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Ⅰ.ネザリア王国
仮面社交界2
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社交界とは言うが、中は音楽が煩くて会話するには難がある。ネザリアでの親睦会も同じ社交界だと思うとまるで雲泥の差だ。
ここでは誰もが酒を飲みタバコを手にしているし、女性はだらしなく肌を見せた格好をし、男はその素肌に舐め付いていた。こんな淫らな社交の場を同じ”社交界”で呼ぶのは語弊があると思う。
いつの間にか居なくなっていた女性が戻ってきた。手には飲み物を持っており俺に手渡してきた。ピンクのシェードを被ったランプの色がグラスを照らしてあるから、これの中身が何なのかも何色なのかも分からない。
「口を付けない方が身の為よ」
女性は耳元で笑った。
ふと部屋の片隅で話していた男女が、二人でシルクの布を掛けたパーテーションを超えていくのが目に入った。他のカップルも後から同じように入っていくようだ。
「あそこは何だ」
「ふたりきりで話せる場所なの。行ってみる?」
俺の答えも聞かずにまた、女性は強引に俺の腕を引きながらパーテーションの奥へ入った。
中にはテントがいくつか建っている。それぞれ入り口はシルクカーテンを垂らしていて、中の人物を完全に隠しているわけではない。ふたりきりで話せるとは言っても、じろじろ見ていられないようなところもある。
空いているところを見つけると先に入るよう促されて従った。ソファーは無駄に座り心地が良く、女性がシルクカーテンを閉めると程よく薄暗くなりムードが増される。
「ねえ、今日はひとりなの?」
「ひとりだ」
何の会話か分からずそのままに答えている。女性は俺の横に座るかと思いきや、あろうことか俺を押し倒しながら馬乗りになってくるから身を逃そうとした。
「な、何を」
俺は咄嗟に口を抑えつけられ、指を立てて「シー」っとされた。近いところにある女性の仮面から、真剣な眼差しがこちらを見ているような気がした。
俺はそのまま唇にキスをされていた。無論、好きでも無い女性とのキスなどあり得る訳が無い。
やたらに濃厚なキスを嫌々交わされていると、視界の端で人影が動くのが見えた。人気が落ち着くと唇はすぐに離れた。
「なーんだ。結構お上手なのね」
残念がっているような言われ方をされる。彼女から身をよじって逃げ出せると、俺はこの唇を袖でゴシゴシ拭いた。
「人を追い払う為に毎回こんなことをしているのか」
「ええそうよ。楽しいでしょう?」
女性は白い歯を見せながら嫌味なく笑っていた。
「こんなところでまた会えるなんて、あたし達って運命で結ばれているのかもね」
彼女は自身の胸の谷間に指先を入れて、さっき俺からくすねた淡いラベンダーカラーのハンカチをつまみ出した。そして俺に見せつけるためにピラピラと振っている。
ネザリアの会場で出会った控えめな女性が、今ここでキスを強制してくる淫らな女性と同一人物であるとは信じたくは無いが、彼女は情報屋という珍しい職業で、しかもパーティーによく潜み、その場ごとに容姿も名前も匂いも変えると言う。
そんな複雑な人物とは、もう二度と会えなくなればいいと思っていたが、そうはいかなかった。
「運命なんかにされてたまるか」
「じゃあなんでこんなとこに来たのよ? ああ、もしかしてあたしに惚れちゃった?」
俺は苦虫を噛み潰した上に、そんな言葉を聞いて噎せ返った。彼女は軽快に笑い声を上げている。ここの居心地悪さが絶頂に達し、俺はとにかく彼女へと紙切れを手渡した。
「なあに?」
「これを今夜中に渡して欲しい」
半分に折った紙を不思議そうに受け取ると、女性は中身をちらっと覗いただけですぐに閉じている。そして俺の渡した紙は、彼女の膝の上で例のハンカチにくるまれていった。
「今夜中って無理を押し付けるわね。普通に行けば確実に夜が明けるわよ」
悪態をつきながらも女性はシルクカーテンに腕を伸ばし、そのハンカチを持った手を外へと投げ出していた。
俺はどうなるのだろうと見守っていた。よく通る人影が今回も横切ったかと思っていると、彼女の手はもう膝の上に戻っていたのだ。おそらく外の何者かがハンカチだけを俊足で攫っていったのだと思う。
「何だか面白い顔をしているんじゃない?」
仮面の下にきっとある驚き隠せない俺の目を覗き込んできた。
「……ひとりじゃないのか」
「あら、ここの主催者が誰だか分かっていないようね」
「主催者?」
女性は主催者が誰かは明かさずに、俺を屋敷の外へと連れて出た。屋敷しもべはどこにも見当たらなかった。
「今日は楽しかったわ。また会えたらキスをしましょう」
女性は外に俺を置き去りにして扉を閉めてしまった。突然放り出されたらしい俺は、とりあえずその場で仮面を外して顔を掻いている。
外は山の麓ですでに冬の空気であった。そして妙に静かである。旅人などで割と賑わっていたのに人が消えたのかと思えば、時刻はそろそろ宿に戻る時間なのであった。
しかしこの歴史的建造物はまだ眠らないらしい。相変わらずリズムの良い音楽が小さく聞こえ、カーテンからは強い光が漏れ出しているのである。
ここでは誰もが酒を飲みタバコを手にしているし、女性はだらしなく肌を見せた格好をし、男はその素肌に舐め付いていた。こんな淫らな社交の場を同じ”社交界”で呼ぶのは語弊があると思う。
いつの間にか居なくなっていた女性が戻ってきた。手には飲み物を持っており俺に手渡してきた。ピンクのシェードを被ったランプの色がグラスを照らしてあるから、これの中身が何なのかも何色なのかも分からない。
「口を付けない方が身の為よ」
女性は耳元で笑った。
ふと部屋の片隅で話していた男女が、二人でシルクの布を掛けたパーテーションを超えていくのが目に入った。他のカップルも後から同じように入っていくようだ。
「あそこは何だ」
「ふたりきりで話せる場所なの。行ってみる?」
俺の答えも聞かずにまた、女性は強引に俺の腕を引きながらパーテーションの奥へ入った。
中にはテントがいくつか建っている。それぞれ入り口はシルクカーテンを垂らしていて、中の人物を完全に隠しているわけではない。ふたりきりで話せるとは言っても、じろじろ見ていられないようなところもある。
空いているところを見つけると先に入るよう促されて従った。ソファーは無駄に座り心地が良く、女性がシルクカーテンを閉めると程よく薄暗くなりムードが増される。
「ねえ、今日はひとりなの?」
「ひとりだ」
何の会話か分からずそのままに答えている。女性は俺の横に座るかと思いきや、あろうことか俺を押し倒しながら馬乗りになってくるから身を逃そうとした。
「な、何を」
俺は咄嗟に口を抑えつけられ、指を立てて「シー」っとされた。近いところにある女性の仮面から、真剣な眼差しがこちらを見ているような気がした。
俺はそのまま唇にキスをされていた。無論、好きでも無い女性とのキスなどあり得る訳が無い。
やたらに濃厚なキスを嫌々交わされていると、視界の端で人影が動くのが見えた。人気が落ち着くと唇はすぐに離れた。
「なーんだ。結構お上手なのね」
残念がっているような言われ方をされる。彼女から身をよじって逃げ出せると、俺はこの唇を袖でゴシゴシ拭いた。
「人を追い払う為に毎回こんなことをしているのか」
「ええそうよ。楽しいでしょう?」
女性は白い歯を見せながら嫌味なく笑っていた。
「こんなところでまた会えるなんて、あたし達って運命で結ばれているのかもね」
彼女は自身の胸の谷間に指先を入れて、さっき俺からくすねた淡いラベンダーカラーのハンカチをつまみ出した。そして俺に見せつけるためにピラピラと振っている。
ネザリアの会場で出会った控えめな女性が、今ここでキスを強制してくる淫らな女性と同一人物であるとは信じたくは無いが、彼女は情報屋という珍しい職業で、しかもパーティーによく潜み、その場ごとに容姿も名前も匂いも変えると言う。
そんな複雑な人物とは、もう二度と会えなくなればいいと思っていたが、そうはいかなかった。
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俺は苦虫を噛み潰した上に、そんな言葉を聞いて噎せ返った。彼女は軽快に笑い声を上げている。ここの居心地悪さが絶頂に達し、俺はとにかく彼女へと紙切れを手渡した。
「なあに?」
「これを今夜中に渡して欲しい」
半分に折った紙を不思議そうに受け取ると、女性は中身をちらっと覗いただけですぐに閉じている。そして俺の渡した紙は、彼女の膝の上で例のハンカチにくるまれていった。
「今夜中って無理を押し付けるわね。普通に行けば確実に夜が明けるわよ」
悪態をつきながらも女性はシルクカーテンに腕を伸ばし、そのハンカチを持った手を外へと投げ出していた。
俺はどうなるのだろうと見守っていた。よく通る人影が今回も横切ったかと思っていると、彼女の手はもう膝の上に戻っていたのだ。おそらく外の何者かがハンカチだけを俊足で攫っていったのだと思う。
「何だか面白い顔をしているんじゃない?」
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