塩と水とその器

望凪

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第二章

不可解(一)

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 レペまであと二日。
 私にとっては取る足らないイベントだが、今、遮二無二身体を動かしているはた迷惑なエゴ女にとっては、まるで違う。
 県内の高校一年生に限って言えばトップのスプリンター。それに勝たなければ退部という、勝負にすらなってない勝負を挑んだ。

 木曜日の練習後、すり減らした体力を全て枯らすように、水谷天音は特訓に励んでいる。
 そしてそれに付き合う私。

「…………」

 なんでこんなことをしているんだろうと、ふと思う。いや、なんならコイツに付き合わされる度に思うわけだが。
 引き受けたからには降りるつもりはない。例え嘘でも、自分の言葉を曲げるような真似は絶対にしたくない。

 言葉というのは腐りやすい。繰り返し口にすれば鮮度が落ちて、いずれ腐敗する。
 特に抽象的な言葉ほどその傾向が強い。幸福だの愛だのといった単語を口癖にしている人がたまに居るけど、そういうのはどうにも胡散臭く見える。それこそ、名前も聞いたことのない宗教の勧誘みたいな。
 それは身の丈に合わない発言も同様だ。口にすればするほど、その言葉は宙吊りになって虚言に成り下がる。
 だから、軽々しく大仰な夢や目標を口にするような、言葉を軽視する輩は好かない。口を動かすより先に行動で証明しろよって思う。

 ……なのだが。
 何故だか、私はコイツの頼みを断れなかった。
 私の意思なんか関係ない。水谷天音という女は、自分の都合だけで私の腕を掴んで、無理やり引っ張って行ってしまう。いっそ清々しいほどのエゴさ加減と言えなくもない。
 ここまで突き抜けてると、いっそ見直して——————

「……いや」

 何を考えてるんだ。
 酔狂な自身の考えを振り払おうと、頭を横にブンブンと振る。

「お疲れ様。今日もやってるね」

 ふと声がしたかと思えば、主将が隣まで来ていた。もう制服に着替えて、乾いた髪を後ろで一つにまとめている。
 わざわざ私たちの様子を見に来たのだろうか。

「えっと、お疲れ様です」

 うん、と柔らかく口の端を上げながら頷く主将。視線はドリル練に励んでいる迷惑女の方に固定されている。

「調子はどう?」
「……どうもなにも。速くなっているのは確かですけど、順調かと言われると」
「おお。速くはなってるんだ。具体的にどれくらい?」
「今週の日曜に計った半フリが39秒。で、昨日やった50m6本のアベレージが37秒です」
「え、うそ。本当に?」

 主将が驚きのあまりこちらに振り向いた。
 気持ちはわかる。いくら初心者で伸びしろが大きいとは言っても、やはりそう一朝一夕でタイムは伸びない。
 ましてや50m。トップレベルでは、たった0.01秒タイムを縮めるのすら困難になる競技だ。
 それとは比較するまでもないが、あいつのレベルで一週間で一秒縮めるだけでも快挙だ。両手を上げて喜んでいい。
 それを少なくとも二秒は短縮した。オーバーワークすれすれの練習を連日続けて、疲労が蓄積しているにも関わらずだ。

「ていうか初心者なのに最初から半フリで40秒割ってるのもすごいよね、そもそも……」
「……ですね」

 普通なら50秒どころか、1分、1分半くらいかかってもおかしくない。女子なら速くても40秒後半が限度だろう。

「いやあ。こりゃあとんでもない子が出てきちゃったかもね」

 ほぅと主将が感嘆の息を漏らす。
 こればっかりは私も認めざるを得ない。
 タイムは絶対だ。数字はどう足掻いても揺るがない。その種目で発揮した技術、力がそのまま反映される。
 だから感情は抜きにして、ヤツの成長速度は見上げたものだと私は受け入れる。

 けれど。佐々倉さんに勝てるかどうかはまた別の話だ。
 どれだけ成長しようとも、そもそも歴然たる差がある。技術が、身体能力が、経験が、水泳に費やしてきた時間と熱量が、まるで違う。
 仮に今と同じペースで成長を続けても、最低一年は必要だ。一週間なんて無謀どころか、そもそも無理な話なのだ。
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