マリーの心が壊れた日

佐々木りく

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4 叔父様からの贈り物

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部屋に入ってドアを閉める。
その数秒後、ヨハン様が勢いよく入ってきた。
全く。不躾な行動だ。いつもの事だがマナーもへったくれもない。ヴィンセント叔父様の養女になっても、この最悪な婚約者は付いてくるのだろうか。エリーゼの教育がうまくいけば、或いは──。

「普通じゃない……」
「そうね。この家は変よ」

どうでもいい。
机にむかい椅子をどける。
しゃがみこんで爪で引き出しの鍵を開けると、背後からぐいっと肩を引かれた。

「ッ違う、姪を養女にする為に、王命まで発動させるなんて変だ!  この話は断れ!  しばらくはイーグナー家にマリーの居場所を用意させる!  だから断れ!」

なにを馬鹿なことを。
侯爵家に住む?  あの夫人がいる場所に?  それこそ有り得ない。
おまけにヨハン様は次男で、跡継ぎではない。私に婿入りする立場だった。その貴方が、侯爵家に私の居場所を用意する?  勘違いも甚だしい。

「言いたいことはそれだけ?」
「っ、」

顔だけ振り向いて睨み付けると、めずらしくヨハン様は尻餅をついた。

「ヨハン様は顔合わせで私のこと汚ない物でも見るような目をしましたよね?  そのあとエリーゼを見て『こっちが婚約者じゃないのか?』とわざわざ家令に確認しましたよね?  私にはそれだけで充分なんですよ」

今となってはそんなこともあったなと、脳裏を掠める程度だが、当時はヨハン様の言葉に周りの侍女達が含み笑いを浮かべ、聞かれた家令も苦笑いをして私を見下した。ケイトは大喜びで「申し訳ありませんが、当家の妖精は病弱でして、健康なマリーお嬢様でしたらヒバツグメの如く、子宝に恵まれるでしょう」と私を貶めた。

ヒバツグメ……雌は沢山たまごを産むが、雄は決して番をつくらず毎年相手を変える。体のいい愛人によく使われる俗語だ。

「っ、違う、それは……両親から聞いて黒髪の姉の方が優秀なのは解っていた。あの時はただっ……エリーゼがお前を取られて泣きそうな顔をしたから慰めただけだ」
「ほら、エリーゼの方を優遇したじゃないですか。ヨハン様は私の婚約者として今までどのような振る舞いをされていたか覚えていないんですか?」

手紙と硝子ペン。
花の栞は教材に挟んだ。
この部屋にある大切なものはこれだけだ。

「……それはっ……お前が茶会の度にエリーゼを連れてくるからだろう!  まるで押し付けるみたいに、エリーゼを使って私を厄介者扱いしていたのはそっちじゃないか!」
「いいえ。エリーゼがヨハン様に会いたいと言ったから両親が同席させただけです。それにヨハン様の私に対する態度は貴方の両親も困っていたみたいですよ。息子の態度は目に余る。しかし婚約者を妹の方に変えられても困る。今は耐えてくれと夫人から何度も手紙をもらいましたから」

棚から夫人とやりとりした手紙を投げ付ける。字も綺麗とは言い難く、侯爵夫人にしては文章もお粗末だと、当時は手紙の内容を読んで不思議に思ったけ?

「イーグナー侯爵家は頭脳派ですものね。ヨハン様も優秀ですし……でもいくら魔力の高いエリーゼとはいえ、病弱では仕事も跡取りを残す義務も果たせませんからね。その点、私は健康体で学ぶことに長けていたので優秀な方に婿入りさせたかったのでしょう」
「……母上が……こんなっ」

いつまで尻餅をついているのだろう?
ヨハン様は手紙の内容にショックを受けたのか、小刻みに膝を震えさせていた。

「まぁ、私の両親もこの手紙を読んだでしょうから、格上の侯爵家はともかく、エリーゼを咎めないと決めたのは両親です。それが侯爵夫人の耳に入れば、息子の教育なんてしませんよね」


ヨハン様が何か叫んでいた気もするけど、叔父様から貰った手紙や教材やペンを手に部屋を出た。そういえば辞書は客室に忘れてきたわ。あれも取りにいかないと。

一階へおりるとヴィンセント叔父様が連れてきた男性、聞くと「秘書のヴァーレです」と教えてくれた。旦那様がいる馬車まで運ぶと私物を受け取ってくれたので、忘れていた辞書を取りにいくとことわりをいれてから客室に入った。

あった。窓辺に落としたままだ。

「エリーゼ!」
「エリーゼ、しっかり!  医者を呼んで!」

両親と家令が慌てている。
バタつく侍女達の間をすり抜けて辞書を取りにいくと、蒼白になったエリーゼが床に倒れていた。ひゅー、ひゅー、と今にも消え入りそうなか細い呼吸音で、必死に頭を起こして私を見上げている。

こんな風に床に倒れていても、エリーゼはお姫様みたいだ。レースをふんだんにあしらった白いドレスがとてもよく似合っている。でもそれ……一度でいいから私も着たかったな。先に白い妖精のようなエリーゼを見たら、私には似合わないのがわかる。
そんなことを思いながら拾った辞書を胸に抱いた。

「……おねえさま、」
「エリーゼ、しっかり!」
「大丈夫だ、大丈夫だからね!」
「……お……ね……さま」

そういえば、幼少期にエリーゼがこんな状態になると、いつも抱き起こしていた。そうするとエリーゼはぴったりとくっついてきて、徐々に呼吸も整い顔色が戻ってくるのだ。

「……お、……ね……さ、」

エリーゼは私と違って両親や屋敷中の人間に愛されて、求められて、蝶よ花よと育てられた。今だってこんなに両親から心配されているのに、何故ここで私に手を差し出すのか、それとも全員が自分に構ってくれないと満足しない質なのか、とにかくエリーゼの行動の意味が解らなかった。

「たまには自分で立ち上がりなさいよ。私は何度もそうしたわ。貴女と違って、倒れても気付かれないから、自分で立ち上がるしかなかったの」
「っ、やめてマリー!」
「お前っ、エリーゼになんて事を!」
「あははははっ」

最後の最後に、両親に対して笑顔が出てきて、そのあとパリンと、薄くなったガラスが割れるような音が頭の中に響いた。不思議と綺麗な音色だった。
笑い声が止まらなくなって、両親や周りの人間が耳を塞いでいる。どうしたんだろ?  目から血を流している侍女もいる。
私にとってここは幸せな場所じゃなかったけど、最後のお別れを笑顔でできるって、幸せなことじゃない?




秘書のヴァーレに手をかしてもらって馬車に乗り込むと、待ち構えていたヴィンセント叔父様が目を見開いた。

「……叔父様?」
「いや参った……また美しくなったね」
「この髪飾りをつけてるからかも……?」

歩くたび、花が揺れるのがわかった。
髪飾りに触ると微かに温かった。エリーゼの髪から抜き取った直後は、ひんやりとしていたのに。

「あの子から奪ってしまったわ……」
「それは仕方ない。エリーゼも可愛い姪だが、二人が並ぶとどうしてもね……これはマリーが付けるべきだと思ったんだ」

エリーゼの髪に鈴蘭がついているのを見た瞬間、それは貴女じゃない、私がつけるべきだと、あの時は叫びそうになった。

「私の夜闇……とても美しいよ」
「ありがとう……叔父様」

微笑んだヴィンセント叔父様は、いつも着けている白い手袋を外した。
そして優しく左手をとられて甲に唇を押し当て、ちゅっと音を立てて離れた。その懐かしい感覚に背筋がふわっとした。

「殻を破って生まれ変わった」
「……お、じ……様?」
「私の魔力を受け入れておくれ」

以前よりも強い、握られた手から腕にかけて甘く痺れるような感覚が駆け上がってくる。これがヴィンセント叔父様本来の魔力。
少し息を弾ませながら瞼を伏せた。そこでちらっと目に入った、足元に落ちたヴィンセント叔父様の手袋。
そういえば初めてヴィンセント叔父様が私の手の甲にキスをした時、わざわざその前に手袋を外してから私に触れた。それが理由もわからずとても嬉しくて──あぁ……そうだ。魔力が少ない私は、お茶会でも極力明るい髪色や瞳を持つ者達──高魔力者との接触は避けるよう、物心ついた時から教えられてきた。その理由は、魔力の少ない私のような人間はまだ魔力の操作が覚束無い幼い高魔力者の不安定な魔力にあてられて、体調を崩してしまうことがあるから。だから両親も大人とはいえ、極力私に触れなかった。

「マリー?」
「……ありがとう。叔父様に触れられると、嬉しいの」

繋がれたヴィンセント叔父様の手に私の手を重ねると、その上からも手が重ねられた。

「なにか欲しいものはないかい?」
「えっ……」

欲しいものは、もう手に入ったわ。

「私はマリーに与えたくて、仕方ないんだ」
「……では、……」

その手で抱き締めてほしい。
照れながらなんとか声に出すと、ヴィンセント叔父様はこれ以上にないほど満足げな顔で私を抱き締めた。
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