塩と水とその器

望凪

文字の大きさ
5 / 38
第一章

ムカつくヤツ(一)

しおりを挟む
 第一印象は、ぶっきらぼうだが冷血ではないという所だった。ボクの新しい居候先の家主、塩原翔のことだ。
 なんだかんだ言いつつも、見ず知らずの根無し草なボクを部屋に置いてくれたんだから。
 ……って、昨日の夜までは思っていた。

「なんで目玉焼きに醤油かけてんだ!」
「いいじゃん!てか醤油以外あり得ないでしょ!」
「お前の好みは知らない!私の分まで勝手にかけんなって言ってんだ!」

 昼食の一幕。塩原翔ことしょーちゃんと交わした契約を果たすために、意気揚々とハムエッグを作ったわけだが。勝手に醤油をかけてお出ししたら、胸ぐらを掴まれた。

「チッ、迷惑女め」

 は?今舌打ちした?仮にもご飯作ったってのに?

「コレいらん。お前が食え」

 皿ごと突き返される。そしてすぐに、財布を持って自分の分の朝食を買いに出ていった。
 もう閉じられてしまった扉に向かって、べーっと舌を出してみる。けど虚しくなってすぐに辞めた。

 それからもずっと、同じような調子だった。
 昼食はもちろん、掃除も洗濯も、ことあるごとに衝突を繰り返した。ならばもう、塩原翔との間に亀裂が生まれたのは明確だった。

 中でも決定的だったのは。昼下がり、掛け時計の長針と短針が直角を描いた頃だった。
 ベッドの上で熱心にタブレット端末を見つめるしおちゃんが居た。タイガーアイのような瞳が、一つの濁りもなく澄んでいる。ボクに対する振る舞いと比べて、あまりに不釣り合いな美しさだった。
 メガネのレンズ越しに見ているものが一体なんなのか、無性に気になった。

「なに見てんの?」
「……………」

 ピクリとも動かない。

「ねえってば」

 肩を軽く叩いても、全くレスポンスがない。彫像のように同じ体勢から動かない冷血娘は、だんまりを決め込んでいる。
 そーですか無視ですか。ならこっちにも考えがある。

「そらっ」

 タブレットをむしり取ると、流石にこっちを向いてくれた。それはもう鋭い眼光でしたことよ。

「返せ」
「返事くらいしなよ」
「お前にそんなことする義理あるの?」
「は?」
「あ?」

 取り上げたタブレットの画面を見てみると、パッと見九割が水色だった。なんだこれ、と目を凝らしてみると、どうもプールを上から映しているみたいだった。

「おいこら」

 奪われたものを取り戻そうと腕を伸ばしてくる塩原翔。それを適当にあしらいながら一時停止されていた動画を再生する。
 長方形のプールに七つか八つくらいの水しぶきが上がっている。それは右から左へと滑らかに移動している。要するに泳いでいる。
 たまーにテレビで見かけて、一瞬でチャンネルを切り替える、そんなトップレベルの水泳だった。
 こんなものを熱心に見てたのか。一体なにがおもしろいんだろ。

「いい加減にしろっ」

 奪ったタブレットをむんずと掴まれて持っていかれた。再びしょーちゃんはタブレットに視線を戻す。くるっと半回転して、丸めたトレーニングマットを枕代わりにして寝転がった。二度と関わるなと暗に言うように。

 なんでか腹の底の辺りが熱くなった。イライラして、底に溜まった溶岩が煮えたぎっているかのようだった。
 なんでこんなことで苛立ってるんだ、ボク。
 ……いや、なんでとか考えるまでもない。ただ、認め難いだけだ。

「……」

 羨ましい。
 それが何であれ、夢中になれる何かがあることが。
 みんな、何だかんだ言いつつも、自分の好きなことがある。趣味とか、嗜好とか、そういうものが。
 或いは、人を好きになる。友だちとか、憧れの人とか。中学生や高校生にもなれば、当たり前のようにみんな恋をする。

 なんでそういう風に思えるんだろう。どうやって見つけたんだろう。いくら考えたって分からない。
 ボクには、何もない。

「こんなの、なにがいいの?ちゃぷちゃぷ泳いでさ」

 つい、口にしていた。別にそんなのどうだっていいのに。
 図らずもバカにしたような発言に、しおちゃんは反応した。
 ゆっくりと立ち上がると、ボクを睨みつける。首元に刃物を突きつけられているみたいな錯覚がした。

「なんだって?」

 素よりも低く重厚な声に、思わず気圧された。

「だ、だから。こんなのに夢中になるなんて理解できないって……言ってんの」
「…………ッ!」

 また乱暴に胸ぐらを掴まれた。鬼みたいな形相をして、けれど何も文句を言わない。歯を食いしばって、必死に怒りを制しようとしているみたいだった。
 どうも虎の尾を踏んでしまったみたい。けど、それはボクの方だって同じだった。

「こんなの単なる同じ動作を繰り返してるだけじゃん!一体なにが楽しいんだか……!」

 自分でもなんでこんなに腹が立つのかわからなかった。いつもだったら横目に流して終わるはずなのに。
 だけどもう理性なんてとうに吹き飛んでいた。

「…………」
「水泳好きみたいだけどさ!別に将来なんかの役に立つわけでもないのに。なんにも意味ないじゃん!」

 自分でそう言って、ハッと我に返る。
 将来の役に立つ――――上辺だけをなぞったその言葉、ボクは嫌いなはずなのに。どうしてボクはそんなことを口にしたのか。

「…………」
「……なんとか言ってよ」

 てっきり言い返されると思っていたのに、黙りこくったままだ。自分だけがヒートアップしていて、調子を乱されてしまう。別にここまで言うつもりはなかったけど、全くの嘘というわけでもないから、引くに引けない。
 掴んでいた手を解くと、塩原翔は静かに閉じていた唇を開いた。

「歯、食いしばれよ」
「は?」

 いきなり何を言い出すかと思えば。
 そう思った時には、バチンッと強烈な音がしていた。それから左頬に大きな音に見合う痛みが。
 要するに、思いっきり平手打ちされたのだ。

「ったぁ……いきなり何すんの!」
「うるさい、文句あるなら出て行け」
「なっ…………」

 言うだけ言うと、再び塩原翔は寝転がってタブレットに視線を戻した。
 今度こそ何事も取り合わないと言わんばかりの拒絶の意思が、向けられた背中から溢れていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

放課後の約束と秘密 ~温もり重ねる二人の時間~

楠富 つかさ
恋愛
 中学二年生の佑奈は、母子家庭で家事をこなしながら日々を過ごしていた。友達はいるが、特別に誰かと深く関わることはなく、学校と家を行き来するだけの平凡な毎日。そんな佑奈に、同じクラスの大波多佳子が積極的に距離を縮めてくる。  佳子は華やかで、成績も良く、家は裕福。けれど両親は海外赴任中で、一人暮らしをしている。人懐っこい笑顔の裏で、彼女が抱えているのは、誰にも言えない「寂しさ」だった。  「ねぇ、明日から私の部屋で勉強しない?」  放課後、二人は図書室ではなく、佳子の部屋で過ごすようになる。最初は勉強のためだったはずが、いつの間にか、それはただ一緒にいる時間になり、互いにとってかけがえのないものになっていく。  ――けれど、佑奈は思う。 「私なんかが、佳子ちゃんの隣にいていいの?」  特別になりたい。でも、特別になるのが怖い。  放課後、少しずつ距離を縮める二人の、静かであたたかな日々の物語。 4/6以降、8/31の完結まで毎週日曜日更新です。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

ほのぼの学園百合小説 キタコミ!

水原渉
青春
ごくごく普通の女子高生の帰り道。 帰宅部の仲良し3人+1人が織り成す、ほのぼの学園百合小説。 ♪ 野阪 千紗都(のさか ちさと):一人称の主人公。帰宅部部長。 ♪ 猪谷 涼夏(いのや すずか):帰宅部。雑貨屋でバイトをしている。 ♪ 西畑 絢音(にしはた あやね):帰宅部。塾に行っていて成績優秀。 ♪ 今澤 奈都(いまざわ なつ):バトン部。千紗都の中学からの親友。 ※本小説は小説家になろう等、他サイトにも掲載しております。 ★Kindle情報★ 1巻:https://www.amazon.co.jp/dp/B098XLYJG4 2巻:https://www.amazon.co.jp/dp/B09L6RM9SP 3巻:https://www.amazon.co.jp/dp/B09VTHS1W3 4巻:https://www.amazon.co.jp/dp/B0BNQRN12P 5巻:https://www.amazon.co.jp/dp/B0CHFX4THL 6巻:https://www.amazon.co.jp/dp/B0D9KFRSLZ 7巻:https://www.amazon.co.jp/dp/B0F7FLTV8P Chit-Chat!1:https://www.amazon.co.jp/dp/B0CTHQX88H Chit-Chat!2:https://www.amazon.co.jp/dp/B0FP9YBQSL ★YouTube情報★ 第1話『アイス』朗読 https://www.youtube.com/watch?v=8hEfRp8JWwE 番外編『帰宅部活動 1.ホームドア』朗読 https://www.youtube.com/watch?v=98vgjHO25XI Chit-Chat!1 https://www.youtube.com/watch?v=cKZypuc0R34 イラスト:tojo様(@tojonatori)

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

春に狂(くる)う

転生新語
恋愛
 先輩と後輩、というだけの関係。後輩の少女の体を、私はホテルで時間を掛けて味わう。  小説家になろう、カクヨムに投稿しています。  小説家になろう→https://ncode.syosetu.com/n5251id/  カクヨム→https://kakuyomu.jp/works/16817330654752443761

〈社会人百合〉アキとハル

みなはらつかさ
恋愛
 女の子拾いました――。  ある朝起きたら、隣にネイキッドな女の子が寝ていた!?  主人公・紅(くれない)アキは、どういったことかと問いただすと、酔っ払った勢いで、彼女・葵(あおい)ハルと一夜をともにしたらしい。  しかも、ハルは失踪中の大企業令嬢で……? 絵:Novel AI

処理中です...