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フルスイング
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県内で偏差値が七〇を超える高校は、僅かに二〇校しかない。その中に幸手一校の普通科スーパー理数コースがある。一学年時の成績と授業中の取り組み態度を総合的に教員が判断し二年生からクラスがその期待度によって振り分けられる。A組からC組まである進学コースの中でもA組は他の普通科クラスから見れば『別の学校』といってもいいほど遠い存在だったという。
朔の話によれば銀二は入学当時から成績がずば抜けていて、A組に入ることが早くから予想されていた。いつも満点近い点数を取り続けながら部活動も両立する優等生で学校の評判も高い。そんな銀二の噂を野球部の先輩たちは面白く思っていなかったのだ。
「お前あんまり調子のんなよ」
銀二がその言葉の意味を知ることになるのはずいぶん先のことだった。
その年に野球部に入部したのが銀二ただ一人だったということもあり、初めからベンチに入ることは確定していた。しかし銀二の目標はあくまで技術の向上だ。実力をつけてレギュラーになることが目的だ。そうなればあの日一瞬でも思い描いたはるか彼方の向こうにある夢を大っぴらに語ることができる。
「おい、お前は下手くそなんだから球拾いやってろ」
春の大会が終わってから銀二の扱いは日に日にひどくなっていく。当時の三年生は必要以上に銀二を嫌っていた。下手くそと言われるたびにひたすら練習に励む銀二をますます彼らは許さなかった。
銀二は自分を下手くそと見下す奴らの目が大嫌いだった。あの目を向けられるたびに誰よりもバットを振り、練習では声を出していた。しかしどこからともなく聞こえてくる、「下手くそのくせに」という言葉が自分のやっていることを全否定されている気持ちにさせる。
下手くそは努力してはいけないのか。
下手くそは上手い奴の奴隷なのか。
その答えはノーだ。
下手くそにだって夢はある。下手くそだって夢に向かって努力する権利はある。
いつも自分を気にかけてくれる二年生が三年生の圧力でうかつに声をかけられないことを銀二は知っていた。学力が優れず三流大学にしか進学できない三年生が自分たちの憂さを晴らすために自分より立場が低い後輩をいじめるなんてばからしいことだ。しかし、たかが一つ歳が上というだけで、自分の意見ややりたいことを制限させられてなんの疑問や反感を持たないでいる二年生も銀二は次第に見下していく。
『僕はちがう。僕はお前たちのような人間には死んでもならない』
心に誓った反骨心が銀二の支えであり、トラブルの原因にもなる。
「いやです。先輩それはおかしいと思います」
練習後に一人でグラウンド整備をしろと命じられた銀二はついに三年生に反論した。
「お前、なめてんのか」
「なめてません、僕はおかしいと思ったから意見したのです」
そう言い終わると一人の三年生が銀二の襟をつかみ乱暴に揺すった。
「下手くそが俺らに意見してんじゃねーよ、殺すぞ」
「じゃあ、あんたらが僕を甲子園に連れていってくれるんですか」
「はぁぁぁぁ!」
「先輩たちは僕より野球が上手いだけでそこまで威張り散らすなら甲子園に連れてってくれないとわりにあいませんよ!」
その言葉が三年生の怒りのスイッチを一気にマックスまで押してしまったらしい。銀二は人気のつかない倉庫に連れていかれ、グラウンドに二年生を残し、三年生複数人から殴る蹴るの暴行を加えられたのだ。
「僕は間違っていない」
床に突っ伏し身体を丸めながら受ける打撃と威圧する声の応酬。一発蹴られるたびにそうつぶやいていた。
「お前ら! そこで何をしている!」
強引に倉庫のドアが開き、体つきのいい体育教師が血相をかえこちらを見ている。
そこからの記憶は曖昧で、気がつけば学年集会が行われ、事件に関わった三年生は野球部から消えていた。銀二の父は今回の事件について訴訟を起こすと学校側に圧力をかけ、公にしない代わりに今年の夏の大会不参加と当時の顧問を監督不十分で解雇することで騒ぎは収まったという。
「お前はもう二度と野球に関わるな」
騒ぎがひと段落して父に言われた言葉に衝撃を覚えた。
「どうして、僕は野球が好きで……」
「まだわからんか! 野球なんかにうつつを抜かしていたから、あんな連中に蔑まれこういうことになったんだ。あんなくずどもに」
父は激昂していた。「安定が一番だ」が口癖で、市役所務めの父からしたら勉学よりも野球に没頭する銀二のことをはがゆく思っていたのだろう。
「父さん、僕は野球が好きなんだよ。だから」
「黙れ、野球なんて二度と許さないぞ!」
「でも!」
「口答えするな! どうしてもやりたいなら俺は野球部に口を出すぞ! そして必ず野球部を潰す。もう二度と自分の息子にあんな思いをさせないためにな」
それからだ。銀二を教師や野球部員が腫れものに触るような態度を取り始めたのは。
杉戸高野台の駅を降りて国道4号線沿いの杉戸市内の幸手団地入口の交差点を100メートルほど南に進みラージAを目印に東に延びるわき道を200メートル歩いたところにそこそこ新しめのバッティングセンターがある。アパートに囲まれるようにできた施設は夜に打つとそれだけで近所迷惑になりそうなところにあった。
殺伐とした店内に利用者はまばらでみな、60キロと表示されたソフトボール用のゲージに入りきゃっきゃっしていた。
銀二は120キロと表示されたゲージの打席に立っている。アーム形式のマシンは手前の網と被ってタイミングが取りにくい。ただ三球くらいで目が慣れて四球目にはジャストミートさせた。思いっきり叩きつけた打球は試合なら三遊間を抜けていただろう。
「ナイスバッティングじゃないか」
聞こえてきた声に驚いて銀二は振り返る。
「菱田監督」
「よっ」
見送ったボールが後ろのクッションにあたる。バシーンという鈍い音がゲージに響き渡る。
「ほら、どんどん打てよお金もったいないぞ」
康太は銀二にバットを振るように促すと、何事もなかったかのように銀二は再び打席に入った。
「いつからつけてきたんですか」
ガツ。
マシンの球を打ち返しながら銀二は静かに問いただす。
「正門が分かんなくて、うろうろしてたら、倉庫の穴ぼこからお前が出てくるのを見てさ」
キン。
康太は窓の縁に手を支え前かがみになって打球の行方を追う。
「今日はアルバイトの方はいいんですか、けっこう時給がいいって聞きましたよ」
カキン。
「今日は休み。放課後等デイサービス監督だ」
ガツ。
「大学生も暇なんですね」
キン。
「まぁな、否定はしないけど」
キン。キン。キン。
バットの甲高い金属音がこだまする。康太は銀二のスイングをまじまじと眺めていた。
「なぁもっと思いっきり振って見ろよ」
ガツ。
「何言ってるんですか、全力ですよ」
キン。
「そうか、なんか二ノ宮のスイング見ててもさ、ワクワクしないんだよ」
バン。
その言葉に銀二は身体をびくつかせ、冷ややかな目で康太を見つめた。
「マシンの球を体裁よくあてるだけでなにが楽しいんだよ。バッティングの醍醐味はホームランだろ」
「バカなことを言いますね」
銀二はそう言って振り向きざまにバットをボールの軌道上にあわせた。止まったバットの上っ面にあたったボールは天井にあたり、銀二の目の前にポトリと落ちてきた。
「バカなことかな? むちゃくちゃだけど総司の大振りや雄大のフルスイングの方がなんか見てて楽しいけどな」
「それがバカだと言ってるんです、プロじゃあるまいし、ホームランでも打てるなら別ですけどね」
銀二はボールを叩きつけひたすらゴロを転がしていた。年季の入った軟式ボールはピッチャーの足下の網にぶつかる。
「お前だってホームランが打てるよ。その可能性は誰にだって秘めてある」
「てきとうなことを言わないで下さいよ!」
ゲージに響く銀二の声はその場にいる利用者を振り向かせるには十分すぎる声量だった。
「思いっきり振って見ろよ、空振りしたって俺は二ノ宮を笑わないよ」
「うるさい! あんたなんかに僕の何が分かるんだ! 野球が上手い人に僕の気持ちは分からない」
「分かるよ、俺はチーム一の下手くそだったから」
バットの先を地面にぐりぐりと押し付けていた銀二は腕の力を少しだけ緩めたのが分かった。
「高校でも大学でも先輩からさんざんいじめられたよ、下手くそってだけでひどい仕打ちだよな。だから悔しくてホームランが打てる選手になろうと思ってそのための練習をしたよ。バカにされたけど」
康太は自分を茶化すような言い草で苦笑する。銀二は次々に来るボールを見送り康太を凝視していた。そのうち18メートル先のランプが点滅を始めた。ラスト一球の合図だ。
「ラストだ、不格好でいいからフルスイングしろ。ホームランを狙え」
マシンのアームが振り下ろされ、ボールが迫ってくる。銀二はバットのグリップを握りしめ渾身の力を込めてバットを振った。ボールは打球音を残しバッティングマシンのはるか上を通り奥の外野ネットに突き刺さった。
「やりゃあできんじゃん」
バランスを崩した銀二は頭からすっぽ抜けたヘルメットを拾い上げ再び康太を見据える。
「からかわないでください! 試合に出たとしても僕は急造チームの九番打者ですよ。そんなホームランを打つような打ち方をしていいわけないじゃないですか」
「九番がホームランを打っちゃいけないルールなんてあるのか? 下手くそがホームランを打っちゃいけないなんてルールあんのかよ」
「それは……」
ばつが悪そうに眼を逸らす。康太はバッティングゲージからでてきた銀二の腕を掴み言った。
「俺からしたら、打順なんて早くホームランを打てるチャンスが回ってくるか来ないかの違いだけだって、そんなことより面白いものを見に行こう」
戸惑う銀二にお構いなく康太は無理やり腕を引っ張った。
またあの目だ。自分を蔑み、存在意義すら否定するまなざし。
桜高校に向かう道で銀二は思い出していた。あの試合中に総司や他の選手がエラーした自分に向けた冷ややかな視線のことだ。あの視線と目を合わすとまるで蛇に睨まれた蛙のように息詰まり、足がすくむ。
重い気分のままグラウンドに足を踏み入れた瞬間、銀二は無意識の内に視線を落とした。八人しかいないグラウンドから聞こえるはずがなかった活気ある声が耳に届いたからだ。
「どうした?」
「いえ別に」
わずかだが言い淀む。
銀二の目に飛び込んできた風景は、センターの定位置からライトの定位置を目指して全力で走り出していた雄大だった。ノッカーの上宮は間に合うか間に合わないかのところに打球を上げる。雄大は雄たけびを上げながら、グラブの先っぽでなんとかフライをキャッチする。
「ノッカーもう一本お願いします!」
休む間もなく次の打球を追う。先にノックを終えた選手たちからの叱咤激励が聞こえる。
「お前が来なくなってからあいつはずっとアメリカンノックを練習に組み入れているんだ」
銀二は食い入るように雄大の練習を見ていた。届きそうで届かない絶妙なところにフライが上がる。雄大が必死にグラブを伸ばす姿に心が揺れる。手の平には汗が滲み、身体が火照るほどの恥ずかしさを覚えた。
「雄大がなんでアメリカンノック始めたのか分かるか?」
「単純に球際の練習じゃないんですか?」
「それもあるけど、一番は二ノ宮の負担を軽くするためだってさ」
銀二はすぐに理解した。朔が言っていたことはこういうことだったのだ。
「今更チームに戻ったって僕の居場所はない」
「だったら居場所を作ればいい」
康太は仮にも監督という立場にそぐわない自傷気味の笑みを見せた。
「居場所なんて、他人が作ってくれるもんじゃない、自分で頑張って苦しい思いをしながら作ってくもんだ」
六時を知らせるチャイムがグラウンドに響く、まだ強い西日が照り付けていた。
「怖いんです」
零れた言葉に康太は頷いた。ホームベース付近でノックを打っている上宮は、途中で康太に気が付き軽い会釈をした。その動作に選手たちも二人に気が付いたようだ。ベンチの近くが少しざわついているのがうかがえる。
「銀二! 早くこいよ!」
センターの守備位置から雄大が大きくグラブを上げて銀二の名前を呼ぶ。
「僕が失敗するたびに向けられるあの冷ややかな視線が怖くて仕方ないんです」
雄大は微動だにしない銀二を心配そうに眺めていた。グラウンドから注がれる視線に銀二は思わず後ずさりこの場から逃げ出したい衝動にかられていた。康太は銀二の背中に右手を添えてこれ以上後には引かないように支える。
「行って来いよ。野球で失ったものは野球で取り返すしかないんだ」
ぽんと背中を叩いて前に押し出した。しびれを切らした雄大がセンターからこちらへ向かって走ってくるのが見えたからだ。
朔の話によれば銀二は入学当時から成績がずば抜けていて、A組に入ることが早くから予想されていた。いつも満点近い点数を取り続けながら部活動も両立する優等生で学校の評判も高い。そんな銀二の噂を野球部の先輩たちは面白く思っていなかったのだ。
「お前あんまり調子のんなよ」
銀二がその言葉の意味を知ることになるのはずいぶん先のことだった。
その年に野球部に入部したのが銀二ただ一人だったということもあり、初めからベンチに入ることは確定していた。しかし銀二の目標はあくまで技術の向上だ。実力をつけてレギュラーになることが目的だ。そうなればあの日一瞬でも思い描いたはるか彼方の向こうにある夢を大っぴらに語ることができる。
「おい、お前は下手くそなんだから球拾いやってろ」
春の大会が終わってから銀二の扱いは日に日にひどくなっていく。当時の三年生は必要以上に銀二を嫌っていた。下手くそと言われるたびにひたすら練習に励む銀二をますます彼らは許さなかった。
銀二は自分を下手くそと見下す奴らの目が大嫌いだった。あの目を向けられるたびに誰よりもバットを振り、練習では声を出していた。しかしどこからともなく聞こえてくる、「下手くそのくせに」という言葉が自分のやっていることを全否定されている気持ちにさせる。
下手くそは努力してはいけないのか。
下手くそは上手い奴の奴隷なのか。
その答えはノーだ。
下手くそにだって夢はある。下手くそだって夢に向かって努力する権利はある。
いつも自分を気にかけてくれる二年生が三年生の圧力でうかつに声をかけられないことを銀二は知っていた。学力が優れず三流大学にしか進学できない三年生が自分たちの憂さを晴らすために自分より立場が低い後輩をいじめるなんてばからしいことだ。しかし、たかが一つ歳が上というだけで、自分の意見ややりたいことを制限させられてなんの疑問や反感を持たないでいる二年生も銀二は次第に見下していく。
『僕はちがう。僕はお前たちのような人間には死んでもならない』
心に誓った反骨心が銀二の支えであり、トラブルの原因にもなる。
「いやです。先輩それはおかしいと思います」
練習後に一人でグラウンド整備をしろと命じられた銀二はついに三年生に反論した。
「お前、なめてんのか」
「なめてません、僕はおかしいと思ったから意見したのです」
そう言い終わると一人の三年生が銀二の襟をつかみ乱暴に揺すった。
「下手くそが俺らに意見してんじゃねーよ、殺すぞ」
「じゃあ、あんたらが僕を甲子園に連れていってくれるんですか」
「はぁぁぁぁ!」
「先輩たちは僕より野球が上手いだけでそこまで威張り散らすなら甲子園に連れてってくれないとわりにあいませんよ!」
その言葉が三年生の怒りのスイッチを一気にマックスまで押してしまったらしい。銀二は人気のつかない倉庫に連れていかれ、グラウンドに二年生を残し、三年生複数人から殴る蹴るの暴行を加えられたのだ。
「僕は間違っていない」
床に突っ伏し身体を丸めながら受ける打撃と威圧する声の応酬。一発蹴られるたびにそうつぶやいていた。
「お前ら! そこで何をしている!」
強引に倉庫のドアが開き、体つきのいい体育教師が血相をかえこちらを見ている。
そこからの記憶は曖昧で、気がつけば学年集会が行われ、事件に関わった三年生は野球部から消えていた。銀二の父は今回の事件について訴訟を起こすと学校側に圧力をかけ、公にしない代わりに今年の夏の大会不参加と当時の顧問を監督不十分で解雇することで騒ぎは収まったという。
「お前はもう二度と野球に関わるな」
騒ぎがひと段落して父に言われた言葉に衝撃を覚えた。
「どうして、僕は野球が好きで……」
「まだわからんか! 野球なんかにうつつを抜かしていたから、あんな連中に蔑まれこういうことになったんだ。あんなくずどもに」
父は激昂していた。「安定が一番だ」が口癖で、市役所務めの父からしたら勉学よりも野球に没頭する銀二のことをはがゆく思っていたのだろう。
「父さん、僕は野球が好きなんだよ。だから」
「黙れ、野球なんて二度と許さないぞ!」
「でも!」
「口答えするな! どうしてもやりたいなら俺は野球部に口を出すぞ! そして必ず野球部を潰す。もう二度と自分の息子にあんな思いをさせないためにな」
それからだ。銀二を教師や野球部員が腫れものに触るような態度を取り始めたのは。
杉戸高野台の駅を降りて国道4号線沿いの杉戸市内の幸手団地入口の交差点を100メートルほど南に進みラージAを目印に東に延びるわき道を200メートル歩いたところにそこそこ新しめのバッティングセンターがある。アパートに囲まれるようにできた施設は夜に打つとそれだけで近所迷惑になりそうなところにあった。
殺伐とした店内に利用者はまばらでみな、60キロと表示されたソフトボール用のゲージに入りきゃっきゃっしていた。
銀二は120キロと表示されたゲージの打席に立っている。アーム形式のマシンは手前の網と被ってタイミングが取りにくい。ただ三球くらいで目が慣れて四球目にはジャストミートさせた。思いっきり叩きつけた打球は試合なら三遊間を抜けていただろう。
「ナイスバッティングじゃないか」
聞こえてきた声に驚いて銀二は振り返る。
「菱田監督」
「よっ」
見送ったボールが後ろのクッションにあたる。バシーンという鈍い音がゲージに響き渡る。
「ほら、どんどん打てよお金もったいないぞ」
康太は銀二にバットを振るように促すと、何事もなかったかのように銀二は再び打席に入った。
「いつからつけてきたんですか」
ガツ。
マシンの球を打ち返しながら銀二は静かに問いただす。
「正門が分かんなくて、うろうろしてたら、倉庫の穴ぼこからお前が出てくるのを見てさ」
キン。
康太は窓の縁に手を支え前かがみになって打球の行方を追う。
「今日はアルバイトの方はいいんですか、けっこう時給がいいって聞きましたよ」
カキン。
「今日は休み。放課後等デイサービス監督だ」
ガツ。
「大学生も暇なんですね」
キン。
「まぁな、否定はしないけど」
キン。キン。キン。
バットの甲高い金属音がこだまする。康太は銀二のスイングをまじまじと眺めていた。
「なぁもっと思いっきり振って見ろよ」
ガツ。
「何言ってるんですか、全力ですよ」
キン。
「そうか、なんか二ノ宮のスイング見ててもさ、ワクワクしないんだよ」
バン。
その言葉に銀二は身体をびくつかせ、冷ややかな目で康太を見つめた。
「マシンの球を体裁よくあてるだけでなにが楽しいんだよ。バッティングの醍醐味はホームランだろ」
「バカなことを言いますね」
銀二はそう言って振り向きざまにバットをボールの軌道上にあわせた。止まったバットの上っ面にあたったボールは天井にあたり、銀二の目の前にポトリと落ちてきた。
「バカなことかな? むちゃくちゃだけど総司の大振りや雄大のフルスイングの方がなんか見てて楽しいけどな」
「それがバカだと言ってるんです、プロじゃあるまいし、ホームランでも打てるなら別ですけどね」
銀二はボールを叩きつけひたすらゴロを転がしていた。年季の入った軟式ボールはピッチャーの足下の網にぶつかる。
「お前だってホームランが打てるよ。その可能性は誰にだって秘めてある」
「てきとうなことを言わないで下さいよ!」
ゲージに響く銀二の声はその場にいる利用者を振り向かせるには十分すぎる声量だった。
「思いっきり振って見ろよ、空振りしたって俺は二ノ宮を笑わないよ」
「うるさい! あんたなんかに僕の何が分かるんだ! 野球が上手い人に僕の気持ちは分からない」
「分かるよ、俺はチーム一の下手くそだったから」
バットの先を地面にぐりぐりと押し付けていた銀二は腕の力を少しだけ緩めたのが分かった。
「高校でも大学でも先輩からさんざんいじめられたよ、下手くそってだけでひどい仕打ちだよな。だから悔しくてホームランが打てる選手になろうと思ってそのための練習をしたよ。バカにされたけど」
康太は自分を茶化すような言い草で苦笑する。銀二は次々に来るボールを見送り康太を凝視していた。そのうち18メートル先のランプが点滅を始めた。ラスト一球の合図だ。
「ラストだ、不格好でいいからフルスイングしろ。ホームランを狙え」
マシンのアームが振り下ろされ、ボールが迫ってくる。銀二はバットのグリップを握りしめ渾身の力を込めてバットを振った。ボールは打球音を残しバッティングマシンのはるか上を通り奥の外野ネットに突き刺さった。
「やりゃあできんじゃん」
バランスを崩した銀二は頭からすっぽ抜けたヘルメットを拾い上げ再び康太を見据える。
「からかわないでください! 試合に出たとしても僕は急造チームの九番打者ですよ。そんなホームランを打つような打ち方をしていいわけないじゃないですか」
「九番がホームランを打っちゃいけないルールなんてあるのか? 下手くそがホームランを打っちゃいけないなんてルールあんのかよ」
「それは……」
ばつが悪そうに眼を逸らす。康太はバッティングゲージからでてきた銀二の腕を掴み言った。
「俺からしたら、打順なんて早くホームランを打てるチャンスが回ってくるか来ないかの違いだけだって、そんなことより面白いものを見に行こう」
戸惑う銀二にお構いなく康太は無理やり腕を引っ張った。
またあの目だ。自分を蔑み、存在意義すら否定するまなざし。
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「どうした?」
「いえ別に」
わずかだが言い淀む。
銀二の目に飛び込んできた風景は、センターの定位置からライトの定位置を目指して全力で走り出していた雄大だった。ノッカーの上宮は間に合うか間に合わないかのところに打球を上げる。雄大は雄たけびを上げながら、グラブの先っぽでなんとかフライをキャッチする。
「ノッカーもう一本お願いします!」
休む間もなく次の打球を追う。先にノックを終えた選手たちからの叱咤激励が聞こえる。
「お前が来なくなってからあいつはずっとアメリカンノックを練習に組み入れているんだ」
銀二は食い入るように雄大の練習を見ていた。届きそうで届かない絶妙なところにフライが上がる。雄大が必死にグラブを伸ばす姿に心が揺れる。手の平には汗が滲み、身体が火照るほどの恥ずかしさを覚えた。
「雄大がなんでアメリカンノック始めたのか分かるか?」
「単純に球際の練習じゃないんですか?」
「それもあるけど、一番は二ノ宮の負担を軽くするためだってさ」
銀二はすぐに理解した。朔が言っていたことはこういうことだったのだ。
「今更チームに戻ったって僕の居場所はない」
「だったら居場所を作ればいい」
康太は仮にも監督という立場にそぐわない自傷気味の笑みを見せた。
「居場所なんて、他人が作ってくれるもんじゃない、自分で頑張って苦しい思いをしながら作ってくもんだ」
六時を知らせるチャイムがグラウンドに響く、まだ強い西日が照り付けていた。
「怖いんです」
零れた言葉に康太は頷いた。ホームベース付近でノックを打っている上宮は、途中で康太に気が付き軽い会釈をした。その動作に選手たちも二人に気が付いたようだ。ベンチの近くが少しざわついているのがうかがえる。
「銀二! 早くこいよ!」
センターの守備位置から雄大が大きくグラブを上げて銀二の名前を呼ぶ。
「僕が失敗するたびに向けられるあの冷ややかな視線が怖くて仕方ないんです」
雄大は微動だにしない銀二を心配そうに眺めていた。グラウンドから注がれる視線に銀二は思わず後ずさりこの場から逃げ出したい衝動にかられていた。康太は銀二の背中に右手を添えてこれ以上後には引かないように支える。
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