玲瓏たる月の下、命懸けの恋を貴方と

暦海

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身売り

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 ――あれは、10歳を迎える間近のこと。


『――貴女は、今日からここで生きるの』


 隣から、にっこり朗らかな微笑で告げる少し厚化粧の女性。彼女の言うこことは、少し遠くから眺めたことしかなく、貧乏人の私には無縁だと思っていた驚くほど大きな木造の建物。まだ幼かった当時はどういう場所かもほとんど分かってなかったけど……それでも、足を踏み入れたいと思ったことは一度もなくて。

 そして、後に分かったのだけど――彼女は『女衒せげん』と呼ばれる、経済的に窮する家庭から娘を引き取り遊女屋に斡旋している人のようで。尤も、その辺りの事情なんて当時は分からなかったけど……それでも、一つ分かったことは――私は、両親に売られ妓楼ここに連れてこられたということで。




「それにしても、貴女は本当に親孝行な娘さんね、鈴珠すずちゃん。ご両親も、貴女をとても誇りに思っていたわ」
「……そう、ですか?」
「ええ、もちろんよ。まずは見習いからだけど、一生懸命に頑張って一人前の遊女になれば、ゆくゆくはご両親を楽にさせてあげられるわ」
「……そう、ですか」


 それから、ほどなくして。
 驚くほどに長い廊下を進みつつ、朗らかな笑顔のままそう口にする女衒の女性。だけど、親孝行も何も私は知らない間にここに連れてこられただけだし、両親ふたりが私を誇りに思っているとも思えない。どんな事情があるにせよ、誇りに思うような娘ならまず売りに出さないと思うし。

 それと、最後の台詞に関してだけど……あの、本気で言ってる? 確かに、私を売ったところで対した額にはならない。と言うのも――これも後から知ったことだけれど、10歳にも満たない私は遊女としてお客さんの相手をするようになるのに数年は掛かるため、当然ながらその期間は私による店の利益はなし。そして、その期間あいだの生活費や教育費が差し引かれるため10代半ばや後半の娘に比べ売って得られる額は少なくなる。そこに仲介手数料として差し引かれる分もあるので、両親の下に入る額は更に少なくなる。恐らくは、ほどほどに出費を抑えた上で、せいぜい数ヶ月を凌げればという程度の額で。

 なので、両親を楽にさせるためには一人前の遊女となり稼ぐ必要があるのだろうけど……いや、本気で言ってる? 別に、二人を恨んでいるわけじゃない。苦しい家計の中ここまで育ててもらったことには一定の感謝をしているし、今回の取引ことだったやむを得ない選択だったのかもしれない。

 ……だけど、それでも何の相談……どころか、報告や謝罪すらもなく自分を売った両親ふたりを楽にしてあげようなどと、そんな立派なことを思えるような善人になれる気なんて皆目しなくて。……まあ、それはともあれ――


「――ここが、貴女のお部屋よ。これから頑張るのよ、鈴珠ちゃん」


 その後、ほどなく莞爾とした笑顔で告げる厚化粧の女性。目の前には、華やかな模様があしらわれた見るからに上質な襖。……ともあれ、一つはっきりしていることは――もはや、遊郭ここで生きていく他選択肢などないということで。



 それから、数年経て――10代半ばとなった私は、初潮を終えほどなく遊女となった。






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