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「遊ぼー」

 男爵の家に泊まらせてから一日が経った朝。二人はダブルベッドで共に寝ることにしたが、ダブルベッドの真ん中には大きな隙間が出来て端は落ちてしまいそうなほど狭い状態で寝ていた。彼と彼女の気遣いであるが、本当に不自然なほどに真ん中だけ凹んでいる。そんな中、アデリーナは自分の体に不自然な重みがあることに気がつく。ゆさゆさと揺れていて、どうも自分を起こそうとしているようだった。まだ眠気があり、布団に潜っていたかったが、それが幼子の声であると起きずにはいられなかった。

「どうしたのですか?」
「遊ぼー」
「ちょっと待ってください」

 体がだるい中、元気な声と共に体を揺さぶってくるのは流石に堪える。子ども、もとい男爵の娘であるエミリーをベッドから下ろして、アデリーナも布団から出ることにした。子どもというのは気まぐれなものである。まだ朝も早いというのにそれを考慮しないで、自分を優先してしまう。それが子どものいいところではあるのだが、朝に弱い彼女にとっては苦なものだ。いつも起こしてくれる公爵もまだ眠っている時間帯。外もまだ完全には太陽が出ておらず、青か橙色か分からない夜明けの早朝であった。エミリーがどれくらい早く起きたのか分からないが、ぴょんぴょんと跳ねてアデリーナを支度を待つくらいには元気そうだった。

「何して遊びますか?」

 起きてから、ようやく身支度を終えたアデリーナはエミリーの元へと行くが、彼女は床ですっかり寝てしまっていた。彼女は落胆するが、そのスヤスヤと寝ている寝顔を見てはただ笑みを溢すばかりであった。

 エミリーをベッドで横にさせて毛布をかけ、ポンポンと優しく叩いてあげていると、奥の方でモゾモゾと布団が動き出した。

「おはようございます、クロスさん」
「もう起きていたのか?早いな」

 アデリーナはすかさず、彼に挨拶するが、その声を聞いてクロスはだいぶ驚いた。いつもはスヤスヤと心地のよい寝息を響かせながら寝ているアデリーナが自分よりも早く起きているのだから無理はない。

「今日は何かあったのか?」
「ええ。エミリーさんが遊びに誘ってくれて起きたのですが、身支度を終えると寝てしまっていて」
「そうか。それは大変だったな。もう一度寝るか?」
「いえ、いいです。もう身支度をしてしまいましたし、また、それを崩して寝るのは面倒ですから」
「そうか。なんというか、朝起きてすぐにアデリーナの声を聞けるなんて思いもしなかった」
「いつも、あなたの方が早く起きますからね。そう思うのも無理はありません」

 クロスにさっきあった出来事を伝えると決まりが悪そうな顔をしていた。きっと、彼女が子どもの理不尽に振り回されてかわいそうであると思っているのだろうが、彼女にとってこの経験も大事なことであった。

「子どもができれば、こんな理不尽が毎日続くのかもしれませんね」
「え?ああ、そうかもしれんな」

 彼女にとっては何気ない発言であった。聖女の身である彼女はその後継者を育てるために、その相手が誰であるかに関わらず、いずれ子どもは産まなくてはいけないと思っている。だから、こうして子どもの素の状態を見れて少し経験が積んだような気がしている。しかし、クロスにとってはどうだろうか。つい先日、酔った状態であったとしても子どものことに言及され、そのことを彼女は覚えているような反応であった。これが自然に出た言葉なのか、はたまた狙った言葉なのか、彼はそれについて聞くこともできずに流すしかなかった。

「クロスさんはこの時間帯に起きていつも何をされているのですか?」
「皇居にいるときは食事を取ったりしているな」
「では、何か作りましょうか?」
「いいのか?」
「ええ、もちろん。まだ未熟ですが色々と教えてもらったので。確か、この家にある食材は自由に使っていいんでしたよね」

 彼女は以前、クラベン地区に滞在した際に少し料理を教えてもらっていた。まだ完璧とまではいかないが、ある程度ならきっと出来るはずだ。

「なんでも揃ってますね」
「アレックスの妻が料理好きらしい。だから、色々用意されているのだろうな」
「ああ、あの方ですか。優しそうな方でしたし、料理もできるなんてすごいですね。尊敬します」

 雑談を交えながら食材を取り、準備は終わった。これだけあるのなら、軽めの朝食を作れそうだ。

「私も何か手伝おうか?」
「いいえ、クロスさんは待っていてください。私がちゃんと一人で作れるというところをお見せしますので」

 そう言ってクロスには待ってもらい、一人でキッチンに立つと危ない手つきで包丁を扱う。教えてもらったと言っても、もうすでに包丁を使わなくなってから数日が経ち、あの時の感覚というものを忘れてしまっていた。

「あらあら、こんな早い時間にもう起きてるなんて」

 ようやく一つの野菜を切り終えたところで、廊下から足音を立ててこちらに向かって来る女性がいた。

「おはようございます。キッチン使わせてもらってます」
「あ、いいの。気にしないで」

 彼女こそ男爵の妻、ドロシーである。彼女は寝起きだからなのか危うく局部が見えるのではないかと思うほど際どい薄い肌着一枚着ている。

「危なっかしいわね。ちょっと貸して」
「ありがとうございます」

 子どもに教えるのかのようにアデリーナの背後に立ったドロシーは包丁を握っていた手を握るとアデリーナを操縦するようにした。

「何?夫に手料理でも振る舞おうとしてるの?」
「ですから、クロスさんは夫ではないです!」
「あれ、そうだったかしら」
「昨日も言いました」

 ドロシーは見て分かる通り、クロスが公爵であり、アデリーナが聖女出会ったとしても一般人のようにフランクに接してくれる。アレックス男爵もまたそんな身分関係なく接してくれる彼女のことを好いたみたいだった。

 しかし、ドロシーはその性格ゆえに無神経でもあった。初めて会った時もクロスとアデリーナのことを夫婦の関係であると勘違いして、アデリーナが寝室に行く際に、致すときは気にしないからと声をかけたりしてくる。心配してくれるのはありがたいことであることに違いはないのだが、そういった関係ではないのだと伝えても、彼女はそれを信じようとしなかった。

「作られている料理もある中で、わざわざ自分で作ろうとしたじゃない。自分の作った料理を食べてもらいたかったのでしょ?」
「違います」
「えー、ほんとかな?」
「私のことはいいですから、顔でも洗ってきてください」

 ウザ絡みを続けるドロシーをキッチンから離れさして料理を再開する。彼女が顔を洗い、髪を解かし、身なりを整える間に料理は完成し、クロスと共に、食事を取ることにした。彼と対面になる席に座ったところでドロシーも戻ってきた。

「私も一緒に食べていい?」
「ええ、構いません」

 昨日のうちに作っていた料理をよそって彼女も食卓の輪に入る。

「ドロシーさんいつ仕事に行くのですか?」
「後一時間後には出る予定でいる」
「だいぶ早いんですね」
「まぁ、仕方がないけどね」

 ドロシーは男爵の妻である以前に医者でもあった。この朝早くから出る医者という仕事は朝が弱いアデリーナにとって遠くの存在である。

「クロスさんは、今日も話し合いでしょうか」
「ああ、そのつもりだ」
「では、ドロシーさん。今日、あなたの仕事を手伝ってもいいでしょうか?」
「え、逆にいいの?」
「ええ。今日することないですし」

 今日することがないのはもちろんだが、彼女もやはり人助けをしたいのである。それに本来、医者というのは聖女のサポートをするもの。というのも、聖女があらゆるものから守ってくれるおかげであるが、聖女のいないこの国では医者が必要不可欠であり、重要な存在だ。そんな彼女らを助けるという思いもある。

「ええ、いいわよ。その方が助かるから」
「では、一時間後ですね」

 食事を済ませて、それなりの身支度をしてドロシーと共に勤務先へ行くことにした。
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