塩と水とその器

第一章

他人にとっては取るに足らない話

　子どもの頃、バカなことをした。

　その日は珍しく雪が積もっていた。大はしゃぎで外を駆けずり回って、ボクは一人で遊んでいた。
　散々走ったせいで疲れて、ボクは雪の布団の上に大の字になって寝転んだ。

　それが良くなかった。
　気づいたら眠ってしまっていた。次に目が覚めた時には、身体が少しも動かなくなっていた。
　雪の冷たさに身体がやられていた。自分の意識だけが暗い海の中に浮上していた。
　驚く気力もなく、淡々とこのまま冷たくなって動かなくなるんだという思考があった。動かそうとしても何も反応がなくて、やっぱりダメなんだと認識する。恐怖すら感じる余裕は無くて、ひらひらと舞う氷点下の綿を見ているしかなかった。

　でも、ふとした時に涙が出た。なんでかは今でも分からない。
　その滴は最初、やけどしそうなくらい熱かった。でも一瞬で熱を喪う。氷の礫となって、肌を滑り落ちた。

　灰色の空がずっとそこにあった。聞こえるのは自分の心臓の音だけ。
　とく、とくとまだ微かに響いている。一定のリズムで、自分の余命を刻むように。

　こんな風に呆気なく終わるんだって、子どもながらに思った。でももう、どうしようもなかった。ボクはただ、残された時間を無為に過ごすことしか許されなかった。

　そうしてどんどん視界は黒が占有していく。冷たいと思っていた感覚も消え失せた。聞こえる音も鈍いものからカチッカチッといったシャープなソレに変わっていった。
　最後の方は、それだけが五感を支配していた。

————カチ、カチ、カチ、カチ。カチ。カチ。カチ…………カチリ。

　古ぼけた時計のように、音はさっぱりと途切れた。

　結局その後、公園にやってきた見ず知らずの人に助けられた。凍傷になったけど、大事には至らなかった。

　でも、そういえば。確かその時からだ。
　自分の心臓の熱さを、感じられなくなってしまったのは。