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Summer Camp

第38投

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 ブルペンでの調子は良かった。

 ストレートは指によくかかり狙った場所に投球ができていた。

 マウンドに上がった久留美は初回先頭バッターにフォアボールを与えるとブルペンでの投球が嘘のように崩れた。

 ストライクが入らない。焦っておきにいったボールを打たれる負のスパイラルにはまっていきなりの四失点。
 
 相手バッターの打ち損じでなんとかとったアウトを重ねるしかなかった。ランナーが溜まれば溜まるほど気が滅入る。周りも見えなくなってここから一刻も早く逃げたくなる。
 四回持たずにマウンドを降りた久留実は悔しさとか情けなさよりもようやく解放されたという安心感に浸っていた。
「マウンドより顔色が良くなったわね。体調でも悪かった?」
「いえそういうわけじゃあないですが」
 この試合も大差で敗れた光栄大学は日曜日の関甲信リーグの大正国際大学との試合にも敗れた。

 しかもその敗因はリリーフでマウンドに上がった久留美が試合をぶち壊したことだった。ブルペンで調子が良くてもマウンドに上がれば制球力が乱れ、バント処理は暴投。

 自分の体が誰かに乗っ取られたように自由に動くことが出来ない。
「久留美練習が終わった後少し残りなさい」
 菜穂は練習後研究室に呼び出すと真剣な顔をして一冊の本を差し出した。

「あなたもしかしてイップスになりかけているんじゃない?」

 久留実に差し出したのはイップスに関する詳しいことが記された本だった。

 イップスという言葉に嫌悪感を抱く。メンタルが弱いと言われている気がしたからだ。

「そんなことはありません」

 本を突っ返す。

「あのときは、ち、調子が悪かったんです。次の試合は必ず抑えます。大丈夫ですから」

 久留実は受け入れたくはなかった。自分がイップス? 簡単に認めたくはない。

「もしかして創世大学に打たれたことがあなたにとってトラウマになりつつある。ランナーを背負った時のあなたは様子が変よ」

「いえ、そんなことは」

「いずれにしろそんな状態でマウンドには上げさせられない」


「それは、それだけは嫌です。お願いします」

 久留実にとってあのマウンドに上がれないことは死を意味した。もう失いたくない。

「久留美がそこまで固執するのも珍しいわね。でも先発は無理よリリーフとしてなら考えてあげるわ。今度の相手は訳ありでね負けたくないのよ」

「もう次のオープン戦が決まったんですか?」

 菜穂は不敵に笑い頷いた。

「来週の土曜日はあの玄武大学と試合を組んだわ」
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