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3 叔父様が迎えにきた
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「やあマリー、久しぶりだね。……おや、少し痩せた気がするのは、背が伸びたからかな?」
帽子を外して銀色の前髪がはらりと顔に落ちた。柔らかく弦を描く赤い瞳と、ゆっくりと背筋が溶かされていくような甘く低い声。
「……っ、叔父様!」
両親の間から顔を見せたヴィンセント叔父様に、私は一目散に駆け寄った。
抱き上げられて抱擁される。
ヴィンセント叔父様は廊下に出て私を抱いたままくるくると舞った。
「…………迎えにきてくれたの?」
首に顔を埋めて、消え入りそうな声で聞くと、はっきりと解るようにコクリと頷かれた。
「ヴィンセント……急に来るとは、連絡くらいよこせ。マリー、」
父が強めに私の名を呼んだ。ちらっと見ると、目で訴えてくる。お前が今している事ははしたない行為だと。
どうでもよくて冷えきった感情のまま目を合わせ、そういや父とこんなにはっきりと目を合わせるのも久々だと、そう考えたら余計に父がどうでもよくなった。
「まぁまぁ、いいじゃないか。マリーの顔を見るのも一年ぶりだ。そろそろ養女にしたくてね、こうして王命まで揃えてきたんだよ」
「なに……?」
床におろされ、頭を撫でられた。
久々に父とヴィンセント叔父様が肩を並べた光景に、改めて感じた。兄弟なのにほんとうに全然似ていない。体の線や顔の造りも、血が繋がっているとは思えないほど、別人みたいだ。
そんなことを考えながらぼうっと呆けていると、背後からきた秘書らしき格好の男性が父に書類を渡した。
「……待て。この紋章は……王家からか」
「はい。陛下はリックナー子爵家を継ぐ跡取りを望まれております。ヴィンセント様が実子をもうけるのが困難なのは立証されておりますので、研究を引き継ぐにあたり学力もあり健康体でもある姪のマリーお嬢様が選ばれました」
その言葉に心臓が早鐘を打つ。
掌から汗が滲み出て、じわじわと喜びが全身を覆い尽くしていく。うなじと後頭部がふわふわする。魔力は血液の中にも含まれているせいか、一気に体内の血の巡りが速まったのが鮮明にわかった。
ここまで高揚するとは……魔力の少ない私でも、頭がクラっとした。足どりがふわふわとして床の感覚がない。
ヴィンセント叔父様が腰をおろして私を胸に囲った。
「あぁ……よかった。これ以上育ったら、気付かれてしまうところだったよ」
囁くような小声、その意味は解らない。
ただ嬉しくて、ヴィンセント叔父様の首に顔を埋めて抱き付いた。
「……学園はどうするの?」
「私の邸宅から通えばいい」
「寮には入らないの?」
「うちは子爵家とはいえ王女が輿入れしたマベリック公爵家の分家だよ。寮じゃなく王都から通うことになる」
「……わかった」
マベリック公爵家……赤い瞳に特殊な魔力を持つ王家と最も血の近い一族だ。公爵夫人は第二王女だったヴィヴィアンヌ様。その分家……。
「旦那様! マリーを養女になんてしませんよ! ヴィンセント様、有り難い申し入れですが今日はお帰り下さい!」
「まぁまぁ、クレア夫人。そう邪険にしないでくれ。君は兄貴の婚約者時代、義母になる人が不貞を犯し、その産物が私だと気付いても、優しかった態度を変えることなく接してくれたじゃないか。だからヴィヴィアンヌと兄貴との間に政略婚の話がでた時、揉み消してやったよね?」
「っ、ヴィンセント様……今はその話は、……マリー、こちらに来なさい!」
母に肩を掴まれて反射的に叫んでいた。
「いやよ! 私は叔父様の養女になるわ! 家はエリーゼに継がせればいいじゃない! 今から教育すれば間に合うわ! 部屋に閉じ込めてでも勉強させなさいよ!」
「……お、お姉様?」
指さしたエリーゼは酷く動揺した様子で私を見た。
目に涙を浮かべて、自分とそっくりなその顔が気に入らない。この程度で狼狽えるなんて、今までどれだけ大事にされてきたのか、そのぶん私がどれだけ足蹴にされてきたのか。
こうやって感情のまま声に出したのは初めてだ。ヨハン様がエリーゼを庇うように前に出た。
「……なにを、お前は私より、自分の両親よりも、なによりエリーゼを大切にしていただろう!」
「当たり前じゃない! エリーゼの機嫌を損ねれば屋敷中の使用人から冷たくされるのよ! 何日も部屋に閉じ込められたこともあったわ! 昨日だってケイトに鍵をかけられてアンが食事を持ってきてくれなかったら飢え死にしてたわ!」
「ど、どういうことだ……?」
父が私の両肩を掴んで振り向かせてきた。それを振りほどいてヴィンセント叔父様にすがりついた。もうこの家にいたくない。
「……マリーはこの屋敷で冷遇されてたの? どうして私に言わなかったんだい?」
「だって……だって叔父様が私を養女にしたいって言ったから……それなのに、私……屋敷の中では問題があるような目を向けられていたからっ……叔父様にそれが伝わったら、私を養女にしたいなんて、もう言ってくれないと思って……」
「そうか……言ってくれたらよかったのに。マリーの事だから、私と兄の仲を拗らせたくなかったんだね?」
違う、初めて私を必要としてくれた人に落胆されたくなかった、父の事はどうでもいい、それでもヴィンセント叔父様の言葉に頷くと強く抱き締められた。
「でも私はどんなマリーでも、必ず養女にしていたよ。マリーは私のお気に入りだからね」
「……お願い……おじさま……お姉様をつれていかないで」
ぱたぱたと駆け寄ってきたエリーゼに背後から抱きつかれた。
両親に肩を掴まれた時とは逆に、不思議と嫌悪感はなかった。柔らかくて、暖かくて、この温もりを知っていると、何故かそう思った。
「ああ、エリーゼは病弱だからね。健康なマリーに触れると凄く体調が安定するだろう?」
「……うん。エリーゼ、わかるの……お姉様、ほんとうは……魔力が」
「でもエリーゼ、いま君が身に付けているその白いドレスは、私がマリーの為に特別に誂えたものなんだよ? そのドレスの裏地には持ち物がマリーである証拠が大陸共通語で刺繍されている。もちろん、その鈴蘭のアクセサリーにもね」
「……えっ?」
そっとエリーゼから髪飾りを抜いたヴィンセント叔父様は、留め具に文字が刻まれた箇所を私に見せた。
大陸共通語でシヲガレジェド──私の夜闇。
「これ……」
「この美しい黒髪にこそ、この花がよく似合う」
鈴なりに揺れる花の髪飾りを、リボンの横につけられた。
「じゃあ……ドレスも? この言葉が……全てのドレスに刺繍されているの?」
エリーゼを見ると目を見開いて青ざめた。崩れるように床に座りこみ、黙りこんだ。
「毎月贈っていたんだけど、マリーから返事がなかったから、お気に召さなかったんだと反省してね……養女にしてから、マリーの好みを揃えていこうと思ったんだよ」
「ちがっ……違うの! いつもケイトが私に贈られた物をエリーゼに与えるの! アンが受け取ってくれた教材や硝子ペンは私の元に届いたわ! でもっ……そのことでエリーゼに詰め寄ったらまた部屋に閉じ込められるからっ……本当よ、信じて!」
「信じるよ。マリーを疑ったことなんて一度もないよ」
だからマリーも私を信じておくれ、そう言われて目に涙が浮かんできた。何度も頷いて信じると言葉にした。
「旦那様」
アンの呼びかけに父が顔を上げるも、アンは父じゃなくヴィンセント叔父様を見ていた。
「ケイトを連れてきました」
「マリー、あれが君を部屋に閉じ込めた侍女かい?」
ケイトは酷く狼狽えていた。
いつもはきっちりと纏められた髪がほつれている。それに私を見る目に怯えがあった。
「そうよ……昨日は床を引き摺るように腕を取られて、屋敷の中を歩きまわるなと部屋に閉じ込められたわ」
「っ、それは……私は侍女長ですから、屋敷の中のあらゆるものを管理する役目があります! マリーお嬢様が缶ごと茶葉を盗んでいたからっ、いきなり在庫が減ったら、他の侍女達に疑いの目が向けられます! それを注意しただけです!」
「……ねぇ、私ってこの家の跡継ぎよね? それなのに紅茶が飲みたいって貴女に頼んだら忙しいと怒られて、それでも暖かい紅茶が飲みたくて茶葉を取りに一階に降りたら屋敷の中を歩きまわるなと無理矢理部屋に戻して鍵をかけたわよね?」
「そんなこと身に覚えがありません! 旦那様、マリーお嬢様が嘘を言っているのです!」
昨日腕を取られた、その痕はドレスを着る頃に肌に出てきた。アンに手伝ってもらって、よく見るとうっすらと指がくいこんだ薄い黄土色の痕を見せると、みるみるうちにケイトの顔が青ざめてきた。
いつもみたいに朝の支度で痕がないか別の侍女に確認させなかったのは、両親が出掛ける日だったから油断したのよね?
身支度を整えながら、つまりはただの侍女であるお前が貴族である私の要求にこたえず、令嬢の体に怪我をさせ、あまつさえその身を拘束する行為をした事を指摘しているのであって、お前が何故その行為をしたか、その言い訳が聞きたいわけじゃないと伝えると、ケイトは憤怒の形相で言い返してきた。
「この忌み子が! アンが乳母になる前は、私がお前の乳母だったのよ!」
「……知らないわ。それがなに?」
「お前は私の乳を飲みながら、魔力も奪っていた! 気付いたのは夫だったわ…………ふふっ、魔力量が減って、求められなくなって、お前のせいで離縁されたのよ……騙されたとまで言われてね! 全部お前のせいなのに、そのことを周りに言っても誰にも信じてもらえなくてっ……お前は忌み子なのよ! 魔力が少ないから、人から奪ってでも獲ようする、卑しい血が流れているのよ! その穢らわしい黒い髪と目が証拠よ!」
「…………」
どういうことだと、疑問を感じるもそこでケイトは粛清された。
ヴィンセント叔父様が連れてきた男性に。
ケイトは床に転がって放心している。
男が女を殴った。びっくりしてその男性を見上げると、もうマリーお嬢様は当家の令嬢ですから、当然のことをしたまでですと冷静に返された。
「マリー……ごめんよ。迎えにくるのが遅すぎた。一年前、無理にでも連れていけばよかった」
許しておくれと言われて、唖然と首を振った。ヴィンセント叔父様がしゃがみこんで私の腕を擦ってきた。顔を歪めながら悲しそうに何度も謝るヴィンセント叔父様の頬に手を添えた。
「……そんな……顔……させたいわけじゃ、」
「マリー……屋敷の者達とのお別れもあるだろうから、今日は用件のみで、本当は明日、連れて帰るつもりだった。しかしもう一秒たりともここにはおいておけないよ」
「私も……居たく、ないです」
私だってもうここには一秒たりともいたくない。
そう思いながらヴィンセント叔父様の裾を掴んで見上げると、背後からカタっとふらつくような足音がして、見ると父が懇願するような目で私を見下ろしていた。震える手を差し出そうとして、ぎゅっと握りしめて手をおろした。
「どうして……どうして私達に言わなかった?」
その言葉の後に続いて「私達は親子だろ?」そう聞かれて、親子? 確かに血は繋がっているけど、と問われたその意味がすぐには理解できなかった。
「あんた達に言ってどうなるのよ? 食事も出掛けるのもいつもエリーゼと三人で行動していたじゃない。昨日は久々に帰って来て私の顔を見にもこなかった。今日だってエリーゼと三人で出掛けてケーキを食べる予定だったんでしょ」
「ち、違っ……エリーゼが、エリーゼが忙しいお前の為に甘いものを買いにいきたいと手紙をよこしたから、」
「そんなの結局エリーゼの望みを叶えてるだけじゃない。私が躾だと言われてケイトに顔を殴られたの知ってる? 殴られた痕が消えるまで部屋に閉じ込められたのを知っているの?」
「……そんな……そんなっ……」
「なにその顔……どうせケイトから勉強の邪魔になるからしばらくは部屋にも入るなとマリーお嬢様が仰せです、とか言われて簡単に納得したんでしょ?」
そこで両親が信じられないものを見るような目でケイトに視線を向けた。
こんな時でも私をちゃんと見ようとしない。腹立たしい。
「やめてよ。二人して被害者みたいな顔しないで。何日も部屋から出てこない娘を、あんた達は気にかけたことなんてないでしょ! あの時はまだ家族が気付いてくれる、明日になったら部屋から出てこない私を心配して、無理にでも鍵を開けてくれるとっ……でもそのまま食事も水も四日は与えられなかった! とうとう家族から見放されて、このまま死ぬんだと、絶望してっ……」
五日目の朝にケイトが部屋に入ってきて、まだ生きているのかと、私を嘲笑ってきた。今度逆らえば部屋に閉じこめるだけじゃ済まないと、持ってきた粗末な食事を手に欲しければ頭を下げろと要求してきた。胃の腑が捻切れそうになる程の空腹と屈辱と怒りを感じた。そして屈した。だって死にたくなかったもの。
「…………」
「その後はアンが泣きながら私の世話をしてくれて、一週間ほどかけてようやく体調が回復したわ。でも朦朧としていたけど覚えているわ。アンの頬にも殴られたような痕があったから、無理して私に付き添ってくれたのね」
ねぇ、覚えてる?
あんた達はあのとき私に「自己管理もできないのか!」って叱ったのよ? でもいいわ。あの日以降、殆どなにも感じなくなったもの。もう二度と私は私をこんな目に合わさない。そう自分に誓って、極力この屋敷の者達には逆らわないように暮らしていたら、神様がご褒美をくれたの。私がこの地獄から抜け出せる、唯一のチャンスをくれたのよ? 今日はその願いが叶った最高の日。
そこまで伝えると両親は放心したように膝をついた。
「マリー……もう行こう。ここにいてはいけない」
「はい。でも部屋に大事な物があるの……それを取ってきてもいい?」
「あぁ……いいよ」
帽子を外して銀色の前髪がはらりと顔に落ちた。柔らかく弦を描く赤い瞳と、ゆっくりと背筋が溶かされていくような甘く低い声。
「……っ、叔父様!」
両親の間から顔を見せたヴィンセント叔父様に、私は一目散に駆け寄った。
抱き上げられて抱擁される。
ヴィンセント叔父様は廊下に出て私を抱いたままくるくると舞った。
「…………迎えにきてくれたの?」
首に顔を埋めて、消え入りそうな声で聞くと、はっきりと解るようにコクリと頷かれた。
「ヴィンセント……急に来るとは、連絡くらいよこせ。マリー、」
父が強めに私の名を呼んだ。ちらっと見ると、目で訴えてくる。お前が今している事ははしたない行為だと。
どうでもよくて冷えきった感情のまま目を合わせ、そういや父とこんなにはっきりと目を合わせるのも久々だと、そう考えたら余計に父がどうでもよくなった。
「まぁまぁ、いいじゃないか。マリーの顔を見るのも一年ぶりだ。そろそろ養女にしたくてね、こうして王命まで揃えてきたんだよ」
「なに……?」
床におろされ、頭を撫でられた。
久々に父とヴィンセント叔父様が肩を並べた光景に、改めて感じた。兄弟なのにほんとうに全然似ていない。体の線や顔の造りも、血が繋がっているとは思えないほど、別人みたいだ。
そんなことを考えながらぼうっと呆けていると、背後からきた秘書らしき格好の男性が父に書類を渡した。
「……待て。この紋章は……王家からか」
「はい。陛下はリックナー子爵家を継ぐ跡取りを望まれております。ヴィンセント様が実子をもうけるのが困難なのは立証されておりますので、研究を引き継ぐにあたり学力もあり健康体でもある姪のマリーお嬢様が選ばれました」
その言葉に心臓が早鐘を打つ。
掌から汗が滲み出て、じわじわと喜びが全身を覆い尽くしていく。うなじと後頭部がふわふわする。魔力は血液の中にも含まれているせいか、一気に体内の血の巡りが速まったのが鮮明にわかった。
ここまで高揚するとは……魔力の少ない私でも、頭がクラっとした。足どりがふわふわとして床の感覚がない。
ヴィンセント叔父様が腰をおろして私を胸に囲った。
「あぁ……よかった。これ以上育ったら、気付かれてしまうところだったよ」
囁くような小声、その意味は解らない。
ただ嬉しくて、ヴィンセント叔父様の首に顔を埋めて抱き付いた。
「……学園はどうするの?」
「私の邸宅から通えばいい」
「寮には入らないの?」
「うちは子爵家とはいえ王女が輿入れしたマベリック公爵家の分家だよ。寮じゃなく王都から通うことになる」
「……わかった」
マベリック公爵家……赤い瞳に特殊な魔力を持つ王家と最も血の近い一族だ。公爵夫人は第二王女だったヴィヴィアンヌ様。その分家……。
「旦那様! マリーを養女になんてしませんよ! ヴィンセント様、有り難い申し入れですが今日はお帰り下さい!」
「まぁまぁ、クレア夫人。そう邪険にしないでくれ。君は兄貴の婚約者時代、義母になる人が不貞を犯し、その産物が私だと気付いても、優しかった態度を変えることなく接してくれたじゃないか。だからヴィヴィアンヌと兄貴との間に政略婚の話がでた時、揉み消してやったよね?」
「っ、ヴィンセント様……今はその話は、……マリー、こちらに来なさい!」
母に肩を掴まれて反射的に叫んでいた。
「いやよ! 私は叔父様の養女になるわ! 家はエリーゼに継がせればいいじゃない! 今から教育すれば間に合うわ! 部屋に閉じ込めてでも勉強させなさいよ!」
「……お、お姉様?」
指さしたエリーゼは酷く動揺した様子で私を見た。
目に涙を浮かべて、自分とそっくりなその顔が気に入らない。この程度で狼狽えるなんて、今までどれだけ大事にされてきたのか、そのぶん私がどれだけ足蹴にされてきたのか。
こうやって感情のまま声に出したのは初めてだ。ヨハン様がエリーゼを庇うように前に出た。
「……なにを、お前は私より、自分の両親よりも、なによりエリーゼを大切にしていただろう!」
「当たり前じゃない! エリーゼの機嫌を損ねれば屋敷中の使用人から冷たくされるのよ! 何日も部屋に閉じ込められたこともあったわ! 昨日だってケイトに鍵をかけられてアンが食事を持ってきてくれなかったら飢え死にしてたわ!」
「ど、どういうことだ……?」
父が私の両肩を掴んで振り向かせてきた。それを振りほどいてヴィンセント叔父様にすがりついた。もうこの家にいたくない。
「……マリーはこの屋敷で冷遇されてたの? どうして私に言わなかったんだい?」
「だって……だって叔父様が私を養女にしたいって言ったから……それなのに、私……屋敷の中では問題があるような目を向けられていたからっ……叔父様にそれが伝わったら、私を養女にしたいなんて、もう言ってくれないと思って……」
「そうか……言ってくれたらよかったのに。マリーの事だから、私と兄の仲を拗らせたくなかったんだね?」
違う、初めて私を必要としてくれた人に落胆されたくなかった、父の事はどうでもいい、それでもヴィンセント叔父様の言葉に頷くと強く抱き締められた。
「でも私はどんなマリーでも、必ず養女にしていたよ。マリーは私のお気に入りだからね」
「……お願い……おじさま……お姉様をつれていかないで」
ぱたぱたと駆け寄ってきたエリーゼに背後から抱きつかれた。
両親に肩を掴まれた時とは逆に、不思議と嫌悪感はなかった。柔らかくて、暖かくて、この温もりを知っていると、何故かそう思った。
「ああ、エリーゼは病弱だからね。健康なマリーに触れると凄く体調が安定するだろう?」
「……うん。エリーゼ、わかるの……お姉様、ほんとうは……魔力が」
「でもエリーゼ、いま君が身に付けているその白いドレスは、私がマリーの為に特別に誂えたものなんだよ? そのドレスの裏地には持ち物がマリーである証拠が大陸共通語で刺繍されている。もちろん、その鈴蘭のアクセサリーにもね」
「……えっ?」
そっとエリーゼから髪飾りを抜いたヴィンセント叔父様は、留め具に文字が刻まれた箇所を私に見せた。
大陸共通語でシヲガレジェド──私の夜闇。
「これ……」
「この美しい黒髪にこそ、この花がよく似合う」
鈴なりに揺れる花の髪飾りを、リボンの横につけられた。
「じゃあ……ドレスも? この言葉が……全てのドレスに刺繍されているの?」
エリーゼを見ると目を見開いて青ざめた。崩れるように床に座りこみ、黙りこんだ。
「毎月贈っていたんだけど、マリーから返事がなかったから、お気に召さなかったんだと反省してね……養女にしてから、マリーの好みを揃えていこうと思ったんだよ」
「ちがっ……違うの! いつもケイトが私に贈られた物をエリーゼに与えるの! アンが受け取ってくれた教材や硝子ペンは私の元に届いたわ! でもっ……そのことでエリーゼに詰め寄ったらまた部屋に閉じ込められるからっ……本当よ、信じて!」
「信じるよ。マリーを疑ったことなんて一度もないよ」
だからマリーも私を信じておくれ、そう言われて目に涙が浮かんできた。何度も頷いて信じると言葉にした。
「旦那様」
アンの呼びかけに父が顔を上げるも、アンは父じゃなくヴィンセント叔父様を見ていた。
「ケイトを連れてきました」
「マリー、あれが君を部屋に閉じ込めた侍女かい?」
ケイトは酷く狼狽えていた。
いつもはきっちりと纏められた髪がほつれている。それに私を見る目に怯えがあった。
「そうよ……昨日は床を引き摺るように腕を取られて、屋敷の中を歩きまわるなと部屋に閉じ込められたわ」
「っ、それは……私は侍女長ですから、屋敷の中のあらゆるものを管理する役目があります! マリーお嬢様が缶ごと茶葉を盗んでいたからっ、いきなり在庫が減ったら、他の侍女達に疑いの目が向けられます! それを注意しただけです!」
「……ねぇ、私ってこの家の跡継ぎよね? それなのに紅茶が飲みたいって貴女に頼んだら忙しいと怒られて、それでも暖かい紅茶が飲みたくて茶葉を取りに一階に降りたら屋敷の中を歩きまわるなと無理矢理部屋に戻して鍵をかけたわよね?」
「そんなこと身に覚えがありません! 旦那様、マリーお嬢様が嘘を言っているのです!」
昨日腕を取られた、その痕はドレスを着る頃に肌に出てきた。アンに手伝ってもらって、よく見るとうっすらと指がくいこんだ薄い黄土色の痕を見せると、みるみるうちにケイトの顔が青ざめてきた。
いつもみたいに朝の支度で痕がないか別の侍女に確認させなかったのは、両親が出掛ける日だったから油断したのよね?
身支度を整えながら、つまりはただの侍女であるお前が貴族である私の要求にこたえず、令嬢の体に怪我をさせ、あまつさえその身を拘束する行為をした事を指摘しているのであって、お前が何故その行為をしたか、その言い訳が聞きたいわけじゃないと伝えると、ケイトは憤怒の形相で言い返してきた。
「この忌み子が! アンが乳母になる前は、私がお前の乳母だったのよ!」
「……知らないわ。それがなに?」
「お前は私の乳を飲みながら、魔力も奪っていた! 気付いたのは夫だったわ…………ふふっ、魔力量が減って、求められなくなって、お前のせいで離縁されたのよ……騙されたとまで言われてね! 全部お前のせいなのに、そのことを周りに言っても誰にも信じてもらえなくてっ……お前は忌み子なのよ! 魔力が少ないから、人から奪ってでも獲ようする、卑しい血が流れているのよ! その穢らわしい黒い髪と目が証拠よ!」
「…………」
どういうことだと、疑問を感じるもそこでケイトは粛清された。
ヴィンセント叔父様が連れてきた男性に。
ケイトは床に転がって放心している。
男が女を殴った。びっくりしてその男性を見上げると、もうマリーお嬢様は当家の令嬢ですから、当然のことをしたまでですと冷静に返された。
「マリー……ごめんよ。迎えにくるのが遅すぎた。一年前、無理にでも連れていけばよかった」
許しておくれと言われて、唖然と首を振った。ヴィンセント叔父様がしゃがみこんで私の腕を擦ってきた。顔を歪めながら悲しそうに何度も謝るヴィンセント叔父様の頬に手を添えた。
「……そんな……顔……させたいわけじゃ、」
「マリー……屋敷の者達とのお別れもあるだろうから、今日は用件のみで、本当は明日、連れて帰るつもりだった。しかしもう一秒たりともここにはおいておけないよ」
「私も……居たく、ないです」
私だってもうここには一秒たりともいたくない。
そう思いながらヴィンセント叔父様の裾を掴んで見上げると、背後からカタっとふらつくような足音がして、見ると父が懇願するような目で私を見下ろしていた。震える手を差し出そうとして、ぎゅっと握りしめて手をおろした。
「どうして……どうして私達に言わなかった?」
その言葉の後に続いて「私達は親子だろ?」そう聞かれて、親子? 確かに血は繋がっているけど、と問われたその意味がすぐには理解できなかった。
「あんた達に言ってどうなるのよ? 食事も出掛けるのもいつもエリーゼと三人で行動していたじゃない。昨日は久々に帰って来て私の顔を見にもこなかった。今日だってエリーゼと三人で出掛けてケーキを食べる予定だったんでしょ」
「ち、違っ……エリーゼが、エリーゼが忙しいお前の為に甘いものを買いにいきたいと手紙をよこしたから、」
「そんなの結局エリーゼの望みを叶えてるだけじゃない。私が躾だと言われてケイトに顔を殴られたの知ってる? 殴られた痕が消えるまで部屋に閉じ込められたのを知っているの?」
「……そんな……そんなっ……」
「なにその顔……どうせケイトから勉強の邪魔になるからしばらくは部屋にも入るなとマリーお嬢様が仰せです、とか言われて簡単に納得したんでしょ?」
そこで両親が信じられないものを見るような目でケイトに視線を向けた。
こんな時でも私をちゃんと見ようとしない。腹立たしい。
「やめてよ。二人して被害者みたいな顔しないで。何日も部屋から出てこない娘を、あんた達は気にかけたことなんてないでしょ! あの時はまだ家族が気付いてくれる、明日になったら部屋から出てこない私を心配して、無理にでも鍵を開けてくれるとっ……でもそのまま食事も水も四日は与えられなかった! とうとう家族から見放されて、このまま死ぬんだと、絶望してっ……」
五日目の朝にケイトが部屋に入ってきて、まだ生きているのかと、私を嘲笑ってきた。今度逆らえば部屋に閉じこめるだけじゃ済まないと、持ってきた粗末な食事を手に欲しければ頭を下げろと要求してきた。胃の腑が捻切れそうになる程の空腹と屈辱と怒りを感じた。そして屈した。だって死にたくなかったもの。
「…………」
「その後はアンが泣きながら私の世話をしてくれて、一週間ほどかけてようやく体調が回復したわ。でも朦朧としていたけど覚えているわ。アンの頬にも殴られたような痕があったから、無理して私に付き添ってくれたのね」
ねぇ、覚えてる?
あんた達はあのとき私に「自己管理もできないのか!」って叱ったのよ? でもいいわ。あの日以降、殆どなにも感じなくなったもの。もう二度と私は私をこんな目に合わさない。そう自分に誓って、極力この屋敷の者達には逆らわないように暮らしていたら、神様がご褒美をくれたの。私がこの地獄から抜け出せる、唯一のチャンスをくれたのよ? 今日はその願いが叶った最高の日。
そこまで伝えると両親は放心したように膝をついた。
「マリー……もう行こう。ここにいてはいけない」
「はい。でも部屋に大事な物があるの……それを取ってきてもいい?」
「あぁ……いいよ」
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