婚約破棄された伯爵令嬢ですが、辺境で有能すぎて若き領主に求婚されました

おりあ

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 夕暮れ迫る主取水堰前。かつて渇きを訴えた石畳の水路は、今や満々と水をたたえ、ゆったりと王都へと水を送り続けている。セリナ・リーヴェルは泥まみれの手袋をはずし、ほっと息をついた。

「これで水路は元通りです。王都の飲み水と農地用の水が、確実に供給されるはずです」

 水路保全局の職員たちが頭を下げ、歓声にも似た安堵の声が広場に響く。朝から続いた工事は、川底や取水口に溜まった砂や泥を取り除く、堆積物の除去に始まり、給水パイプの破損箇所には応急処置をし、漏水を完全に止めた。
更に臨時ポンプの増設を行い、一気に水路が回復した。
 重機の轟音から一転、静かに流れる水音が勝利を告げている。セリナは肩の力を抜き、顔を上げた。

「王都の皆が、これで安心できる。この手応えは間違いありません」

 アレイスターも駆け寄り、大きく頷いた。

「君の采配があってこそだ。辺境で培った知識が、いま王都を救っている」

 二人は短い笑みを交わしながら、工事現場の残務を見守った。職員たちは夜通しの作業で疲れ果てているはずだが、その表情には充実感があふれていた。

ーーー

 暗がりの残る宮廷庭園。水路を背に立つレオニス王太子は、せり出した噴水をぼんやりと見つめていた。そこへ、セリナが静かに歩み寄る。

「王太子殿下、応急工事は無事完了しました」

 レオニスは深く礼をしてから、目を合わせた。

「ありがとう、セリナ。本来なら私が率先すべきだった。君の助けなしでは、王都は本当に干上がっていた」

 かつて婚約を交わした相手からの言葉は、重く胸に響く。しかし、セリナの目にはもう、過去のときめきはなかった。代わりにあるのは――

(私は、アレイスターの支えを信じている)

 その思いを胸に、セリナは澄んだ声で答えた。

「私は、王都の民のために動きました。殿下個人への義理ではなく、公的な責務として──」

 レオニスはひそりと息を吐き、少しだけ肩を落とした。

「わかっている。ただ……君の才能をもっと早く生かせなかったことを悔いている」

 セリナは一瞬、言葉に詰まった。だが、迷いはすぐに消える。

「過去のことはよいのです。私は今、アレイスター伯と共に王国を守る立場にあります。それが第一です」

 レオニスの目に、わだかまりと尊敬が入り混じる。かつての婚約者としてではなく、国を動かすパートナーとして、セリナを見つめなおしているのがわかった。

「そうか……君がそのように言うのなら、私も全力を尽くそう」

 レオニスは言い、ポケットから簡素な書簡を取り出した。

「第二段階の提案だ。恒久的な堰の補強案と、新たに遊水池を設ける計画を立てよう。君の意見を聞きたい」

 セリナは書簡を受け取り、軽く目を通した。岸壁の強化方法や貯水容量の見直しが図面で示されている。

「この補強案に沿い、堤防の内側に排水路を追加すれば、洪水と渇水の双方に対応できます」

 レオニスは感嘆の声を漏らし、静かに礼をした。

「君となら、この国の未来は安心だ」

 しかしセリナの心には、もう一人の存在があった。アレイスター・クロフォードの穏やかな励まし、共に築いてきた日々。

(私の信頼は、あなたではなく、アレイスターさんにある)

 セリナは小さく頷き、礼を返した。

「公的な連携として、今後ともよろしくお願いいたします」

 レオニスはその言葉をしみじみと噛みしめ、最後に問いかけた。

「いつか…個人的なわだかまりも、話せる時が来るだろうか」

 セリナは微笑みながらも、静かに首を振った。

「今はまだ──国と民のために、私たちの立場を最大限に生かすべき時です」

 レオニスは寂しげに目を伏せ、そして再び前を向いた。

「わかった。まずは王都全体の復旧を優先しよう」

 二人は背中を並べ、主取水門を見据えた。水路に映る夕陽の残照が、二人の影を色濃く模った。
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