婚約破棄された伯爵令嬢ですが、辺境で有能すぎて若き領主に求婚されました

おりあ

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 辺境リーヴェル領、初夏の朝。鳥のさえずりが野花の香りを運び、そよ風が田園を優しく撫でる。セリナは白いブラウスに淡緑のスカートを合わせ、手袋をはめてトマト畑の小径を進んでいた。朝露に濡れた葉の玉露が、陽光に反射してきらきらと踊っている。隣を歩くアレイスターは、肩にかけた外套の裾を風になびかせながら、軽やかな足取りで収穫を手伝っている。

「このトマトも、よく出来ている」

 ユルゲンがひと枝をそっと折りとり、セリナに差し出す。彼の横顔には、自分の作物が人々の食卓を潤す喜びが満ちていた。

「ありがとう。午後には屋台で並べられるはず。あなたたちの努力が実を結んでいるわ」

 セリナは優しく微笑み、トマトを籠へと移す。アレイスターも手伝いながら頷いた。

 午前の市場広場。村の中心、石畳の広場には野菜や果物、手作りのパンやチーズを並べた屋台が賑わいを見せている。子供たちは焼き菓子を頬張り、元気よく走り回っていた。セリナは屋台の主人一人ひとりに声をかけ、笑顔を交わす。

「今年のナスは形が良いですね」

 老女が笑顔でお礼を言い、セリナは売れ行きを確かめるようにうなずいた。
 一方、アレイスターは広場の隅で荷車を整理している。

「転倒しないよう、荷台の縁はしっかり縛るんだ」

 ひとりの少年を手伝いながら、物資の安全を確認している。
 市場の賑わいを後に、二人は農地から伸びる小道を抜けて見回りに出る。歩きながら、セリナは芽吹いたばかりの麦穂に触れる。

「次の雨で、一気に背が伸びるだろうな」

 アレイスターは傍らの水路を指差した。

「水量も安定しています。昨夜の見張りのおかげで、土砂詰まりも解消されました」

 セリナは胸を張りながら説明する。二人の呼吸はぴったりと合っており、息遣いだけで連携が取れていることが伝わってくる。
 午後、二人は学校に足を運ぶ。小さな学校の教室の黒板には「ありがとう せりな」「あれいすたー」の文字が並び、子供たちは自分の名前を書いて得意気だ。
 教室を出たセリナは、窓からその様子を見つめる。講義の合間に手を振る子供たちに、彼女は安心した表情で手を返した。
 夕暮れ、丘の上。黄金色に染まる丘の頂上で、村長スルトと語り合う。背後には村々の屋根が点々と広がり、遠くには山岳の稜線が紫に霞んでいる。

「スルトさん、この景色を見ると、すべてが報われた気がします」

 セリナが大地を見渡し、胸を張った。

「あなたとアレイスター殿が来てくれて、本当によかった」

 スルトは深い声で頷く。
 夜になると村の広場には、行灯の灯りがぽつりぽつりとともり、村人たちは輪になって踊る。リュートと太鼓の素朴な調べに合わせ、セリナは子供の手を取り、笑顔で舞う。アレイスターは村人と肩を組み、互いの労をねぎらい合う。

「領主代理に作業着も似合いますね」

 老兵のトビアスが飲み物を差し出して笑う。

「ありがとうございます。これも皆さんのおかげです」

 アレイスターは屈託なく微笑み、村の長老たちと盃を交わす。
 長い一日を終え、馬車は静かな小径を進む。石畳を離れ、草原の道へ入ると、星明りだけが二人の道を照らしていた。

「今日は本当に、人々の笑顔が輝いて見えました」

 セリナは窓越しの星空を仰ぎ、静かに語った。

「この村の未来を、君と一緒に守れて幸せだ」

 アレイスターはそっと手を握り、優しい声で返す。

「王都では味わえない夜ですね……私の居場所は、ここにあります」

 セリナの声は揺れ、アレイスターは再び手を締めた。

 翌朝。辺境伯邸のバルコニー、二人は朝陽を浴びながらそっと語り合う。丘の向こうから新たな作業隊が到着し、遠くにロードリル村の鐘の音が響く。

「さあ、また一歩前へ」

 セリナは軽く頷き、馬車に乗り込んだ。

「共に、歩みましょう」

 アレイスターは笑顔で頷き、馬の手綱を握る。
 幸福は、特別な祝賀ではなく、日々の営みにこそ形づくられる。刻まれた二人の足跡は、これからも辺境の大地に深い緑を育んでいくだろう。
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