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Summer Camp

第60投

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 一球目をファールにして、二球目のスライダーを見極め、カウントを整えた。ソフィーはイチロー選手のようにバットをピッチャーに向けて含み笑いを浮かべながらユニフォームのしわを直す仕草で塩崎を挑発する。

 塩崎は一度プレートを外してロージンバックを手にしみ込ませるとセットポジションに入った。目つきが変わり投じたボールは詩音がセンター前にボールをはじき返したそれとは比べ物にならないほど威力のあるボールだ。初回いきなりギアを一段回上げてきた。ソフィーは足を上げずに右足のつま先を軸にかかとを上げながら膝を内に捻り、捻転を作るとそのまま踏み込んでバットを振りぬいた。

 インコースのボールを引っ張った打球はセカンドを守る月子が一歩も反応できないほど鋭く一、二塁間を突破しライト前ヒットになる。詩音は好スタートを切っていたが打球スピードが速かった分三塁ストップになったが更にチャンスは続く。

「よし!」

 菜穂は拍手してソフィーを称賛する。

「上手く対応したわ、あの打ち方なら手元の変化を見極めつつシャープなスイングができる。なんにも教えてないのに彼女は適応力も抜群ね。さて問題は」

 そう言って不安の矛先を向けたのは四番の雅だった。この合宿中の打率は久留実に次いで低く、変化量が大きい緩いボールにまったく対応ができず、早々にフォームを崩していた。あたればどこまでも飛ばすロマンヒッターだがその穴も大きい、練習試合が終わった後で菜穂と連日特打ちをしていたことを久留実は知っていた。

「雅さん先制点とっちゃってくださいな!」

 あんこの応援も虚しく高めのストレートを二球連続でとらえきれず簡単に追い込まれる。

「雅あんた外野フライくらいは打って仕事しなさいよ、いつまでもホームランを狙ってんじゃ……」

 活を入れ終わる前にりかこは驚いて押し黙った。バッターボックスの雅はバットのグリップを短く握り直し構えたのだ。

「ようやく落とし込んでくれましたね」

 菜穂はため息をつき、安堵の笑みを浮かべる。三球目の緩いカーブに雅は手を出さず見送った。

「雪でも降るのかしら、あの雅がバットを短く持ってる」

「頑固なみやにゃんが大人になってる」

 りかこや付き合いの長い三年生たちが驚くのは無理もない。守備の時もランナーの時も常にホームランのことしか考えていない雅が、菜穂が指摘しても喰ってかかった雅が、こだわりを捨ててバットを短く構えている。

 五球目、塩崎はインハイに一球ストレートを投げ込んで勝負球に外のチェンジアップを投じた。見送ってもストライクのコースで、インハイのボールが頭に残っていた雅はどうしてもタイミングを崩されてしまいそうになる。まずい、これでゴロになれば確実にダブルプレーをとらてしまう。左足が踏み込んだ時には早くも体が開き始めていた。

「ゴロだめヨ」

 ソフィーはダブルプレーを懸念してスタート切っているが、雅が空振りした場合セカンドで刺される可能性もある。雅はバットがボールにあたる瞬間に腰を逆回転させた。

「ツイスト打法だって!」

 夕美が叫んで菜穂が不敵に笑う。打球はセカンドの後方に落ちセンターがボールを拾う頃には詩音がホームに帰還していた。

「すごい、今のどうやって打ったの?」

 久留実がつぶやく。

「踏み込んだ下半身を止め、腰を逆方向に回転させることによって体の開きを遅らせ、タイミングを外されたときのバランスの崩れを最小限に防ぐことができる。そんな最強の打法がツイスト打法です!」

 早口で説明してくれた希は興奮を隠せないでいた。

「ツ、ツイスト打法?」

「うん、プロのバッターでもなかなかできない高等テクニックだよくるみちゃん」

「えぇすごい、いつの間にそんな技を」

 一塁ベース上でヘルメットを外し、長い黒髪を風になびかせて汗を拭う雅から一斉に菜穂に注目が集まる。 

「先生すごいよ、どうやって指導したの?」

「そうだよ、あのみやにゃんにどうやって教えたんですか?」

「というか、私たちにも教えてくださいよ!」

 あんこや美雨、詩音にせがまれて菜穂は困ったように帽子のつばを触った。

「みんな落ち着いて、そもそも雅のツイスト打法は腰の捻転を抑えるため調整です」

「といことは、かなり雅は打撃フォームを崩していたんですね」

「そうです。緩い球に苦戦して次第に腰の開きがはやく変なクセがついていた。私にとっても苦肉の策でした。既存のフォームを壊して再構築する技術は短期間でどうにかなるものではありません。バッティングのことを常に考え感覚を研ぎ澄ませていた彼女だからこそできた自然の反応なの」

「なぁんだつまんないの」

 種明かしをされてあんこは自分にはできないと判断したのか、ツイスト打法に一気に興味を失った。

「ま、あたしピッチャーだし関係ないか」

 その言葉に久留実は反応する。今のは明らかに嫌味じみていた。

 ――絶対に負けない。

 拳を握りしめる。この試合絶対にチャンスがくる。それを掴み取るのは自分自身だ。

 
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