塩と水とその器

望凪

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第二章

手っ取り早い方法で(一)

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「あーちょん。おーい、あーちょんさん?」
「んぁ……?」

 声がしたので目を開けた。突っ伏していた顔を上げる。
 なんか、ピントが合わない。教室であるのは分かるが、輪郭がぼやけて細かくはよく分からない。もちろん、目の前にいる人の顔も。

「まだ寝てんなぁ……コヤツめ。指、何本に見える?」

 そう言って、誰かは指を立てた。
 えと、指。一本、二本……

「四本?」
「五本ね。起きなー、ねぼすけ」
「わぷっ」

 ビタンッと両頬を手で叩かれる。痛くはないけどヒリヒリする、くらいの加減で。
 おかげで、まだ半分夢の中にいた頭が多少は晴れてくれた。

「おあよ、ひゃふみひゃん」
「はいはい、こんにちは」

 こんにちはって。そっか、もう昼休みなのか。
 つまり、さっきの四限の日本史、まるまる寝ちゃってたってコトかー。まあ真面目に勉強してるワケでもなし、別にいいんだけど。
 たつみちゃんがお昼の惣菜パンに口をつけたので、ボクもお弁当を取り出す。

「にしても、最近居眠りばっかだねぇ。なに、おつかれ?」
「んー。まあね」

 今日のメニューはそぼろ丼だ。鶏のひき肉と卵、そして申し訳程度の緑として、いんげんとほうれん草のナムルを添えてある。
 いまいち華がないけど、それは仕方ないというもの。お弁当は自前なのだが、ここ数日の疲れが抜けきれず、料理に労力を割く余裕なんてなかった。今日だって多めに作っておいた昨日の残りだし。
 ちなみに、家賃の代わりとして翔の分も作っている。というよりは、元はヤツの提案だったりする。
 翔はあれこれと味の好みにうるさいから、作るこっちも苦労させられる。昨晩だって、味付けに甘さが足りないって言われて口喧嘩になったし。

 閑話休題。

「水泳部の練習、しんどいのー?」
「うんにゃ。そっちは優しく手ほどきしてもらってるよ」
「じゃ、なに?」
「特訓しててさ。そっちが厳しいのなんの」
「特訓ってー?」
「練習後にちょいとね」

————遡ること数日前、土曜日のこと。

 ボクは翔と夕ごはんを食べていた。
 お互いに黙々と箸を進める。四六時中お互いに顔を突き合わせていると、話題もなくなってくる。仲が悪く、加えて向こうが話し下手とくれば尚更だ。

 いつもは気にならないんだけど、今日に限ってはイヤだなと思えた。
 というのも、ボクは翔に言いたい……というよりお願いしたいことがあった。けど、どうにも言い出せなくて、もどかしく感じていた。
 沈黙はそれを更に助長させる。

「…………」

 なんでボクがこんな面倒な思いをしなきゃいけないんだ。
 ただ一度、頭を下げればいいだけ。それだけなのに、なんでそんなことすら出来ないんだ。他人のせいで自分を抑えるなんて、ボクの最も嫌うことなのに。

「なあ」
 悶々としていると、翔はふとボクに声をかけた。
「お前ってバカなの」
「……もしかして今ケンカ売られてる?」

 いきなり何なんだ。ストレートに暴言なんだけど。

「いや。急に水泳始めるとか言い出すし、かと思えば無謀な勝負を吹っかけてすぐに退部するハメになるし」
「まだ退部してないけど」
「したも同然だろ」
「……………」

 ぶっきらぼうな言い方。
 しかしながら、真っ向から否定はできなかった。

 現実的な話をすると、ボクと佐々倉さんとでは実力差がかなりあるっぽい。練習後、彼女についてネットで調べた。彼を知り己を知ればというやつだ。
 彼女のことは名前で検索すればすぐにヒットした。先輩たちの話の通り、実力は折り紙付きみたいだ。
 専門は自由形で、50mや100mを主に出場している。大会の成績を見るに、同年代かつ県内ではトップ、全国大会の先駆けとなる地方大会でも好成績と、あのプライドの高さに見合うだけのことはあった。もちろん全国大会にも出場経験がある。

 そんな相手に初心者のボクが挑む。それを無謀と言われても全くの事実であり、納得せざるを得ない。

「まあ、お前が何をしようがどうでもいいけど」

 じゃあなんで聞いたんだ、とツッコむのは野暮かな。
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