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――四年前の、ある夏の日のこと。
『――かんぱーい!』
風鈴の音が優しく響く和の居間にて、声とグラスをコツンと合わせる僕ら。とは言え、誰もお酒ではないのですが。そもそも、僕は未成年ですし。
尤も、両親共に僕に合わせてくれたわけではなく、元より二人とも飲酒も喫煙もしないようで。そして、その影響か僕自身にもそういった欲求はなく、きっと二十歳になっても嗜むことはないのでしょう。
ともあれ、何のお祝いかと言うと――最近になって突如知らされたという、社内における父の大幅昇進に関してで。
『……それにしても、未だに信じられないよ。あんなにお前は能無しだと社長に言われ続けてきたこの僕が、まさか……』
『馬鹿ねえ、貴方。口ではそんなふうに言いながらも、玲人の頑張りを見てくださっていたのよ、社長さん。報われて良かったわね』
『そうだよ、お父さん。だから自信持って!』
『……うん、ありがとう弥里、玲里』
それから、ほどなくして。
今までに覚えのない豊かな食卓を囲みながら、和やかにやり取りを交わす僕ら。食卓には北京ダックなど、実物としては見たことのない料理まで……でもまあ、本日は特別ですので。明日からはまた以前に近い食卓に戻るでしょうし、そうでなくては困ります。
その後も、和やかな時間は続き食事は終了。基本的に倹約家の両親ゆえ、散財はせず無理のない範囲で生活の水準を上げるという理想とも言える判断の下、外崎家はそれまでよりも良い雰囲気に満たされるようになりました。
尤も、以前が良くなかったわけではないのですが……ですが、以前は父が自身の収入に関し母と僕に申し訳なく思っていて、そんな彼の姿に母も僕も胸を痛めるものがありましたから。
――すると、そんなある日のことでした。
『……ここ、だよね』
ある夕暮れの頃。
そう、ポツリと呟く。そんな僕の前には、何とも立派な黒い邸宅。そして、その前には僕の通う中校の校庭ほどもある広大な庭が……いえ、これでは何も伝わらないですよね。
まあ、それはともあれ……どうして、一介の庶民たる僕がこのような場違い極まる場に立っているのかと申しますと、この家のご主人――僕の父が勤める会社の社長さんから、この度ご招待を受けているからで。
……ただ、そういう事情ではあるのですが――
『……でも、なんで僕だけ?』
再び、ポツリと呟く。そう、それが最たる疑問。父だけ、あるいは家族全員をというお話なら何も疑問はありません。
ですが、僕だけを招待となると話はまるで変わってきます。当然ながら、全く以てその理由に覚えがありません。正直、何かの手違いである可能性が最も高いと。
ですが、いずれせよやはり参らないわけにはいきません。なにせ、お相手は父が大変お世話になっている会社の社長さん――やはり手違いであっても、こちらで勝手に決めつけてご紹介に応じないなどといった無礼があってはならないのです。
『…………ふぅ』
本日、何度目かの深い呼吸。そして、震える指でそっとインターホンを……うん、間違っても粗相のないように……ないように――
『――――お待たせ、玲里くん!』
『…………へっ?』
予想外の明るい声に、唖然と声を洩らす僕。と言うのも――僕を迎えてくれたのは、社長さんではなく若い女性。……まあ、僕自身は社長さんがどんな方かも知らないんだけど……それでも、中年の男性だと父から聞いているので、目の前の女性が社長さんでないことだけは確かで。だとすると――
『あっ、私は澤島舞衣。ここ澤島家の一人娘で、大学二年生。よろしくね、玲里くん!』
『あっ、はい! 宜しくお願いします澤島さん!』
『ふふっ、舞衣で良いよ』
『……あ、えっと……はい、舞衣さん』
すると、僕の反応から察してくれたのか、人懐っこい笑顔で自己紹介をしてくださる女性。やはり、社長さんの娘さんだったようで。……ところで、今更ではありますが……うん、綺麗な人だなぁ。
『遅くなったけど、今日は来てくれてありがとね玲里くん』
『……へっ? あ、いえ、こちらこそお招き頂きありがとうございます、舞衣さん!』
『ふふっ、やっぱり可愛いなぁ玲里くん。あっ、飲み物用意するからどこでも好きなところに座ってて。アールグレイで良いかな?』
『あっ、はいもちろんです! その……ありがとうございます』
それから、ほどなくして。
リビングへと案内して頂いた後、そのようなやり取りを交わす舞衣さんと僕。……ですが、リビングとは言ったものの……えっと、リビング……だよね? どこかのパーティー会場とかじゃなくて。……うん、どこに座ろうかな。
『お待たせ、玲里くん。アールグレイとキャロットケーキだよ。こういうの、食べたことある?』
『……あ、ありがとうございます舞衣さん。……いえ、きっと見るのも初めてで……』
『ふふっ、そっか。うん、これは文字通り人参を使ってるケーキなの。日本のよりも糖度の高い人参をね。イギリスでは有名なスイーツなんだけど、お口に合うと嬉しいな』
『……へぇ、とても美味しそうです』
どこに座るか迷った挙げ句、結局すぐ近くの椅子に腰を下ろした僕にニコッと微笑みそう話す舞衣さん。こんなにもてなして頂き申し訳なく思いますが、かと言ってお断りする方が申し訳ないことは流石に僕でも分かります。……なので――
『……おいしい』
そっとケーキをスプーンで掬い口へ含むと、思わず感嘆の声が。……ところで、今更ですが紅茶から口をつけるべきだったでしょうか? ……すみません、こういう時のお作法をまるで存じなくて。……ですが、本当に想像していた以上に美味し――
『ふふっ、ありがと。ほんと可愛いなぁ、玲里くん』
『……あっ、いえその……』
すると、可笑しそうに微笑みつつそう口にする舞衣さん。……しまった、まるで子どものような反応を……いや、まるでも何も実際に子どもなの――
『……ほんと、すっごく可愛い……うん、食べちゃいたいくらい』
『…………へっ?』
一人恥ずかしくなっていた最中、不意に届いた彼女の言葉にポカンと口を開く僕。……いや、言葉に対してもだけど……気のせいか、彼女の表情が一瞬……いや、気のせいだよね。
『……その、ごちそうさまでした。その……本当に、美味しかったです』
『ふふっ、お粗末さまです』
それから、およそ20分後。
そう、手を合わせ一礼しながら伝える。尤も、普段の僕のペースであれば数分ほどで終えていたのでしょうけれど……ですが、こういう場においてはなるべくゆっくりと頂くのが礼儀なのかと……まあ、知らないのですけど。
ただ、それはそれとして……結局、どのような理由で僕を招いてくださったのでしょう? それに、今のところ社長さんは一向にお姿を――
『――それじゃ、そろそろ行こっか玲里くん。私の部屋に』
『…………へっ?』
『――かんぱーい!』
風鈴の音が優しく響く和の居間にて、声とグラスをコツンと合わせる僕ら。とは言え、誰もお酒ではないのですが。そもそも、僕は未成年ですし。
尤も、両親共に僕に合わせてくれたわけではなく、元より二人とも飲酒も喫煙もしないようで。そして、その影響か僕自身にもそういった欲求はなく、きっと二十歳になっても嗜むことはないのでしょう。
ともあれ、何のお祝いかと言うと――最近になって突如知らされたという、社内における父の大幅昇進に関してで。
『……それにしても、未だに信じられないよ。あんなにお前は能無しだと社長に言われ続けてきたこの僕が、まさか……』
『馬鹿ねえ、貴方。口ではそんなふうに言いながらも、玲人の頑張りを見てくださっていたのよ、社長さん。報われて良かったわね』
『そうだよ、お父さん。だから自信持って!』
『……うん、ありがとう弥里、玲里』
それから、ほどなくして。
今までに覚えのない豊かな食卓を囲みながら、和やかにやり取りを交わす僕ら。食卓には北京ダックなど、実物としては見たことのない料理まで……でもまあ、本日は特別ですので。明日からはまた以前に近い食卓に戻るでしょうし、そうでなくては困ります。
その後も、和やかな時間は続き食事は終了。基本的に倹約家の両親ゆえ、散財はせず無理のない範囲で生活の水準を上げるという理想とも言える判断の下、外崎家はそれまでよりも良い雰囲気に満たされるようになりました。
尤も、以前が良くなかったわけではないのですが……ですが、以前は父が自身の収入に関し母と僕に申し訳なく思っていて、そんな彼の姿に母も僕も胸を痛めるものがありましたから。
――すると、そんなある日のことでした。
『……ここ、だよね』
ある夕暮れの頃。
そう、ポツリと呟く。そんな僕の前には、何とも立派な黒い邸宅。そして、その前には僕の通う中校の校庭ほどもある広大な庭が……いえ、これでは何も伝わらないですよね。
まあ、それはともあれ……どうして、一介の庶民たる僕がこのような場違い極まる場に立っているのかと申しますと、この家のご主人――僕の父が勤める会社の社長さんから、この度ご招待を受けているからで。
……ただ、そういう事情ではあるのですが――
『……でも、なんで僕だけ?』
再び、ポツリと呟く。そう、それが最たる疑問。父だけ、あるいは家族全員をというお話なら何も疑問はありません。
ですが、僕だけを招待となると話はまるで変わってきます。当然ながら、全く以てその理由に覚えがありません。正直、何かの手違いである可能性が最も高いと。
ですが、いずれせよやはり参らないわけにはいきません。なにせ、お相手は父が大変お世話になっている会社の社長さん――やはり手違いであっても、こちらで勝手に決めつけてご紹介に応じないなどといった無礼があってはならないのです。
『…………ふぅ』
本日、何度目かの深い呼吸。そして、震える指でそっとインターホンを……うん、間違っても粗相のないように……ないように――
『――――お待たせ、玲里くん!』
『…………へっ?』
予想外の明るい声に、唖然と声を洩らす僕。と言うのも――僕を迎えてくれたのは、社長さんではなく若い女性。……まあ、僕自身は社長さんがどんな方かも知らないんだけど……それでも、中年の男性だと父から聞いているので、目の前の女性が社長さんでないことだけは確かで。だとすると――
『あっ、私は澤島舞衣。ここ澤島家の一人娘で、大学二年生。よろしくね、玲里くん!』
『あっ、はい! 宜しくお願いします澤島さん!』
『ふふっ、舞衣で良いよ』
『……あ、えっと……はい、舞衣さん』
すると、僕の反応から察してくれたのか、人懐っこい笑顔で自己紹介をしてくださる女性。やはり、社長さんの娘さんだったようで。……ところで、今更ではありますが……うん、綺麗な人だなぁ。
『遅くなったけど、今日は来てくれてありがとね玲里くん』
『……へっ? あ、いえ、こちらこそお招き頂きありがとうございます、舞衣さん!』
『ふふっ、やっぱり可愛いなぁ玲里くん。あっ、飲み物用意するからどこでも好きなところに座ってて。アールグレイで良いかな?』
『あっ、はいもちろんです! その……ありがとうございます』
それから、ほどなくして。
リビングへと案内して頂いた後、そのようなやり取りを交わす舞衣さんと僕。……ですが、リビングとは言ったものの……えっと、リビング……だよね? どこかのパーティー会場とかじゃなくて。……うん、どこに座ろうかな。
『お待たせ、玲里くん。アールグレイとキャロットケーキだよ。こういうの、食べたことある?』
『……あ、ありがとうございます舞衣さん。……いえ、きっと見るのも初めてで……』
『ふふっ、そっか。うん、これは文字通り人参を使ってるケーキなの。日本のよりも糖度の高い人参をね。イギリスでは有名なスイーツなんだけど、お口に合うと嬉しいな』
『……へぇ、とても美味しそうです』
どこに座るか迷った挙げ句、結局すぐ近くの椅子に腰を下ろした僕にニコッと微笑みそう話す舞衣さん。こんなにもてなして頂き申し訳なく思いますが、かと言ってお断りする方が申し訳ないことは流石に僕でも分かります。……なので――
『……おいしい』
そっとケーキをスプーンで掬い口へ含むと、思わず感嘆の声が。……ところで、今更ですが紅茶から口をつけるべきだったでしょうか? ……すみません、こういう時のお作法をまるで存じなくて。……ですが、本当に想像していた以上に美味し――
『ふふっ、ありがと。ほんと可愛いなぁ、玲里くん』
『……あっ、いえその……』
すると、可笑しそうに微笑みつつそう口にする舞衣さん。……しまった、まるで子どものような反応を……いや、まるでも何も実際に子どもなの――
『……ほんと、すっごく可愛い……うん、食べちゃいたいくらい』
『…………へっ?』
一人恥ずかしくなっていた最中、不意に届いた彼女の言葉にポカンと口を開く僕。……いや、言葉に対してもだけど……気のせいか、彼女の表情が一瞬……いや、気のせいだよね。
『……その、ごちそうさまでした。その……本当に、美味しかったです』
『ふふっ、お粗末さまです』
それから、およそ20分後。
そう、手を合わせ一礼しながら伝える。尤も、普段の僕のペースであれば数分ほどで終えていたのでしょうけれど……ですが、こういう場においてはなるべくゆっくりと頂くのが礼儀なのかと……まあ、知らないのですけど。
ただ、それはそれとして……結局、どのような理由で僕を招いてくださったのでしょう? それに、今のところ社長さんは一向にお姿を――
『――それじゃ、そろそろ行こっか玲里くん。私の部屋に』
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