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本 編
J-Ⅱ Lucky Frog 【幸運の蛙】
しおりを挟む狼王が雪乃を置いて行ってくれた。牽制の威圧も凄かったが、気にしない。オヤジじゃなくて、コーガって名前で呼んでやるよ。
大体、雪乃には狼共の匂いがたっぷりと着いている。あの、忌々しいジーノの匂いも。犬っころ共に護られている雪乃に、おかしな真似など出来るはずもない。しかも、スタンガンまで持たせやがって。
不安そうに、コーガが乗ったバイクが遠ざかるのを見詰めている、雪乃を見詰める。
何とか、親しくならなければ。雪乃に親しみを感じて貰うには、何て声を掛ければ良いんだ……?
高速で会話のシミュレーションを幾通りも考えながら思案する。だが、どれが正解か分からない。
まずい、雪乃が所在無さそうにして困っている。
「俺、この国に今朝着いたばかりなんだ。まだ朝食を食べていないから、一緒に食べない?」
雪乃は、持っていた紙袋を目の前に掲げて見せた。
当然、俺に否やはない。
桟橋の縁に腰掛けようとした雪乃を止める。そんな所に、雪乃を座らせたくない。雪乃は平気だと言うけれど、俺が嫌だ。
雪乃が持っている紙袋を奪い、簡易テーブルに置く。デッキチェアのリクライニングを弄ってベンチ代わりにすると、礼を言って腰掛けてくれた。
俺も、一人分の距離を開けて隣に座った。
雪乃は紙袋に手を伸ばし、中身を取り出していく。
俺は、黙ってその姿を見詰めた。
俺が直ぐ隣に居るのに、平然と当たり前の行動を取る雪乃に感動する。俺に取っては、当たり前じゃなかったことだ。
腹が空いていたのか、サンドイッチを頬張る雪乃。一口食べて、満足そうに微笑んだ。俺が用意した食事じゃないけれど、喜んでいる雪乃に俺も嬉しくなる。
雪乃が、ぱくぱく食べる姿を見詰めていると、俺の視線に気が付いた彼が首を傾げる。
「――食べないの?……お腹、空いてない? 美味しいよ。あ、苦手なものがあった? だったら、食べられそうなやつと交換しようか?」
――本当に、普通に話し掛けて来る。
雪乃に気を遣わせるのも悪いので、俺もサンドイッチに手を伸ばして食べ始める。
何を話して良いか解らず、黙々と食べていると――
「ジェイっ……! このタルタルソース、めちゃくちゃ美味しい!」
雪乃が突然、俺を振り向いて眼をキラキラさせながら、満面の笑みで話し掛けて来た。
「――そうか……良かったな」
――可愛い……
あんまり可愛くて、それしか言えなかった。
ベータの男が可愛いなんて、どうかしている。綺麗ではあるけれど、可愛い要素は何処にもないはずなのに、でも、可愛い。仕草が可愛い……思わず頬が緩む。
はっとして、恥ずかしそうに薄っすら頬を染めて俯く雪乃が……可愛い……
雪乃は、誤魔化すように食事を続けながら、何が釣れるのかと聞いて来る。
一度も釣れたことがないと話すと、驚いていた。
当たり前のように質問して来る雪乃に答える。こんなに普通の話が出来たのは、コーガ達以外は初めてだ。俺にはとても、新鮮な体験だ。食事をしながら誰かと話す。こんな簡単なことさえ、出来なかったんだ。
雪乃と食べる食事は、とても美味しかった。
「……ジェイ、何か、掛かったんじゃない?」
「ん? まさか」
食事を終えて、ゴミを片付け始めた雪乃が釣り竿を見ながらそんなことを言う。そんな訳はないと、釣り竿に視線を向ける。
「――掛かっているな……」
本当に、掛かっていた。魚や獣、生き物は気配に敏感だ。俺の存在を恐れて、近付いて来ることはないはずなのに……竿を持ち上げると、結構重い。
魚というよりは、動きがカエルっぽいな。
丁度、今の時期は、冬眠から目覚めたカエルが繁殖する時期だ。俺の前には出て来ないが、この湖には結構な数が生息して居るはずだ。
初めての獲物がカエルとは……笑える。
それでも、俺の隣に立って、真剣な顔で成り行きを見守っている雪乃の為に、これは、絶対に釣り上げなければならないと思った。
カエルが力尽きる迄、糸を引いたり緩めたりしながらカエルの体力を削る。
「ジェイっ! 頑張ってっ……! ジェイなら出来るっ!」
雪乃が拳を握ってスポーツ観戦のような応援をして来るから、笑いそうになる。
カエルを釣り上げるのに、こんなに応援されるとは……だが、これは、雪乃と親しくなれる絶好のチャンスだ。何としても釣り上げなければっ!
「くっ……! 糸が切れそうだっ……!」
釣り竿のリールがカラカラと戻ったり、キュルキュルと巻き上げたりしながらの攻防戦は、かなり長いこと続いた。
思わぬ力で引っ張られてよろめくと、雪乃が慌てて俺の後ろから腹に腕を回して抱き締めて来た。
は……!?
何の躊躇いもなく抱き着かれて、動揺のあまり、釣り竿を落としそうになったが堪える。後ろに引き寄せられているから、俺を支えているのか?
早くっ! このカエルを釣り上げないとっ……! 背中に感じる温もりを堪能したいっ!
「このっ……!」
逸る気持ちを押し殺すように歯を食い縛り、いい加減に観念しろとばかりに、釣り糸の先に居る獲物に強い威圧を放ってしまった。
すると、途端に抵抗がなくなり、簡単にリールを巻き上げられるようになった。
ザボッ……! と、水から飛び出して来た獲物を見て、雪乃と二人雄叫びを上げる。
「「Booyahhhhhっ~~!!」」
やはり、獲物はデカいカエルだった。
糸に引っ張られて、振り子のようにこちらに飛んでくるカエルを言葉通り、キャッチ、アンド、リリースしようと構えていると、雪乃が俺の耳元で絶叫した。
「ギャああぁぁぁっ!!」
流石に俺も驚いて動揺していると、腹に回された雪乃の腕にグググッと力が入り、身体を持ち上げられた。
嘘だろっ……!?
「っっ! お、おいっ……!?」
雪乃の行き成りの奇行と身体を持ち上げられたことに驚いていると、そのまま湖に飛び込まれた。
何故……!?
水に落ちる寸前、俺の脚に、飛んで来たカエルがビッタンッと張り付く。その拍子に、釣り針がカエルの口から外れたのがスローモーションで見えた。
「「っ……!?」」
ザッッバアッッン~っっ……!!
冷たい水に落とされて、湖の底に足を着けて立つ。浅くはないが、この場所なら水面は俺の肩くらいだ。
だが、雪乃はパニックになって溺れている。暴れる手足を掻い潜って、正面からピッタリと抱き締め水面に顔を出させる。
雪乃は、俺を沈める勢いで必死に俺の首に抱き着いて来た。
「ゲホッ、ゲッホッ……ゴフッ……!!」
口の中の水を吐き出しながら、咽せている雪乃の背中を水の中で撫でる。
必死に俺の身体にしがみ付いて来る雪乃。全力で暴れる雪乃を押さえ込むのは、一苦労だ。
雪乃じゃなかったら、一発殴って気を失わせてから救助していただろうな。最も、俺の場合は殴るまでもなく、相手は失神するだろうがな。
なるべく、じっとしながら呼吸が落ち着いて来るのを待つ。暫くすると、漸く、雪乃が大人しくなった。
だが、俺達のすぐ横をデカいカエルがスィーっと泳いで行くと……
「ヒィっっ……っ!!」
雪乃が引き攣るような悲鳴を上げ、飛び上がるようにして俺の腰に両脚を絡め、ガッチリとしがみ付いて来る。
そこで漸く、雪乃の奇行の理由が解った。――カエルが怖かったのだ。
誰もが恐れて、触れることすら出来ない俺よりも、あんなちっぽけなカエルの方を恐れるなんて……
この俺に、是程までにガッチリと抱き着いて来る奴がいるなんて、信じられない。
「――何で、平気なんだ……?」
思わず零した言葉に、雪乃はがばりと顔を上げて至近距離で叫んだ。
「全然っ!! 平気じゃないよっ……!?」
蒼白な顔でこれ以上ない程目を見開き、鬼気迫るせっぱ詰まったような勢いで訴えて来た。
「え、ああ……そうだな……うん」
――それは、カエルのことだろう? そんなにカエルが苦手なのか。
笑いそうになるのを堪えて、岸に向かって歩き出す。水圧で歩き難い。
「ヒッ……!」
移動している間にも、デカいカエルが泳いで居るのが見える度に俺の首に顔を埋め、回した腕に力を込めてガッチリと掴まって来る。
「ジェイっ……! 早くっ……! 早くっ、湖から上がってっ……!」
「はい、はい。――ククッ……!」
俺ではなく、カエル如きにここまで恐怖する雪乃が可愛くて、笑いが込み上げる。しかも、俺にコアラみたいに抱き着いているのが、なんとも可愛くてしょうがない。込み上げて来る笑いを堪えるのが大変だった。
暖かな気候になったとはいえ、湖で泳ぎたいと思う程の暑さではない。当然、寒さに震えることになる。震えながら上着の裾を絞る雪乃を早く暖めなければ。
湖畔に設置してある小さな木造の物置から、ブランケットを取り出して雪乃に渡すと、礼を言って受け取った。
「濡れた服は、脱いだ方がいいぞ。そのままだと体温が奪われる」
雪乃にそう言いながら、俺も濡れて脱ぎ難くなった服を脱いでいく。服は、地面に纏めて置く。後で、誰かに回収を頼めばいい。全部脱いで、ブランケットに包まる。
ちらりと雪乃に視線を向けると、俺に背を向けて上着を脱いでいた。白い項に濡れた黒髪が張り付いていて目を惹く。引き締まった綺麗な男の身体だ。女らしさなど微塵もないのに、目を奪われる。だが、直ぐにブランケットで隠されてしまった。
――何だか、おかしな気分になるな……
無理やり視線を剥がして、家の者に連絡を入れる。迎えの車と毛布、二つのバスルームに湯を張っておくように指示を出す。
ブランケットに包まりながら、寒さに震えている雪乃に近付く。
「ううっ……ジェイ、巻き込んで、ごめんね……」
寒さに震え、歯をガチガチ鳴らしながら雪乃が謝って来た。笑って頷く。
「迎えの車を呼んだから、ちょっとだけ待って居てくれ」
そう伝えると、バイクはどうするのかと聞いてくる。
「こんな、ずぶ濡れの状態でバイクなんかに乗ったら、あっと言う間に風で体温を奪われて大変なことになるぞ?」
雪乃は、ガタガタと震えながら頷いた。
「唇が真っ青だな……」
雪乃の唇が青紫に変色している。俺も似たようなものだろうが心配になる。
寒さで青褪めた顔をした雪乃が近付いて来て、俺の纏っているブランケットの上から肩や腕を擦って来た。
俺の心配をしてくれるのか……? こんなこと、初めてされた……
気付けば……自分のブランケットを広げて雪乃を抱き込んで俺のブランケットの中に入れていた。
「こうして居た方が、暖かい」
抱き締めると、俺の肩に雪乃の目線がある。俺の肩に額をくっ付けて、大人しく暖を取っている。余程、寒かったのだろう。俺も暖かい。
――ああ、欲しいな……このまま、側に置きたい。居て欲しい。どうすれば、居てくれるだろうか。
ベータは、自由に何処にでも行ける。俺とは違って、何処にでも行ってしまう。
雪乃がオメガならば、項を噛んで番にしてしまうのに……
だが、雪乃からはフェロモンの匂いはしない。俺のフェロモンにも反応しない。威圧が利かない相手を閉じ込めるのは難しい。ましてや、 狼王の血縁となれば、一切の強行手段が禁じられる。
これは、長期戦だな……先ずは、仕事のパートナーとして勧誘してみよう。
暫くすると、車が到着してマティーロが降りて来た。抱き合う俺達を見て、顎が外れそうなほど口を開けて目を見開いていた。
当然の反応だな。俺だって驚いているよ。
マティーロは上位アルファだ。大分、俺に慣れたが、俺の側に居て平気でいられるのは半日だ。それでも、他の上位アルファよりは耐えられている方だ。
ここにずっと居ることで、少しずつ時間を伸ばして来ている。
マティーロに、後始末とバイクを頼んだ。雪乃を車の助手席に乗せ、持って来て貰った毛布を掛ける。俺はブランケットを腰に巻き、厚手のシャツを着た。
運転席に乗り込み、車を走らせる。
早く、雪乃を風呂に入れて温めてやりたい。
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