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第1章
新たな影
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——翌日。
ブランは日が昇る前に目を覚ました。いつもの習慣だ。
しかし、ブランは凍えることもなく、お腹が空いてもなく、一人でなく。いつもと違った朝を迎えた。
「……ブラン?もう起きたのか?」
バルドロイの声が頭上で聞こえる。ブランはゆっくりと顔を上げた。
「おはようございます、お父様」
「おはようブラン。朝早いんだな」
バルドロイが頭を撫でる。
「いつもお屋敷の前を掃除するんです。その時に成不さんに会えるから」
「……彼のことを良く慕っているんだな」
ブランが頷く。
「成不さんはとっても優しいんです!今日も会えるかな……」
「今日は俺とお出かけする日だから、屋敷の前の掃除はやめておきなさい。今から支度をして街に出る前に会えるといいな」
「はい!」
そういうとブランは早速ベッドから飛び上がった。
「お父様!早くはやく!着替えていきましょう!」
「ははは。少し落ち着きなさい。まずは朝食からだよ」
「はーい!」
バルドロイがベッドサイドに置かれたベルを鳴らすと、少し経ってからアルフレッドが部屋に来た。
「おはようございます、旦那様。お坊ちゃん」
「おはよう」
「おはようございます、アルフレッドさん」
ブランがぺこ、と頭を下げる。バルドロイは驚いた表情でブランとアルフレッドを見比べた。
アルフレッドは困った表情だ。貴族が使用人に頭を下げたのだから。
「ゴホン。……軽食をお持ちしております。こちらで召し上がりますか?」
「あぁ。このまま軽食を済ませてすぐに街に出発しよう」
「承知いたしました」
アルフレッドが手を叩く。そうすると扉が開き、メイドたちが軽食を載せたカートを引いて入ってくる。
「いい匂い」
ブランは思わずお腹を鳴らした。
「スコーンは好きか?」
「はい! あ、でもカール料理長の作ったものは美味しいので全部好きです!」
「カールは腕がいいからな」
飲みやすい温度になった紅茶が渡される。ダージリンの良い香りだ。
焼きたてのスコーンはピーカンナッツが入っていて上からキャラメルソースがかかっている。控えめな甘さとナッツと小麦粉の香り。ブランが食べた朝食の中で一番おいしかった。
(幸せだ……)
「ブラン、食べ終わったら顔を洗って着替えなさい」
バルドロイが言った。バルドロイはまだ新聞を読みながらスコーンを食べている。ブランは頷いたが、屋敷裏の井戸以外で顔を洗ったことが無かったため、どうしようかと動けずにいる。
「ブランお坊ちゃん。こちらへ」
「あ、はい」
アルフレッドは寝室から通じている洗面所へとブランを連れて行った。
大きな鏡と豪華な装飾の洗面台。ブランはあっけにとられていたがメイドたちはサクサク動く。
気が付けばさっぱりしていてブランは驚いた。
アルフレッドはメイドに着替えまで指示し、バルドロイのところまで戻る。メイドたちがブランの服を着替えさせた。
最初は断ろうと思ったブランだったが、高級な服をどうやって着るかわからなかったためメイドに任せた。
「あ、あの。ありがとうございます」
「……」
メイドはブランの顔を見なかった。
「……悪魔め」
「!」
部屋を出る直前、小さな声で言われたのはブランへの差別語だった。
その時、ブランは頭を殴られたような衝撃を受けた。
(……いつものことだ。気にしない)
ブランはそう言い聞かせたが、一晩、バルドロイによって大切にされた反動なのか、悲しい気持ちは消えなかった。
(心のどこかで、お父様が帰ってきたら終わると思ってたのかも……)
ハハ。と乾いた声で笑った。
洗面所にはブランだけがいた。せっかく着替えさせてもらった服を汚さないよう、ブランは気を付けながらもう一度顔を洗った。
水滴を滴らせたまま鏡に向かう。
「……よし。大丈夫」
自分に言い聞かせ、ブランは顔を拭いて寝室へ戻った。
「お父様! 準備ができました」
ブランが笑顔で駆け寄ると、バルドロイも着替えを終えたようだった。
赤いジャケットがよく似合っている。バルドロイが来ている服は普通のジャケットと違い、前身頃にボタンが縦二列に多めに並び、金糸での装飾、立襟、肩章などが特徴的だ。
これは帝国陸軍の制服によく似ているが、形が少し違う。
15年前、バルカ王国に勝利した時の立役者であるバルドロイだけが身に着けることができる。皇室から賜った一種の褒章だった。
バルドロイは駆け寄ってきたブランを抱きしめ頭を撫でた。
「おぉ!良く似合っているな」
「ありがとうございます」
ブランは襟元と袖口にフリルと細かなレースが施されたシャツを着ている。ゆったりとしたシルエットだが、ハイウエストのスラックスがブランの細さを強調していて全体的に儚げな印象を与える。
水色の糸で星の刺繍がちりばめられており、ブランの瞳とよく合っていた。
「こんなきれいな服、僕が来てもよかったんですか?」
「……。もちろんだよ」
バルドロイは一瞬表情を曇らせて奥歯を噛み締めた。
「お前は私の息子なのだから」
「……はい、お父様」
「さぁ。出かけよう。今日はたくさん出かけるからね」
「はい!」
アルフレッドが扉を開く。
バルドロイは黒い外套を羽織り、ブランも水色のケープを羽織った。
外にはすでに馬車が用意されており、玄関から出ればすぐに乗車できた。
ブランがそわそわと落ち着きがないのは成不に会えるか不安だったからだ。そんな様子を見たバルドロイは小さく笑って門前で一度馬車を止めた。
「成不殿を待とうか」
「でも、この時間にはもう帰ってしまっているかも……」
「朝早い方なんだな」
「そうなんです」
ブランはすっかり陽が上がってしまっていることに、しょんぼりと視線を足元に落とした。
バルドロイがなんと声をかけようか、と迷っていると、コンコンと窓がノックされた。
「!」
窓をノックしていたのは浅葱の袴を着た成不だった。
いつも通り、瓶底のような分厚い眼鏡をかけて適当に束ねた髪はボサボサだ。
「成不さん!!」
「やぁ、おはようブラン君。それから侯爵殿」
「良い朝ですな。成不殿」
へらり、と笑みを浮かべた成不にブランはすぐに扉を開いた。
「成不さんおはようございます! 今日もお散歩ですか? 今日は少し遅い時間なんですね。いつもならもっと早いのに、どうしたんですか? もしかして成不さんもお出かけですか?」
「あははは。落ち着いて」
「ブラン。成不殿が困っているからゆっくり話して」
ブランは馬車から飛び降りて成不に駆け寄った。成不は手を広げてブランの小さな体を受け止める。
「今朝は“あるお方”のところまで訪問する予定があってね。今用事を終えたところで少し遅い時間になったんだ」
「そうだったんですね。お友達ですか?」
ブランの言葉に成不が笑った。
「いいや。友人ではなくお偉い様で、私の育ての親みたいなものさ」
「そうなんですね!」
「……“育ての親”、ですか」
バルドロイは少し驚いたようだった。
成不は笑みを浮かべたまま頷く。
「えぇ。久しぶりに顔を見せに来いと怒られてしまって。――寂しがり屋な人だから、少しでも期間が空くとカラスを使って呼び立てるんです」
「“カラス”?」
「伝言カラスのことだよ。貴族なら一人一羽は飼育していて声のやり取りに使うんだ」
伝言カラスは飼育している貴族の魔力を使って声を真似ることができる生き物だ。
知能も高く、飼い主への絶対的忠誠心もあるため貴族の伝令によく使用される。
「それより、今日のお二人は親子水入らずでお出かけですか?」
「そうなんです! これからお父様と街に行くんですよ!」
「それは楽しみだね。何やら今日は広場でお祭りがあるそうだから屋台でも見に行くといい」
「祭り、ですか?」
バルドロイが首を傾げた。久しぶりに帝都に帰ってきたために行事について把握していなかったのだ。
「皇太子殿下が16歳のお誕生日をお迎えになるので、その前日祭なんです」
「! もうそんなに大きくなられたのですか」
成不が頷く。
バルドロイは時が過ぎたことに感心しているようだった。
「今日は城下街で祭りが行われ、明日は多くの中央貴族を招いて皇宮で宴を行うのだとか。……とはいっても、皇族の方々はいつも通り天上から簾越しに眺めるだけですが」
バルドロイはふと思い出した。
「そういえば今朝、執事からうちにも皇宮からの招待状が届いていると聞きました。まだ確認して良かったのですが、パーティーは明日だったんですね」
「バルドロイ侯爵はクロユリ戦争の立役者ですから、一目お目通りしたいという貴族は山のようにいるでしょう。……ご家族そろって参加されるんですか?」
成不は笑顔を崩さなかったが、その言葉の裏には棘のようにバルドロイへの皮肉がこもっている。
「(“昨日の今日で?”と言いたそうだ……)」
バルドロイは頭を悩ませた。
「(確かに、皇宮でのパーティーで既婚の貴族が妻をエスコートしないのはおかしい。かといって一人で参加などしたら“家庭内で何かありました”と大声で言うようなものだ。社交界でたちまち噂になるだろう……)」
バルドロイはまだ妻のしたことを許す気にはならなかった。
アルフレッドから話を聞けば、双子たちもブランをひどく痛めつけていたという。
バルドは今までの15年間を家族に裏切られたような気持ちになってしまった。
「(それに、貴族社会はブランへの風当たりも強い。私のような成り上がり侯爵よりも権力を持った貴族は帝都に山ほどいる。……私だけでは守り切れないかもしれない)」
バルドロイは家族が傷つく姿を見たくはなかった。
それはもちろんブランだけではなく、ミランダや双子だってそうだ。バルドロイにとっては家族は等しく大切なものだった。
社交界で変な噂が流れてしまえば、たちまちミランダや子供たちは恰好の餌食になってしまうだろう。
「(皇族の招集ともなると、特級の方々もいらっしゃるだろう。……ブランを見てなんと言うか……。陸軍の准将であっても特級たる空軍大将は遥か遠きお方。コネクションなどほとんどないようなものだ)」
ブランは二人の会話が何かわからなかったが、バルドロイは明日、皇宮に行く用事があるのだということだけ理解した。
バルドロイは少し考えてから頷いた。
「……明日は家族5人そろって参加しようと思います。皇族からの招集を断るわけにもいきませんから」
意を決したバルドロイに、成不は分厚い眼鏡の奥で眉を顰めた。
「5人そろって、ですか。――ではブラン君は初めての舞踏会ですね。社交界デビューには少し遅いですが、図らずも中央貴族全員にお披露目できるまたとない機会。――“良くも悪くも”経験になりますね」
「……そうですね」
バルドロイはバツが悪そうに目をそらした。愚かで浅はかな決定だということを責められている。
「(成不殿が呆れるのも無理はない。――昨晩、ブランの立ち位置を指摘されたばかりだというのに、屋敷内よりもずっと恐ろしい敵がいる社交界へ連れだそうというのだから、怒って当然だ。……しかし)」
「……? 明日もおでかけするんですか?」
ブランは無邪気に聞いた。家族5人、という言葉にブランは少し嬉しそうだ。
バルドロイは静かに頷いた。
「そうだ。明日は公式の場に出るから、式典用の服も買おうな」
「式典用? 服は全部同じじゃないんですか?」
「ブラン君。服や着飾るものには意味が込められているものが多く、今の話のように皇族から招待されたパーティ―などに行くときは、誰かに失礼のないよう注意を払ったり、家紋の名誉が傷つけられないように権力と美を象徴するような宝石を付けたりするんだよ」
「……そういうものがあるんですね」
(僕は無知だな……恥ずかしい)
ブランは理解できていないようだったが、それも仕方のないことだろう。今までブランに与えられたものはほとんどなかったからだ。
ふと、ブランは顔を上げて成不を見た。
「さっき、中央貴族はみんな参加するって言ってましたよね。ってことは成不さんも参加するんですか? 中央神宮に所属していらっしゃるなら成不さんも帝都の中央貴族ですよね」
「ん? ――あぁ、私? うーん、どうだろう」
成不はへらりと笑って言葉を濁す。
バルドロイが「え」と小さく漏らし驚いた表情だ。
「な、成不殿は、行かれないのですか? ブランにも良くしてくださっていますし、一緒にいてくれたらこれ以上ないほど安心できるのですが……」
「いやぁ、侯爵殿。私をあてにされても困ります。私も神宮での立場があるので、公の場で侯爵家の肩を持つようなことをしてしまうと深読みされてしまうかもしれません」
「むぅ……!」
成不の言い分は正しい。中央神宮は皇宮に次いで高貴な場所だ。宮内庁の職員と神宮に努める神官は同じ位を持つ。皇族も帝国が崇める神も同等の存在としているからだ。
その神の下僕たる神官が家族以外の特定の貴族と仲良くしてしまえば、何かを疑われるのは間違いない。
バルドロイは成不も参加するだろうと見込んで家族全員で参加することを決めていたが、成不がいないとなるとブランのことが心配だ。
「そうですか……。成不さんと一緒に居られると思ったんですけど、少し寂しいです」
「ブラン君……」
捨てられた子犬のような声で呟くブランに成不は良心が痛んだ。
「う~ん」と手を顎に当て数秒悩む。バルドロイもしょんぼりと肩を落としているので、成不は気まずかった。
「はぁ。……仕方ないですね。じゃあ、私が参加できない場合は、僕の知り合いにブラン君をサポートしてもらえるよう頼んでおきます。有権者なので強力な盾になってくれると思います」
「知り合い?」
「成不殿! ありがとうございます!」
バルドロイは思わず成不の両手を握ってぶんぶんと握手した。
ブランは結局、成不に会えないと知り喜ぶことができない。
「……やっぱり、僕は明日行くのやめます」
ブランは自分のせいでバルドロイが明日を不安がっていることを察した。
バルドロイがこんなにも必死に味方を探しているということは、会場に揃うはずの貴族たちは皆、ブランのような見た目の人間に対して快く思っていないのだろう。
「ブラン、なんでだ?」
「だって、僕が行くときっとみんなの気分が悪くなるだろうから」
「ブラン君、僕の知り合いはとっても優しい人なんだよ。安心して会っておいで」
「……でも僕は異質ですから、きっと嫌われてしまいます」
(お父様や成不さんが僕と“普通”に接してくれるから少しだけ忘れていたけど、メイドさんや他の人たちは違うんだ。もっと気を付けないと)
ブランは明るく笑った。
言葉さえ聞かなければ誕生日の子供の様に無邪気な笑顔だった。
成不はその演技力に驚いた。
「(一見、無知で哀れな子供に見えて、この子は……)」
バルドロイはその表情を見ていないのか、申し訳なさそうになんと言おうか探っているようだ。
成不はブランの視線に合わせてしゃがみ、できる限り優しい声色で言った。
「大丈夫。君はとっても素敵な子だから、絶対に気に入ってもらえる。君のことを話すと会いたがると思うよ。パーティーではバルドロイ侯爵とその人と一緒にいればいい」
「……本当ですか?」
「あぁ。神に誓ってもいい」
「……僕の肌や髪を見て気分を悪くされないでしょうか?」
「個性的できっと気に入るだろう」
「……目を合わせたら嫌がられてしまうかも」
「空のように美しい瞳だと喜ぶだろう」
「……貴族としての場にいることに怒りを覚えるかもしれません」
「君のような優しい子がいてくれて関心するだろう」
ブランは成不の優しい声に涙が零れた。
(絶対にそんなことはない。成不さんは僕を励まそうと嘘をついている。――そうわかっているのに、とっても嬉しい。嬉しくて悲しくて報われて。感情が溢れてしまう)
「っ」
「大丈夫だよ……」
「ブラン……」
バルドロイがブランを抱きしめた。
「成不殿。そのお方によろしくお伝えください。明日の会場でご挨拶に伺いたいと」
「わかりました。必ず伝えておきましょう」
「感謝いたします」
成不はゆっくり立ち上がるとブランの頬を撫でた。
「では私はもう行くよ。涙を拭いて。いつものように笑って。――侯爵殿とお出かけを楽しんでおいで」
「っ、はい。……成不さん、ありがとうございます」
「成不殿、うちの馬車をお貸ししましょうか?」
成不は先ほど歩いてきたように見えたが、この後も歩きで移動するのだろうか。
バルドロイが屋敷のほうへ視線を向けるが、成不は首を横に振った。
「いえ。移動手段はありますので大丈夫ですよ。それより、お昼からは人が多くなると思いますから、買い物に行くなら午前中で行った方がいいでしょう」
「……わかりました。今日はブランの顔を見に来てくれてありがとうございます」
「成不さん、またね」
「えぇ、また」
バルドロイが一礼して馬車に乗る。
ブランも同じように真似て馬車へ乗り込んだ。馬車が去るまでの間、成不は門の前で手を振っていてくれた。
しばらく馬車が走り屋敷が遠く見えなくなると、バルドロイは呟いた。
「……成不殿は、本当に良いお方だな」
「はい!」
「何か恩返しをしなければならないな」
ブランはその言葉に何度もうなずいて同意する。
「そうだ、お祭りで良いものがあったらお土産で買っていってもいいですか?」
「あぁ。ブランが選んだものなら彼も喜ぶだろう」
ブランは足をブラブラと揺らしながら窓の外を眺めた。
―とある貴族の屋敷―
一方、成不は馬車を見送ったあとに踵を返した。
早朝まで訪問していた、ある貴族の屋敷に戻ったのだ。
「やぁ。当主様かご子息方はいらっしゃるかな?」
玄関ホールで使用人に声をかけると、みな頭を下げて出迎える。
「これは成不様。今朝ぶりでございます。ただいま旦那様は皇室へ向かわれまして不在ですが、来儀様なら稽古場にいらっしゃいますよ」
「来儀君か。ちょうどよかった、呼んできてもらえる?」
「承知いたしました。では応接間にお茶をご用意させていただきます。そちらで少々お待ちください」
「あぁ」
執事が目配せをするとメイドの一人が離れの方へと駆けていく。執事は成不を応接間へと案内した。
赤い壁紙に金の模様が美しい応接間は全体的に重厚感のある豪華な部屋だった。
とは言え、成不はこの屋敷を隅々まで知り尽くしているため、今に驚くことではなかった。
執事が淹れたジャスミンティーを楽しみながら待つこと2分。
廊下の奥から軽い足音がする。
「……来たか」
スパンッ!
「成不さん!」
「相変わらず落ち着きがないな、来儀」
扉を開けたのは二メートルは超える長身の男だった。かなり鍛えられているようでシャツの上からでもわかる筋肉と、不自然な金髪、茶色いサングラスが特徴的だ。
「俺に用があるんスか?……というか、なんスかそのダセェ格好は!」
走ってきて息をつく暇もなく成不にハグを求めるこの大男は来儀。
成不の分厚い眼鏡と袴姿を面白がっているようだ。
成不はため息をついた。
「この見た目は気にしなくていい。それより君にお願いがあってきたんだ」
「珍しいっスね。いいですよ、俺にできるなら」
「内容も聞かずに即決していいのかい? とんでもない大金を貸して、って言うかもしれないよ?」
来儀はようやくソファに座った。
紅茶を一口飲んでニヤリと笑う。
「俺、成不さんのこと父上の次に信じてるので。それに別にお金が必要ならかき集めてきますよ」
「おや、それは嬉しい。――では私も君を信じてお願いしようかな」
来儀は「どうぞ」と話を促した。
成不は一枚の写真を取り出して机に置いた。
「明日のパーティーで、この子に接触してほしい」
「……」
来儀に見せたのは、ブランの写真だった。
黒い肌、黒い髪、水色の瞳がよく映っている。来儀は黙ったまま写真を見つめている。
「……バルカ王国の生き残りッスか?」
「あぁ」
「皇室のパーティーで、ってことは、この子は敗戦国奴隷じゃあないんスね?」
「さすが来儀君。話が早い。――この子は15年前、“クロユリ戦争の英雄”である陸軍准将バルドロイ・シリウス・ボナパルト侯爵によって養子に迎えられ、侯爵家の次男として中央貴族に名を連ねている」
来儀は心底驚いた表情をした。
「……へぇ。ボナパルト侯爵が養子を引き取ったって噂は聴いてましたけど、こんな子だったんスね」
「あぁ」
「まだ幼いようですけど、明日は社交界デビューってとこですか? 10歳くらい?」
「数日後に洗礼式を迎え、15歳になる。成人だ」
「え?」
来儀は写真を手に取りまじまじと見た。
「――にしては、身体が小さすぎやしませんか?」
「この子はボナパルト侯爵が戦地へ長期任務へ行っている3年の間、義母と義兄弟から虐待を受け続けていた。栄養失調と大きな怪我を毎日負っては私が治療してを繰り返していたから、一般的な成長ができていないんだ」
「虐待、ね。……明日は虐められないか心配なんスか?」
来儀は「違うでしょ?」と笑う。
「成不さんがわざわざ気に掛けるなんて、ただの同情や善意じゃないッスよね。……何を調べればいいですか?」
「さすが裏社会の王家は察しがよくて本当に助かるよ」
成不が紅茶を置く。
「――この子の固有スキルを調べて欲しい。使えるようなら生かして。使えぬようなら手を出さず、見殺しにしてしまって構わない」
成不が懐から出したのは魔力量を測るための魔石だった。
来儀が受け取る。
「……始末しないんですか?」
「放っておいても、貴族たちの恰好の餌だよ」
「……それもそうッスね。まぁ、明日の会場で接触してみますけど、魔石ぐらいじゃ種類までは判別できませんよ? この子も洗礼式前ってことは固有スキルについても自覚してないんッスよね? 仮にスキルを持っていたとしても階級くらいしかわかんないと思いますけど」
「大丈夫。一級以下なら手出し無用だ」
「そんなに極端でいいんスか?」
「いいんだ。十五年前の戦争でバルカ王国の上位貴族は皆殺しにされた。その時点で現存している家門はみな二級以下。――私が探しているのは“特級相当の固有スキル”だからね」
成不の笑みに来儀は思わず身を引いた。
「……なるほど」
「頼まれてくれるかい?」
「断れないですよ。ここまで話を聞いて断ったら俺のこと消すつもりでしょう?」
「まさか!君に手をだしたら君の御父上に私が消されてしまうだろう」
「結局のところ、成不さんと父上ってどっちが強いのかハッキリしてないんですからわからないじゃないッスか」
来儀は両手をあげて降参のポーズをとった。
成不が笑う。
「まぁとにかく、すべては明日の夜わかるってことで!」
「楽しみにしてるね。――楊来儀公子」
成不はそう伝えると部屋を出ていった。
サングラスの奥で来儀の目が怪しく光る。
「……俺も楽しみにしなきゃなァ。ブラン・ボナパルト侯爵子息」
ブランは日が昇る前に目を覚ました。いつもの習慣だ。
しかし、ブランは凍えることもなく、お腹が空いてもなく、一人でなく。いつもと違った朝を迎えた。
「……ブラン?もう起きたのか?」
バルドロイの声が頭上で聞こえる。ブランはゆっくりと顔を上げた。
「おはようございます、お父様」
「おはようブラン。朝早いんだな」
バルドロイが頭を撫でる。
「いつもお屋敷の前を掃除するんです。その時に成不さんに会えるから」
「……彼のことを良く慕っているんだな」
ブランが頷く。
「成不さんはとっても優しいんです!今日も会えるかな……」
「今日は俺とお出かけする日だから、屋敷の前の掃除はやめておきなさい。今から支度をして街に出る前に会えるといいな」
「はい!」
そういうとブランは早速ベッドから飛び上がった。
「お父様!早くはやく!着替えていきましょう!」
「ははは。少し落ち着きなさい。まずは朝食からだよ」
「はーい!」
バルドロイがベッドサイドに置かれたベルを鳴らすと、少し経ってからアルフレッドが部屋に来た。
「おはようございます、旦那様。お坊ちゃん」
「おはよう」
「おはようございます、アルフレッドさん」
ブランがぺこ、と頭を下げる。バルドロイは驚いた表情でブランとアルフレッドを見比べた。
アルフレッドは困った表情だ。貴族が使用人に頭を下げたのだから。
「ゴホン。……軽食をお持ちしております。こちらで召し上がりますか?」
「あぁ。このまま軽食を済ませてすぐに街に出発しよう」
「承知いたしました」
アルフレッドが手を叩く。そうすると扉が開き、メイドたちが軽食を載せたカートを引いて入ってくる。
「いい匂い」
ブランは思わずお腹を鳴らした。
「スコーンは好きか?」
「はい! あ、でもカール料理長の作ったものは美味しいので全部好きです!」
「カールは腕がいいからな」
飲みやすい温度になった紅茶が渡される。ダージリンの良い香りだ。
焼きたてのスコーンはピーカンナッツが入っていて上からキャラメルソースがかかっている。控えめな甘さとナッツと小麦粉の香り。ブランが食べた朝食の中で一番おいしかった。
(幸せだ……)
「ブラン、食べ終わったら顔を洗って着替えなさい」
バルドロイが言った。バルドロイはまだ新聞を読みながらスコーンを食べている。ブランは頷いたが、屋敷裏の井戸以外で顔を洗ったことが無かったため、どうしようかと動けずにいる。
「ブランお坊ちゃん。こちらへ」
「あ、はい」
アルフレッドは寝室から通じている洗面所へとブランを連れて行った。
大きな鏡と豪華な装飾の洗面台。ブランはあっけにとられていたがメイドたちはサクサク動く。
気が付けばさっぱりしていてブランは驚いた。
アルフレッドはメイドに着替えまで指示し、バルドロイのところまで戻る。メイドたちがブランの服を着替えさせた。
最初は断ろうと思ったブランだったが、高級な服をどうやって着るかわからなかったためメイドに任せた。
「あ、あの。ありがとうございます」
「……」
メイドはブランの顔を見なかった。
「……悪魔め」
「!」
部屋を出る直前、小さな声で言われたのはブランへの差別語だった。
その時、ブランは頭を殴られたような衝撃を受けた。
(……いつものことだ。気にしない)
ブランはそう言い聞かせたが、一晩、バルドロイによって大切にされた反動なのか、悲しい気持ちは消えなかった。
(心のどこかで、お父様が帰ってきたら終わると思ってたのかも……)
ハハ。と乾いた声で笑った。
洗面所にはブランだけがいた。せっかく着替えさせてもらった服を汚さないよう、ブランは気を付けながらもう一度顔を洗った。
水滴を滴らせたまま鏡に向かう。
「……よし。大丈夫」
自分に言い聞かせ、ブランは顔を拭いて寝室へ戻った。
「お父様! 準備ができました」
ブランが笑顔で駆け寄ると、バルドロイも着替えを終えたようだった。
赤いジャケットがよく似合っている。バルドロイが来ている服は普通のジャケットと違い、前身頃にボタンが縦二列に多めに並び、金糸での装飾、立襟、肩章などが特徴的だ。
これは帝国陸軍の制服によく似ているが、形が少し違う。
15年前、バルカ王国に勝利した時の立役者であるバルドロイだけが身に着けることができる。皇室から賜った一種の褒章だった。
バルドロイは駆け寄ってきたブランを抱きしめ頭を撫でた。
「おぉ!良く似合っているな」
「ありがとうございます」
ブランは襟元と袖口にフリルと細かなレースが施されたシャツを着ている。ゆったりとしたシルエットだが、ハイウエストのスラックスがブランの細さを強調していて全体的に儚げな印象を与える。
水色の糸で星の刺繍がちりばめられており、ブランの瞳とよく合っていた。
「こんなきれいな服、僕が来てもよかったんですか?」
「……。もちろんだよ」
バルドロイは一瞬表情を曇らせて奥歯を噛み締めた。
「お前は私の息子なのだから」
「……はい、お父様」
「さぁ。出かけよう。今日はたくさん出かけるからね」
「はい!」
アルフレッドが扉を開く。
バルドロイは黒い外套を羽織り、ブランも水色のケープを羽織った。
外にはすでに馬車が用意されており、玄関から出ればすぐに乗車できた。
ブランがそわそわと落ち着きがないのは成不に会えるか不安だったからだ。そんな様子を見たバルドロイは小さく笑って門前で一度馬車を止めた。
「成不殿を待とうか」
「でも、この時間にはもう帰ってしまっているかも……」
「朝早い方なんだな」
「そうなんです」
ブランはすっかり陽が上がってしまっていることに、しょんぼりと視線を足元に落とした。
バルドロイがなんと声をかけようか、と迷っていると、コンコンと窓がノックされた。
「!」
窓をノックしていたのは浅葱の袴を着た成不だった。
いつも通り、瓶底のような分厚い眼鏡をかけて適当に束ねた髪はボサボサだ。
「成不さん!!」
「やぁ、おはようブラン君。それから侯爵殿」
「良い朝ですな。成不殿」
へらり、と笑みを浮かべた成不にブランはすぐに扉を開いた。
「成不さんおはようございます! 今日もお散歩ですか? 今日は少し遅い時間なんですね。いつもならもっと早いのに、どうしたんですか? もしかして成不さんもお出かけですか?」
「あははは。落ち着いて」
「ブラン。成不殿が困っているからゆっくり話して」
ブランは馬車から飛び降りて成不に駆け寄った。成不は手を広げてブランの小さな体を受け止める。
「今朝は“あるお方”のところまで訪問する予定があってね。今用事を終えたところで少し遅い時間になったんだ」
「そうだったんですね。お友達ですか?」
ブランの言葉に成不が笑った。
「いいや。友人ではなくお偉い様で、私の育ての親みたいなものさ」
「そうなんですね!」
「……“育ての親”、ですか」
バルドロイは少し驚いたようだった。
成不は笑みを浮かべたまま頷く。
「えぇ。久しぶりに顔を見せに来いと怒られてしまって。――寂しがり屋な人だから、少しでも期間が空くとカラスを使って呼び立てるんです」
「“カラス”?」
「伝言カラスのことだよ。貴族なら一人一羽は飼育していて声のやり取りに使うんだ」
伝言カラスは飼育している貴族の魔力を使って声を真似ることができる生き物だ。
知能も高く、飼い主への絶対的忠誠心もあるため貴族の伝令によく使用される。
「それより、今日のお二人は親子水入らずでお出かけですか?」
「そうなんです! これからお父様と街に行くんですよ!」
「それは楽しみだね。何やら今日は広場でお祭りがあるそうだから屋台でも見に行くといい」
「祭り、ですか?」
バルドロイが首を傾げた。久しぶりに帝都に帰ってきたために行事について把握していなかったのだ。
「皇太子殿下が16歳のお誕生日をお迎えになるので、その前日祭なんです」
「! もうそんなに大きくなられたのですか」
成不が頷く。
バルドロイは時が過ぎたことに感心しているようだった。
「今日は城下街で祭りが行われ、明日は多くの中央貴族を招いて皇宮で宴を行うのだとか。……とはいっても、皇族の方々はいつも通り天上から簾越しに眺めるだけですが」
バルドロイはふと思い出した。
「そういえば今朝、執事からうちにも皇宮からの招待状が届いていると聞きました。まだ確認して良かったのですが、パーティーは明日だったんですね」
「バルドロイ侯爵はクロユリ戦争の立役者ですから、一目お目通りしたいという貴族は山のようにいるでしょう。……ご家族そろって参加されるんですか?」
成不は笑顔を崩さなかったが、その言葉の裏には棘のようにバルドロイへの皮肉がこもっている。
「(“昨日の今日で?”と言いたそうだ……)」
バルドロイは頭を悩ませた。
「(確かに、皇宮でのパーティーで既婚の貴族が妻をエスコートしないのはおかしい。かといって一人で参加などしたら“家庭内で何かありました”と大声で言うようなものだ。社交界でたちまち噂になるだろう……)」
バルドロイはまだ妻のしたことを許す気にはならなかった。
アルフレッドから話を聞けば、双子たちもブランをひどく痛めつけていたという。
バルドは今までの15年間を家族に裏切られたような気持ちになってしまった。
「(それに、貴族社会はブランへの風当たりも強い。私のような成り上がり侯爵よりも権力を持った貴族は帝都に山ほどいる。……私だけでは守り切れないかもしれない)」
バルドロイは家族が傷つく姿を見たくはなかった。
それはもちろんブランだけではなく、ミランダや双子だってそうだ。バルドロイにとっては家族は等しく大切なものだった。
社交界で変な噂が流れてしまえば、たちまちミランダや子供たちは恰好の餌食になってしまうだろう。
「(皇族の招集ともなると、特級の方々もいらっしゃるだろう。……ブランを見てなんと言うか……。陸軍の准将であっても特級たる空軍大将は遥か遠きお方。コネクションなどほとんどないようなものだ)」
ブランは二人の会話が何かわからなかったが、バルドロイは明日、皇宮に行く用事があるのだということだけ理解した。
バルドロイは少し考えてから頷いた。
「……明日は家族5人そろって参加しようと思います。皇族からの招集を断るわけにもいきませんから」
意を決したバルドロイに、成不は分厚い眼鏡の奥で眉を顰めた。
「5人そろって、ですか。――ではブラン君は初めての舞踏会ですね。社交界デビューには少し遅いですが、図らずも中央貴族全員にお披露目できるまたとない機会。――“良くも悪くも”経験になりますね」
「……そうですね」
バルドロイはバツが悪そうに目をそらした。愚かで浅はかな決定だということを責められている。
「(成不殿が呆れるのも無理はない。――昨晩、ブランの立ち位置を指摘されたばかりだというのに、屋敷内よりもずっと恐ろしい敵がいる社交界へ連れだそうというのだから、怒って当然だ。……しかし)」
「……? 明日もおでかけするんですか?」
ブランは無邪気に聞いた。家族5人、という言葉にブランは少し嬉しそうだ。
バルドロイは静かに頷いた。
「そうだ。明日は公式の場に出るから、式典用の服も買おうな」
「式典用? 服は全部同じじゃないんですか?」
「ブラン君。服や着飾るものには意味が込められているものが多く、今の話のように皇族から招待されたパーティ―などに行くときは、誰かに失礼のないよう注意を払ったり、家紋の名誉が傷つけられないように権力と美を象徴するような宝石を付けたりするんだよ」
「……そういうものがあるんですね」
(僕は無知だな……恥ずかしい)
ブランは理解できていないようだったが、それも仕方のないことだろう。今までブランに与えられたものはほとんどなかったからだ。
ふと、ブランは顔を上げて成不を見た。
「さっき、中央貴族はみんな参加するって言ってましたよね。ってことは成不さんも参加するんですか? 中央神宮に所属していらっしゃるなら成不さんも帝都の中央貴族ですよね」
「ん? ――あぁ、私? うーん、どうだろう」
成不はへらりと笑って言葉を濁す。
バルドロイが「え」と小さく漏らし驚いた表情だ。
「な、成不殿は、行かれないのですか? ブランにも良くしてくださっていますし、一緒にいてくれたらこれ以上ないほど安心できるのですが……」
「いやぁ、侯爵殿。私をあてにされても困ります。私も神宮での立場があるので、公の場で侯爵家の肩を持つようなことをしてしまうと深読みされてしまうかもしれません」
「むぅ……!」
成不の言い分は正しい。中央神宮は皇宮に次いで高貴な場所だ。宮内庁の職員と神宮に努める神官は同じ位を持つ。皇族も帝国が崇める神も同等の存在としているからだ。
その神の下僕たる神官が家族以外の特定の貴族と仲良くしてしまえば、何かを疑われるのは間違いない。
バルドロイは成不も参加するだろうと見込んで家族全員で参加することを決めていたが、成不がいないとなるとブランのことが心配だ。
「そうですか……。成不さんと一緒に居られると思ったんですけど、少し寂しいです」
「ブラン君……」
捨てられた子犬のような声で呟くブランに成不は良心が痛んだ。
「う~ん」と手を顎に当て数秒悩む。バルドロイもしょんぼりと肩を落としているので、成不は気まずかった。
「はぁ。……仕方ないですね。じゃあ、私が参加できない場合は、僕の知り合いにブラン君をサポートしてもらえるよう頼んでおきます。有権者なので強力な盾になってくれると思います」
「知り合い?」
「成不殿! ありがとうございます!」
バルドロイは思わず成不の両手を握ってぶんぶんと握手した。
ブランは結局、成不に会えないと知り喜ぶことができない。
「……やっぱり、僕は明日行くのやめます」
ブランは自分のせいでバルドロイが明日を不安がっていることを察した。
バルドロイがこんなにも必死に味方を探しているということは、会場に揃うはずの貴族たちは皆、ブランのような見た目の人間に対して快く思っていないのだろう。
「ブラン、なんでだ?」
「だって、僕が行くときっとみんなの気分が悪くなるだろうから」
「ブラン君、僕の知り合いはとっても優しい人なんだよ。安心して会っておいで」
「……でも僕は異質ですから、きっと嫌われてしまいます」
(お父様や成不さんが僕と“普通”に接してくれるから少しだけ忘れていたけど、メイドさんや他の人たちは違うんだ。もっと気を付けないと)
ブランは明るく笑った。
言葉さえ聞かなければ誕生日の子供の様に無邪気な笑顔だった。
成不はその演技力に驚いた。
「(一見、無知で哀れな子供に見えて、この子は……)」
バルドロイはその表情を見ていないのか、申し訳なさそうになんと言おうか探っているようだ。
成不はブランの視線に合わせてしゃがみ、できる限り優しい声色で言った。
「大丈夫。君はとっても素敵な子だから、絶対に気に入ってもらえる。君のことを話すと会いたがると思うよ。パーティーではバルドロイ侯爵とその人と一緒にいればいい」
「……本当ですか?」
「あぁ。神に誓ってもいい」
「……僕の肌や髪を見て気分を悪くされないでしょうか?」
「個性的できっと気に入るだろう」
「……目を合わせたら嫌がられてしまうかも」
「空のように美しい瞳だと喜ぶだろう」
「……貴族としての場にいることに怒りを覚えるかもしれません」
「君のような優しい子がいてくれて関心するだろう」
ブランは成不の優しい声に涙が零れた。
(絶対にそんなことはない。成不さんは僕を励まそうと嘘をついている。――そうわかっているのに、とっても嬉しい。嬉しくて悲しくて報われて。感情が溢れてしまう)
「っ」
「大丈夫だよ……」
「ブラン……」
バルドロイがブランを抱きしめた。
「成不殿。そのお方によろしくお伝えください。明日の会場でご挨拶に伺いたいと」
「わかりました。必ず伝えておきましょう」
「感謝いたします」
成不はゆっくり立ち上がるとブランの頬を撫でた。
「では私はもう行くよ。涙を拭いて。いつものように笑って。――侯爵殿とお出かけを楽しんでおいで」
「っ、はい。……成不さん、ありがとうございます」
「成不殿、うちの馬車をお貸ししましょうか?」
成不は先ほど歩いてきたように見えたが、この後も歩きで移動するのだろうか。
バルドロイが屋敷のほうへ視線を向けるが、成不は首を横に振った。
「いえ。移動手段はありますので大丈夫ですよ。それより、お昼からは人が多くなると思いますから、買い物に行くなら午前中で行った方がいいでしょう」
「……わかりました。今日はブランの顔を見に来てくれてありがとうございます」
「成不さん、またね」
「えぇ、また」
バルドロイが一礼して馬車に乗る。
ブランも同じように真似て馬車へ乗り込んだ。馬車が去るまでの間、成不は門の前で手を振っていてくれた。
しばらく馬車が走り屋敷が遠く見えなくなると、バルドロイは呟いた。
「……成不殿は、本当に良いお方だな」
「はい!」
「何か恩返しをしなければならないな」
ブランはその言葉に何度もうなずいて同意する。
「そうだ、お祭りで良いものがあったらお土産で買っていってもいいですか?」
「あぁ。ブランが選んだものなら彼も喜ぶだろう」
ブランは足をブラブラと揺らしながら窓の外を眺めた。
―とある貴族の屋敷―
一方、成不は馬車を見送ったあとに踵を返した。
早朝まで訪問していた、ある貴族の屋敷に戻ったのだ。
「やぁ。当主様かご子息方はいらっしゃるかな?」
玄関ホールで使用人に声をかけると、みな頭を下げて出迎える。
「これは成不様。今朝ぶりでございます。ただいま旦那様は皇室へ向かわれまして不在ですが、来儀様なら稽古場にいらっしゃいますよ」
「来儀君か。ちょうどよかった、呼んできてもらえる?」
「承知いたしました。では応接間にお茶をご用意させていただきます。そちらで少々お待ちください」
「あぁ」
執事が目配せをするとメイドの一人が離れの方へと駆けていく。執事は成不を応接間へと案内した。
赤い壁紙に金の模様が美しい応接間は全体的に重厚感のある豪華な部屋だった。
とは言え、成不はこの屋敷を隅々まで知り尽くしているため、今に驚くことではなかった。
執事が淹れたジャスミンティーを楽しみながら待つこと2分。
廊下の奥から軽い足音がする。
「……来たか」
スパンッ!
「成不さん!」
「相変わらず落ち着きがないな、来儀」
扉を開けたのは二メートルは超える長身の男だった。かなり鍛えられているようでシャツの上からでもわかる筋肉と、不自然な金髪、茶色いサングラスが特徴的だ。
「俺に用があるんスか?……というか、なんスかそのダセェ格好は!」
走ってきて息をつく暇もなく成不にハグを求めるこの大男は来儀。
成不の分厚い眼鏡と袴姿を面白がっているようだ。
成不はため息をついた。
「この見た目は気にしなくていい。それより君にお願いがあってきたんだ」
「珍しいっスね。いいですよ、俺にできるなら」
「内容も聞かずに即決していいのかい? とんでもない大金を貸して、って言うかもしれないよ?」
来儀はようやくソファに座った。
紅茶を一口飲んでニヤリと笑う。
「俺、成不さんのこと父上の次に信じてるので。それに別にお金が必要ならかき集めてきますよ」
「おや、それは嬉しい。――では私も君を信じてお願いしようかな」
来儀は「どうぞ」と話を促した。
成不は一枚の写真を取り出して机に置いた。
「明日のパーティーで、この子に接触してほしい」
「……」
来儀に見せたのは、ブランの写真だった。
黒い肌、黒い髪、水色の瞳がよく映っている。来儀は黙ったまま写真を見つめている。
「……バルカ王国の生き残りッスか?」
「あぁ」
「皇室のパーティーで、ってことは、この子は敗戦国奴隷じゃあないんスね?」
「さすが来儀君。話が早い。――この子は15年前、“クロユリ戦争の英雄”である陸軍准将バルドロイ・シリウス・ボナパルト侯爵によって養子に迎えられ、侯爵家の次男として中央貴族に名を連ねている」
来儀は心底驚いた表情をした。
「……へぇ。ボナパルト侯爵が養子を引き取ったって噂は聴いてましたけど、こんな子だったんスね」
「あぁ」
「まだ幼いようですけど、明日は社交界デビューってとこですか? 10歳くらい?」
「数日後に洗礼式を迎え、15歳になる。成人だ」
「え?」
来儀は写真を手に取りまじまじと見た。
「――にしては、身体が小さすぎやしませんか?」
「この子はボナパルト侯爵が戦地へ長期任務へ行っている3年の間、義母と義兄弟から虐待を受け続けていた。栄養失調と大きな怪我を毎日負っては私が治療してを繰り返していたから、一般的な成長ができていないんだ」
「虐待、ね。……明日は虐められないか心配なんスか?」
来儀は「違うでしょ?」と笑う。
「成不さんがわざわざ気に掛けるなんて、ただの同情や善意じゃないッスよね。……何を調べればいいですか?」
「さすが裏社会の王家は察しがよくて本当に助かるよ」
成不が紅茶を置く。
「――この子の固有スキルを調べて欲しい。使えるようなら生かして。使えぬようなら手を出さず、見殺しにしてしまって構わない」
成不が懐から出したのは魔力量を測るための魔石だった。
来儀が受け取る。
「……始末しないんですか?」
「放っておいても、貴族たちの恰好の餌だよ」
「……それもそうッスね。まぁ、明日の会場で接触してみますけど、魔石ぐらいじゃ種類までは判別できませんよ? この子も洗礼式前ってことは固有スキルについても自覚してないんッスよね? 仮にスキルを持っていたとしても階級くらいしかわかんないと思いますけど」
「大丈夫。一級以下なら手出し無用だ」
「そんなに極端でいいんスか?」
「いいんだ。十五年前の戦争でバルカ王国の上位貴族は皆殺しにされた。その時点で現存している家門はみな二級以下。――私が探しているのは“特級相当の固有スキル”だからね」
成不の笑みに来儀は思わず身を引いた。
「……なるほど」
「頼まれてくれるかい?」
「断れないですよ。ここまで話を聞いて断ったら俺のこと消すつもりでしょう?」
「まさか!君に手をだしたら君の御父上に私が消されてしまうだろう」
「結局のところ、成不さんと父上ってどっちが強いのかハッキリしてないんですからわからないじゃないッスか」
来儀は両手をあげて降参のポーズをとった。
成不が笑う。
「まぁとにかく、すべては明日の夜わかるってことで!」
「楽しみにしてるね。――楊来儀公子」
成不はそう伝えると部屋を出ていった。
サングラスの奥で来儀の目が怪しく光る。
「……俺も楽しみにしなきゃなァ。ブラン・ボナパルト侯爵子息」
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