チート火消に憧れて、火消になってはみたけれど

落花生

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鬼も元は人間だってことを分かってなかった

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 鬼が出て、悪党もいるが、それを含めての江戸という街なのである。皆、慣れていた。危険でも生活し続ける度胸と忍耐が備わっていた。明日にはすべてを失うとしても、それを恐れたりはしない。そういうしなやかな強さを持つ街であった。
「春は、江戸は好きか?」
 霧人が訪ねる。
「ああ、俺の家族は全員が江戸の火事で死んだけど……ここから離れようとは思わなかった」
 生まれも育ちもずっと江戸で、憧れたものさえ江戸にあった。
 春は、江戸を離れた暮らしなど知らない。
 だから、ここを離れて暮らすなど考えたこともなかった。
「俺の姉さんも江戸が好きだった。俺の姉さんは、猫隊から火消に所属が変わったことを喜んでいた。これで、江戸中の人を守れるって。そんな姉さんのことが、俺が好きだったんだ」
 霧人の昔語りは、ありふれていた。
 幼いころ両親を亡くし、姉が猫隊に入って霧人を養ってくれていたこと。あまりに姉が厳しすぎて、鬼のようにも見えていたこと。それでも、祭りのときには手を引いて見物に連れて行ってくれていたこと。
 霧人の話は、ありふれた歳の離れた姉弟の話であった。
 誰もが持っていて、誰もがいつの間にかなくしてしまう幼少期の記憶。
 きっと鴉と朱雀も持っているであろう、兄弟の幼少期の記憶であった。
「そんな、姉を殺したのは俺だった」
 霧人は、そう宣言する。
 春は、霧人の言葉を上手く飲み込めない。
 そんな春の様子に、霧人は笑みをこぼす。
「だって、俺は姉を愛してしまったんだ」
 すべてをあきらめたように、霧人は笑う。
 その笑顔は、この世のすべてを無意味に肯定していた。もうこの世の些事に関わることなどないと、無責任に笑う。
「この世で一番姉が好きだったんだ。この世で一番愛しくて誇らしい、女性だった。もしかしたら俺が抱いたソレは男女のソレではなかったかもしれない。でも、姉はそうだと判断した」
 霧人の姉は、凛とした人であった。
 姉に情愛を向ける弟など許しはしなかった。弟の方は、それが情愛かどうかも分からなかったが。
「姉は俺を殺そうとしたんだ。姉が二十五歳で、俺が十五歳のときだ……。たぶん、それがあの時にできた姉さんの唯一の愛情表現だったんだと思う」
 霧人には、姉の殺意が理解できた。
 姉が何に怒っているかも理解できたから、あえて弁明はしなかった。殺されるつもりであったし、殺されても仕方がない実力差であった。
「でも、本当は嫌だったんだ。俺は、姉さんを愛していた。殺されたくなかったわけじゃない。姉さんだって、俺を愛していたんだと思う」
 あの人は俺を殺そうとしたときに泣いていたんだ、と霧人は言う。
 殺されたくない、と思った。
 愛したい、と願った。
「その時、胸の鬼火が熱く燃えたんだ。その炎をあまりに熱くて、俺がそのとき抱いていた感情を全て燃やしつくした」
 そのとき、初めて霧人は鬼になったという。
 姉に殺されないために。
 生きて姉を愛し続けるために。
 霧人は鬼になった。生きたい、愛したいという思いが霧人の胸の鬼火を燃やして鬼となり、霧人は姉を殺した。普通であれば霧人は、鬼として他の火消に退治されていたであろう。だが、霧人は人間に戻ることができた。
「春、鬼が人間に戻ることは意外と難しくはないんだ。姉さんが昔言っていた。鬼から人間に戻った奴がいるって、そいつのことが頭にあったから戻れたのかもしれない」
 霧人は、唖然としている春を見る。
 団子にまったく手を付けられないでいる春に、霧人は自分の分も進める。
「ここの団子は美味いよな」
「……今の話は、本当なのか」
「嘘をつく理由は、一つもない」
 たしかに、そうなのである。霧人が鬼であると告白することは、霧人の利益にはならない。だからといって、霧人の話が全て本当だとは思えない。
「信じられないか。なら、証明を一つ。俺は鬼になったときに、愛という感情を燃やして失った。だから、俺はもう愛が分からない。それでも、ときより愛が知りたくてどうしようもなくなる。いや、違う。今もこの胸に愛があるのを証明したくてたまらなくなる」
 ゆるり、と霧人は立ち上がった。
 そのとき、春には思い出したことがあった。
「朱雀隊の隊長が……鬼から人間に戻った奴は、失った感情に固執するって」
「そうか。案外、あの人当たりが鬼から人に戻ったっていう人なのかもな」
 そんなわけはないかもしれないけれども、と霧人は言う。
「春、俺は惚れると人を殺したくなる。いいや、違う。俺にとっての愛情表現は、殺すことなんだよ。姉さんが、俺に施してくれたことだから。だから、俺はそれを信じて殺している。……出没していた女辻斬りは、俺なんだよ。俺は惚れた女への愛を証明していただけなんだよ」
 霧人は刀を抜き、春に切りかかろうとした。
 咄嗟に春は鉄砲を持ち、霧人の刀を防ぐ。定火消同士の争いに、周囲の客は呆然としていた。春は、彼らに被害が及ぶことを恐れる。
 霧人の実力は、おそらくは春よりも上。
 しかも、霧人の話を信じるならば彼は鬼になることもできる。
 春一人では太刀打ちできないし、戦うべきではない。すぐに逃げて、応援を呼ぶべきだ。しかし、それだけはできないと春は思った。逃げることが最良の手段だと分かっているのに、それだけはできないと思った。
 ここで春が逃げたら、この場にいる全員を危険にさらす。
 町人ばかりの団子屋で霧人と戦えるのは、唯一春だけである。
 だから、逃げてはならない。
「おい、おまえ! さっきはよくもやってくれたな」
 霧人が先ほどの伸した小悪党が、春たちを見つけて小走りでやってくる。春は、霧人の視線がそちらに向いたことを確認した。
「逃げろ!」
 春は叫ぶが、小悪党たちには伝わっていない。
 そもそも彼らには、春の事情も霧人の事情も理解できないであろう。だから、春の「逃げろ」という叫びも伝わるはずがないのだ。
「くっ――」
 春は、霧人を見た。
 救いたい、と思った。
 霧人ではなく、霧人の脅威にさらされるすべての人々を。
 救いたい、と春は切に願った。
「あっああああっっ!!」
 渾身の力で、春は霧人に向かって銃を振りかぶる。構える時間は与えられないだろう、刀を抜く時間も与えられないだろう、ならば構えている鉄砲を刀代わりにした方がいい。春は、そう判断した。それに面食らったのは、霧人であった。
 初手で、春は鉄砲を構えて霧人の刀を防いだ。
 それは咄嗟のことで、春は次の手のことなど考えていなかったであろう。だから、攻撃に移るときは刀に持ち替えると霧人は思っていた。だが、春はそうしなかった。鉄砲を振りまわせば暴発の可能性がある。だが、春はそれを恐れなかった。
 いいや、違う。
 暴発を恐れなかったのではない。
 その可能性を考えて、あえて恐れることを止めた。霧人とできるだけ優位に戦い、周囲の人々を守るために春は自分の危険を顧みずに鉄砲を刀のように使った。
「春……おまえは、本当に」
 自らに襲ってくる春の鉄砲を刀で受け止めながら、霧人は目を細める。霧人という敵から周囲の人々を守るために、春は鉄砲の暴発という不の可能性を抱えることを良しとした。そして、それを後悔などしなかった。
 霧人が敵に回った事実にさえ、春はすぐに受け入れた。
「火消の才能、あるぞ」
 霧人の言葉に、春は一瞬言葉を失った。
 だが、すぐに攻撃に転じる。
 春と霧人の攻防戦の異様さに、周囲の人間が逃げはじめる。春はその様子を横目で確認する。周囲に人がいなくなれば、春は逃走するつもりであった。
 火消としての実力は、霧人の方が勝っている。
 勝負が長引けば、必ず霧人が勝つ。
 その前に撤退し、自分は――助けを求めに行かなければならない。
「おまえら、何身内で争ってやがる!」
 春は、目を丸くした。
 小悪党が逃げていない。
 彼は、春と霧人が過激な喧嘩をしているとしか思っていない。自分を無視し、仲間同士で争う馬鹿者たちとしか思っていない。
「にっ、逃げろ!霧人は……消え鬼なんだ!!」
 このまま小悪党に居すわられたら守れない。
 そう判断した霧人は、真実を叫んで小悪党に逃げて欲しいと懇願した。
「……そういうことだったのですか」
 静かな声が響いた。
 次の瞬間に、霧人の腕に弓矢が刺さった。
 その古風な武器の登場に、霧人も春も言葉を失った。遠距離用の武器として鉄砲が主流となった江戸では、弓は教養用の武器としかみなされないお飾りだ。だが、その武器の扱いに長けた人物を春も霧人も一人だけ知っている。
「青龍隊長……」
 春は、呟く。
 自分の背後には、弓を構える青龍がいた。
「往来で喧嘩をしている定火消が二人いると聞きましたが……まさかこういうことになっているとは」
「先生……」
 春は、弓をつがえる青龍を見つめる。
 青龍隊の隊長は、教師としての才能を重要視される。隊長になる前の青龍は、他の面々とは違って弓矢を得意とする火消であった。だが、隊長になってからは青龍は弓矢を捨てた。他者に教えるには、弓矢は不適切だと分かっていたからである。
 弓矢を扱える火消を作るのには、労力がかかる。
 腕力、集中力、風向きの計算、そのすべてを肉体に叩きこまなければならない。だが、鉄砲はそれを短縮させる武器だ。定火消のなかに弓矢は不要、と判断した青龍はあえて自分の得意武器を捨てた。
 その青龍が、弓矢を持ち出してきた。
 彼も、消え鬼の事件の早期解決を望んでいたのだ。
 だからこそ、自らが最も得意な武器を持ち出してきた。 
「あなたは、亡き先代の弟。悪いですが、あなたが消え鬼であると民衆に知られれば青龍隊の信用が失墜する。あなたには、ここで死んでもらいます」
 青龍の弓矢が、霧人を狙い撃つ。
 だが、その矢は当たったが致命傷にはならなかった。
 霧人の肉体が大きく変化し、鬼の姿となったからだった。
 青龍はさらに弓をひこうとするが、手を止めた。青龍の腕でも消え鬼の目を狙うことはできる。だが、青龍と春だけではその後のことができない。鬼に止めを刺すには、あまりにも武力がたりない。
「一度引きます。春、あなたも撤退を!」
「先生!!」
 春は、青龍を呼んだ。
「霧人のこと……なんとか穏便にすることはできないでしょうか?」
 春の言葉に、青龍は首を振る。
「霧人は、消え鬼でした。それだけで、討伐すべき悪です」
 青龍の言葉は、定火消としては最もであった。しかも、霧人は女辻斬りであったとも告白している。二重の罪は、決して許されていいものではない。
「春――逃げましょう」
 できれば、春はその場に残りたかった。
 残って、霧人を見届けたかった。
 だが、それもできないと分かっていた。
「……はい、先生」
 春は、霧人に背を向ける。
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