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船旅をすることになっても一向に構いません
しおりを挟む澄み渡る青空の下。
「すーっはーっ……海って素敵ね!」
甲板で、海の香りを大きく吸い込んで深呼吸すると、強い潮風に銀色の髪がなびいた。
「風で髪が乱れていますね。直すので、こちらに来て下さい」
「ええ、お願い」
ルベルの方へ向かうと、優しい手つきで短くなった髪の毛を整えてくれた。
公爵家を出る前。長過ぎる髪は旅では邪魔になるかも、とルベルに頼んで短く切ってもらった。今の髪型を、私は結構気に入っている。
「髪が短いあなたも素敵ですが、せっかく綺麗に伸ばしていたので、本当に残念です。またいつか、この美しい髪を伸ばしてくれますか?」
結局私のお願い通りにしてくれたけれど、ルベルは最後まで髪を切るのを渋っていたのよね。今もまだ、未練があるみたい。
「ふふっ、いいわ。今度はあなたの為に髪を伸ばしてあげる。約束よ」
鎖骨にギリギリかかる程の長さになった私の髪を撫でる姿が、なんだか無性に愛おしくて。つい、甘やかしてしまう。
「俺の為に……くすっ、ありがとうございます」
とろけるような笑顔で嬉しそうにお礼を言われ、頬が熱くなるのを抑えられない。
「そんなに私の髪が好きなの?」
照れ隠しで、ルベルから目を反らして海を見つめる。
「髪だけじゃありませんよ」
「えっ?」
何かを小さく呟いたような気がして、聞き返そうとすると。
「見て下さい!カモメがあんなにたくさん飛んでいますよ!」
アンジェロが興奮して話しかけてきた。
「あら、本当ね。でも、はしゃぎすぎて海に落ちては駄目よ」
「あっ、そうですね。えへへ、気をつけます」
はしゃいでいたのが急に恥ずかしくなったのか。アンジェロは照れくさそうに笑った。
死んだことになっている私達は今、のんびりと船旅を満喫している。
数日前。ルベルの提案に乗って、私達は死んだふりをすると決めた。
『婚約破棄された私をお父様が修道院へ行かせ、アンジェロとルベルは私を見送る為に同じ馬車に乗り合わせた結果、一緒に事故に巻き込まれてしまった』というのが、ルベルの考えた私達の死因。
お父様は、私とアンジェロを同時に亡くしたショックで自死したということにすれば、お父様の死の辻褄も合う。一石二鳥ね。
私とアンジェロが荷造りをしている間。ルベルが公爵家で働く全ての使用人の記憶を書き換え、私達は死んだと思い込ませた。書斎には、お父様の筆跡を真似て書いた偽の遺書を置いて、完璧。
今頃、王都ではリヴィアンナ・アントーニアとアンジェロ・アントーニアは、死んだことになっているはず。
私達が港町ポルトマーレに移動し、船に乗って西のグラーノ王国へ向かっているとも知らずにね。
「グラーノ王国に着くのは、二日後だそうです。お二人とも、それまで船旅を楽しんで下さい」
「たった二日で着いてしまうのね。船に乗る機会なんてめったに無いから、少し残念だわ」
「あなたは、もう自由です。これからは好きな時に、どこへでも行ける。船に乗りたいなら、またいつでも乗りましょう」
「ありがとう、ルベル!」
嬉しくて、私はルベルの手を握って喜んだ。
今の私は、公爵令嬢リヴィアンナ・アントーニアではなく、ただのリヴ。
アンジェロという名前はそこまで珍しくはないけれど、リヴィアンナは結構珍しい名前だから。名前で公爵令嬢だと気づかれないように、ルベルが考えてくれた新しい私の名前がリヴ。ルベルが私の為に考えてくれたこの名前は、私にとって宝物よ。
ちなみに私達は今、裕福な商家の人間という設定。アンジェロにも、私のことをお姉様ではなく姉さんと呼ばせている。最初は、何度もお姉様と呼びそうになっていたけれど、もう慣れたみたい。
「姉さんもルベルも、僕のわがままを聞いてくれて本当にありがとう」
「家族に会いたいと思うのはわがままじゃないわ。それに、旅の目的が出来てむしろ嬉しいくらいよ」
実は、グラーノ王国に向かっているのは国外逃亡の為だけではない。旅の行き先を話し合っていた時、アンジェロが『お母さんに会いたい』と、遠慮がちに言ったからだった。
アンジェロのお母様のジュリア様は、かつてヴェルデ王国で人気の舞台女優として名を馳せていた。けれど、お父様に目をつけられ、残念なことに愛人にされてしまった。
それでも、アンジェロが産まれた頃はお父様の興味が他の女性に移っていたから。ジュリア様とアンジェロは、市井でしばらく平穏に暮らせていた。
……ただ、その暮らしもお父様の手によって終わりを告げる。
アンジェロが五歳になった頃。公爵家の人間が突然ジュリア様のもとに押し掛け、アンジェロは公爵家で育てる、と無理矢理連れ去ってしまった。
アンジェロはそのまま公爵家の人間となり、ジュリア様と会うことも禁じられた。
お父様は、今まで忘れていたジュリア様のことを突然思い出して。住まいを調べさせ、アンジェロの存在も知ったみたい。
利用出来る手駒は多い方が良い、と。とてもお父様らしい身勝手な考えで、アンジェロは公爵家に引き取られた。
ヴェルデ王国では、爵位を継ぐことが出来るのは男性のみ。きっと、お兄様に何かあった時には、公爵家を継がせるつもりだったのね。
こうして、アンジェロは幼くして母親から引き離され、公爵家で過ごすことになった。
それから七年。アンジェロは一度もお母様に会えていない。
「ーーお母さん、僕のこと覚えてるかな」
若草色の瞳を不安げに揺らして、アンジェロが小さく呟く。
ルベルに調べてもらった結果、アンジェロと離れた数年後にジュリア様は結婚し、グラーノ王国へ移り住んでいた。それを知ったアンジェロは、もう自分のことは忘れているかも、と心配している。
「大丈夫よ。こんなに可愛い子を忘れたりするはずないわ」
アンジェロを抱き締めて、頭を撫でる。
「へへっ。くすぐったいよ」
不満気な顔で、ルベルがこちらをじーっとこちらを見ている。可愛い弟が不安そうにしていたら励ますのは、姉として当然の務めよ。
「……もう、しょうがないわね。ほら、ルベルもこっちに来て」
「リヴ!」
寂しそうな表情になってきたルベルを、結局放っておけなくなって呼ぶと。嬉しそうに近づいて来て、アンジェロを抱き締めている私ごと抱き締めてきた。
「うふふっ、ルベルったら寂しがり屋さんね」
少し高いところにあるルベルの頭を撫でてあげる。
「はい。だから、ずっとおそばに置いて下さい」
「ふふっ、もちろん。いつも、私のそばにいて」
あなたは、私の大切な人だもの。
「約束ですからね」
ルベルは、抱き締める力をさらに強めた。
「……二人とも、僕がいることを忘れてるでしょ」
私とルベルは、アンジェロに謝罪した。
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