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第二章
手っ取り早い方法で(四)
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そんなのほほんとした昼休みも終わり、授業二回分の睡眠を経て放課後になった。
たつみちゃんを水泳部に連れて行くと、先輩たちは快く歓迎してくれた。まだ一年生でマネージャー志望は一人も居なかったらしい。最初はたつみちゃんも少し緊張していたけど、好意的な反応のおかげでそれも無くなったみたいだった。
さて、今日の練習はキックの練習が主らしい。
ビート板を持って、ひたすらバタバタと脚を動かす。
もちろん漫然と、ではない。銀木コーチがアドバイスをくれるから、それを常に意識する。
適当に足を動かしても進まない。力いっぱい水を蹴っても進まないし、キックの数を増やしてもいたずらに疲れるだけだ。当たり前かもしれないけど、水の中っていうのは想像以上に不自由だ。
良いイメージは鞭なのだとか。膝を軽く曲げて、太ももに力を溜める。そこから膝を伸ばす形で足をしなるようして打ち出す。力は入れすぎず、むしろ脱力するくらいでちょうどいい。脚の駆動によって自然と入る力だけで水を押し出せばいい、とのこと。
実際に意識すると全然違う。もちろん劇的に速くなるわけじゃないけど、同じスピードで進んでも、より少ない力で押し出せる……そんな気がする。
ちょっとずつだけど水が楽になる。そういう感覚はなんだか、漠然と楽しかった。
さて。あれやこれやしていると、約二時間に渡る練習はあっという間に終わった。楽しいと時間の感じ方が早くなるってやつだ。
そして、ボクにとってはここからが本番だ。
翔との特訓の時間。引き続きここのプールを使っての練習だ。硝さんにも許可は貰っている。
とはいえ、流石にぶっ続けでやるのはしんどい。特訓は三十分くらいの小休止を挟んでから、だ。
「ふぃ~」
プールサイドの、コーチやマネージャーさん達が使うベンチに座る。予め持ってきていた長袖のジャージを上から羽織る。
プールに居る人はまばらだ。さっさと更衣室に帰る人たちもいれば、談笑する人たち、ビート板をマット代わりにストレッチをする人たちも居る。
流石にきつい練習の後に自主練をしようだなんて酔狂な人は、ボクと翔くらいしか居なかった。
ぼーっとプールを眺める。広々とした水溜りの中には、翔一人だけしかいない。なにやら見た感じ、片道二十五メートルを一度も浮き上がることなく泳ぎ切る、というのを繰り返しているらしい。
なんだっけ。メニューにあった気がする。潜水ではあるんだけど。
「あ。あんだーうぉーたー」
確かそんな感じ。文字通り水の中ってことだ。
しかしまあ、練習の時は結構狭そうなのに、こうしてみると広いんだなって思う。
そんな閑寂なプールで黙々と独り泳ぐ翔。なぜだか、その姿から目を離すことができなかった。
……なんでだろ。
身体が疲れてる……のはもちろんだけど、なにより頭に糖分が足りてない感じがする。
休むこと以外にすることがない。視界に映るものも、日々浪費される日常のようにつまらない。
だから、取り立てて目を引く物と言えば。今の自分がやることと言えば、翔を見ることくらい。きっとそういう理由だ。
うんうん、と一人で頷く。
————ふと、冷たいものが頬に当たった。
「うひゃっ!?」
「おお、いい反応~」
一切悪びれた様子のないイタズラ娘が隣に座る。
「たつみちゃん……」
「ごめんて」
ボクの膝の上に落とすように手に持っていたものを渡す。何かと思えば五〇〇ミリリットルの冷えたスポドリだった。
「おごっちゃう」
「太っ腹じゃん。遠慮なくいただきます」
「どーぞどーぞ」
にひ、といたずらっぽく笑うたつみちゃん。心なしかいつもより楽しそうだ。
水泳部の空気が肌に合うかな、と実は密かに気にしてたんだけど、どうやら杞憂に終わったみたいだ。
「にしてもビックリしたぁ。水泳部って一日に五キロも泳ぐんだねぇ。家からここまで一キロちょいだから、二往復半くらいかぁ」
「そうだね。けど、泳ぐ日は六、七いくらしいよ」
「マジかぁ。どこからそんなエネルギー湧いてくるんだろ。すごいや」
遠くを見るようにたつみちゃんは言う。
せっかく貰ったので、キャップを開けてスポドリに口を付けた。
舌を滑るような甘さと、どこか鉱石のような硬さを思わせる風味が口の中で踊る。脳に足りてなかった糖分を補給して、気休めではあるけど疲れが取れた気がした。
「でもね」
ぽつりと、波一つ無い湖面に雫が落ちたように、たつみちゃんが呟く。
目線は変わらぬまま、足をプラプラとさせて。
「あーちょんが一番すごかったなぁ」
ストレートにそう告げられた。
「しょーじき水泳とか分かんないけどさ。上から見てるとあーちょんが一番がんばってるって感じした。んで、なんかあたしもぐわーって来た」
なんか、たつみちゃんらしからぬって感じの言葉だ。
いや、まだ付き合いも短いのにらしいもらしくないも分からんけども。
「んー………っと、ありがとう?」
「なんで疑問符付いちゃった?」
「いやあ、えへへ」
曖昧に笑って誤魔化す。
正直に言えば、たつみちゃんには悪いけど、彼女の言葉は全く心に響いていない。そして、それを申し訳なくも思う。
昔からこうなのだ。
いつも自分の自身の評価と、他人の自分への評価がすれ違う。別に頑張ったわけじゃないのに、頑張ったねって言われる。
褒められてるのは分かる。そこに他意が無いことも。
しかし、実際は違う。今までで一度も、ボクは頑張ったことなんて無い。大抵のことは少しやればすぐにこなせるようになる。淡々とやるべきことをやっていれば、身につくものは身につくものだ。
自分の身を犠牲にしたわけでも、そういう想いをしたわけでもない。ボクよりも頑張っている人なんて沢山いるのに、ボクが頑張っているなんて言われるのは納得がいかなかった。そしてまた、その事実がボクの胸を締め付けた。
丹念に努力して、確かにボクは頑張ったのだと、後から胸を張れるようになりたい。それこそが、ボクの求める理想だ。
……などと口にしたところで、他人に理解されないのはもう分かっている。だからいつも、こうして胸の内に締まっておく。
たつみちゃんを水泳部に連れて行くと、先輩たちは快く歓迎してくれた。まだ一年生でマネージャー志望は一人も居なかったらしい。最初はたつみちゃんも少し緊張していたけど、好意的な反応のおかげでそれも無くなったみたいだった。
さて、今日の練習はキックの練習が主らしい。
ビート板を持って、ひたすらバタバタと脚を動かす。
もちろん漫然と、ではない。銀木コーチがアドバイスをくれるから、それを常に意識する。
適当に足を動かしても進まない。力いっぱい水を蹴っても進まないし、キックの数を増やしてもいたずらに疲れるだけだ。当たり前かもしれないけど、水の中っていうのは想像以上に不自由だ。
良いイメージは鞭なのだとか。膝を軽く曲げて、太ももに力を溜める。そこから膝を伸ばす形で足をしなるようして打ち出す。力は入れすぎず、むしろ脱力するくらいでちょうどいい。脚の駆動によって自然と入る力だけで水を押し出せばいい、とのこと。
実際に意識すると全然違う。もちろん劇的に速くなるわけじゃないけど、同じスピードで進んでも、より少ない力で押し出せる……そんな気がする。
ちょっとずつだけど水が楽になる。そういう感覚はなんだか、漠然と楽しかった。
さて。あれやこれやしていると、約二時間に渡る練習はあっという間に終わった。楽しいと時間の感じ方が早くなるってやつだ。
そして、ボクにとってはここからが本番だ。
翔との特訓の時間。引き続きここのプールを使っての練習だ。硝さんにも許可は貰っている。
とはいえ、流石にぶっ続けでやるのはしんどい。特訓は三十分くらいの小休止を挟んでから、だ。
「ふぃ~」
プールサイドの、コーチやマネージャーさん達が使うベンチに座る。予め持ってきていた長袖のジャージを上から羽織る。
プールに居る人はまばらだ。さっさと更衣室に帰る人たちもいれば、談笑する人たち、ビート板をマット代わりにストレッチをする人たちも居る。
流石にきつい練習の後に自主練をしようだなんて酔狂な人は、ボクと翔くらいしか居なかった。
ぼーっとプールを眺める。広々とした水溜りの中には、翔一人だけしかいない。なにやら見た感じ、片道二十五メートルを一度も浮き上がることなく泳ぎ切る、というのを繰り返しているらしい。
なんだっけ。メニューにあった気がする。潜水ではあるんだけど。
「あ。あんだーうぉーたー」
確かそんな感じ。文字通り水の中ってことだ。
しかしまあ、練習の時は結構狭そうなのに、こうしてみると広いんだなって思う。
そんな閑寂なプールで黙々と独り泳ぐ翔。なぜだか、その姿から目を離すことができなかった。
……なんでだろ。
身体が疲れてる……のはもちろんだけど、なにより頭に糖分が足りてない感じがする。
休むこと以外にすることがない。視界に映るものも、日々浪費される日常のようにつまらない。
だから、取り立てて目を引く物と言えば。今の自分がやることと言えば、翔を見ることくらい。きっとそういう理由だ。
うんうん、と一人で頷く。
————ふと、冷たいものが頬に当たった。
「うひゃっ!?」
「おお、いい反応~」
一切悪びれた様子のないイタズラ娘が隣に座る。
「たつみちゃん……」
「ごめんて」
ボクの膝の上に落とすように手に持っていたものを渡す。何かと思えば五〇〇ミリリットルの冷えたスポドリだった。
「おごっちゃう」
「太っ腹じゃん。遠慮なくいただきます」
「どーぞどーぞ」
にひ、といたずらっぽく笑うたつみちゃん。心なしかいつもより楽しそうだ。
水泳部の空気が肌に合うかな、と実は密かに気にしてたんだけど、どうやら杞憂に終わったみたいだ。
「にしてもビックリしたぁ。水泳部って一日に五キロも泳ぐんだねぇ。家からここまで一キロちょいだから、二往復半くらいかぁ」
「そうだね。けど、泳ぐ日は六、七いくらしいよ」
「マジかぁ。どこからそんなエネルギー湧いてくるんだろ。すごいや」
遠くを見るようにたつみちゃんは言う。
せっかく貰ったので、キャップを開けてスポドリに口を付けた。
舌を滑るような甘さと、どこか鉱石のような硬さを思わせる風味が口の中で踊る。脳に足りてなかった糖分を補給して、気休めではあるけど疲れが取れた気がした。
「でもね」
ぽつりと、波一つ無い湖面に雫が落ちたように、たつみちゃんが呟く。
目線は変わらぬまま、足をプラプラとさせて。
「あーちょんが一番すごかったなぁ」
ストレートにそう告げられた。
「しょーじき水泳とか分かんないけどさ。上から見てるとあーちょんが一番がんばってるって感じした。んで、なんかあたしもぐわーって来た」
なんか、たつみちゃんらしからぬって感じの言葉だ。
いや、まだ付き合いも短いのにらしいもらしくないも分からんけども。
「んー………っと、ありがとう?」
「なんで疑問符付いちゃった?」
「いやあ、えへへ」
曖昧に笑って誤魔化す。
正直に言えば、たつみちゃんには悪いけど、彼女の言葉は全く心に響いていない。そして、それを申し訳なくも思う。
昔からこうなのだ。
いつも自分の自身の評価と、他人の自分への評価がすれ違う。別に頑張ったわけじゃないのに、頑張ったねって言われる。
褒められてるのは分かる。そこに他意が無いことも。
しかし、実際は違う。今までで一度も、ボクは頑張ったことなんて無い。大抵のことは少しやればすぐにこなせるようになる。淡々とやるべきことをやっていれば、身につくものは身につくものだ。
自分の身を犠牲にしたわけでも、そういう想いをしたわけでもない。ボクよりも頑張っている人なんて沢山いるのに、ボクが頑張っているなんて言われるのは納得がいかなかった。そしてまた、その事実がボクの胸を締め付けた。
丹念に努力して、確かにボクは頑張ったのだと、後から胸を張れるようになりたい。それこそが、ボクの求める理想だ。
……などと口にしたところで、他人に理解されないのはもう分かっている。だからいつも、こうして胸の内に締まっておく。
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