隙間から遠ざかってゆくグレンツドルフの村をぼんやりと眺め、浅く頷く。
「…そうだね。手始めに、最初の穢れの夜が待ってる。──手早く片付けよう。」
0
あなたにおすすめの小説
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる
結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。
冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。
憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。
誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。
鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。
BL 男達の性事情
蔵屋
BL
漁師の仕事は、海や川で魚介類を獲ることである。
漁獲だけでなく、養殖業に携わる漁師もいる。
漁師の仕事は多岐にわたる。
例えば漁船の操縦や漁具の準備や漁獲物の処理等。
陸上での魚の選別や船や漁具の手入れなど、
多彩だ。
漁師の日常は毎日漁に出て魚介類を獲るのが主な業務だ。
漁獲とは海や川で魚介類を獲ること。
養殖の場合は魚介類を育ててから出荷する養殖業もある。
陸上作業の場合は獲った魚の選別、船や漁具の手入れを行うことだ。
漁業の種類と言われる仕事がある。
漁師の仕事だ。
仕事の内容は漁を行う場所や方法によって多様である。
沿岸漁業と言われる比較的に浜から近い漁場で行われ、日帰りが基本。
日本の漁師の多くがこの形態なのだ。
沖合(近海)漁業という仕事もある。
沿岸漁業よりも遠い漁場で行われる。
遠洋漁業は数ヶ月以上漁船で生活することになる。
内水面漁業というのは川や湖で行われる漁業のことだ。
漁師の働き方は、さまざま。
漁業の種類や狙う魚によって異なるのだ。
出漁時間は早朝や深夜に出漁し、市場が開くまでに港に戻り魚の選別を終えるという仕事が日常である。
休日でも釣りをしたり、漁具の手入れをしたりと、海を愛する男達が多い。
個人事業主になれば漁船や漁具を自分で用意し、漁業権などの資格も必要になってくる。
漁師には、豊富な知識と経験が必要だ。
専門知識は魚類の生態や漁場に関する知識、漁法の技術と言えるだろう。
資格は小型船舶操縦士免許、海上特殊無線技士免許、潜水士免許などの資格があれば役に立つ。
漁師の仕事は、自然を相手にする厳しさもあるが大きなやりがいがある。
食の提供は人々の毎日の食卓に新鮮な海の幸を届ける重要な役割を担っているのだ。
地域との連携も必要である。
沿岸漁業では地域社会との結びつきが強く、地元のイベントにも関わってくる。
この物語の主人公は極楽翔太。18歳。
翔太は来年4月から地元で漁師となり働くことが決まっている。
もう一人の主人公は木下英二。28歳。
地元で料理旅館を経営するオーナー。
翔太がアルバイトしている地元のガソリンスタンドで英二と偶然あったのだ。
この物語の始まりである。
この物語はフィクションです。
この物語に出てくる団体名や個人名など同じであってもまったく関係ありません。
平凡ワンコ系が憧れの幼なじみにめちゃくちゃにされちゃう話(小説版)
優狗レエス
BL
Ultra∞maniacの続きです。短編連作になっています。
本編とちがってキャラクターそれぞれ一人称の小説です。
【完結】 男達の性宴
蔵屋
BL
僕が通う高校の学校医望月先生に
今夜8時に来るよう、青山のホテルに
誘われた。
ホテルに来れば会場に案内すると
言われ、会場案内図を渡された。
高三最後の夏休み。家業を継ぐ僕を
早くも社会人扱いする両親。
僕は嬉しくて夕食後、バイクに乗り、
東京へ飛ばして行った。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる