チート火消に憧れて、火消になってはみたけれど

落花生

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あれがチートの戦い方だ

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 春の目の前で、鴉が跳んだ。
 長い髪を一つにくくり、黒に近い紫の半被に身を包む。高い跳躍の後に、鴉は鬼の太ももに着地する。鴉が履いている高下駄の裏には錐が仕込まれていて、それは鬼の肉体に突き刺さる。錐は滑り止めの役割を果たし、鴉は自分の体が固定されているうちに次の一歩を踏み出す。それを繰り返して、鴉は鬼の体を駆け上がるのだ。
 春は、それを見ていた。
 鴉隊に入って、ようやく春も鴉と共に出撃することを許された。というよりは、四十万の目をかいくぐって鴉に勝手についてきただけである。春が現場についたときに、すでに鴉だけではなく朱雀隊も到着していた。彼らは隊長の指示のもとで、鬼の足や鬼の炎から千切れて生まれてくる火の子の討伐にあたっている。
 本当ならば、一人で鬼の体を上る鴉の隣に並び立ちたい気持ちが春にはあった。
 だが、春の身体能力を模倣することができない。そのため、朱雀隊の面々たちと一緒に地道に鬼の足を攻撃している。鬼より生み出された火の子たちが、鬼の足に挑む定火消たちを妨害しようと襲い掛かる。春の背後にも、火の子が現れる。大人ほどの背丈の鬼が、春の肩の触れようとしていた。
「くそっ」
 触れられる寸前に、春は自分の背後にいた火の子を刀で押しのける。
 火の子は鬼と同じく武器を持たないが、炎であることに変わりない。触れられれば、火傷をする。春は鬼に背を向け、火の子に対して刀を構えた。
 鬼が出現し、鴉が走り、春がそれを追う。
 鴉隊のなかで、その構図は完成され始めていた。だが、春はそれを不満に思う。春が相手にするのは、鴉が歯牙にもかけない火の子がほとんどであった。むろん、火の子討伐も大切な定火消の仕事である。それでも春は、鴉の隣に並び立ちたいのだ。
「助けて!」
 崩れそうになっていそうな家屋から、女性の声が聞こえてきた。どうやら、逃げ遅れがいたらしい。春は自分に向かってきた火の子を切り捨て、声がした方へと向かおうとする。だが、その道筋にも別の火の子がいる。
 ひゅっ、と春は息を吐いた。
 次の呼吸が始まる前に、刀を振り下ろす。それで眼前の火の子が二つに切り裂かれ、春はその間を走り抜ける。春の歩みを邪魔するように、再び火の子が目の前に現れる。春は刀を下から上に振り上げて、火の子をバッサリと切り捨てた。
 ふっ、と息を吸う。
 まだ、声の場所からは遠い。
 建物は今にも崩れそうなのに、春の前にはまだ火の子がいる。鴉ならば、きっと一瞬で火の子たちを蹴散らして声の主を助けられるに違いない。
 だが、春ではだめだ。
 春では、まだ届かない。
 自分の実力では、まだ誰かを助けるにはいたらない。春は切実に、鴉が捨てた腕が欲しいと思った。鴉の片腕分でも実力があれば、春は目の前にいる一人を救える。
 鴉に両腕がそろえば、きっと万人を救える。
「ぼうっとするな!」
 春の後ろにいた火の子を切り払ったのは、霧人であった。赤い朱雀隊の半被をまとった彼は、春の手を引いてその場から逃げ出そうとする。
「まだ、あっちに人がいる!」
 助けなければ、と春は叫ぶ。
 無理だ、と霧人も叫ぶ。
「もうすぐ、鬼が倒れてくる。だから、もういったん移動しないと危ない!!」
 春は、空を見上げる。
 頭上では、鴉が跳んでいた。片腕を失いながらも鴉の身体能力は圧倒的であり、誰も寄せ付けない。そして、鴉が鬼の気を惹いている隙に足元の火消たちが鬼の足に切りかかっている。もうすぐ鬼の足は、使い物にならなくなる。そのとき、倒れてくるのはおそらくは春たちがいる場所だ。そこから、定火消たちは倒れた鬼に止めを刺すのである。
「それでも、見捨てられるか」
 春は、崩れ落ちそうな家屋に入り込もうとする。
 霧人は春を止められないと思ったのか、彼の肩から手を離した。春は振り返ることもせずに、まっすぐに民家に向かって走っていく。
 もうすぐ、たどり着く。
 もうすぐ、助けることができる。
 もうすぐ、鴉に近づけるかもしれない。
「消え鬼がでたぞ!!」
 火消の一人が叫んだ。
 春も思わず足を止めて、空を仰ぐ。そこには、さっきにはいなかったはずの鬼が増えていた。こちらの鬼も天に届くほどに大きく、鴉はその鬼に向かって跳んでいく。鬼の肉体を足場にして、鴉が消え鬼の頭部へとたどり着く。腰に刺した刀を引き抜き、鴉は鬼の目を貫こうとした。
「がっ……」
 消え鬼が、鴉を手で叩き落とす。
 鬼には知性がないと言われている。ただ歩くだけで、火消が集まってきても逃げようともしない。そんな鬼が、鴉を邪魔者だと理解しているふうに叩き落とした。
 鴉の体は、地面に向かって落ちてゆく。
 春は、その光景をあんぐりと口を開けて見ていることしかできなかった。
「くっ!」
 鴉は空中で姿勢を変えて、半鐘が吊ってある火の見櫓に向かって縄を投げる。その縄の先には寸胴がつけられており、それが振り子の原理によって勝手に火の見櫓の柱に巻きついた。
 縄をしっかり握っていたか鴉の体が、空中で止まった。
 火の見櫓に結び付いた縄が、鴉が落ちてゆく勢いを止めたのである。
 鴉は自分から縄から手を離し、地面に着地する。
「今のは……ちょっとびっくりしました」
「今のをびっくりですますな!」
 危機一髪のところで無事に地面に着地した鴉を思いっきり殴ったのは、朱雀であった。他の朱雀隊の面々は、一時的に鬼から距離を取っている。新たな鬼の出現に、警戒した朱雀が命じたのであろう。
「鴉、お前は消え鬼をどう見ている?」
 兄の質問に、鴉は答える。
「そう……ですね。俺を叩き落としたところを見ると知性があると言って、いいのかもしれない。今まで、そういう反応をされたことは初めて……いけない!!」
 鴉は、朱雀の背中を力いっぱい蹴り飛ばした。朱雀はたたらを踏みつつ、鴉から離れることとなり、鴉もその場から離れる。
「鴉!」
 朱雀が振り向いて弟を呼んだ時、自分のいた場所には鬼の足が着地していた。鴉は鬼の足から逃げ回るが、鬼は必要に鴉を踏みつぶそうと追いかける。
「隊長!」
 春は、鴉を助けようと走ろうとした。
 だが、鴉以上に助けを求めている人間の存在を春は寸前のところで思い出した。鬼と戦い苦戦している鴉を助けるよりも、今は逃げ遅れた住民を他付けるべきなのだと思った。鴉は一人で戦えている、だから春ができることは何一つもないとも思った。
 春は、崩れかけた民家へと飛び込む。
 そこには声の通りに女性がいた。気絶はしていたがまだ息はあり、春はほっとする。春は、すぐに女性を抱きかかえて外に逃げ出した。外に出れば、きっと鴉は鬼に一矢報いているであろう。
 だが、外にでた春が見たものは想像とは違った。
 鴉は、鬼に追い詰められていた。
 鬼は必要に鴉を踏みつぶそうと追いかけ、鴉は地面を駆けながら逃げ回っている。そのしつこさは、まるで鬼が鴉自身に恨みでも抱いているようだった。
「鉄砲を持ってるヤツ!まずは消え鬼だ。消え鬼を狙え!!」
 朱雀が自分の隊に号令を出し、鴉の援護をしようとする。だが、残念ながら鬼は鉄砲をあまり気にしていないようであった。たとえ弾が撃ち込まれて血が流れたとしても、鬼の歩みは止まらない。
 鴉は鬼の足へと飛びつくために、跳躍する。だが、今の今まで鴉がそれをしなかったのには理由があった。
「――隊長!」
 春は、いけないと叫ぶ。
 鬼の足が、鴉へと向かって跳んでくる。
 鬼は、鴉を蹴ったのである。
 この蹴りを予測していたからこそ、鴉はぎりぎりまで跳びあがるということをしなかった。だが、鴉は追い詰められていた。跳びあがらなければ活路はないというとろこまで追い詰められ、ついに跳んでしまった。
 鬼に蹴りあげられた鴉は、今度は火の見櫓をつかって勢いを殺すこともできずに地面に叩きつけられる。すぐに鴉は、立ち上がりはしたものの足は震えていた。
 恐怖からではなく、痛みや疲労などで鴉の足は震える。
 もう立っていることも辛いであろう。
 鴉の体は、傷だらけだ。
 火傷に切り傷、叩きつけられた時に骨も折っているかもしれない。それでも、そんな痛みは顔に出さずに鴉は立ちあがる。
 いっそ死んでしまったほうが、楽であろう。
 それでも、鴉は刀を離さず立っている。
 その姿は、春に自分が助けられたときに見たものであった。幼い頃――火事ですべてを失った日に見た情景。鴉が圧倒的な力量で、鬼を屠った光景。
 それに、よく似ていた。
 鴉は追い詰められていたのに、鬼を圧倒して春を助けた日によく似ていた。
 春は、近くにいた火消に自分が助けた女性を預ける。そして、その代りとばかりに火消が持っていた鉄砲を奪い取った。
「おい!」
「ちょっと、借りる!!」
 春は、鉄砲を握りしめながら鴉の元へと急ぐ。
 鴉は、動こうとしない。
 だれも、鴉を助けようとしない。
 助けられない、と思っているのかもしれない。鬼に対して圧倒的な戦力でありつづけた鴉が、今まさに負けようとしている。自分たちが助けに行っても助からない、と皆があきらめていたのだ。
 春は、それでも走っている。
 あきらめたくはなかった。
 崩れ落ちそうな家屋から女性の声が聞こえてきたときと同じように――鴉もまた見捨てたくはなかったのだ。
「はる……?」
 ぼんやり、と鴉が呟く。
 まるで、現実をうまく認識していないかのような笑みであった。
 その光景に春は何故だか、慈悲を感じた。
 戦い続けた鴉が痛みも苦痛も分からなくなって戦場のなかで逝くのは、無慈悲な現実を憐れんだ仏の憐れみのように感じられた。
 それでも、春はその慈悲に包まれようとする鴉を助けようと走っていた。
 助けたい、と思った。
 だから、春は走るのだ。
 春は鴉と鬼の間に割り込み、鉄砲を構える。腕や足といった大振りであて易いところに銃弾を撃ちこんでも、さしたる痛みを鬼は感じていないようだった。ならば、狙うのは目である。鴉も、鬼と戦う時は目をよく狙っている。
「首席卒上をなめるなよ!!」
 導線に火をつけ、引き金を引く。
 弾丸は放たれたが、目まで届く前に鬼に叩き落とされる。
 春は、唇を噛んだ。
 これ以上、春ができることはない。春が切りかかっても、鬼には傷を負わせられないだろう。手に持つ、鉄砲だけが春に使える有効な武器であった。
「隊長……ごめんなさい」
 思わず、春は呟く。
 助けたかった。
 けれども、助けられなかった。
 悔しい、と春は思う。
 春では、鴉を救えない。
「……誰も、助けられない」
 ぼそり、と春は呟く。
 目の前が真っ暗になって、呼吸すらもできなくなったような気がした。
「一人は助けたじゃないですか」
 小さな声が響く。
 振り向くと、鴉が前を向いていた。真っ直ぐに、春の背中を見つめていた。その瞳はどうしてか幼く、一本に結わえていた髪がほどけて風になびいていた。それはまるで、本物の二本の黒い翼のようであった。
「一人は助けられた。それでいいじゃないないですか」
 鴉の言葉に、春は首を振った。
「最盛期の隊長だったら、全員を助けられた。隊長自身だって、助けられたはずで……」
 春の言葉に、隊長は首をかしげる。
 春の言葉や悔しさが、理解できないとでも言いたげな顔であった。
「一人だけで、何ができると思いますか?」
 冷えた声が響いた
 鴉のものでも、春のものでもない。
 それは、白虎のものであった。
「死ぬことぐらいしかできないでしょう、この馬鹿!」
 自らの部下を引き連れて登場した白虎は、声を張り上げる。
「一斉に打て!!叩き落とすなんて真似はさせるな!!」
 白虎の怒声と共に、いくつものの弾丸が消え鬼に襲い掛かった。
「今だ!朱雀隊は前へ!!」
 朱雀が叫び、朱雀隊が消え鬼へと向かっていく。
 春は、はっとした。
「このままじゃ、普通の鬼は野放しに」
 元々は普通の鬼を退治しに、春たちはやってきたのである。だが、消え鬼に意識を奪われすぎていた。
「おまえら、おまけ相手だと思って気合を抜くなよ!!」
 聞こえてきたのは、玄武の声である。
 見れば玄武隊までが現れて、春たちが手を回すことができなかった鬼に向かって突撃していた。火消隊が合計四つも出撃しているという事実に、春の背中が粟立つ。他の場所にも鬼が出現する可能性があるため、火消の部隊は一か所に四つ以上は固まらないようにしている。つまり、今のこの状態は江戸の火消隊の最高戦力の状態であった。
「隊長格は、それだけ消え鬼を潰したいってことか……」
 春の考えは、外れてはいないだろう。
 火消たちは、今まで散々消え鬼に煮え湯を飲まされ続けている。倒したいと思いは強いだろうし、これを何よりの好機と見ているだろう。
 消え鬼が、これほどまでに長く姿を現し続けたことはない。いつも消え鬼は、鴉が現場に現れる頃合いになると消えていた。
「うすのろ!早く鴉を避難させろ」
 白虎の怒声で我に返った春は鴉の肩を貸して、できるだけ鬼から離れた。必要に鴉を追っていた消え鬼だったが、さすがに朱雀隊と白虎隊の二つを相手にしていては鴉を追うことはできなかった。
 春は、鴉を支えながらも鬼の様子を見やる。今の今まで火消したちの攻撃を受けていた消え鬼は、急に別の鬼へと向かっていった。その予想外の光景に、誰もが唖然とした。
「全員、退避!!」
 朱雀の叫び声と共に、火消たちが逃げ出す。
 春も、鴉と共にできる限り遠くへと走ろうとした。
 ――消え鬼が、別の鬼を押し倒した。
 巨大な鬼が突然倒されたことによって風圧が生まれ、熱風が火消たちを襲う。その熱風にまかれた者や鬼の巨体に潰された者、阿鼻叫喚の地獄絵図のなかで春は何とか呼吸をしていた。風で吹き飛ばされはしたが、幸い大きなけがはない。鴉もそれは同じだった。
「消え鬼が……いないようです」
 いち早く、鴉は戦場を見ていた。
 そして、消えてしまった鬼に気が付いた。
「春、鬼が消える瞬間を見ましたか?」
「隊長と一緒に転がったから、見てませんけど」
「そう……ですか?」
 鴉は、少しばかり思うところがあるようだった。
「鴉隊長!お怪我は?」
 鴉に声をかけたのは、霧人であった。
「霧人、お前も無事だったか?」
「ああ、俺は避難誘導をやってたからな」
 大怪我を負っている鴉を逃がそう、と霧人も春に手を貸す。
「避難誘導をやっていたなら、春の恋人の安否もわかりますよね。春、俺のことは大丈夫だからそっちに行っても」
 鴉の突然の言葉に、春は目を点にする。
「えっと……隊長、頭を打ちましたか?」
「春、女性を助けたじゃないですか?」
 首をかしげる鴉に、春も首をかしげてしまう。
 たしかに春は崩れかけた家屋から女性を救出したが、どうしてそれが恋人ということになってしまうのだろうか。
「あの人は恋人じゃないです。名前もしらない初対面の人ですけど、助けるのは当然の義務じゃないですか。というか、隊長。よく見てましたね」
 あのときの鴉は、消え鬼から逃げていたはずである。普通ならば、春の行動など見ている暇はないはずだ。
「あの時は色々考えることがあったので」
「あの状態で考えるって……」
 本当に人間離れしているなぁ、と春はため息を漏らす。
 鴉隊に所属になってから鴉のことを間近で見ているが、同じ人間である気がしない。
「……もしかして、ご家族とかだったんですか?」
 鴉は、納得いかない様子であった。
「だから、知らない人ですって」
 ようやく春の言葉を鴉は飲み込めたようだった。
「どうして、知らない人を助けるんですか?」
「隊長、余裕を見るのは後にしてください!まだ、鬼はいるんですよ」
 霧人の言葉で、鴉は後ろを振り向く。
「ああ、本当だ。赤々と燃えていますね」
 綺麗ですよ、と鴉は小さく呟いた。
 春が後ろを振り向いたとき、鬼は火消隊に囲まれて退治されるところであった。
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