塩と水とその器

望凪

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第一章

奇縁(三)

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 私が睨んでいることに目もくれず、迷惑女はカレーを口に入れた。瞬間、デフォルトで緩んでいる顔の筋肉が強ばった。具体的には、眉間にシワが寄った。

「……びみょー」
「黙って食え。……いただきます」

 合掌。食に対する感謝とかそういうわけではないが、長年の習慣だった。

「はい、どうぞ~」
「…………」

 お前は何様なんだ。などと内心でツッコミながら、私もようやくご飯にありつく。
 迷惑女の言う通り、特別美味しいというほどではなかった。
 しかし食べられないレベルではないし、だったら何も問題はない。手軽に肉も野菜もご飯も接種出来るのだから。
 黙々と栄養を口に放り込んでいると、ねえ、と対面に座る女が声をかけてくる。

「なに」
「ボクが作ろっか?ごはん」
「……不味いなら食べなくていいって言っただろ」
「そーじゃなくて」
「ていうか、追加で何か作れるほど余ってない」

 どころか、肉の一切れも残っていないわけだが。
 ああ、うん、と迷惑女は曖昧に頷く。

「なんか見てるとさ。あなた、美味しそうに食べてないから」
「美味しいかなんてどうでもいい」
「でも折角なら美味しい方がいいでしょ?だからさ」

 いつの間にか自分の分を平らげた迷惑女は、ルーだけが残ったお皿の上にスプーンを置いた。
 そして、私の目を見据えて高らかに宣言した。

「明日からわたしが作ってあげるよ」
「そんなの願い下げ――――ん?明日から?」
「うん。明日から」

 明日。
 この迷惑女、もしかしなくても世話になるのは今日だけじゃないつもりか。

「出てけ」

 常識的に考えて許容できるハズもなし。コイツの印象は現在進行系で最悪だ。

「そんなこと言わずに!お願いだからここに置いてくれない?」

 バチンと両手を合わせて、片目でこちらを伺いながら懇願した。
 ていうか、なんで私が見ず知らずの他人に対して住居を提供しなければならないのか。
 私にはやりたいことがある。やっと集中できる環境を手に入れたのに、どうして出鼻で崩されなければならないんだ。

「イヤだ。お前が要求したのはご飯を食わせる所まで。それ以上は契約の範疇を越えてる」
「そんなご無体な~!もちろんタダでとは言わない!お金は払えないけど、家事ならやるから!」
「……お前まだ高校生でしょ?さっさと家に帰りなよ」

 そう言うと、ふと、空気が変わった。まるでついさっきまで海を彷徨っていたずぶ濡れの漂流物のような、陰鬱とした気配。
 顔をうつむけている姿は、なんだかコイツには似合わない――――と思えば、覗く瞳は爛々と燃えている。

「家出したの、ボク」
「はぁ」

 家出、ときたか。迷惑女改め、家出女か。
 まあ、夜の九時に公園でうろついている……もとい倒れてる高校生なんて、家出したヤツくらいだよな。
 家出というからにはワケありなんだろうが、生憎と興味は湧かない。触らぬ神になんとやらだ。面倒事に付き合う余裕は、今の私にはない。
 ただ。仮に断ったとして、大人しくこの家出女が要求を呑むのかという問題はある。ついさっきの様子からして、また駄々をこねられるに違いない。

「はぁ。わかったよ、好きにすれば」
「.........!ありがと!」

 落ち込んでいた空気は一転、明るい笑顔を向けられる。実際に眩しいわけでもないのに、思わず目を細めてしまった。
 まさか、こんなことになるとは。
 見知らぬ女と同じ屋根の下というのもそうだが、それ以前に、誰かと関わりを持つことになるなんて思わなかった。
 もう、あれっきりだと思っていたのに。

「そういえば名前知らないや」

 思い出したように迷惑女は言う。別に短い付き合いなら名前なんて知らなくても良いけど。
 などという私の胸中を、当然コイツは知る由もない。謳い上げるように迷惑女は名乗る。

「ボク、水谷天音みずたにあまね
塩原しおばら……しょう

 名乗られたので名乗り返す。最低限の礼儀は弁えているつもりだ。

「しょーちゃんね」
「……それやめろ」
「じゃあしおちゃん?」
「もう勝手にしろ……」
「そいじゃしおちゃんで」

 水谷と呼ぼうとしたが、やっぱりコイツは迷惑女で充分だ。

「あ、そういえば」
「今度はなに」
「さっきの公園にキャリーケース忘れてきちゃった」
「自分で取りに行けよ」
「えー……」

 心底イヤそうにため息をつく。えー、はこっちのセリフなんだが。なんで私が取りに行くと思ったんだ。

「つかれた」

 迷惑女に聞こえないくらいの声で、ため息交じりに呟く。
 たった一時間余りでどっと疲労が蓄積した。トレーニングで身体を、迷惑女には精神を擦り減らされた。
 今日はさっさとお風呂に入って寝てしまおう。幸いなことに今日は土曜日。つまり、明日も休みだ。
 あれ。そういえばお風呂はともかく、寝るのはどうしようか。

「そういや、ボクどこで寝ればいい?」

 コイツも同じことを考えていたらしい。この部屋には布団が一セットしか存在しない。
 つまり結論は一つ。

「床で」
「そんな殺生な」

 う~と涙を浮かべて縋る眼差し。それを無視して、私もご飯を平らげた。
 結局その晩は、同じベッドで寝ることになった。風邪でも引かれたら困ると思っただけなのだが、それを受けて「優しいね」と言われた時には、その頬を引っ叩いてやろうかと思った。
 初めて誰かと眠るベッドの寝心地は、なんだかこそばゆくて落ち着かなかった。
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