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目指すは甲子園
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翌日の放課後、雄大は何事もなかったかのようにチームに銀二を向かい入れていた。
銀二の心が変わるのを恐れてか、朔たちががっちりと四方を囲んでグラウンドまできたらしい。
雄大は相変わらずのハイテンションだった。アップ、キャッチボール、ノック、絶えず声を出しながらこなしていく。銀二はまだ遠慮がちで動きが固かったが、総司はなにも言わずに淡々としていた。
「頑張ってこう! 勝つぞ!」
腹の底から絞り出すようにして叫ぶ雄大を見ていると、無理をしているのではと疑ってしまう。自分がキャプテンと任命してからあからさまにチームを盛り上げようとする気持ちが見られる。特に守備練習には鬼気迫るものがあり、どんなボールにも喰らいつこうとする。全身から強引に絞り出したエネルギーを惜しみなく放出していた。
しかし雄大が努力している姿を見れば見るほど康太は疑問に感じてしまう。これほどまでに甲子園を意識しているならなんだって人数が少ない桜高校の野球部に入部したのだろうか。
ベンチの片隅でアンダーシャツを着替えている雄大は、スライディングキャッチをしてユニフォームを汚していた。康太はそっと近づいて雄大の隣に腰を下ろす。
「監督、銀二のことありがとうございました」
そう言って雄大が頭を下げた。びっしりと浮かんだ汗の雫が夕暮れの光に照り返している。
「別にいいって」
康太は不器用に返した。
そのあとはお互いに沈黙した。
ブルペンで投げ込みをする総司とそのボールを受ける太一の様子を眺めながら、試合の組立をなんとなく想像してみる。ピッチャー一人だけでなんとかなるようなものではないことは明白だ。康太は勝つための必勝法が思い浮かばなくていらいらしていた。しかし、気まずい沈黙を破るために何気なく口にした言葉は、思ってもみなかった切実な響きをもって、自分の胸に返ってきた。
「なんでそんなに頑張れる?」
『しまった』言ってから気が付いた。それは康太自身が他人から嫌気がするほど尋ねられた言わば愚問だった。それでも続けて聞かずにはいられない。
「こんなこと言うのは野暮だけど、二人しかいなかった野球部でなんで今まで続けられた? 甲子園に行きたいなら別の高校に編入すればよかったんじゃないのか」
少し苛立っている自分に驚いていた。
どんなに努力しようと甲子園はともかく試合にすら出れる保証はない。しかし、雄大はこの三年間練習を怠らなかった事実は一番最初にボールを受けた時に理解した。そしてその姿こそ過去の康太自身だった。プロになれるわけないと薄々勘づいていたはずなのに心のどこかでそれを認めたくなくて、がむしゃらに努力した日々。
頑張れば報われる。その確かな手ごたえをもしかしたら雄大が証明してくれる気がして、でもやっぱり現実は甘くないと自分に言い聞かせて、ますます分からなくなる康太は、過去の自分に問いかけるようにさらに言葉をぶつけた。
「教えて欲しいんだ、他人から見れば一見無駄にも思える努力だろう、なのにどうして頑張ってこれたんだ?」
突然こんなことを言ってしまったのだから、嫌悪感を抱かれることは覚悟していた。ところが、雄大は拍子抜けするほど柔軟に康太の質問を包み込んだ。
「俺ってそんなに努力してるんですかね?」
「えっ」
康太が困惑していると、雄大は困ったように苦笑いしながら首を傾げる。
「ただ楽しいから、勝ちたいからってだけでそんなに一生懸命に見えますか」
雄大は真面目な顔していった。
「でも、勉強は一生懸命にやってますよ。俺めちゃくちゃバカだし。油断するとすぐに赤点とっちゃうし」
康太は思わず笑ってしまった。
必要以上に深刻に考えることもないのかもしれない。野球が好きで、甲子園に行きたくて、ただそれだけで努力する理由は揃っている。人数不足とか実力不足とかそんなことは当事者にとってさほど問題じゃないのだ。笑いが収まると康太はほっと溜息をついた。不快なものではなく僅かだが心の中にあったもやもやがその息にまぎれて消えていくのを感じた。
「あと、これはかっこつけるわけではないっすけど、俺は自分がやってきたことの答えが知りたいって言うか、上手く言えないんすけど確かめたいなって思ってるんです」
雄大は意を決したように話し始めた。康太は黙って次の言葉を待つ。
「本当は何度も辞めようかとも思いました。でもそんな時思い出すのは俺が一年だった時に野球部に誘ってくれた先輩の言葉です。『信じて努力していれば必ずいいことがある』ってその先輩も一人しかいない野球部を必死に守って僕らに託してくれました」
雄大の頬がみるみる赤くなる。おそらく適当な言葉が見つからずに支離滅裂になっていく言葉にやきもきしているのだろう。
「辞めて違う部に入ることも可能でした。実際入部したけど試合ができないと知ったらすぐに辞める奴もいて……」
たどたどしく言葉を繋ぐ。
「だから俺はこの三年間を意味のある三年間といえるようにしたい。たとえ他の誰かに無駄な時間と言われても、夏の大会が終わって野球部が廃部になっても、この日々があったから成功したといえるような未来に繋がっていると信じたくて」
雄大は額に浮かんだ汗を手で拭きながら苦笑する。
「その気持ちは分かるよ、俺もすごく怖い」
ほんの少し震えていた。適当に話を合わせようなんて気は康太にはなく心の底からの言葉だった。
「えっ」
驚いた表情を康太に向ける。
「そんな顔すんなよ、雄大から見れば俺は大学野球を経験したすごい人に見えるかも知れないけどその実は万年補欠もいいとこで、最後に掴みかけたチャンスもケガで不意にしちまう体たらく、こんな結末を予想してたら違う選択肢があったのかなんてくだらないことを考えながら生きてんだぜ」
康太は思い出していた。雄大と初めて顔を合わせた時のことを。
雄大の底知れない明るさや前向きな性格は、野球が終わったその先に訪れる三年間の答えに対する恐怖を必死に隠そうとしていたのかもしれない。
「雄大お前はすごいよ。自分がやってきたことが間違ってなかったのか確かめようとしてる。誰にでもできることじゃない」
「そんなことないっすよ……」と、雄大は口ごもった。
「いいや立派なことだよ」
「……よっしゃ!」
雄大がいきなり叫んで立ち上がった。「なんだかやる気に満ち溢れてきましたよ!」
そう言って自分の太ももや胸、頬を両手でバシバシ叩く。
「監督甲子園行きましょうね、このチームで」
「あぁ行こう」
「ホントっすか!」
不思議な話だ。進学した高校によって甲子園を目指す、目指さないが決まるなんて。才能や体格、家柄やコネクション。なにもかもが不平等のこの世界で甲子園だけが誰のものでもなく高校球児に平等に与えられる唯一無二の舞台なのだ。
やめた、やめた。
康太は大きな欠伸をして背伸びした。
相手が誰だろうと一回戦を勝つためだけに作戦を考えて悩むなんてそんなバカらしいことはやめた。
「さて人数も揃ったことだしこれからは甲子園に行くための練習をしますか!」
誰になんて言われようと、俺はこのチームを甲子園に連れていく。そのための努力は惜しまない。その決意を胸に康太はベンチからグラウンドに足を踏み出した。
翌日の放課後、康太は一度ミーティングの機会を作り練習前に全員を学内にある視聴覚室に集めた。
「これから映画でも見るの?」
めんどくさそうに文句を言ったのは総司だ。いきなりの招集を事前に知らされていなかった上宮も首をかしげている。
「菱田さんいきなりどうしたんすか?」
不安そうな表情を浮かべていた上宮がこっそり耳打ちしてきた。康太は一度深呼吸をして言った。
「これから守備練習の割合を削ってその分打撃練習に力をいれる。バッティング練習中は内野ゴロ禁止。ゴロを打ったら腕立て十回!」
康太がそう言い終わると、みな訳がわからないといったように隣の選手と顔を合わせた。
「おいおい、どういう意味だそりゃ。監督もおかしくなったのかよ」
相変わらずの減らず口を叩くのは総司だ。まぁまぁ落ち着けって今から意図を説明するからと康太は両手を前に出してジェスチャーする。
「実はな、大学の偵察隊に頼んで谷村学院の練習を一週間調べてもらったんだ。運よく紅白戦をやってくれたから映像も残っている。そこで分かったことだけど奴らは練習の八割を守備に割いているんだよ」
だからなんだと言わんばかりの視線を感じる。お構いなしに人差し指を立てた。
「内野ゴロを転がしたって春から作り上げてきたチームの前じゃ万に一つも勝ち目はない。だったらホームランしかないだろ。早い話がフライボール革命だよ」
そう言ってから選手たちの顔を見回す。依然として困ったような表情を浮かべているのが大半だ。そんな中一人だけ目を輝かしているのは雄大。こいつはやっぱり面白い奴だ。よく言えば自分で自分を調子に乗せることができるタイプ。悪く言えば簡単に暗示にかかりやすいタイプ。
「ピンと来てないのも無理はないよ」一転して軽い調子に切り替えた。
「どうせ合同チームなんてなめられてるんだ。でも間宮それって腹立つだろ」
「すげぇムカつく」と前のめりになって総司が答えた。
「だよな勝ちたいよな」と康太は満面の笑みで頷いた。
「そのためのフライボール革命なんだ。それに甲子園を目指すならそれなりの練習をやらないと」
「具体的にどんな練習をするのでしょうか?」
太一が大きい体を縮ませながら、おそるおそる手をあげる。
「じゃあ点をとるにはどうするよ?」
「打ちまくるです!」と雄大が答えた。
「大正解。くどいようだが相手は守備を強化してきた。どんなにいいあたりを打ったってゴロなら簡単にさばかれて終わりだ。でも相手がどんなに守備を強化してもどうしようもないあたりがあるそれはホームランだ。フェンスの向こうの打球はイチローだって捕球できない」
言っている意味は分かるが、理解はできないといった顔をしている。
「菱田さんが言っていることは分かりますが、あまり現実的じゃないっすよ。第一ホームランなんてそう簡単に打てるものじゃない」
上宮が選手を代表して意見する。康太は自分の伝えたいことがいまいち伝わっていないので若干の焦りが出てきた。
「だから、俺が言いたいのは……」
「最低でも内野の頭をボールがこえさえすればいいということですよね」
みんなが一斉に振り返る。銀二は視線を気にしながら続ける。
「ホームランが打てなくとも、例えばどんなに弱い当たりでも内野の頭を越えて外野に落ちる打球ならヒットできる可能性が高まる。なおかつこの短期間でしっかり鍛えられる」
康太はそこで空気が変わるのを感じた。
「そうそう。俺が言いたかったことはそれ、だって打ち取ったあたりがヒットになったら相手だってショックは大きいだろ、そんでもってもし芯にあたった時、運が良ければ外野オーバーにもなる可能性がある」
「理屈はいいけど、そう簡単にできんのかよ」
総司が苛立ちを隠せずに足踏みしながら答えた。
「簡単じゃない」
全員の視線が康太に集まる。
「でも勝算はある。相手は仮にも強豪校、普段の練習でも隙をつかれないためにあらゆる場面を想定し血のにじむような練習をしている。だからこそ自分たちが予想していなことが起こると必ず綻びが生まれる。そこにつけ込めば必ずミスはする、相手だって同じ高校生だからな」
沈黙。この重苦しさは康太の想像を少しだけ超えていた。
「この作戦が上手くハマるかなんて分からない、でも残りの時間で他の高校と同じ練習をしたって絶対に勝てない。これは断言できる。ただでさえ寄せ集めたチームで三年間を共に過ごし作り上げられたチームにはかなわない。でもその差を埋められるとしたらセオリーを破るしかないよ。どんなに非常識と言われようが勝てば昨日の非常識が常識に変わるんだ」
全員が黙り込んだ。その通りだと認めざるを得ない反面そんなことが可能なのかという疑念は消えない。
「必ず勝つなんて言えない、これは大きな賭けでもある」
雄大たち、選手たちは互いに目を合わせた。
「要するに俺が打たれなきゃいいんだろ簡単なことじゃん。その賭けのった」
賭けと言われて一気にやる気を見せた総司はにやにや笑いながら言った。ただでさえ自分たちより強い相手と戦うんだ。総司のいまの発言で他の選手も少なからずやってやろうという気持ちになったようだ。
「じゃあさっそく俺が昨日YouTubeから編集した動画を見てくれ!」
康太はパソコンを起動させてUSBを差し込んだ。
フライボール革命。ゴロ打ちを避け、打球に角度をつけて打ち上げることを推奨する打撃理論は、本塁打数の増加や長打率の上昇を生み、メジャーリーグではこの理論を駆使しホームランを量産する選手が急増した。近年では日本プロ野球でも浸透している。
「まずはこの動画を見てくれ」と、康太が映像をスタートさせた。
スクリーンにメジャーリーグの試合の動画が流れ始める。パソコンのスピーカから観客の拍手や声援が聞こえてきた。
画面に映ったピッチャーはダイナミックなフォームから威力があるストレートを投げ込んだ。バッターは独特のタイミングの取り方でボールを見極めると、地面に足が着地した後一拍置いてバットを始動させ、快音を残しながらボールをはるか彼方に打ち返した。
大げさに盛り上がる実況と打ちあがる花火。塁上を悠々と回るバッターはホームベースで待っていたチームメイトから手痛い祝福を受けていた。康太が一度映像を停止した。
「ここで注目してもらいたいのはボールが飛んで行った時の角度だ」
「角度?」一番前に腰を下ろしている太一がつぶやいた。
「そう、今の打席を横から映した映像がある」
カーソルを再び動かして動画をスタートさせる。横からのアングルでインパクトの瞬間をスーパースローでとらえた映像が流れ始めた。康太は途中で映像を止める。
「バットからボールが離れて飛んでいくときの打球確度だ。だいたい二十五度から四十度の間ってとこだろう」
「つまり監督は何を言いたいんだ? まさかメジャーリーガーと俺らを一緒にしてもらっちゃこまるぜ」総司が茶化して周囲の笑いを誘う。
「そのまさかだ」
康太は画面を切り替えて話を続けた。フライの有効性と書かれた表にはメジャーリーグ一年間の打球の種類別に発生割合、安打割合、長打割合、本塁打割合のパーセンテージがそれぞれ記されていた。
「この表を見て分かる通りゴロが試合で最も起こりやすいイベントだ。だから守備練習の場合はどこのチームもシートノックに時間を割く。そうなると安打割合が必然的に下がるのは分かるよな」
「そんなのあたりまえだろ」と総司が口を挟んできた。
「そうこれは当たり前のことだ。でも注目したいことはそれだけじゃない、どこのチームもゴロをさばく練習をしているからバッテリーは必然的にゴロを打たせる配球をしてくるな、ゆえに安打割合が低いという事実だ」
「ちょっと待ってください、僕たちはこれまで強いゴロを打てるように指導されてきましたよ」
「たしかに野々村の言う通り俺もそうやって高校まで指導者に教わってきたがそれは大きな勘違いだ。現に長打割合や本塁打割合は外野へ飛んだフライが圧倒的に高い。ひとえに外野フライと言うと大雑把なイメージを持ち、大振りをしないといけないと思うかも知れないがコンパクトに単打狙いでゴロを打つよりシングルヒットの割合も高いんだ」
康太は選手たちの間で確かに動揺している様子が見て取れていた。少年野球から大人たちに言われてきた理屈が覆されようとしているからだ。
「でもそれをいうならライナーが一番安打率が高いのでは?」
銀二の問いかけに全員が頷いた。康太はスクリーンを振り向き言った。
「確かに銀二の言う通りだ。ただ考えてもらいたい強いゴロを打とうと今まで練習してきた選手が意識的に打球確度をあげることが簡単にできると思うか? ゴロを転がすということはバットとボールの理論上ボールの上っ面を叩く必要がある。そうするとボールを叩く時の視線はボールの軌道に対して上からになり、インパクトポイントは一点になってしまうよな」
選手たちのざわめきが一層大きくなる。後方に座る上宮は何かを理解したように頷いていた。
「でもそれじゃあ、俺たちには無理なんじゃないか」
「そうだよこの前の試合だってゴロばっかだったぞ」
「みんなそんなに難しく考えることはないよ。要するに角度をつけるにはボールの中心から下を叩けばいいってこと、それができればダウンスイングだろうが何だろうが打球はあがる」
「なるほど!」今まで沈黙をしてきた雄大が閃いたようだ。
「みんな簡単だよ! さぁ今からグラウンドに行こう!」
「はぁバカかてめぇは、その方法がわかんねーからみんな不安なんだろうが」
「間宮の言う通り、じゃあボールに角度をつけるにはどうすればいいか、これは俺が現役時代に意識していたことなんだけど。右バッターはボールを右目で見る、左バッターはボールを左目で見ることを意識する。厳密言えボールの軌道上に目線を合わせるんだ。そうすればボールの中心より下にバットを滑り込ませることができる」
プロジェクターの光に照らし出された康太の瞳は煌々と輝いた。
練習を終えてへとへとになった選手たちを見送ると康太はスマホの灯りを頼りに外野に転がっているボールを探す。サッカー部と共同で使っている照明が落ちてから体育倉庫から引っ張り出してきたコンパクト型の照明器具を三台用いて、選手全員にロングティーを行った。
ロングティーとは、ティーバッティングと名称は似ているが最大の違いはは目の前にネットがあるかないかだ。そもそも通常のティーバッティングというのはボールを芯にあてる目的の練習で用いられることが多いため自分の打球の性質が分かりにくい。しかしネットを取っ払ったロングティーなら実際にグラウンドに向かってフルスイングするため飛距離を確認しながらフォームの試行錯誤に臨める。
「菱田さん、センターにはボールなかったっす」
「サンキュー、じゃあ俺たちも帰るか」
空かごに入ったボールは二人合わせて十球ほどだ。明日の練習前にはもう少し落ちてるかもしれないが、今日はこれくらいでいいだろう。ロングティーをやると片付けに時間がかかるのだ。
「なかなか、上手いようにいきませんね」
「まぁ理屈と実際は違うからな」
「でも、今から打撃だけに特化するなんて博打ですね。これで打てなかったらどうするんです?」
「その時はその時さ、野球は点取り合戦なんだから守ってばっかじゃ奇跡なんて起きないよ」
上宮は一言言おうとしてその代わりため息を吐いた。この人にバッティングのことで何を言っても無駄だと思ったのだろうが康太にとっては好都合だった。
ついに運命の日がやってくる。七月十二日に県営大宮球場で開会式が行われ、百六十校がしのぎを削る甲子園をかけた県予選大会が県内の六か所の球場を利用して、二週間足らずの日程で熱き戦いを繰り広げる。
四つの山に別れたトーナメント表を確認すると、康太率いる幸手連合の初戦は谷村学院で、試合開始は七月十四日午前十一時だ。甲子園が射程圏内のチームならば、順当に勝ち進んだ場合一番の山は順々決勝で対戦する第一シード花咲徳栄高校だろう。今年も優勝候補の筆頭で仮に勝利したとしても準決勝で第三シードの聖望学園とぶつかることになる。
「甲子園までの道のりは見えた!」
新聞に掲載されたトーナメント表を手にとり、雄大はやる気満々に言った。
「お前何言ってんだ?」呆れた声で総司がため息をつく。
「ところで監督合同チームが甲子園にでた記録あるの?」
「えっと、どうだろう考えたこともなかった」
「実例はないですが決勝までならあるみたいですよ」
康太を見兼ねた銀二が口を挟んだ。
銀二いわく、実際に二〇〇六年の奈良県大会で合同チームが決勝まで勝ち上がった例があるらしい。
「気になってたんだけど初戦の谷村学院に勝った時、校歌ってどうするの?」
「あ、そう言えばどうするの?」
仲良し二遊間の翔と朔は思い出したように疑問を投げかけてきた。
「幸手連合で一番人数が多い俺たち幸手工業の校歌だろ当然」
「いやいや、翔それはないよここは一番学力が高い幸手一校でしょ」
はじめのうちはお互いに茶化し合っていた二人だが、次第に口論に発展した。康太は雄大に一言言ってやってくれないかと視線で促す。
「二人ともやめろよ! 試合前にみっともないぞ」
チームのキャプテンである雄大の言葉に二人は口論をやめた。
「そうだぞ、雄大の言う通りだ」
康太は雄大のキャプテンシーに感心した。
「だいたい俺がキャプテンなんだから桜高校の校歌に決まってんだろ!」
前言撤回、ずっこける。
「それが一番納得できない!」
「右に同じく!」
「なんだよ! 俺がキャプテンだぞ!」
まるで小学生の口喧嘩だ。そうこうしているうちにいつの間にか三つ巴の縮図が出来上がってしまった。困ったなぁとつぶやいた康太が行動に移す前に、
「どーでもいいよ、めんどくせぇ」
総司の心無い一言でこの争いは一応終わりを迎えたが、三人の背中が小さく見えるのは康太だけではないだろう。
銀二の心が変わるのを恐れてか、朔たちががっちりと四方を囲んでグラウンドまできたらしい。
雄大は相変わらずのハイテンションだった。アップ、キャッチボール、ノック、絶えず声を出しながらこなしていく。銀二はまだ遠慮がちで動きが固かったが、総司はなにも言わずに淡々としていた。
「頑張ってこう! 勝つぞ!」
腹の底から絞り出すようにして叫ぶ雄大を見ていると、無理をしているのではと疑ってしまう。自分がキャプテンと任命してからあからさまにチームを盛り上げようとする気持ちが見られる。特に守備練習には鬼気迫るものがあり、どんなボールにも喰らいつこうとする。全身から強引に絞り出したエネルギーを惜しみなく放出していた。
しかし雄大が努力している姿を見れば見るほど康太は疑問に感じてしまう。これほどまでに甲子園を意識しているならなんだって人数が少ない桜高校の野球部に入部したのだろうか。
ベンチの片隅でアンダーシャツを着替えている雄大は、スライディングキャッチをしてユニフォームを汚していた。康太はそっと近づいて雄大の隣に腰を下ろす。
「監督、銀二のことありがとうございました」
そう言って雄大が頭を下げた。びっしりと浮かんだ汗の雫が夕暮れの光に照り返している。
「別にいいって」
康太は不器用に返した。
そのあとはお互いに沈黙した。
ブルペンで投げ込みをする総司とそのボールを受ける太一の様子を眺めながら、試合の組立をなんとなく想像してみる。ピッチャー一人だけでなんとかなるようなものではないことは明白だ。康太は勝つための必勝法が思い浮かばなくていらいらしていた。しかし、気まずい沈黙を破るために何気なく口にした言葉は、思ってもみなかった切実な響きをもって、自分の胸に返ってきた。
「なんでそんなに頑張れる?」
『しまった』言ってから気が付いた。それは康太自身が他人から嫌気がするほど尋ねられた言わば愚問だった。それでも続けて聞かずにはいられない。
「こんなこと言うのは野暮だけど、二人しかいなかった野球部でなんで今まで続けられた? 甲子園に行きたいなら別の高校に編入すればよかったんじゃないのか」
少し苛立っている自分に驚いていた。
どんなに努力しようと甲子園はともかく試合にすら出れる保証はない。しかし、雄大はこの三年間練習を怠らなかった事実は一番最初にボールを受けた時に理解した。そしてその姿こそ過去の康太自身だった。プロになれるわけないと薄々勘づいていたはずなのに心のどこかでそれを認めたくなくて、がむしゃらに努力した日々。
頑張れば報われる。その確かな手ごたえをもしかしたら雄大が証明してくれる気がして、でもやっぱり現実は甘くないと自分に言い聞かせて、ますます分からなくなる康太は、過去の自分に問いかけるようにさらに言葉をぶつけた。
「教えて欲しいんだ、他人から見れば一見無駄にも思える努力だろう、なのにどうして頑張ってこれたんだ?」
突然こんなことを言ってしまったのだから、嫌悪感を抱かれることは覚悟していた。ところが、雄大は拍子抜けするほど柔軟に康太の質問を包み込んだ。
「俺ってそんなに努力してるんですかね?」
「えっ」
康太が困惑していると、雄大は困ったように苦笑いしながら首を傾げる。
「ただ楽しいから、勝ちたいからってだけでそんなに一生懸命に見えますか」
雄大は真面目な顔していった。
「でも、勉強は一生懸命にやってますよ。俺めちゃくちゃバカだし。油断するとすぐに赤点とっちゃうし」
康太は思わず笑ってしまった。
必要以上に深刻に考えることもないのかもしれない。野球が好きで、甲子園に行きたくて、ただそれだけで努力する理由は揃っている。人数不足とか実力不足とかそんなことは当事者にとってさほど問題じゃないのだ。笑いが収まると康太はほっと溜息をついた。不快なものではなく僅かだが心の中にあったもやもやがその息にまぎれて消えていくのを感じた。
「あと、これはかっこつけるわけではないっすけど、俺は自分がやってきたことの答えが知りたいって言うか、上手く言えないんすけど確かめたいなって思ってるんです」
雄大は意を決したように話し始めた。康太は黙って次の言葉を待つ。
「本当は何度も辞めようかとも思いました。でもそんな時思い出すのは俺が一年だった時に野球部に誘ってくれた先輩の言葉です。『信じて努力していれば必ずいいことがある』ってその先輩も一人しかいない野球部を必死に守って僕らに託してくれました」
雄大の頬がみるみる赤くなる。おそらく適当な言葉が見つからずに支離滅裂になっていく言葉にやきもきしているのだろう。
「辞めて違う部に入ることも可能でした。実際入部したけど試合ができないと知ったらすぐに辞める奴もいて……」
たどたどしく言葉を繋ぐ。
「だから俺はこの三年間を意味のある三年間といえるようにしたい。たとえ他の誰かに無駄な時間と言われても、夏の大会が終わって野球部が廃部になっても、この日々があったから成功したといえるような未来に繋がっていると信じたくて」
雄大は額に浮かんだ汗を手で拭きながら苦笑する。
「その気持ちは分かるよ、俺もすごく怖い」
ほんの少し震えていた。適当に話を合わせようなんて気は康太にはなく心の底からの言葉だった。
「えっ」
驚いた表情を康太に向ける。
「そんな顔すんなよ、雄大から見れば俺は大学野球を経験したすごい人に見えるかも知れないけどその実は万年補欠もいいとこで、最後に掴みかけたチャンスもケガで不意にしちまう体たらく、こんな結末を予想してたら違う選択肢があったのかなんてくだらないことを考えながら生きてんだぜ」
康太は思い出していた。雄大と初めて顔を合わせた時のことを。
雄大の底知れない明るさや前向きな性格は、野球が終わったその先に訪れる三年間の答えに対する恐怖を必死に隠そうとしていたのかもしれない。
「雄大お前はすごいよ。自分がやってきたことが間違ってなかったのか確かめようとしてる。誰にでもできることじゃない」
「そんなことないっすよ……」と、雄大は口ごもった。
「いいや立派なことだよ」
「……よっしゃ!」
雄大がいきなり叫んで立ち上がった。「なんだかやる気に満ち溢れてきましたよ!」
そう言って自分の太ももや胸、頬を両手でバシバシ叩く。
「監督甲子園行きましょうね、このチームで」
「あぁ行こう」
「ホントっすか!」
不思議な話だ。進学した高校によって甲子園を目指す、目指さないが決まるなんて。才能や体格、家柄やコネクション。なにもかもが不平等のこの世界で甲子園だけが誰のものでもなく高校球児に平等に与えられる唯一無二の舞台なのだ。
やめた、やめた。
康太は大きな欠伸をして背伸びした。
相手が誰だろうと一回戦を勝つためだけに作戦を考えて悩むなんてそんなバカらしいことはやめた。
「さて人数も揃ったことだしこれからは甲子園に行くための練習をしますか!」
誰になんて言われようと、俺はこのチームを甲子園に連れていく。そのための努力は惜しまない。その決意を胸に康太はベンチからグラウンドに足を踏み出した。
翌日の放課後、康太は一度ミーティングの機会を作り練習前に全員を学内にある視聴覚室に集めた。
「これから映画でも見るの?」
めんどくさそうに文句を言ったのは総司だ。いきなりの招集を事前に知らされていなかった上宮も首をかしげている。
「菱田さんいきなりどうしたんすか?」
不安そうな表情を浮かべていた上宮がこっそり耳打ちしてきた。康太は一度深呼吸をして言った。
「これから守備練習の割合を削ってその分打撃練習に力をいれる。バッティング練習中は内野ゴロ禁止。ゴロを打ったら腕立て十回!」
康太がそう言い終わると、みな訳がわからないといったように隣の選手と顔を合わせた。
「おいおい、どういう意味だそりゃ。監督もおかしくなったのかよ」
相変わらずの減らず口を叩くのは総司だ。まぁまぁ落ち着けって今から意図を説明するからと康太は両手を前に出してジェスチャーする。
「実はな、大学の偵察隊に頼んで谷村学院の練習を一週間調べてもらったんだ。運よく紅白戦をやってくれたから映像も残っている。そこで分かったことだけど奴らは練習の八割を守備に割いているんだよ」
だからなんだと言わんばかりの視線を感じる。お構いなしに人差し指を立てた。
「内野ゴロを転がしたって春から作り上げてきたチームの前じゃ万に一つも勝ち目はない。だったらホームランしかないだろ。早い話がフライボール革命だよ」
そう言ってから選手たちの顔を見回す。依然として困ったような表情を浮かべているのが大半だ。そんな中一人だけ目を輝かしているのは雄大。こいつはやっぱり面白い奴だ。よく言えば自分で自分を調子に乗せることができるタイプ。悪く言えば簡単に暗示にかかりやすいタイプ。
「ピンと来てないのも無理はないよ」一転して軽い調子に切り替えた。
「どうせ合同チームなんてなめられてるんだ。でも間宮それって腹立つだろ」
「すげぇムカつく」と前のめりになって総司が答えた。
「だよな勝ちたいよな」と康太は満面の笑みで頷いた。
「そのためのフライボール革命なんだ。それに甲子園を目指すならそれなりの練習をやらないと」
「具体的にどんな練習をするのでしょうか?」
太一が大きい体を縮ませながら、おそるおそる手をあげる。
「じゃあ点をとるにはどうするよ?」
「打ちまくるです!」と雄大が答えた。
「大正解。くどいようだが相手は守備を強化してきた。どんなにいいあたりを打ったってゴロなら簡単にさばかれて終わりだ。でも相手がどんなに守備を強化してもどうしようもないあたりがあるそれはホームランだ。フェンスの向こうの打球はイチローだって捕球できない」
言っている意味は分かるが、理解はできないといった顔をしている。
「菱田さんが言っていることは分かりますが、あまり現実的じゃないっすよ。第一ホームランなんてそう簡単に打てるものじゃない」
上宮が選手を代表して意見する。康太は自分の伝えたいことがいまいち伝わっていないので若干の焦りが出てきた。
「だから、俺が言いたいのは……」
「最低でも内野の頭をボールがこえさえすればいいということですよね」
みんなが一斉に振り返る。銀二は視線を気にしながら続ける。
「ホームランが打てなくとも、例えばどんなに弱い当たりでも内野の頭を越えて外野に落ちる打球ならヒットできる可能性が高まる。なおかつこの短期間でしっかり鍛えられる」
康太はそこで空気が変わるのを感じた。
「そうそう。俺が言いたかったことはそれ、だって打ち取ったあたりがヒットになったら相手だってショックは大きいだろ、そんでもってもし芯にあたった時、運が良ければ外野オーバーにもなる可能性がある」
「理屈はいいけど、そう簡単にできんのかよ」
総司が苛立ちを隠せずに足踏みしながら答えた。
「簡単じゃない」
全員の視線が康太に集まる。
「でも勝算はある。相手は仮にも強豪校、普段の練習でも隙をつかれないためにあらゆる場面を想定し血のにじむような練習をしている。だからこそ自分たちが予想していなことが起こると必ず綻びが生まれる。そこにつけ込めば必ずミスはする、相手だって同じ高校生だからな」
沈黙。この重苦しさは康太の想像を少しだけ超えていた。
「この作戦が上手くハマるかなんて分からない、でも残りの時間で他の高校と同じ練習をしたって絶対に勝てない。これは断言できる。ただでさえ寄せ集めたチームで三年間を共に過ごし作り上げられたチームにはかなわない。でもその差を埋められるとしたらセオリーを破るしかないよ。どんなに非常識と言われようが勝てば昨日の非常識が常識に変わるんだ」
全員が黙り込んだ。その通りだと認めざるを得ない反面そんなことが可能なのかという疑念は消えない。
「必ず勝つなんて言えない、これは大きな賭けでもある」
雄大たち、選手たちは互いに目を合わせた。
「要するに俺が打たれなきゃいいんだろ簡単なことじゃん。その賭けのった」
賭けと言われて一気にやる気を見せた総司はにやにや笑いながら言った。ただでさえ自分たちより強い相手と戦うんだ。総司のいまの発言で他の選手も少なからずやってやろうという気持ちになったようだ。
「じゃあさっそく俺が昨日YouTubeから編集した動画を見てくれ!」
康太はパソコンを起動させてUSBを差し込んだ。
フライボール革命。ゴロ打ちを避け、打球に角度をつけて打ち上げることを推奨する打撃理論は、本塁打数の増加や長打率の上昇を生み、メジャーリーグではこの理論を駆使しホームランを量産する選手が急増した。近年では日本プロ野球でも浸透している。
「まずはこの動画を見てくれ」と、康太が映像をスタートさせた。
スクリーンにメジャーリーグの試合の動画が流れ始める。パソコンのスピーカから観客の拍手や声援が聞こえてきた。
画面に映ったピッチャーはダイナミックなフォームから威力があるストレートを投げ込んだ。バッターは独特のタイミングの取り方でボールを見極めると、地面に足が着地した後一拍置いてバットを始動させ、快音を残しながらボールをはるか彼方に打ち返した。
大げさに盛り上がる実況と打ちあがる花火。塁上を悠々と回るバッターはホームベースで待っていたチームメイトから手痛い祝福を受けていた。康太が一度映像を停止した。
「ここで注目してもらいたいのはボールが飛んで行った時の角度だ」
「角度?」一番前に腰を下ろしている太一がつぶやいた。
「そう、今の打席を横から映した映像がある」
カーソルを再び動かして動画をスタートさせる。横からのアングルでインパクトの瞬間をスーパースローでとらえた映像が流れ始めた。康太は途中で映像を止める。
「バットからボールが離れて飛んでいくときの打球確度だ。だいたい二十五度から四十度の間ってとこだろう」
「つまり監督は何を言いたいんだ? まさかメジャーリーガーと俺らを一緒にしてもらっちゃこまるぜ」総司が茶化して周囲の笑いを誘う。
「そのまさかだ」
康太は画面を切り替えて話を続けた。フライの有効性と書かれた表にはメジャーリーグ一年間の打球の種類別に発生割合、安打割合、長打割合、本塁打割合のパーセンテージがそれぞれ記されていた。
「この表を見て分かる通りゴロが試合で最も起こりやすいイベントだ。だから守備練習の場合はどこのチームもシートノックに時間を割く。そうなると安打割合が必然的に下がるのは分かるよな」
「そんなのあたりまえだろ」と総司が口を挟んできた。
「そうこれは当たり前のことだ。でも注目したいことはそれだけじゃない、どこのチームもゴロをさばく練習をしているからバッテリーは必然的にゴロを打たせる配球をしてくるな、ゆえに安打割合が低いという事実だ」
「ちょっと待ってください、僕たちはこれまで強いゴロを打てるように指導されてきましたよ」
「たしかに野々村の言う通り俺もそうやって高校まで指導者に教わってきたがそれは大きな勘違いだ。現に長打割合や本塁打割合は外野へ飛んだフライが圧倒的に高い。ひとえに外野フライと言うと大雑把なイメージを持ち、大振りをしないといけないと思うかも知れないがコンパクトに単打狙いでゴロを打つよりシングルヒットの割合も高いんだ」
康太は選手たちの間で確かに動揺している様子が見て取れていた。少年野球から大人たちに言われてきた理屈が覆されようとしているからだ。
「でもそれをいうならライナーが一番安打率が高いのでは?」
銀二の問いかけに全員が頷いた。康太はスクリーンを振り向き言った。
「確かに銀二の言う通りだ。ただ考えてもらいたい強いゴロを打とうと今まで練習してきた選手が意識的に打球確度をあげることが簡単にできると思うか? ゴロを転がすということはバットとボールの理論上ボールの上っ面を叩く必要がある。そうするとボールを叩く時の視線はボールの軌道に対して上からになり、インパクトポイントは一点になってしまうよな」
選手たちのざわめきが一層大きくなる。後方に座る上宮は何かを理解したように頷いていた。
「でもそれじゃあ、俺たちには無理なんじゃないか」
「そうだよこの前の試合だってゴロばっかだったぞ」
「みんなそんなに難しく考えることはないよ。要するに角度をつけるにはボールの中心から下を叩けばいいってこと、それができればダウンスイングだろうが何だろうが打球はあがる」
「なるほど!」今まで沈黙をしてきた雄大が閃いたようだ。
「みんな簡単だよ! さぁ今からグラウンドに行こう!」
「はぁバカかてめぇは、その方法がわかんねーからみんな不安なんだろうが」
「間宮の言う通り、じゃあボールに角度をつけるにはどうすればいいか、これは俺が現役時代に意識していたことなんだけど。右バッターはボールを右目で見る、左バッターはボールを左目で見ることを意識する。厳密言えボールの軌道上に目線を合わせるんだ。そうすればボールの中心より下にバットを滑り込ませることができる」
プロジェクターの光に照らし出された康太の瞳は煌々と輝いた。
練習を終えてへとへとになった選手たちを見送ると康太はスマホの灯りを頼りに外野に転がっているボールを探す。サッカー部と共同で使っている照明が落ちてから体育倉庫から引っ張り出してきたコンパクト型の照明器具を三台用いて、選手全員にロングティーを行った。
ロングティーとは、ティーバッティングと名称は似ているが最大の違いはは目の前にネットがあるかないかだ。そもそも通常のティーバッティングというのはボールを芯にあてる目的の練習で用いられることが多いため自分の打球の性質が分かりにくい。しかしネットを取っ払ったロングティーなら実際にグラウンドに向かってフルスイングするため飛距離を確認しながらフォームの試行錯誤に臨める。
「菱田さん、センターにはボールなかったっす」
「サンキュー、じゃあ俺たちも帰るか」
空かごに入ったボールは二人合わせて十球ほどだ。明日の練習前にはもう少し落ちてるかもしれないが、今日はこれくらいでいいだろう。ロングティーをやると片付けに時間がかかるのだ。
「なかなか、上手いようにいきませんね」
「まぁ理屈と実際は違うからな」
「でも、今から打撃だけに特化するなんて博打ですね。これで打てなかったらどうするんです?」
「その時はその時さ、野球は点取り合戦なんだから守ってばっかじゃ奇跡なんて起きないよ」
上宮は一言言おうとしてその代わりため息を吐いた。この人にバッティングのことで何を言っても無駄だと思ったのだろうが康太にとっては好都合だった。
ついに運命の日がやってくる。七月十二日に県営大宮球場で開会式が行われ、百六十校がしのぎを削る甲子園をかけた県予選大会が県内の六か所の球場を利用して、二週間足らずの日程で熱き戦いを繰り広げる。
四つの山に別れたトーナメント表を確認すると、康太率いる幸手連合の初戦は谷村学院で、試合開始は七月十四日午前十一時だ。甲子園が射程圏内のチームならば、順当に勝ち進んだ場合一番の山は順々決勝で対戦する第一シード花咲徳栄高校だろう。今年も優勝候補の筆頭で仮に勝利したとしても準決勝で第三シードの聖望学園とぶつかることになる。
「甲子園までの道のりは見えた!」
新聞に掲載されたトーナメント表を手にとり、雄大はやる気満々に言った。
「お前何言ってんだ?」呆れた声で総司がため息をつく。
「ところで監督合同チームが甲子園にでた記録あるの?」
「えっと、どうだろう考えたこともなかった」
「実例はないですが決勝までならあるみたいですよ」
康太を見兼ねた銀二が口を挟んだ。
銀二いわく、実際に二〇〇六年の奈良県大会で合同チームが決勝まで勝ち上がった例があるらしい。
「気になってたんだけど初戦の谷村学院に勝った時、校歌ってどうするの?」
「あ、そう言えばどうするの?」
仲良し二遊間の翔と朔は思い出したように疑問を投げかけてきた。
「幸手連合で一番人数が多い俺たち幸手工業の校歌だろ当然」
「いやいや、翔それはないよここは一番学力が高い幸手一校でしょ」
はじめのうちはお互いに茶化し合っていた二人だが、次第に口論に発展した。康太は雄大に一言言ってやってくれないかと視線で促す。
「二人ともやめろよ! 試合前にみっともないぞ」
チームのキャプテンである雄大の言葉に二人は口論をやめた。
「そうだぞ、雄大の言う通りだ」
康太は雄大のキャプテンシーに感心した。
「だいたい俺がキャプテンなんだから桜高校の校歌に決まってんだろ!」
前言撤回、ずっこける。
「それが一番納得できない!」
「右に同じく!」
「なんだよ! 俺がキャプテンだぞ!」
まるで小学生の口喧嘩だ。そうこうしているうちにいつの間にか三つ巴の縮図が出来上がってしまった。困ったなぁとつぶやいた康太が行動に移す前に、
「どーでもいいよ、めんどくせぇ」
総司の心無い一言でこの争いは一応終わりを迎えたが、三人の背中が小さく見えるのは康太だけではないだろう。
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