カニバル ーすべてを喰らう者ー

未達歌

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第1章

成不

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―バルドロイの寝室―


バルドロイがベッドにブランを下ろす。まるでガラス細工を扱うようにそっとブランの髪をなでた。

「……ブラン。体は大丈夫か?もうすぐ神官が来るからな。それまでの辛抱だ」

バルドロイは今にも泣きだしそうだ。
大きな躯体は悲しみと怒りとで震えている。
ブランに申し訳ない気持ちで今にも押しつぶされそうだった。

「ブラン、ごめんな。……ごめんな」
「お父、様……」
「なんだい、ブラン」

ブランの細い手がバルドロイの頬に伸びた。ブランは両手でバルドロイの顔を包み込んで、何度も何度も頬を撫でる。

(本物だ。——夢じゃない。お父様だ)
「お父様、おかえりなさい。……お父様、お父様」

ブランは嗚咽を交えながら何度もバルドロイを呼んだ。
バルドロイはとうとう耐え切れずに涙を流してブランの手を包み込んだ。

「こんなに、細くなって……っ!体も傷だらけでッ、よく頑張ったなぁ」
「うん、僕、頑張ったよ。ずっと、お父様に会いたかったぁ……」
「俺も会いたかったよ。ずっと想っていたよ。遅くなってごめんな」

バルドロイがあまりに泣きじゃくるものだから、ブランは小さく笑った。
その手の暖かさで心が深く落ち着く。

(“危機に現れる英雄”——)
ブランは今朝の話を思い出した。

「やっぱり、お父様は僕の英雄ヒーローだ」

大きな手にすり寄りながら、ブランはようやく眠りについた。


——暫くして屋敷に神官が到着した。
バルドロイの寝室に入ってきたのは成不なずだった。

「お邪魔しますね」

いつも通り、瓶底眼鏡に緩い口元。ボサボサの灰色掛かった髪は雨に少し濡れてしんなりしていた。
バルドロイは成不なずの浅葱色の袴を見て眉をひそめた。

「侯爵家の者が酷い状態だと言ったのに、派遣されたのが“見習い”か?」
「左様です、ボナパルト侯爵。聞けば前線駐屯所へ長期滞在の任務だったとか。帝都へのご帰還ご苦労様です」

バルドロイは手を握りしめて震えた。

「重症貴族には普通、上二級以上の神官が治癒するのではないのか!」

侯爵家のような上級貴族の一大事となれば神官の中でも禰宜と呼ばれる上位神官が治癒にあたる。もちろん最下位の四級見習いでも回復魔法は出来るが、まだまだ未成長であるため平民相手のボランティアなどを務めるのが殆どだ。
バルドロイは成不なずの派遣を、侯爵家の名誉棄損と受け取ったのだ。
成不なずはそれでも笑顔を崩さずにベッドに近寄った。

「名誉あるボナパルト侯爵家の御呼び立てですから、通常であれば紫紋が対応したでしょうね。しかし次男と言えば、誰もがブラン様の“お色”を気にされます。それ故、見習いながらも回復魔法に特化した私めが参上したというわけです」

バルドロイは成不なずの差別的な発言に怒り、声を荒げる。

「貴様ッ——!」
「——成不なずさん?」

その時、ブランが二人の声に目を覚ました。
バルドロイは思わず口を閉じた。
成不なずは変わらず笑みを浮かべてブランの顔を覗き込んだ。

「やぁブラン君。今朝ぶりだねぇ」
成不なずさんだ!どうしてお屋敷に?」

ブランは嬉しさのあまりに飛び起きた。その時、折れた肋骨が酷く痛んだが、顔をゆがめるだけでブランはすぐに笑顔になった。

(頬が痛い。——そうか、さっき夫人に打たれたから腫れてるんだ)

表情を動かすと頬にピリッとした痛みと熱が広がる。
バルドロイは慌ててブランを支えようとしたが、成不なずが先にブランへ寄り添った。

「駄目だよ、ブラン君。安静にしてなさい。治療は今からなんだよ」

成不なずはブランの頭を撫でるとすぐに回復魔法を使い始めた。いつものように顔を両手で包み込んで鼻先にキスをする。
すると体の芯からじんわりとミントのように爽やかな魔力が広がり、体の傷や疲労を回復してくれる。

「ごめんなさい。朝以外に成不なずさんに会えると思ってなくて、嬉しくて」
「ふふ。私も嬉しいよ」
「……知り合い、か?」
「そう!成不なずさんは毎朝お散歩をしているんだけど、いつも怪我を直してくれたりお話をしてくれたりするんだよ!」

ブランがあまりにも嬉しそうにしているのを見て、バルドロイは怒りを鎮めて成不なずを見た。

「(回復魔法の精度が見習いのレベルではない。——無詠唱。しかもあの傷をたった一回で治した?)」

バルドロイの探るような視線に気づいているのか否か。成不なずはニコニコとほほ笑むばかりだ。

「(回復魔法に特化したというのは、偽りではないようだ——)」
成不なずさん、さっきね、体が光って一度だけ魔法を無効化できたんです。もしかして成不さんのお祈りのおかげですか?」

ブランは成不なずの手を握って笑った。

「見たところ、打ち消されたようだね。でも君を守れて良かった」

成不なずはブランの額にキスをするとまるで我が子を抱くように数秒の間強く抱きしめた。
バルドロイはその姿をみて、先ほどまで名誉のために怒っていた自分が情けなくなった。

「……神官殿。先ほどは無礼な態度をとってしまい申し訳なかった。貴殿は本当にブランを助けたくて、ここまで足を運んでくれたんだな」

バルドロイが頭を下げる。成不なずは一瞬驚いたように言葉を詰まらせたが、すぐにまた笑顔を浮かべ、同じようにお辞儀をした。

「こちらこそ。あなたがブラン君を引き取った侯爵でよかった」

お互いに顔を上げてほほ笑む。
成不なずはバルドロイのところまで歩み寄り、小さな声で言った。

「ブラン君の聞こえないところでお話しできますか?」
「……えぇ」

バルドロイが頷き扉の近くに控えていたアルフレッドを呼ぶ。

「応接間にお通ししてくれ。暖かい紅茶も」
「僕も行く!」

大人たちが部屋を出ていこうとするとブランも慌てて立ち上がった。
しかし、すぐに成不なずがその肩をつかむ。

「今の君に必要なのは休養だよ。しばらくおやすみ」

成不なずは有無を言わさず、ブランの目の前で指を振った。
するとブランは猛烈な眠気に襲われ、まるで気を失ったかのようにベッドに沈みこむ。寝息は穏やかだ。

「さて。行きましょうか」
「あぁ」

そうして寝室には鍵がかけられた。


―応接間―


「——さて。それで?」

バルドロイはティーカップを置いて話を切り出した。

「長い任務から戻ってきたばかりだというのに、申し訳ないですね。胃を痛めることになるとは思いますけれど」
「ご配慮感謝する。しかし、家族の問題だ。一家の大黒柱が正しく事実を把握しなければならない。包み隠さず、話してくれ」

成不なずは深く頷いた。

「では率直に申し上げます。——ブラン君はこの数年、酷い虐待を受けています。他の奴隷たちと同じように」
「……」

バルドロイは唸った。
口を開けば怒りがあふれて出来てしまいそうで唇を嚙んでいる。

「私がブラン君と出会ったのはあなたが任務に出たすぐ後のこと。初めて会った時は侯爵邸の門の前で倒れていました。雪の降りつもる凍えるような朝でした。——私はすぐにブラン君を温めて治療しましたが、その時小さな体には既に無数の古傷がありました」
「なんてことだ……」
「私はあの子を奴隷だと思っていました。身に着けているのは服とも呼べない布切れで、体は細く骨が浮かんで見えた。敗戦国の出身の奴隷が屋敷で召使として働いているのだろうと、そう思っていたのです。——しかし彼は奴隷の目をしていなかった」

成不なずの言葉にバルドロイが驚いたようだった。
成不なずは続ける。

「私はこれまで多くの絶望を見てきました。きっとあなたも戦場でご覧になったことがあるはず。自由を奪われ、未来を見ることも許されず過去に縛られたままの生きた屍は、もっと死んだ目をしています。光が無く、魔力が虹彩に宿らない。——しかしブラン君は、いつでも瞳に光があった。それは見逃してしまうほど小さな光でしたが、話してみるとどんどんと輝きを増していく、生きている者の瞳でした」

バルドロイが肩の力を抜いたことに気づくと成不なずはすこし苛ついた。
成不なずは今、バルドロイを安心させるのではなく、叱っているのである。

「侯爵。それがどれだけ残酷なことかお判りですか?」
「なんだと……?」
成不なずは分厚い眼鏡をくい、と触り、ため息をついた。
バルドロイは思わず机を叩いた。

ドンッ!
「絶望しないことの何が残酷だというのだ!!」

その勢いで机の紅茶が少し零れる。
成不なずはそれを布巾で拭いながら動じることなく言った。

「絶望は一種の救いです」
「なに?」
「何も感じることがなくなり痛みも辛さも自我も何もかもが無くなる。しかしブラン君にはあなたという希望があった。良くしてくれる使用人もいた。だから彼にとってこの屋敷は絶望の孤島ではなかったんです。しかし遠く離れたあなたは現実の痛みを和らげてくれるわけではない。強さを与えてくれるわけでもない。——ブラン君はただあなたにもう一度抱きしめてもらえることだけを希望に日々の地獄を耐えていたんですよ」

成不なずが何を言わんとしているか、バルドロイは理解した。

「——つまり、俺がしたことは巣から落ちたひな鳥に餌を一度与えただけだと言いたいのか」
「少なくとも、猫のいる場所で飼うのは避けるべきだった」
「……」
「ブラン君の体には傷が残らないよう、毎日細心の注意を払って治療していました。しかしあなたも本日ご覧になりましたね。——あれを誰が付けたかくらいは、私が言わなくてもわかるでしょう」

ブランを抱えた時、バルドロイはその薄い服の隙間から夥しい数の痣を見た。
3年ぶりにあったというのに身長も伸びておらず、明らかに栄養失調。そして久しぶりに合わせた顔は、まるで炉の中に入れたような焼け爛れていた。

「……妻と子供たちが、そんなに残酷なことをするなど……。はぁ……。最初こそ、数年家族として暮らせばいずれ仲良くなると信じていたが、……俺が愚かだったようだ」
「そのようですね」

成不なずのあっさりとした口調にバルドロイは苦笑いを浮かべた。

「君は本当にハッキリ物を言うなぁ。……成不なず、といったかな?龍安領の出身かね?」
「えぇ」
「そうか、やはり……。さすが龍安と言わざるを得ない。優秀な者は皆そうだ」
「統括領主が優秀ですから」
「“帝国の華”、楊滄波ようそうは様のことか?たしかに」

バルドロイは笑った。
成不は自分の出身地を褒められたことで嬉しそうにしていた。

「それに、英雄“氷雨”様のご出身も龍安領であるからなぁ」
「……」
「君も見習いの段階でそれほどの能力を持っていれば、すぐにでも二級ほどまで昇級するだろうな」
「……お褒めに預かり光栄ですね」
「君にはこれからもブランと仲良くしてやってほしい。——来週には洗礼式もある。ブランも今年成人なんだ」

バルドロイは成不なずの隣まで歩み寄り、膝をついて手を握った。

「……侯爵」
「頼む」

成不なずは驚いた。
プライドの高い貴族が膝をつき、格下の者に懇願している。
初めての光景だった。

「(これが“クロユリ戦争の英雄”。帝国で二人目の“英雄”の称号を持つ者——)」

バルドロイは成不なずが頷くまでその手を離すつもりはなかった。
成不なずは呆れたように笑う。

「あなたもおかしな人ですね。本来、侯爵は見習い神官などに膝をついてはいけないのでは?」
「不甲斐ない俺に代り、3年もの間息子を支えてくれた恩人だ。ここで誠意が無ければ俺は軍人の風上にも置けん」

バルドロイの目は真剣だった。
成不なずはしばらくの間、無言でバルドロイを見つめた。

「——侯爵。あなたの正義感は良く分かった」
「! それじゃあ」

成不なずがおもむろに眼鏡を取る。そして灰色のボサボサ髪を掻き上げて笑った。

「——だからお前を許してやろう」

笑みを浮かべる成不なずと違い、バルドロイは目の前の男を見て固まった。
息をすることも忘れ、目を限界まで見開いて震える。

「あ、あなたは……っ!」


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 ——夜になった。森でフクロウが鳴いている。

「……あれ、僕……?」

月も高く昇り、すっかり夜も更けた頃にブランは目覚めた。
屋敷にいる人はみんな寝てしまったのか、静かだ。この部屋も明かりは消されていて真っ暗だった。

(ここは僕の部屋じゃない。……何をしていたんだっけ)

ブランはいつもと違うふかふかの布団に驚いた。

「……そうだ!お父様が帰ってきてくれたんだ!」

治療が施されてどこも痛くない。空腹で腹が捩れることもない。ブランにとっては初めての経験だった。

ガチャ。
扉が開いた。燭台を持って部屋に入ってきたのはバルドロイだ。

「お父様!」
「起きていたのか」
「今目を覚ましたところです」

バルドロイは寝間着に着替えていた。ブランはハッとしてベッドを降りようとする。

「ごめんなさい、僕が邪魔で寝られなかったんじゃ……」
「そのままでいなさい」

バルドロイは布団から出ようとしたブランをそのままベッドに戻し、自身の体も同じくベッドに滑り込ませた。

「会えなかった分、お前と話がしたいんだ。今夜は一緒に眠ろう」
「……はい!」

ブランはバルドロイの体に抱き着いた。強く強く抱きしめるが、ブランのひ弱な体では大した力ではない。
バルドロイはその体の小ささに眉をひそめながらも、ブランを抱きしめ返す。

「お父様、もうお仕事は大丈夫なんですか?」
「早めに終わらせて帰ってきたから、しばらくは帝都にいられるよ。お前の洗礼式は一緒に参加したかったからな」
「よかった。僕お父様に聞きたいことたくさんあったから、一日じゃとても話しきれないんです」

バルドロイはブランの頭を胸に抱きかかえた。涙がこぼれ落ちるのをブランに見られないようにするためだった。

「いいさ、たくさん話そう。ブランの行きたい場所に行って、買いたいものを買って、話したいだけ話そう」
「うん。僕、明日は外に行きたいです。お父様となら何処だっていいです。手をつないで歩いてもいいですか?」
「もちろんだよ」
「……嬉しい」

ブランは本当に幸せそうに笑った。胸に空いていた冷たい空間に太陽のように暖かいものが溢れるようだった。ブランにとっての愛とは、バルドロイの眼差しから感じられるもの。
黒髪をまるで宝物のように優しく撫でる手、この瞳をまっすぐ見つめてくれる優しい表情、黒い肌を厭わない、抱擁。そのすべてがブランを幸せにさせた。

「明日は洗礼式に必要なものも買いに行きたいから、いろんな場所に行けるよ。お昼は外食にしよう。広場の近くに美味しいレストランができたって聞いたから、そこでランチを食べよう。それから、話題のアイスやお菓子、洋服を買って。そうだな、宝石も買おう。ブランの瞳は綺麗だからな、水色の宝石を探そう。きっと銀細工と合うだろうな」
「たくさんお買い物するんですね」
「疲れるか?」
「ううん。楽しみです」
「俺は洗礼式が楽しみなんだ。きっとお前より」

ブランは顔を上げた。バルドロイは何かを思い出すかのように遠くを眺めていた。

「——お父様。たくさんお話、聞いてもいいですか?」
「いいよ」
「どうして、僕を養子にしてくれたんですか?」
「……」

バルドロイは目を伏せた。しばらくの間バルドロイは言葉を選んで黙った。
ブランも黙って待った。

「……贖罪のためだよ」
「しょくざい?」
「罪を償うということだ」
「お父様は何の罪を犯したんですか?」
「……戦争をする者は皆、罪と名誉を同時に背負うんだ」

バルドロイの言葉はブランには理解しがたいものだった。今帝国が行っている戦争はすべて恒久的平和の実現を目指す聖戦と呼ばれており、悪いことではないとされているからだ。

「お父様の話は少し難しいです」
「今は理解できなくていいんだよ。また洗礼式が終わったらゆっくり話そう」
「はい……」

(僕にはまだまだ教養が足りないから理解できないのかな……?)
ブランは今朝に聞いたことを思い出した。

「あ、そうだ!お父様」
「ん?」
「“氷雨”様って人を知ってますか?」

バルドロイは目を丸くした。

「ああ。今は退役されて神宮にいらっしゃるが、元々は空軍に努めておられたからね。何度か任務でお姿を拝謁したことがあるよ」
「どんな人なんですか?すごい人?」
「とても素晴らしいお方だよ。今では人類最強と称されてもいる。——どうして気になるんだい?」

ブランはベッドサイドに置かれていた今朝の新聞を取った。

「これ!今日の新聞に載ってたから、アルフレッドさんに少し聞いたんです。帝国の“英雄”だって。国民の危機には来てくれるヒーローなんでしょう?」

バルドロイは記事を見た。

「そうだな。氷雨様は帝国民にとっても我々軍人、貴族にとっても英雄と呼べるだろう。まぁ、氷雨様だけでなく、特級の方々は皆国民のために尽くしてくださっているよ。表に出ないだけで政治や教育に関わってくださっているんだ」
「アルフレッドさんやカールさんが、氷雨様はお父様よりずっと強いって言ってました。特級の人はみんな強いんですか?」
「もちろんだよ。特級の方々は皆、俺のような上二級よりはるかに強いんだ。固有スキルが神話級だからね」

バルドロイは実際に見たことがあった。
その時のことを思い出すと毎度背筋が冷える。

「固有スキルにはどんなものがあるんですか?」
「そうだな……。氷雨様の氷魔法は聞いたのか?」
「うん。他の人は誰も使えないんでしょう?」
「そうだ。たとえ学んで努力しても氷雨様以外の人間には氷魔法を使うことはできない。だから固有スキルと呼ばれているんだ」

ブランは目を輝かせた。

(すごい……。特別な力なんだ。カッコイイなぁ)

「他にはどんなスキルを持った人がいるんですか?」
「うーん。他の貴族については噂程度でしか聞いたことがないんだが……。特級の方々なら詳しく資料に載っているよ。それを見るかい?」
「うん」

バルドロイはベッドから抜け出し、本棚から一冊の本を持ってきた。

「まずはやっぱり、皇帝陛下からかな」
「その本はなんですか?」
「皇室会議議員の名簿だよ。帝国に在籍する特級の方々9名が記載されているんだ」

名簿を開く。
一番最初のページには9人の集合写真が飾られていた。

「この人たちが、特級の人々……?」
「そうだよ。この帝国で最も高貴な方々だ。しっかり覚えておくんだよ」
「はい」

バルドロイが次のページをめくる。
すると現れたのは黄金のマスクをつけた人物の写真だった。ヴェールや布で肌の色も髪の色も目の色も、男か女かもわからない。
写真の下には“第17代皇帝トト・アンク・アテン”と書かれていた。

「このお方が、現在この大帝国を統治されている皇帝陛下だよ」
「どうしてマスクをつけているんでしょう?」
「皇帝陛下はこの世界を創造した神の化身であり、下々民が容易に拝見できるようなものではないからだ。私たち人間と、神を隔てる金なんだよ」

黄金のマスクは至る所に宝石がちりばめられていて輝いている。おそらく少年の顔を模しているのだろう。表情のないマスクからは皇帝がどんな人なのかもわからない。

「皇帝陛下はどんな固有スキルを持っているんですか?」
「伝承では“飢餓”と“飢饉”と言われている。まだスキルを公表されているわけではないからハッキリと断言はできないが、15代皇帝や16代皇帝がそのスキルを持っていたからおそらく同じ能力を継承しているだろうな」
「強いスキルですか?」
「あぁ、もちろんだ。花国には“腹が減っては戦はできぬ”ってことわざが有るくらい、人間にとって作物と食事は非常に重要なんだ。すべての作物が枯れたらその国にどれだけの財宝があったって人は死んでいくから」

ブランはそのことわざを良く理解できた。自身も毎日お腹を空かせては、痛くて怠い体に鞭を打って働いていたからだ。カール料理長がこっそりご飯を分けてくれなければ、ブランは何度も死んでいただろう。

「……皇帝陛下がスキルを使わないといいですね」
「そうだね……」

バルドロイはブランの頭を撫でた。
名簿のページがめくられる。

「次のページは……」

次に現れたのは目の下から半分をヴェールで隠した女性だ。豪華な衣装を身に着け、冠と胸飾りに蛇と鷲の装飾が施されている。

「このお方が現皇后陛下だよ。クレオパトラ皇后陛下。真偽は定かではないが目が七つもあると噂されているんだ。その理由は固有スキル“天眼通ゲイズ”の持ち主であるから」
「そのスキルはどんなことができるんですか?」
「千里先の出来事も見通す力があると言われている。それ故、皇后陛下は軍事にも参加することがあるんだよ」

バルドロイは実際に参加したことがなかったが、大将や中将の軍会議には皇族も参席しているようだった。というのも噂程度だ。神と同等の地位を持つ皇族は滅多に姿を現さない。将軍よりも下位の者はいくら貴族であっても話をすることができない。
大将以外の者が皇族に謁見する機会があるとするならば、爵位や褒賞を授与されるときだけだろう。
ブランが次のページをめくる。
白髪にグレーの瞳、柔和な表情。一見すると頼りないような白百合を思わせる華奢な男性だ。

「“氷雨”様だ」
「そう。帝国中央神宮大宮司“氷雨”様。固有スキルはもうわかるな」

ブランは名前の部分を指さして言った。

「ねぇお父様。どうして“氷雨”様には本名の欄が無いの?」

パッと見た印象、この名簿には特級の出身地、爵位、所属、役職、二つ名、そして本名が記載されていたが、氷雨には本名の記載がなかった。

「なぜだか氷雨様は本名を名乗りたがらないんだ。特級になった時に名前を捨てているから、と頑なでな。どの一族から生まれたかもわからないんだ」
「そうなんですね……」

(だからドラゴンの子孫なんて噂があるんだろうな……)

バルドロイが次のページをめくった。

「氷雨様のことを話すには、まずはこのお方から話さねばならないね」

次のページに写っていたのは、まるで精巧に作られた人形、人の域に収まらぬほど美しい人だった。

「わぁ、すごくきれい。女の人ですか?」
「いいや。このお方は楊滄波ようそうは様、男性だよ。龍安領を統括していらっしゃる大公爵で、現空軍大将軍。その容姿にふさわしく、“帝国の華”と呼ばれているんだ」

藍色の長い髪、陶器のように白い肌、宝石のように煌めく紫の瞳。彼を形どっているもの全てが輝いている。
楊滄波は他の人物と違ってカメラを見ておらず、下方を見ていた。

「お父様、どうしてこの方は視線を下に落としているんですか?こんなに綺麗な瞳なのに」

きっとまっすぐ見つめる瞳はアメジストのように輝いているのだろう。
バルドロイは同意するように頷いた。

「そう思うよな。みんなそう思うから、滄波そうは様は下を向かれているんだよ」
「どうして?」
「彼の固有スキルは“傾国の瞳”だからだ」

ブランは首を傾げた。

「“けいこくの瞳”?」
「美しさのあまり大国の政治すらも傾かせるという意味が込められているんだよ」
「きれいなのがスキルなんですか?」

ブランは拍子抜けした。氷雨様や皇帝のようにすごい能力かと思ったのに、美しいというだけの能力だという。

(確かに今まで見た人の中で一番きれいな人だけど……それで特級?お父様よりも強いのかな?)

「……ブランはまだ経験したことがないからあまり理解できないことだと思うけどな、美しさというのは沢山の感情を動かす物凄い力なんだよ。例えば、美しいと目に入る。もっと見たいと思う。目で追っているうちに好きになる。好きになって欲しくなる。手に入らないと焦りや邪な気持ちが精神を蝕んでいくんだ」
「うーん。よくわからないです」
「もっとわかりやすく言うとな。滄波様に好意を持っている人間はすべて思い通りに操ることができるんだよ。どんなに精神を強く持っている将軍でもその美しさには逆らうことができない。だから滄波様は現在、序列1位の強さを誇っているんだ」

バルドロイが指さしたところには、「龍安領・大公爵・帝国空軍大将軍・“帝国の華”・楊滄波ようそうは・序列1位」と記載されている。

「序列1位ってどういう意味ですか?」
「貴族の中で一番偉いって言ったらわかるか?例えば式典で席に座るとき、皇帝、皇后、皇太子、皇子、皇女の順に並んでいくが、その次に座る貴族が楊大公の滄波様。現在6家ある大公爵家の中で最も優先度が高いということだよ」

(貴族で一番偉い人?……そんなにすごい人なんだ)

ブランは紹介文を読みながらあることに気づいた。
「あれ?龍安領って、氷雨様と同じ領地の出身ですよね」

ブランがページを戻す。氷雨の出身地にも同じく「龍安領」と書かれている。

「良く気付いたな。——実はね。人類最強と言われている氷雨様を育てたのは、この滄波様なんだ。血の繋がりはないけれど、氷雨様を幼少期に弟子に迎え入れ、それ以来ずっと後見人として氷雨様をサポートしていらっしゃる」

そう聞いてから最初のページの集合写真を見ると、確かに氷雨は楊滄波の近くにいた。
おそらく氷雨が滄波の腕を掴んでいるのだろうか。滄波は氷雨のほうに視線を傾けていて、その姿からお互いが信頼しあっている様子が見て取れる。

「英雄の師匠ってこと?——すごい人だね」
「そうだね」

ブランは次のページをめくろうとしたが、大きなあくびが出た。さっきまで眠っていたというのに、まだ傷を癒した疲れがあるようだ。
眠そうに目をこするブランを見て、バルドロイは名簿を閉じた。

「続きはまた今度にしよう。今夜はもう眠って明日に備えなければ」
「……うん。また明日聞かせてくださいね」
「あぁ。おやすみブラン」
「おやすみなさい」

フッ、と蝋燭を吹き消す。
部屋にはまた静寂と暗闇が訪れた。
ブランはバルドロイの暖かい腕の中で、静かに眠った。


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白雪の雫
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突然ですが質問です。 あなたは【真実の愛】を信じますか? そう聞かれたら私は『いいえ!』『No!』と答える。 だって・・・そうでしょ? ジュリアーノ王太子の(名目上の)父親である若かりし頃の陛下曰く「私と彼女は真実の愛で結ばれている」という何が何だか訳の分からない理屈で、婚約者だった大臣の姫ではなく平民の女を妃にしたのよ!? それだけではない。 何と平民から王妃になった女は庭師と不倫して不義の子を儲け、その不義の子ことジュリアーノは陛下が側室にも成れない身分の低い女が産んだ息子のユーリアを後宮に入れて妃のように扱っているのよーーーっ!!! 私とジュリアーノの結婚は王太子の後見になって欲しいと陛下から土下座をされてまで請われたもの。 それなのに・・・ジュリアーノは私を後宮の片隅に追いやりユーリアと毎晩「アッー!」をしている。 しかも! ジュリアーノはユーリアと「アッー!」をするにしてもベルフィーネという存在が邪魔という理由だけで、正式な王太子妃である私を車裂きの刑にしやがるのよ!!! マジかーーーっ!!! 前世は腐女子であるが会社では働く女性向けの商品開発に携わっていた私は【夢色の恋人達】というBLゲームの、悪役と位置づけられている王太子妃のベルフィーネに転生していたのよーーーっ!!! 思い付きで書いたので、ガバガバ設定+矛盾がある+ご都合主義。 世界観、建築物や衣装等は古代ギリシャ・ローマ神話、古代バビロニアをベースにしたファンタジー、ベルフィーネの一人称は『私』と書いて『わたくし』です。

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