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第三話 企みと罠
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「いらっしゃいませー。店内でお召し上がりですか?」
日曜日の今日も、カフェレイニーは賑わっている。店長の悠希と、バイトの男子と女子、合わせて三人で、次々とやってくる客をさばいて行く。
「店長、アイスモカ、テイクアウトです」
「了解」
この日、ドリンクをつくるのは店長の悠希。バイトの女子はレジ担当で、男子はレジとフード担当。バイトの二人は大学生で、テキパキとオーダーをこなし、笑顔を欠かさず接客している。
「アイスモカ、お待たせしましたー」
客にドリンクやフードを渡すのは悠希の役目。日によって担当は入れ替わるが、それぞれがお互いの役割をよく理解しているし、効率よく作業するため、流れが早い。
「やっと少し落ち着きましたね」
「おつかれさま、休憩入っていいよ」
「あっ、はい。ありがとうございます!」
一旦波が引いたところで、悠希は男子を休憩に入らせ、スタッフは悠希と女子の二人になった。客の行列はなく、店内では数人の客がくつろいでいる。
「今日はすごい人でしたね、店長」
「そうだね、いつもよりすごかったね」
「やっぱり、店長目当ての女の子ばっかりでしたよね~?」
「えぇ?何それ」
「またまたぁ。店長にドリンクを渡された女の子たち、目がハートでしたよ~」
「ははっ、そうだったんだ?」
他愛もない会話をして笑い合っていた時、見覚えのあるロングヘアの女性がカフェに入ってきた。
「いらっしゃいませー」
女子がいつも通り声をかけると、女性はゆっくりとレジに進み、ぺこりとお辞儀をする。
「あ、小夜子さん」
「こんにちは、先日ぶりね」
「そうですね。今日はどうしたんですか?」
女性は、悠希が好きな士郎の妻、小夜子だった。隙のない、はんなり美人が悠希と話し始めると、バイトの女子が悠希に小声で話しかけてくる。
「店長、お知合いですか?もしかして彼女だったり…」
「いやいや、君は知らなかったよね。こちらは小夜子さん、オーナーの奥さんだよ」
「えっ、あのいかついオーナーの奥さんですかっ?」
「ふふっ」
「こら、いかついだなんて…」
「す、すみません!つい…」
「いいのよ、本当のことだから」
女子は目を丸くしてつい本音を言ってしまうが、小夜子は気にも留めず、笑みを浮かべる。
「すみません、小夜子さん」
「大丈夫よ、気にしないでね」
「ありがとうございます。それで、何か御用ですか?」
「ちょっとあなたと話したくて…お時間ある?」
「あ、はい。もう少ししたらバイトの子が休憩から戻ってくるので、その時だったら」
「じゃあ、待たせてもらっていい?」
「どうぞ。ドリンクは何がいいですか?」
「そうね…、ミルク多めのカフェラテにしようかしら」
「わかりました」
小夜子は優雅な仕草で支払いを済ませ、綺麗なラテアートが施されたカフェラテのカップを持って空いている席に着くと、一連のやり取りを見守っていた女子が、また小声で話しかけてくる。
「オーナーの奥さん、超絶美人ですね~。すべてが完璧というか…」
「そうだね、すごく綺麗な人だよね」
「店長はああいう人がタイプなんですかぁ?」
なぜか女子がニヤニヤしながら問いかけて来るが、悠希はそれに微笑みで応える。
「なんですかその笑みは~アヤシイ~」
「いいから、仕事仕事」
なおも突っ込んできそうだったので、悠希が笑いながらそう言うと、女子は渋々カウンターの上を片付け始めた。
そうこうしている内に男子が休憩から戻ってきたので、悠希は「少し話してくるね」と二人に断ってエプロンを脱ぎ、窓際のカウンターにいた小夜子の横に座った。
「お待たせしてすみません」
「こちらこそ、お仕事中にごめんなさいね」
「いえ、大丈夫です。それで、どうかしました?」
「…ちょっと、主人のことで…」
「オーナーの?」
言いにくそうに口ごもる小夜子に、悠希は目を見張るそぶりを見せるが、それは予想していた。オーナーの妻である小夜子が悠希に話がある、なんて、オーナーのことしかないはず。
悠希が士郎に告げた想いや、あの日の行為のことはもちろん知らないはずだが、悠希は後ろめたいというよりも、むしろワクワクした気持ちで小夜子の話を促す。
「オーナー、何かあったんですか?」
「それが…口には出さないけど、何かあったみたいで。この前、大通りであなたと会った話をしたら、一瞬だけど、顔が強張ったの」
「……」
「ほら、あの人って顔が怖いでしょう?さっきの女の子も言ってたけど、いかついし…。でも、私の前では優しいのよ。それが、あなたの話をしたら急に…」
コーヒーのカップを両手で包んで、小夜子は顔を伏せる。
小夜子があんな時間に大通りにいたこと自体が怪しいと思っていたが、士郎に話すくらいだから、やましいことはないのだろう。だが、士郎と行為をした日に伝えた、小夜子が男と一緒にいた、というのは事実だ。士郎にも心当たりがないようだったし、そのことは士郎には話していないみたいなので、悠希は少し考え込んでしまう。
「あの、神楽井くん?」
「…聞いてますよ。俺とオーナーの間に、何かあるのかもってことですよね?」
「そういうわけじゃないんだけど…」
ズバリとは言えない小夜子に代わって悠希がさらりと言い放つと、小夜子はすまなそうに微笑んだ。
「あの人が顔をしかめるなんてよっぽどのことだと思うから、それであなたに話を聞きにきたの」
「そうだったんですね。実は、何かあったにはあったんですけど…」
核心は告げずに悠希が思わせぶりにそう言うと、小夜子は心配そうな眼差しで顔を上げる。
「…なにがあったのか、聞いてもいい?」
「えぇと、それは…」
士郎と体の関係を持った、などと言う気はさらさらないが、悠希は小夜子の反応を楽しむかのような話し方で、もったいぶって見せた。
「…仕事のことで、ちょっとトラブルがあっただけですよ。小夜子さんが心配するようなことはないと思います。でも…」
「でも…何?」
「あ、いえ、それは…」
わざと小夜子の不安を煽るような言い方をし、悠希は戸惑ったふりをする。
「お願い。話してくれない?」
半ば泣きそうな顔で、小夜子が見つめてくる。普通の男ならほだされてしまうところだが、あいにく悠希はそもそも女には興味がないし、逆に、悲しませてやろうという思いの方が勝っていた。
「…俺、見ちゃったんですよ」
「…何を?」
「前に、小夜子さんが、知らない男といるところ。それをオーナーに話したから、きっとオーナーは…」
「あ、あの人とは何でもないの!」
悠希の話を聞いた小夜子は、慌てたように席を立つ。その拍子で椅子が倒れてしまい、周囲の客やバイトのスタッフの目が一斉に注がれる。
「小夜子さん?大丈夫…ですか?」
悠希は動揺する小夜子を心配するそぶりを見せるが、内心は、「慌てるなんて、何かあると言っているようなもの」と手ごたえを感じていた。悠希は椅子を元通りにして小夜子に座ってもらい、周りには軽くお辞儀をして、大丈夫だということを示す。
「…あの時の人とは、本当に何でもないの。だってあれは…」
小夜子の両手が震えている。カップが持てないほどに。
「ごめんなさい。俺が余計なことを言ったせいで…」
悠希は本当にすまなそうに頭を下げるが、小夜子はそれに気付かない。顔面蒼白で、カウンターを見つめるのみだった。
「小夜子さん、あの…」
「…帰るわ」
「…大丈夫、ですか?」
しばらく黙ったままだった小夜子は、何とか自分を立たせ、声をかける悠希には何も答えずに店を後にした。悠希が小夜子の飲んでいた、まだカフェラテが残っているカップを片付けると、すぐさまバイトの女子が寄ってくる。
「店長、オーナーの奥さんとのお話、なんだったんですか?なんか最後、深刻そうでしたけど…」
「なんでもないよ。そんなことより、休憩してきたら?何かドリンク作るよ」
「えっ、いいんですか?店長優しい~」
「なんスか、それ。俺には何もなかったのに」
「女子の特権ですよーだ」
悠希にドリンクを作ってもらえると聞くや否や、女子は小夜子のことなんか忘れたみたいにはしゃぎ出す。男子との会話がカップルのようで微笑ましいが、悠希は「はいはい」と言って、笑顔でドリンクを素早く作って手渡した。
「ありがとうございます、店長!休憩入りまぁす」
元気よく女子が控室に入ってから、悠希は誰にもわからないように、軽くため息をついた。男子も小夜子について聞きたがっている様子だったが、ちょうど客が数名来店したため、二人は仕事に追われることになる。
「店長、おつかれさまです」
「二人ともおつかれ。気を付けてね」
バイト二人を帰らせ、悠希は最後に店内のチェックをして電気を消した。オープンと、閉店時の施錠も、店長である悠希の仕事。いつも通りシャッターを下ろした後、電気を消して裏口から出ると、そこには息を切らせた藤真がいた。
「あれ、どうしたの?」
藤真の姿を目にした悠希がにこりと笑うと、藤真は急に抱きついてくる。
「どうしたのって…悠希さん、連絡くれないからっ」
「そうだった?ごめんね」
悠希は藤真の背中をよしよしとさすりながら、ごめんねと謝罪するが、藤真は離れてくれない。そんな藤真が可愛いと思う反面、抱き締めてほしいのは藤真じゃなくて士郎、ということを、悠希はあらためて認識させられていた。
「だからごめんって。お詫びに、食事でも行こうか?おごるよ」
「…っ」
悠希のそんな言葉に何を思ったのか、藤真は体を離したかと思うと、今度は口付けて来る。口付けながら悠希が弱いと言っていた耳に指で触れ、体を密着させる。
「ふあっ、んん…っ」
「悠希さん…」
「ひゃうっ、ダ、メぇ…っ」
「可愛い…。お詫びしてくれるんなら、ホテル行きましょう?」
「んんっ、待って…、もうっ」
「悠希さん、敏感すぎ…」
「あぁん…っ!」
キスしている最中にずっと耳を触られ、その刺激だけで悠希が軽くイってしまうと、藤真はやっと顔を離したが、下半身はくっついたまま。
「ね、ホテル、行きます…?」
「んっ」
勃ってしまった悠希自身に藤真が軽くズボンの上から触るから、悠希は体を震わせることしかできない。
「…して」
「え?」
「ここで、して…?」
裏口とはいえ、すぐそこには大通りがあり、大勢の人の気配もするが、悠希は、ビックリして体を引こうとする藤真に今度は自分からすり寄り、キスをせがむ。
「悠希さん、こんなところで…っ」
「…それは藤真が先でしょ。いいから、早く…っ」
「悠希さんっ」
藤真は悠希の耳に噛み付くように強い刺激を与え、悠希の下衣を下ろす。
「はぁっ、ぁん…っ」
「悠希さん、手、ついて…」
藤真は悠希に後ろを向かせ、カフェの裏口近くの壁に両手をつかせると、後ろから露わになった悠希自身をそっと握る。悠希のモノに直に触れ、シャツの裾から手を入れて乳首を触り、さらに耳の中を舌で犯す。
「ひぁっ、やだ…ぁっ!」
「何が嫌なんですか…?これでも……?」
優しく触っていた手に力を込め、すでにそそり立つモノを何度も何度も追い立てるように藤真がしごき始めた。
「も…イっちゃう…っ、も…ぉっ」
あと一撫でされたらイキそうなタイミングで、お尻を突き出すような体勢の悠希に、藤真は自分自身をねじ込んだ。
「はあぁんっ!イ、イク…っ、あぁ…っっ!!」
間髪入れずに与えられる方々からの刺激に、悠希はあっという間にまたイってしまう。それでも藤真の動きは止まらず、悠希の中でさらに大きくなったモノが、悠希をまた高みへと追い詰めようとする。
「悠希、さん…っ」
「あ…イイ…っ、もっと、もっと…ぉっ」
「こんなところで、して…興奮、してます…?」
悠希の腰を掴んで体を揺さぶり続ける藤真。激しく突き上げながら藤真が張り詰めた悠希自身をそっと触ると、中が締まり、藤真自身もさらに成長して悠希を責め立てる。
「あっ、あぁ…っ、イク…またイっちゃう…っ!」
「悠希さん…、エロいし可愛い…っ」
「ひっ!やだ、ダメ…ぇっ、イ、イク…っ」
「悠希さん…!」
「や、ダメっ、あ…っ、あぁぁぁ……っっ!!」
「くぅ…っ」
白濁の液体をほとばしらせて悠希が達すると、藤真もぶるりと体を震わせて同時にイってしまう。お互いに荒い息を繰り返していると、先に悠希の体が沈むように崩れた。
「!大丈夫ですかっ?」
藤真が倒れる前に咄嗟に支えると、悠希は気を失っていた。藤真はどうしていいかわからず、とりあえず悠希から自身を引き抜くと、悠希の衣服を整えてやろうとするが、もたもたしている内に悠希が目を開けた。
「あれ、俺…」
「よかった、目が覚めたんですねっ」
きょとんとする悠希に、藤真は心の底からホッとしたような表情を浮かべた。
「ごめんなさい。俺、やりすぎちゃいましたね…」
目の前で子犬のようにしゅんとうなだれる藤真に、悠希は手を伸ばし、頭をなでなでしてあげる。
「大丈夫だよ、せがんだのは俺だし」
「悠希さん…」
「でも、気を失うまで激しくされたの、久しぶりだったかも」
「久しぶりって…」
「あぁ、なんでもないよ」
「なんでもない」と言う悠希だったが、藤真はその言葉が引っ掛かり、気になって仕方ない。
「…前にもあったってことですか?」
「え?」
「気を失うまで激しくされたの久しぶり、って…もしかして、前にも…」
「そうだよ、悪い?」
真剣な顔で問いかけて来る藤真に対して、悠希は自分で体の汚れを拭きながら、あっけらかんと、本当に何でもないことのように答える。
「悠希さん…」
「君は俺の何を知ってるの?どうでもいいでしょう、彼氏でもないんだし」
悠希のその突き放すような言葉に藤真が何も返せなくて黙っていると、汗ばんだ顔に張り付いた髪の毛をかき上げながら、悠希が片手を伸ばしてくる。
「腰、くだけちゃった。立たせて?」
「彼氏でもない」なんて冷たく言っておきながら、悠希はそんな藤真に、甘えるように躊躇せず助けを求める。好きな人の言葉に逆らえるはずがなく、藤真は少し迷いながらもその手を掴んだ。
「ありがとう。ついでに、タクシーまで連れて行ってくれないかな?」
「…わかりました」
次々と出される要求に応えようと、藤真は悠希を支えて大通りに出て、タクシーに乗るところまで手を貸す。
「助かったよ、じゃあね」
悠希はあっさりとそう言うと、名残惜しそうな藤真を残してタクシーを出そうとするが、藤真が体でタクシーのドアが閉まるのを阻んだ。
「悠希さんっ」
「…今度こそ、連絡するから」
「…約束、ですよ?」
「うん」
悠希はいつもの笑顔で、タクシーから離れてどこか思いつめた表情をしている藤真に手を振る。藤真はそのまま、タクシーが走り去るのを見送るしかなかった。
運転手に行き先を伝えた悠希は振り返ることはなかったが、バックミラーで、籐真が車道に出てこちらを見ているのはわかっていた。そのことに特に何の感情も持っていない悠希は、スマホを取り出し、誰かに電話をかける。
「…もしもし、久しぶり。明日会えない?…わかった、じゃあ明日」
一言二言話しただけですぐに電話を切ると、悠希は軽くため息をついた。運転手が何か話しかけてきたようだったが、それを無視したまま、自宅へと戻るのだった。
自室に入ると、悠希は服を脱ぎ捨て、すぐにシャワーの栓をひねる。先ほどの行為で汚れた体を適当に洗い流していると、ふと何かを思いついたのか、途中からは鼻歌交じりで髪の毛を洗い、シャワーを終える頃には上機嫌になっていた。そして部屋着を身に着けると、またスマホを手に取る。
『悠希さん?連絡くれて嬉しいですっ!…体は大丈夫ですか?』
「うん、平気。ちゃんと帰ってきたよ」
電話の相手は籐真。さっきまで体を重ねていた青年だ。別れ際に「今度こそ、連絡するから」とは言ったものの、そんな気はさらさらなかったのだが、どういう風の吹き回しなのか。
「それで、ちょっと協力してほしいことがあって…。また明日会えない?」
『悠希さんが頼ってくれるなんて嬉しいです!でも明日は大学と部活があるので…ちょっと遅くなりそうなんですが』
「時間は合わせるよ。俺もお店があるし、終わったら連絡して?」
『はいっ、わかりました!』
「じゃあ、おやすみ」
『おやすみなさい、悠希さんっ』
こっちから連絡しただけでこんなに喜ぶなんて…。電話を切った後、籐真の弾む声を思い出して、悠希はクスッと笑った。そしてまた鼻歌を歌いながら、冷蔵庫に常備してあるアルコールの缶を開けて喉を潤す。
「明日が楽しみだな…」
悠希自身も弾む気持ちを抑えきれないのか、少し興奮した面持ちで呟いた。
そして翌日。いつも通りカフェをオープンして何事もなく閉店の時間を迎えた頃、カフェの電話が鳴った。
「はい、カフェレイニーです。…おつかれさまです。え、オーナーが?…はい、わかりました。閉めたらすぐに行きます」
オーナーである士郎の会社からの呼び出しの電話だった。
「ナイスタイミング」
ちょうど一人で閉店作業をしていたので、そんな悠希の言葉は誰も聞いていなかったし、口の端を持ち上げた微笑みも、誰も見ていなかった。シャッターを下ろして裏口から出た悠希はすぐに会社に向かい、士郎と対面することになる。
「おつかれさまです、東城さん」
「おつかれ」
士郎の会社の応接室に通されると、そこには士郎がいた。社交辞令だろうが、話しかければ返事はしてくれる。悠希はそのことに安堵感を覚え、つい嬉しくて顔がほころんでしまう。女性社員が入れてくれたコーヒーを飲みながら、悠希は士郎の話を待った。
「神楽井」
「はい」
少しの間があった後、士郎が話を切り出す。
「店長の仕事はどうだ?」
「大変ですけど、楽しいです。好きな仕事ですし、自分にも向いているなぁって思うし…東城さんのお店で働けて嬉しいです」
「…そうか、それは何よりだ。もうすぐクラシカルレイニーをオープンすることは知っていると思うが、お前にはそこの店長を任せたい」
「え…本当ですか?」
悠希にとっては思いがけず嬉しい話だった。クラシカルレイニーは、レトロな順喫茶を思わせる、クラシカルで、それでいてバーのような雰囲気のある、大人のカフェだと聞いている。
カフェレイニーは三号店まであり、そのコンセプトは「雨の時でも気軽にコーヒーを」というもの。一方クラシカルレイニーは、お昼から深夜までの営業で、夕方からはお酒も提供するカフェバーになる予定だ。
立案したのは本部の人間で悠希ではなかったが、それを聞いた時からワクワクするものを感じていたのは確かだった。
「営業時間が長いから多くのスタッフを雇うことになるし、その辺は手慣れているお前が適任だ。やってくれるか?」
「はい、もちろんです。ありがとうございます、東城さん」
「礼はいい」
士郎はにこりともしなかったが、自分の仕事を評価してくれているとわかって、悠希はさらに嬉しくなってしまう。
「てっきり、クビにでもされるんじゃないかと思っていたので…びっくりしました」
「…なぜだ?」
「だって、東城さんは俺と…」
「よせ、慣れ合う気はないと言ったはずだ。お前の力は評価しているし、これはビジネスだ。私情は挟むつもりはない」
「そう、ですか…」
「これはビジネス」とはっきり言われて、さっきまで高揚していた気持ちが一気にしぼんでしまう。なぜこんなにもショックを受けているのかわからないくて、悠希はポーカーフェイスを崩さない士郎を見ることができなかった。
「神楽井?」
「…っ、はい」
士郎の声にハッとして顔を上げると、やはりいつものポーカーフェイスで士郎がこちらを見ている。
「話を続けるぞ。クラシカルレイニーの店長を任せるにあたって、スタッフの人選にも加わってもらう。そのあとはミーティングや研修もあるから、そのつもりで」
「…はい、わかりました」
「それと、今のカフェレイニーの店長は、他の者に任せる予定だ。その時は引継ぎを頼む」
「はい」
「質問がないなら話は以上だ。何かあればまた連絡する」
「あのっ」
必要事項だけを的確に話すと、士郎はすぐに立ち上がり、部屋を出ようとするが、そんな士郎を引き留めたくて、一緒に立ち上がって話しかける。
「クラシカルレイニーのスタッフのことですが、何人か推薦してもいいでしょうか?」
「心当たりがあるのか?」
「はい。カフェに興味があって、バーテンダーの経験がある友人がいます。クラシカルレイニーはお酒も提供しますよね?」
「あぁ、その予定だ。では声をかけておいてくれ」
「わかりました。それと…」
「…まだ何かあるのか?」
「実は今日、その友人と会う予定なんですが、東城さんも一緒にどうですか?面接する前に、会っておいても損はないと思いますが」
ここで士郎は少し考えるそぶりを見せたが、すぐに「いや、やめておこう」と返される。
「色眼鏡で見ている、と周りに思われでもしたら厄介だからな」
「でも彼、酒屋さんの息子なので、お酒を仕入れるなら持って来いだと思ったんですけど…仕方ないですよね」
そこまで言って悠希が帰ろうとすると、今度は士郎が引き留めてくる。
「待て。ビジネスの話もできそうか?」
「えぇ。親しい友人なので、力になってくれると思いますよ」
悠希は微笑みながらそう答える。内心は「食いついた…」とほくそ笑んでいたのだが。
「では私も同席させてもらおう。時間は?」
「これから連絡することになってます。今電話しましょうか?」
「あぁ、時間は任せる」
悠希は「はい」と返事をして、その場ですぐに電話をかける。
「もしもし、俺。今日、社長と行ってもいいかな?…うん、カフェのオーナーの。…わかった、あとで」
「大丈夫だそうです。今から出られますか?」
「少しだけ部下と話をしてから行くから、外で待っていてくれ」
「わかりました」
そう言って部屋を出て行く士郎を見送って、悠希はまた気持ちが昂るのを感じる。
「こんなに簡単にことが運ぶなんて…ツイてるなぁ、俺」
誰もいないことを確認してから呟いたそのセリフが歪な笑みとともに発せられたのを、士郎は知る由もない。
悠希は言われた通りに会社を出て、近くのベンチで士郎を待つ間、スマホでメッセージを送っていた。ひとつは先ほども電話で話した酒屋の息子である友人、もうひとつは籐真。二通とも送信できたことを確認すると、企みが顔に出ないように表情を作り、何食わぬ顔で士郎を出迎えた。
「おつかれさまです、東城さん」
「あぁ。場所は?」
「少し行ったところにある料亭です。タクシーで行きますか?」
「あぁ」
最低限の言葉しか言わない士郎だが、今日の悠希はご機嫌だった。なにしろ、こんなにも計画通りに進んでいるのだから。
悠希は目の前の大通りでタクシーを捕まえると、二人で待ち合わせ場所の料亭に向かった。見るからに高級そうな佇まいのお店の個室に通された二人を見て、座っていた青年がすぐに立ち上がる。
「お待たせ」
「おう、来たな。こちらが例の?」
「はじめまして、東城です」
悠希が答えるより早く、士郎は慣れた手つきで名刺を差し出した。
「ご丁寧にありがとうございます。寺井丞です、はじめまして」
寺井と名乗った男は丁寧に名刺を受け取り、「今は稼業の手伝いをしているので、名刺がなくてすみません」と頭を下げる。
「寺井というと、あの寺井酒造の?」
「えぇ、ご存知でしたか、さすがですね」
「あの、立ち話もなんですし、座りませんか?」
二人のやり取りを見ていた悠希が話しかけると、上座に士郎、隣に悠希、悠希の向かいに丞が座った。広めの個室で、ここなら気兼ねなく話ができる。
すぐに着物の女性がやってきて、「皆様お揃いでしたらお料理をお持ちします。お飲み物はいかがなさいますか?」と、ドリンクメニューをそれぞれに渡してくれる。
「ここ、私の店が酒を卸しているんです。良い酒が揃ってますよ」
「お酒のことはコイツに任せておけば間違いないですよ。東城さん、どうしますか?」
「…では、お任せします」
「わかりました」
丞はリストの中から酒を注文し、女性は「かしこまりました」と言って、横開きの扉を丁寧に閉めて退室した。
「お酒だけじゃなくて料理もとってもおいしいので、楽しみですね」
「おいおい、俺への態度と随分違うな?」
「丞は友達。東城さんは上司だよ、当然でしょう」
悠希が士郎に笑いかけると、それを茶化すように丞が絡んでくる。そして士郎は悠希には顔を向けず、丞にはビジネス上の笑顔で話しかけた。
「二人は長年のお付き合いが?」
「俺と悠希は中学校の同級生で、色々あって意気投合して、そこからの付き合いです。当時からこいつは女子にモテモテで、すごいのなんのって…」
「丞、その話はいいから」
「いいじゃん、減るもんじゃなし。こいつ、女子には優しいでしょ?彼女が途切れたことがないっていうか…」
悠希が話を制しようとするが、何を思ってか丞はペラペラと学生時代のことを話し出す。
「同じ学年のマドンナまでこいつにぞっこんで、もう大変でしたよ。先輩にも後輩にもモテるんだから」
「そうですか」
士郎は曖昧な笑顔で相槌を打っていると、酒が運ばれてきた。
「丞さん、いつもありがとうございます。こちらのお二人ははじめましてですね、女将の橘真智です。どうぞよろしくお願いいたします」
丁寧に挨拶をするのは、この料亭の女将だった。「料亭 たちばな」は5代続く老舗の料亭で、真智と名乗ったこの女性は5代目の妻。30歳にもなっていないだろうか。華やかな美貌で上品な着物をまとい、その優雅な仕草は、世の男性なら見惚れるほどだった。
「お邪魔してます、真智さん」
「今日のお酒は、先日丞さんのところから仕入れさせていただいたばかりの銘酒ですよ。とても評判がよくて、主人も喜んでますわ」
「それはよかった、オススメした甲斐がありました」
真智が微笑んで首を少しかしげる様がまた美しいのだが、それに少しだけ目を奪われているのは丞だけで、他の二人は少し頭を下げただけだった。
「では、順にお料理をお持ちしますね。ごゆっくりどうぞ」
着物姿のスタッフが酒と先付の料理を置き終わると、女将はまた深々と頭を下げ、静かに去って行った。
「ではどうぞ」
素早く動いたのは丞で、そつない動きで士郎の盃に酒を注ぐと、それに応えるように今度は士郎が丞に、その流れで悠希にも酒を注ぐ。
「僕が東城さんに注ぐべきなのに、すみません」
「いや。ではいただきましょう」
三人で目を合わせると、士郎は香りを嗅いでから盃に口を付ける。
「…良い酒ですね」
「そうでしょう!東北の米で作った純米吟醸で、この辛口さが和食と合うんですよ」
「ん、ホントにおいしい。いくらでも飲めちゃいますね、東城さん」
「おいおい、お前は酒癖が荒いんだから、ほどほどにしとけよ?」
「それは丞の方でしょ」
士郎が素直に感想を口にすると、丞が自慢げに答える。悠希は士郎に話しかけるが、返事がないどころか、まともに顔も見てくれない。丞と茶化し合いながら、そんな士郎に悠希は内心イラついていた。
「東城さんはイケる口ですか?」
「えぇ、まぁ」
「東城さん、今度は俺が注ぎます」
また丞に酒を注がれながら士郎がそう答えると、悠希が横から酒を差し出してくる。士郎は一瞬の間の後、すぐに飲み干してそれに応えた。
「もう一杯」
悠希がまだ酒を持ちながらそう言うので、士郎は仕方なくまた飲み干して、また悠希に注がれる。
「強いんですね、追加頼みましょうか」
士郎の返事を聞く前に丞がテーブルのベルを鳴らすと、すぐに先ほどのスタッフがやってくる。丞が今度は違う酒を頼むと、次の料理と一緒に新しい酒と盃が運ばれてきた。
歓談、とまではいかないが、三人で酒を飲んで料理に舌鼓を打っていると、士郎が箸を置いて丞に話しかける。
「それで、仕事の話なのですが。今度新しいカフェバーをオープンする予定で、酒を仕入れさせていただこうかと思っています」
「それならぜひ。日本酒以外にもたくさん取り揃えていますし、指定の銘柄があれば調達します」
「ありがとうございます。では一度そちらにお伺いして、具体的な話をさせていただけますか?先に資料をお渡ししておきます」
「わかりました、父に伝えます。お預かりしますね」
士郎が茶封筒を手渡すと、丞は丁寧に受け取り、自分の横に置いた。
「こいつから話は色々聞いています、かっこいいオーナーのお店で働けて幸せだって。俺も一緒に仕事出来たら嬉しいです」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします」
嬉しそうに笑う丞に士郎が頭を下げると、丞もそれに応えるように深々と頭を下げる。二人のやり取りを見ながら、悠希は複雑な気持ちになっていた。
『丞とはこんなにも会話が弾んでるのに、俺にはちっとも…』
悠希が半ば酒を煽りながら黙っていると、丞がそれに気付いて話しかけて来る。
「おいおい、いつもよりペース早くないか?」
「…大丈夫。丞は、東城さんと話してて?俺、ちょっと電話してくるから」
「わかった」
「大丈夫」という割には若干足元がおぼつかないような気がするが、悠希はゆっくりと立ち上がって部屋を出た。ひんやりとした空気に触れると急に冷静になる。
悠希は気付かれないようにため息をついて、少し離れた場所にあるシンプルな木の長椅子に腰掛けた。一息ついてからスマホを確認すると、「部活が終わったのでいつでも行けます」と、数分前に籐真からメッセージが来ていて、悠希はすぐに電話をかける。
「もしもし、おつかれさま」
『おつかれさまです!すみません、遅くなってしまって…』
「全然大丈夫だよ。こっちはもう少しかかると思うけど、例のバーに向かっておいてくれる?」
『わかりました!待ってますね』
元気よく返事をして籐真が電話を切ると、悠希は「まるで忠犬…」と思いながらクスッと笑った。
そして、トイレに行ってから二人がいる部屋に戻ると、相変わらずすました顔をして士郎が酒を飲んでいた。もちろん丞もいる。
「大丈夫か?お前、結構飲んでたよな」
「平気。それより、東城さん、全然酔わないんですね」
丞が心配そうに話しかけて来るが、それには短く答え、悠希はなおも士郎に話しかける。
「…顔に出ないだけだ」
士郎はまた盃を空にしながらそう答える。
「そうなんですか?俺、結構酔っちゃいましたよ」
「ほら見ろ、だからペース早いって…」
「丞はちょっと黙ってて」
またも丞が間に入ろうとするので、悠希は丞の言葉を遮って士郎の近くに座った。丞はというと少し肩をすくめて、やれやれといった様子で口をつぐむ。
「東城さん。この後、もう一軒行きません?昔から知ってるいい感じのバーがあって、新店の参考にもなると思うんですけど」
本当に酔っているのか、かなり近い距離で悠希が士郎に話しかける。丞はそれを見て何も言わないが、ため息をついたのがわかった。
「ね、どうですか?東城さん」
「…わかった。付き合おう」
「よかった。…そういうことだから、丞も一緒に来て」
「わかったよ。なんかこいつが絡んだみたいになって、すみません」
「いえ、お気になさらず」
この時、悠希が丞に目配せをしたことを、士郎は気付かない。悠希の思惑に気付くはずもなく、士郎は罠にはまって行くのだった。
日曜日の今日も、カフェレイニーは賑わっている。店長の悠希と、バイトの男子と女子、合わせて三人で、次々とやってくる客をさばいて行く。
「店長、アイスモカ、テイクアウトです」
「了解」
この日、ドリンクをつくるのは店長の悠希。バイトの女子はレジ担当で、男子はレジとフード担当。バイトの二人は大学生で、テキパキとオーダーをこなし、笑顔を欠かさず接客している。
「アイスモカ、お待たせしましたー」
客にドリンクやフードを渡すのは悠希の役目。日によって担当は入れ替わるが、それぞれがお互いの役割をよく理解しているし、効率よく作業するため、流れが早い。
「やっと少し落ち着きましたね」
「おつかれさま、休憩入っていいよ」
「あっ、はい。ありがとうございます!」
一旦波が引いたところで、悠希は男子を休憩に入らせ、スタッフは悠希と女子の二人になった。客の行列はなく、店内では数人の客がくつろいでいる。
「今日はすごい人でしたね、店長」
「そうだね、いつもよりすごかったね」
「やっぱり、店長目当ての女の子ばっかりでしたよね~?」
「えぇ?何それ」
「またまたぁ。店長にドリンクを渡された女の子たち、目がハートでしたよ~」
「ははっ、そうだったんだ?」
他愛もない会話をして笑い合っていた時、見覚えのあるロングヘアの女性がカフェに入ってきた。
「いらっしゃいませー」
女子がいつも通り声をかけると、女性はゆっくりとレジに進み、ぺこりとお辞儀をする。
「あ、小夜子さん」
「こんにちは、先日ぶりね」
「そうですね。今日はどうしたんですか?」
女性は、悠希が好きな士郎の妻、小夜子だった。隙のない、はんなり美人が悠希と話し始めると、バイトの女子が悠希に小声で話しかけてくる。
「店長、お知合いですか?もしかして彼女だったり…」
「いやいや、君は知らなかったよね。こちらは小夜子さん、オーナーの奥さんだよ」
「えっ、あのいかついオーナーの奥さんですかっ?」
「ふふっ」
「こら、いかついだなんて…」
「す、すみません!つい…」
「いいのよ、本当のことだから」
女子は目を丸くしてつい本音を言ってしまうが、小夜子は気にも留めず、笑みを浮かべる。
「すみません、小夜子さん」
「大丈夫よ、気にしないでね」
「ありがとうございます。それで、何か御用ですか?」
「ちょっとあなたと話したくて…お時間ある?」
「あ、はい。もう少ししたらバイトの子が休憩から戻ってくるので、その時だったら」
「じゃあ、待たせてもらっていい?」
「どうぞ。ドリンクは何がいいですか?」
「そうね…、ミルク多めのカフェラテにしようかしら」
「わかりました」
小夜子は優雅な仕草で支払いを済ませ、綺麗なラテアートが施されたカフェラテのカップを持って空いている席に着くと、一連のやり取りを見守っていた女子が、また小声で話しかけてくる。
「オーナーの奥さん、超絶美人ですね~。すべてが完璧というか…」
「そうだね、すごく綺麗な人だよね」
「店長はああいう人がタイプなんですかぁ?」
なぜか女子がニヤニヤしながら問いかけて来るが、悠希はそれに微笑みで応える。
「なんですかその笑みは~アヤシイ~」
「いいから、仕事仕事」
なおも突っ込んできそうだったので、悠希が笑いながらそう言うと、女子は渋々カウンターの上を片付け始めた。
そうこうしている内に男子が休憩から戻ってきたので、悠希は「少し話してくるね」と二人に断ってエプロンを脱ぎ、窓際のカウンターにいた小夜子の横に座った。
「お待たせしてすみません」
「こちらこそ、お仕事中にごめんなさいね」
「いえ、大丈夫です。それで、どうかしました?」
「…ちょっと、主人のことで…」
「オーナーの?」
言いにくそうに口ごもる小夜子に、悠希は目を見張るそぶりを見せるが、それは予想していた。オーナーの妻である小夜子が悠希に話がある、なんて、オーナーのことしかないはず。
悠希が士郎に告げた想いや、あの日の行為のことはもちろん知らないはずだが、悠希は後ろめたいというよりも、むしろワクワクした気持ちで小夜子の話を促す。
「オーナー、何かあったんですか?」
「それが…口には出さないけど、何かあったみたいで。この前、大通りであなたと会った話をしたら、一瞬だけど、顔が強張ったの」
「……」
「ほら、あの人って顔が怖いでしょう?さっきの女の子も言ってたけど、いかついし…。でも、私の前では優しいのよ。それが、あなたの話をしたら急に…」
コーヒーのカップを両手で包んで、小夜子は顔を伏せる。
小夜子があんな時間に大通りにいたこと自体が怪しいと思っていたが、士郎に話すくらいだから、やましいことはないのだろう。だが、士郎と行為をした日に伝えた、小夜子が男と一緒にいた、というのは事実だ。士郎にも心当たりがないようだったし、そのことは士郎には話していないみたいなので、悠希は少し考え込んでしまう。
「あの、神楽井くん?」
「…聞いてますよ。俺とオーナーの間に、何かあるのかもってことですよね?」
「そういうわけじゃないんだけど…」
ズバリとは言えない小夜子に代わって悠希がさらりと言い放つと、小夜子はすまなそうに微笑んだ。
「あの人が顔をしかめるなんてよっぽどのことだと思うから、それであなたに話を聞きにきたの」
「そうだったんですね。実は、何かあったにはあったんですけど…」
核心は告げずに悠希が思わせぶりにそう言うと、小夜子は心配そうな眼差しで顔を上げる。
「…なにがあったのか、聞いてもいい?」
「えぇと、それは…」
士郎と体の関係を持った、などと言う気はさらさらないが、悠希は小夜子の反応を楽しむかのような話し方で、もったいぶって見せた。
「…仕事のことで、ちょっとトラブルがあっただけですよ。小夜子さんが心配するようなことはないと思います。でも…」
「でも…何?」
「あ、いえ、それは…」
わざと小夜子の不安を煽るような言い方をし、悠希は戸惑ったふりをする。
「お願い。話してくれない?」
半ば泣きそうな顔で、小夜子が見つめてくる。普通の男ならほだされてしまうところだが、あいにく悠希はそもそも女には興味がないし、逆に、悲しませてやろうという思いの方が勝っていた。
「…俺、見ちゃったんですよ」
「…何を?」
「前に、小夜子さんが、知らない男といるところ。それをオーナーに話したから、きっとオーナーは…」
「あ、あの人とは何でもないの!」
悠希の話を聞いた小夜子は、慌てたように席を立つ。その拍子で椅子が倒れてしまい、周囲の客やバイトのスタッフの目が一斉に注がれる。
「小夜子さん?大丈夫…ですか?」
悠希は動揺する小夜子を心配するそぶりを見せるが、内心は、「慌てるなんて、何かあると言っているようなもの」と手ごたえを感じていた。悠希は椅子を元通りにして小夜子に座ってもらい、周りには軽くお辞儀をして、大丈夫だということを示す。
「…あの時の人とは、本当に何でもないの。だってあれは…」
小夜子の両手が震えている。カップが持てないほどに。
「ごめんなさい。俺が余計なことを言ったせいで…」
悠希は本当にすまなそうに頭を下げるが、小夜子はそれに気付かない。顔面蒼白で、カウンターを見つめるのみだった。
「小夜子さん、あの…」
「…帰るわ」
「…大丈夫、ですか?」
しばらく黙ったままだった小夜子は、何とか自分を立たせ、声をかける悠希には何も答えずに店を後にした。悠希が小夜子の飲んでいた、まだカフェラテが残っているカップを片付けると、すぐさまバイトの女子が寄ってくる。
「店長、オーナーの奥さんとのお話、なんだったんですか?なんか最後、深刻そうでしたけど…」
「なんでもないよ。そんなことより、休憩してきたら?何かドリンク作るよ」
「えっ、いいんですか?店長優しい~」
「なんスか、それ。俺には何もなかったのに」
「女子の特権ですよーだ」
悠希にドリンクを作ってもらえると聞くや否や、女子は小夜子のことなんか忘れたみたいにはしゃぎ出す。男子との会話がカップルのようで微笑ましいが、悠希は「はいはい」と言って、笑顔でドリンクを素早く作って手渡した。
「ありがとうございます、店長!休憩入りまぁす」
元気よく女子が控室に入ってから、悠希は誰にもわからないように、軽くため息をついた。男子も小夜子について聞きたがっている様子だったが、ちょうど客が数名来店したため、二人は仕事に追われることになる。
「店長、おつかれさまです」
「二人ともおつかれ。気を付けてね」
バイト二人を帰らせ、悠希は最後に店内のチェックをして電気を消した。オープンと、閉店時の施錠も、店長である悠希の仕事。いつも通りシャッターを下ろした後、電気を消して裏口から出ると、そこには息を切らせた藤真がいた。
「あれ、どうしたの?」
藤真の姿を目にした悠希がにこりと笑うと、藤真は急に抱きついてくる。
「どうしたのって…悠希さん、連絡くれないからっ」
「そうだった?ごめんね」
悠希は藤真の背中をよしよしとさすりながら、ごめんねと謝罪するが、藤真は離れてくれない。そんな藤真が可愛いと思う反面、抱き締めてほしいのは藤真じゃなくて士郎、ということを、悠希はあらためて認識させられていた。
「だからごめんって。お詫びに、食事でも行こうか?おごるよ」
「…っ」
悠希のそんな言葉に何を思ったのか、藤真は体を離したかと思うと、今度は口付けて来る。口付けながら悠希が弱いと言っていた耳に指で触れ、体を密着させる。
「ふあっ、んん…っ」
「悠希さん…」
「ひゃうっ、ダ、メぇ…っ」
「可愛い…。お詫びしてくれるんなら、ホテル行きましょう?」
「んんっ、待って…、もうっ」
「悠希さん、敏感すぎ…」
「あぁん…っ!」
キスしている最中にずっと耳を触られ、その刺激だけで悠希が軽くイってしまうと、藤真はやっと顔を離したが、下半身はくっついたまま。
「ね、ホテル、行きます…?」
「んっ」
勃ってしまった悠希自身に藤真が軽くズボンの上から触るから、悠希は体を震わせることしかできない。
「…して」
「え?」
「ここで、して…?」
裏口とはいえ、すぐそこには大通りがあり、大勢の人の気配もするが、悠希は、ビックリして体を引こうとする藤真に今度は自分からすり寄り、キスをせがむ。
「悠希さん、こんなところで…っ」
「…それは藤真が先でしょ。いいから、早く…っ」
「悠希さんっ」
藤真は悠希の耳に噛み付くように強い刺激を与え、悠希の下衣を下ろす。
「はぁっ、ぁん…っ」
「悠希さん、手、ついて…」
藤真は悠希に後ろを向かせ、カフェの裏口近くの壁に両手をつかせると、後ろから露わになった悠希自身をそっと握る。悠希のモノに直に触れ、シャツの裾から手を入れて乳首を触り、さらに耳の中を舌で犯す。
「ひぁっ、やだ…ぁっ!」
「何が嫌なんですか…?これでも……?」
優しく触っていた手に力を込め、すでにそそり立つモノを何度も何度も追い立てるように藤真がしごき始めた。
「も…イっちゃう…っ、も…ぉっ」
あと一撫でされたらイキそうなタイミングで、お尻を突き出すような体勢の悠希に、藤真は自分自身をねじ込んだ。
「はあぁんっ!イ、イク…っ、あぁ…っっ!!」
間髪入れずに与えられる方々からの刺激に、悠希はあっという間にまたイってしまう。それでも藤真の動きは止まらず、悠希の中でさらに大きくなったモノが、悠希をまた高みへと追い詰めようとする。
「悠希、さん…っ」
「あ…イイ…っ、もっと、もっと…ぉっ」
「こんなところで、して…興奮、してます…?」
悠希の腰を掴んで体を揺さぶり続ける藤真。激しく突き上げながら藤真が張り詰めた悠希自身をそっと触ると、中が締まり、藤真自身もさらに成長して悠希を責め立てる。
「あっ、あぁ…っ、イク…またイっちゃう…っ!」
「悠希さん…、エロいし可愛い…っ」
「ひっ!やだ、ダメ…ぇっ、イ、イク…っ」
「悠希さん…!」
「や、ダメっ、あ…っ、あぁぁぁ……っっ!!」
「くぅ…っ」
白濁の液体をほとばしらせて悠希が達すると、藤真もぶるりと体を震わせて同時にイってしまう。お互いに荒い息を繰り返していると、先に悠希の体が沈むように崩れた。
「!大丈夫ですかっ?」
藤真が倒れる前に咄嗟に支えると、悠希は気を失っていた。藤真はどうしていいかわからず、とりあえず悠希から自身を引き抜くと、悠希の衣服を整えてやろうとするが、もたもたしている内に悠希が目を開けた。
「あれ、俺…」
「よかった、目が覚めたんですねっ」
きょとんとする悠希に、藤真は心の底からホッとしたような表情を浮かべた。
「ごめんなさい。俺、やりすぎちゃいましたね…」
目の前で子犬のようにしゅんとうなだれる藤真に、悠希は手を伸ばし、頭をなでなでしてあげる。
「大丈夫だよ、せがんだのは俺だし」
「悠希さん…」
「でも、気を失うまで激しくされたの、久しぶりだったかも」
「久しぶりって…」
「あぁ、なんでもないよ」
「なんでもない」と言う悠希だったが、藤真はその言葉が引っ掛かり、気になって仕方ない。
「…前にもあったってことですか?」
「え?」
「気を失うまで激しくされたの久しぶり、って…もしかして、前にも…」
「そうだよ、悪い?」
真剣な顔で問いかけて来る藤真に対して、悠希は自分で体の汚れを拭きながら、あっけらかんと、本当に何でもないことのように答える。
「悠希さん…」
「君は俺の何を知ってるの?どうでもいいでしょう、彼氏でもないんだし」
悠希のその突き放すような言葉に藤真が何も返せなくて黙っていると、汗ばんだ顔に張り付いた髪の毛をかき上げながら、悠希が片手を伸ばしてくる。
「腰、くだけちゃった。立たせて?」
「彼氏でもない」なんて冷たく言っておきながら、悠希はそんな藤真に、甘えるように躊躇せず助けを求める。好きな人の言葉に逆らえるはずがなく、藤真は少し迷いながらもその手を掴んだ。
「ありがとう。ついでに、タクシーまで連れて行ってくれないかな?」
「…わかりました」
次々と出される要求に応えようと、藤真は悠希を支えて大通りに出て、タクシーに乗るところまで手を貸す。
「助かったよ、じゃあね」
悠希はあっさりとそう言うと、名残惜しそうな藤真を残してタクシーを出そうとするが、藤真が体でタクシーのドアが閉まるのを阻んだ。
「悠希さんっ」
「…今度こそ、連絡するから」
「…約束、ですよ?」
「うん」
悠希はいつもの笑顔で、タクシーから離れてどこか思いつめた表情をしている藤真に手を振る。藤真はそのまま、タクシーが走り去るのを見送るしかなかった。
運転手に行き先を伝えた悠希は振り返ることはなかったが、バックミラーで、籐真が車道に出てこちらを見ているのはわかっていた。そのことに特に何の感情も持っていない悠希は、スマホを取り出し、誰かに電話をかける。
「…もしもし、久しぶり。明日会えない?…わかった、じゃあ明日」
一言二言話しただけですぐに電話を切ると、悠希は軽くため息をついた。運転手が何か話しかけてきたようだったが、それを無視したまま、自宅へと戻るのだった。
自室に入ると、悠希は服を脱ぎ捨て、すぐにシャワーの栓をひねる。先ほどの行為で汚れた体を適当に洗い流していると、ふと何かを思いついたのか、途中からは鼻歌交じりで髪の毛を洗い、シャワーを終える頃には上機嫌になっていた。そして部屋着を身に着けると、またスマホを手に取る。
『悠希さん?連絡くれて嬉しいですっ!…体は大丈夫ですか?』
「うん、平気。ちゃんと帰ってきたよ」
電話の相手は籐真。さっきまで体を重ねていた青年だ。別れ際に「今度こそ、連絡するから」とは言ったものの、そんな気はさらさらなかったのだが、どういう風の吹き回しなのか。
「それで、ちょっと協力してほしいことがあって…。また明日会えない?」
『悠希さんが頼ってくれるなんて嬉しいです!でも明日は大学と部活があるので…ちょっと遅くなりそうなんですが』
「時間は合わせるよ。俺もお店があるし、終わったら連絡して?」
『はいっ、わかりました!』
「じゃあ、おやすみ」
『おやすみなさい、悠希さんっ』
こっちから連絡しただけでこんなに喜ぶなんて…。電話を切った後、籐真の弾む声を思い出して、悠希はクスッと笑った。そしてまた鼻歌を歌いながら、冷蔵庫に常備してあるアルコールの缶を開けて喉を潤す。
「明日が楽しみだな…」
悠希自身も弾む気持ちを抑えきれないのか、少し興奮した面持ちで呟いた。
そして翌日。いつも通りカフェをオープンして何事もなく閉店の時間を迎えた頃、カフェの電話が鳴った。
「はい、カフェレイニーです。…おつかれさまです。え、オーナーが?…はい、わかりました。閉めたらすぐに行きます」
オーナーである士郎の会社からの呼び出しの電話だった。
「ナイスタイミング」
ちょうど一人で閉店作業をしていたので、そんな悠希の言葉は誰も聞いていなかったし、口の端を持ち上げた微笑みも、誰も見ていなかった。シャッターを下ろして裏口から出た悠希はすぐに会社に向かい、士郎と対面することになる。
「おつかれさまです、東城さん」
「おつかれ」
士郎の会社の応接室に通されると、そこには士郎がいた。社交辞令だろうが、話しかければ返事はしてくれる。悠希はそのことに安堵感を覚え、つい嬉しくて顔がほころんでしまう。女性社員が入れてくれたコーヒーを飲みながら、悠希は士郎の話を待った。
「神楽井」
「はい」
少しの間があった後、士郎が話を切り出す。
「店長の仕事はどうだ?」
「大変ですけど、楽しいです。好きな仕事ですし、自分にも向いているなぁって思うし…東城さんのお店で働けて嬉しいです」
「…そうか、それは何よりだ。もうすぐクラシカルレイニーをオープンすることは知っていると思うが、お前にはそこの店長を任せたい」
「え…本当ですか?」
悠希にとっては思いがけず嬉しい話だった。クラシカルレイニーは、レトロな順喫茶を思わせる、クラシカルで、それでいてバーのような雰囲気のある、大人のカフェだと聞いている。
カフェレイニーは三号店まであり、そのコンセプトは「雨の時でも気軽にコーヒーを」というもの。一方クラシカルレイニーは、お昼から深夜までの営業で、夕方からはお酒も提供するカフェバーになる予定だ。
立案したのは本部の人間で悠希ではなかったが、それを聞いた時からワクワクするものを感じていたのは確かだった。
「営業時間が長いから多くのスタッフを雇うことになるし、その辺は手慣れているお前が適任だ。やってくれるか?」
「はい、もちろんです。ありがとうございます、東城さん」
「礼はいい」
士郎はにこりともしなかったが、自分の仕事を評価してくれているとわかって、悠希はさらに嬉しくなってしまう。
「てっきり、クビにでもされるんじゃないかと思っていたので…びっくりしました」
「…なぜだ?」
「だって、東城さんは俺と…」
「よせ、慣れ合う気はないと言ったはずだ。お前の力は評価しているし、これはビジネスだ。私情は挟むつもりはない」
「そう、ですか…」
「これはビジネス」とはっきり言われて、さっきまで高揚していた気持ちが一気にしぼんでしまう。なぜこんなにもショックを受けているのかわからないくて、悠希はポーカーフェイスを崩さない士郎を見ることができなかった。
「神楽井?」
「…っ、はい」
士郎の声にハッとして顔を上げると、やはりいつものポーカーフェイスで士郎がこちらを見ている。
「話を続けるぞ。クラシカルレイニーの店長を任せるにあたって、スタッフの人選にも加わってもらう。そのあとはミーティングや研修もあるから、そのつもりで」
「…はい、わかりました」
「それと、今のカフェレイニーの店長は、他の者に任せる予定だ。その時は引継ぎを頼む」
「はい」
「質問がないなら話は以上だ。何かあればまた連絡する」
「あのっ」
必要事項だけを的確に話すと、士郎はすぐに立ち上がり、部屋を出ようとするが、そんな士郎を引き留めたくて、一緒に立ち上がって話しかける。
「クラシカルレイニーのスタッフのことですが、何人か推薦してもいいでしょうか?」
「心当たりがあるのか?」
「はい。カフェに興味があって、バーテンダーの経験がある友人がいます。クラシカルレイニーはお酒も提供しますよね?」
「あぁ、その予定だ。では声をかけておいてくれ」
「わかりました。それと…」
「…まだ何かあるのか?」
「実は今日、その友人と会う予定なんですが、東城さんも一緒にどうですか?面接する前に、会っておいても損はないと思いますが」
ここで士郎は少し考えるそぶりを見せたが、すぐに「いや、やめておこう」と返される。
「色眼鏡で見ている、と周りに思われでもしたら厄介だからな」
「でも彼、酒屋さんの息子なので、お酒を仕入れるなら持って来いだと思ったんですけど…仕方ないですよね」
そこまで言って悠希が帰ろうとすると、今度は士郎が引き留めてくる。
「待て。ビジネスの話もできそうか?」
「えぇ。親しい友人なので、力になってくれると思いますよ」
悠希は微笑みながらそう答える。内心は「食いついた…」とほくそ笑んでいたのだが。
「では私も同席させてもらおう。時間は?」
「これから連絡することになってます。今電話しましょうか?」
「あぁ、時間は任せる」
悠希は「はい」と返事をして、その場ですぐに電話をかける。
「もしもし、俺。今日、社長と行ってもいいかな?…うん、カフェのオーナーの。…わかった、あとで」
「大丈夫だそうです。今から出られますか?」
「少しだけ部下と話をしてから行くから、外で待っていてくれ」
「わかりました」
そう言って部屋を出て行く士郎を見送って、悠希はまた気持ちが昂るのを感じる。
「こんなに簡単にことが運ぶなんて…ツイてるなぁ、俺」
誰もいないことを確認してから呟いたそのセリフが歪な笑みとともに発せられたのを、士郎は知る由もない。
悠希は言われた通りに会社を出て、近くのベンチで士郎を待つ間、スマホでメッセージを送っていた。ひとつは先ほども電話で話した酒屋の息子である友人、もうひとつは籐真。二通とも送信できたことを確認すると、企みが顔に出ないように表情を作り、何食わぬ顔で士郎を出迎えた。
「おつかれさまです、東城さん」
「あぁ。場所は?」
「少し行ったところにある料亭です。タクシーで行きますか?」
「あぁ」
最低限の言葉しか言わない士郎だが、今日の悠希はご機嫌だった。なにしろ、こんなにも計画通りに進んでいるのだから。
悠希は目の前の大通りでタクシーを捕まえると、二人で待ち合わせ場所の料亭に向かった。見るからに高級そうな佇まいのお店の個室に通された二人を見て、座っていた青年がすぐに立ち上がる。
「お待たせ」
「おう、来たな。こちらが例の?」
「はじめまして、東城です」
悠希が答えるより早く、士郎は慣れた手つきで名刺を差し出した。
「ご丁寧にありがとうございます。寺井丞です、はじめまして」
寺井と名乗った男は丁寧に名刺を受け取り、「今は稼業の手伝いをしているので、名刺がなくてすみません」と頭を下げる。
「寺井というと、あの寺井酒造の?」
「えぇ、ご存知でしたか、さすがですね」
「あの、立ち話もなんですし、座りませんか?」
二人のやり取りを見ていた悠希が話しかけると、上座に士郎、隣に悠希、悠希の向かいに丞が座った。広めの個室で、ここなら気兼ねなく話ができる。
すぐに着物の女性がやってきて、「皆様お揃いでしたらお料理をお持ちします。お飲み物はいかがなさいますか?」と、ドリンクメニューをそれぞれに渡してくれる。
「ここ、私の店が酒を卸しているんです。良い酒が揃ってますよ」
「お酒のことはコイツに任せておけば間違いないですよ。東城さん、どうしますか?」
「…では、お任せします」
「わかりました」
丞はリストの中から酒を注文し、女性は「かしこまりました」と言って、横開きの扉を丁寧に閉めて退室した。
「お酒だけじゃなくて料理もとってもおいしいので、楽しみですね」
「おいおい、俺への態度と随分違うな?」
「丞は友達。東城さんは上司だよ、当然でしょう」
悠希が士郎に笑いかけると、それを茶化すように丞が絡んでくる。そして士郎は悠希には顔を向けず、丞にはビジネス上の笑顔で話しかけた。
「二人は長年のお付き合いが?」
「俺と悠希は中学校の同級生で、色々あって意気投合して、そこからの付き合いです。当時からこいつは女子にモテモテで、すごいのなんのって…」
「丞、その話はいいから」
「いいじゃん、減るもんじゃなし。こいつ、女子には優しいでしょ?彼女が途切れたことがないっていうか…」
悠希が話を制しようとするが、何を思ってか丞はペラペラと学生時代のことを話し出す。
「同じ学年のマドンナまでこいつにぞっこんで、もう大変でしたよ。先輩にも後輩にもモテるんだから」
「そうですか」
士郎は曖昧な笑顔で相槌を打っていると、酒が運ばれてきた。
「丞さん、いつもありがとうございます。こちらのお二人ははじめましてですね、女将の橘真智です。どうぞよろしくお願いいたします」
丁寧に挨拶をするのは、この料亭の女将だった。「料亭 たちばな」は5代続く老舗の料亭で、真智と名乗ったこの女性は5代目の妻。30歳にもなっていないだろうか。華やかな美貌で上品な着物をまとい、その優雅な仕草は、世の男性なら見惚れるほどだった。
「お邪魔してます、真智さん」
「今日のお酒は、先日丞さんのところから仕入れさせていただいたばかりの銘酒ですよ。とても評判がよくて、主人も喜んでますわ」
「それはよかった、オススメした甲斐がありました」
真智が微笑んで首を少しかしげる様がまた美しいのだが、それに少しだけ目を奪われているのは丞だけで、他の二人は少し頭を下げただけだった。
「では、順にお料理をお持ちしますね。ごゆっくりどうぞ」
着物姿のスタッフが酒と先付の料理を置き終わると、女将はまた深々と頭を下げ、静かに去って行った。
「ではどうぞ」
素早く動いたのは丞で、そつない動きで士郎の盃に酒を注ぐと、それに応えるように今度は士郎が丞に、その流れで悠希にも酒を注ぐ。
「僕が東城さんに注ぐべきなのに、すみません」
「いや。ではいただきましょう」
三人で目を合わせると、士郎は香りを嗅いでから盃に口を付ける。
「…良い酒ですね」
「そうでしょう!東北の米で作った純米吟醸で、この辛口さが和食と合うんですよ」
「ん、ホントにおいしい。いくらでも飲めちゃいますね、東城さん」
「おいおい、お前は酒癖が荒いんだから、ほどほどにしとけよ?」
「それは丞の方でしょ」
士郎が素直に感想を口にすると、丞が自慢げに答える。悠希は士郎に話しかけるが、返事がないどころか、まともに顔も見てくれない。丞と茶化し合いながら、そんな士郎に悠希は内心イラついていた。
「東城さんはイケる口ですか?」
「えぇ、まぁ」
「東城さん、今度は俺が注ぎます」
また丞に酒を注がれながら士郎がそう答えると、悠希が横から酒を差し出してくる。士郎は一瞬の間の後、すぐに飲み干してそれに応えた。
「もう一杯」
悠希がまだ酒を持ちながらそう言うので、士郎は仕方なくまた飲み干して、また悠希に注がれる。
「強いんですね、追加頼みましょうか」
士郎の返事を聞く前に丞がテーブルのベルを鳴らすと、すぐに先ほどのスタッフがやってくる。丞が今度は違う酒を頼むと、次の料理と一緒に新しい酒と盃が運ばれてきた。
歓談、とまではいかないが、三人で酒を飲んで料理に舌鼓を打っていると、士郎が箸を置いて丞に話しかける。
「それで、仕事の話なのですが。今度新しいカフェバーをオープンする予定で、酒を仕入れさせていただこうかと思っています」
「それならぜひ。日本酒以外にもたくさん取り揃えていますし、指定の銘柄があれば調達します」
「ありがとうございます。では一度そちらにお伺いして、具体的な話をさせていただけますか?先に資料をお渡ししておきます」
「わかりました、父に伝えます。お預かりしますね」
士郎が茶封筒を手渡すと、丞は丁寧に受け取り、自分の横に置いた。
「こいつから話は色々聞いています、かっこいいオーナーのお店で働けて幸せだって。俺も一緒に仕事出来たら嬉しいです」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします」
嬉しそうに笑う丞に士郎が頭を下げると、丞もそれに応えるように深々と頭を下げる。二人のやり取りを見ながら、悠希は複雑な気持ちになっていた。
『丞とはこんなにも会話が弾んでるのに、俺にはちっとも…』
悠希が半ば酒を煽りながら黙っていると、丞がそれに気付いて話しかけて来る。
「おいおい、いつもよりペース早くないか?」
「…大丈夫。丞は、東城さんと話してて?俺、ちょっと電話してくるから」
「わかった」
「大丈夫」という割には若干足元がおぼつかないような気がするが、悠希はゆっくりと立ち上がって部屋を出た。ひんやりとした空気に触れると急に冷静になる。
悠希は気付かれないようにため息をついて、少し離れた場所にあるシンプルな木の長椅子に腰掛けた。一息ついてからスマホを確認すると、「部活が終わったのでいつでも行けます」と、数分前に籐真からメッセージが来ていて、悠希はすぐに電話をかける。
「もしもし、おつかれさま」
『おつかれさまです!すみません、遅くなってしまって…』
「全然大丈夫だよ。こっちはもう少しかかると思うけど、例のバーに向かっておいてくれる?」
『わかりました!待ってますね』
元気よく返事をして籐真が電話を切ると、悠希は「まるで忠犬…」と思いながらクスッと笑った。
そして、トイレに行ってから二人がいる部屋に戻ると、相変わらずすました顔をして士郎が酒を飲んでいた。もちろん丞もいる。
「大丈夫か?お前、結構飲んでたよな」
「平気。それより、東城さん、全然酔わないんですね」
丞が心配そうに話しかけて来るが、それには短く答え、悠希はなおも士郎に話しかける。
「…顔に出ないだけだ」
士郎はまた盃を空にしながらそう答える。
「そうなんですか?俺、結構酔っちゃいましたよ」
「ほら見ろ、だからペース早いって…」
「丞はちょっと黙ってて」
またも丞が間に入ろうとするので、悠希は丞の言葉を遮って士郎の近くに座った。丞はというと少し肩をすくめて、やれやれといった様子で口をつぐむ。
「東城さん。この後、もう一軒行きません?昔から知ってるいい感じのバーがあって、新店の参考にもなると思うんですけど」
本当に酔っているのか、かなり近い距離で悠希が士郎に話しかける。丞はそれを見て何も言わないが、ため息をついたのがわかった。
「ね、どうですか?東城さん」
「…わかった。付き合おう」
「よかった。…そういうことだから、丞も一緒に来て」
「わかったよ。なんかこいつが絡んだみたいになって、すみません」
「いえ、お気になさらず」
この時、悠希が丞に目配せをしたことを、士郎は気付かない。悠希の思惑に気付くはずもなく、士郎は罠にはまって行くのだった。
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でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
伝説のS級おじさん、俺の「匂い」がないと発狂して国を滅ぼすらしいい
マンスーン
BL
ギルドの事務職員・三上薫は、ある日、ギルドロビーで発作を起こしかけていた英雄ガルド・ベルンシュタインから抱きしめられ、首筋を猛烈に吸引。「見つけた……俺の酸素……!」と叫び、離れなくなってしまう。
最強おじさん(変態)×ギルドの事務職員(平凡)
世界観が現代日本、異世界ごちゃ混ぜ設定になっております。
エリート上司に完全に落とされるまで
琴音
BL
大手食品会社営業の楠木 智也(26)はある日会社の上司一ノ瀬 和樹(34)に告白されて付き合うことになった。
彼は会社ではよくわかんない、掴みどころのない不思議な人だった。スペックは申し分なく有能。いつもニコニコしててチームの空気はいい。俺はそんな彼が分からなくて距離を置いていたんだ。まあ、俺は問題児と会社では思われてるから、変にみんなと仲良くなりたいとも思ってはいなかった。その事情は一ノ瀬は知っている。なのに告白してくるとはいい度胸だと思う。
そんな彼と俺は上手くやれるのか不安の中スタート。俺は彼との付き合いの中で苦悩し、愛されて溺れていったんだ。
社会人同士の年の差カップルのお話です。智也は優柔不断で行き当たりばったり。自分の心すらよくわかってない。そんな智也を和樹は溺愛する。自分の男の本能をくすぐる智也が愛しくて堪らなくて、自分を知って欲しいが先行し過ぎていた。結果智也が不安に思っていることを見落とし、智也去ってしまう結果に。この後和樹は智也を取り戻せるのか。
寂しいを分け与えた
こじらせた処女
BL
いつものように家に帰ったら、母さんが居なかった。最初は何か厄介ごとに巻き込まれたのかと思ったが、部屋が荒れた形跡もないからそうではないらしい。米も、味噌も、指輪も着物も全部が綺麗になくなっていて、代わりに手紙が置いてあった。
昔の恋人が帰ってきた、だからその人の故郷に行く、と。いくらガキの俺でも分かる。俺は捨てられたってことだ。
執着
紅林
BL
聖緋帝国の華族、瀬川凛は引っ込み思案で特に目立つこともない平凡な伯爵家の三男坊。だが、彼の婚約者は違った。帝室の血を引く高貴な公爵家の生まれであり帝国陸軍の将校として目覚しい活躍をしている男だった。
やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。
毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。
そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。
彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。
「これでやっと安心して退場できる」
これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。
目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。
「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」
その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。
「あなた……Ωになっていますよ」
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そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て――
オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。
【BL】男なのになぜかNo.1ホストに懐かれて困ってます
猫足
BL
「俺としとく? えれちゅー」
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相川優也(25)
主人公。平凡なサラリーマンだったはずが、女友達に連れていかれた【デビルジャム】というホストクラブでスバルと出会ったのが運の尽き。
碧スバル(21)
指名ナンバーワンの美形ホスト。自称博愛主義者。優也に懐いてつきまとう。その真意は今のところ……不明。
「絶対に僕の方が美形なのに、僕以下の女に金払ってどーすんだよ!」
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冗談?本気?二人の結末は?
美形病みホス×平凡サラリーマンの、友情か愛情かよくわからない日常。
※現在、続編連載再開に向けて、超大幅加筆修正中です。読んでくださっていた皆様にはご迷惑をおかけします。追加シーンがたくさんあるので、少しでも楽しんでいただければ幸いです。
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