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私はその場にへたり込むようにして、玄関の段差に座った。
お屋敷の人たちは私を避けるように離れた部屋から私の様子を伺っている。そして、どこかピリピリとした雰囲気があった。
派手な格好の人や強面の人にじっと見られて落ち着けるはずもなく、私は膝の上に置いた手が震えないように抑えるので精一杯だった。
「どう見ても堅気だよな」
「あの会長が笑ってんの、初めて見たかもしれねぇ」
「最近やけに機嫌がよかった理由か」
ひそひそ声で交わされる会話の主語は、きっと私だろう。私にきこえているのに気付いた他のヤクザさんがひそひそと喋っていたヤクザさんたちをお屋敷の奥に追いやった。
10分くらい経って、からりと玄関扉が開く音がして私は顔を上げる。
「え……」
「こんなとこに置いてけぼりにして、悪かったなぁ」
何事もなかったかのように自然な動作で、春斗さんは扉を開けて立っている。微笑むその整った顔は、私の知ってる春斗さんだった。でも、私の目を奪ったのは春斗さんの顔じゃなくて、赤く染まっているその脇腹だった。
春斗さんは何気ない仕草で脇腹を抑えているけれど、赤く染まる範囲は徐々に広くなっていく。
「春斗さん」
その怪我はどうしたんですか。
問いかける言葉が喉につかえて出てこない。
あまりにも非日常で、モノクロ写真に赤いインクを零したみたいに、妙に鮮やかに映った。
「ちょっと面倒な客やったから、丁重にお帰りいただいたわ。大丈夫や、こんなもん大したことない。半分くらいは返り血や」
春斗さんは平然とそう言っているけれど、横に立つ吉井さんは難しい表情で部下らしき人に医者を呼ぶよう指示を出していた。
「ただの来客だって、どうして……」
「いきなり来た思ったら、返せとかわけわからんこと言われたんや。帰れ言うたら逆ギレされた。ほんま、頭おかしい奴の相手なんてするもんやないなぁ」
まるで変なクレーマーに絡まれたような言い方だった。
思わずそう言うと、春斗さんは僅かに目を見開いて、しばらくして愉快そうに笑い始めた。
「ははっ、クレーマーか」
遠巻きにしながらも周りに集まっていた人たちがぎょっとした顔で春斗さんを見る。まるで夜中に突然鳴り出したラジオを見るような、そんな不気味なものを見る目だった。
「クレーマーっちゅうよりは、ドロボウやな。人のモン取ったらドロボウって言うやろ?」
春斗さんは意味深な笑みを浮かべるけれど、どういうことなのか私にはわからなかった。
そのどこか退廃的な微笑みに、私の体が本能的に震える。その泥棒とやらは、どうなったんだろう。
考えるのは危険な気がした。
「組の問題や。楓には関係ないで?」
私の怯えを見透かして落ち着かせるように、春斗さんは優しい声音で言う。周りのヤクザさんたちが、いよいよ恐ろしいものを見る目で春斗さん……ではなく私を見ていた。
沈黙がこの場を支配する。ピリピリしているようでどこか甘やかなこの雰囲気は異様だった。誰かが一声発するだけで、何が起こるか全く予想がつかない。逆を言えば、何が怒ってもおかしくない雰囲気だ。
誰も何も言わない。少なくともこの場にいる人たちはそうだ。
「会長、外の連中が……ヒッ!」
玄関扉を開けて中に入ってきた若いお兄さんが春斗さんに向かって何かを言いかける。
その瞬間、パンと乾いた音がして少し遅れて火薬のような匂いが鼻をついた。
見れば、春斗さんが怒りの形相で拳銃を構えて、その若いお兄さんに突き付けていた。
扉には黒っぽい穴が空いて、お兄さんの頬からは鮮血が滴り落ちていく。
「自分、誰がそんなデカい声で報告しろ言うた?黙れや」
お兄さんはその剣幕に怯えきった様子でこくこくと頷くと、近くにいた人に小声で何か伝えてすぐ出ていった。
その姿を目で追っていたら、ぴしゃりと扉が閉められる。そしてグイっと顎を掴まれて、私は無理矢理春斗さんと目を合わせることになった。
「こっち見とき、楓」
まるで別人のような表情と声音。目はうっとりと細められて、その奥にちらちらと熱が見え隠れする。
一瞬、私はこの人が怪我をしているということを忘れそうになった。それくらい平然と、春斗さんは私の前に立っている。
「……会長、守谷医師が来ました」
そんな吉井さんの声がかかるまで、私と春斗さんは見つめ合っていた。
やがて扉が開いて、白衣姿の男が顔を出した。
「守谷医師。あんたが来てくれるとは思わんかったわ」
「……たまたま俺が受けたから来ただけだ。中立の俺にとっちゃ、怪我人はただの怪我人だ。先客と金払いのいい方を優先しはするが……大人しく縫われてろ」
お医者さんらしき壮年の男の人はちらりと柱に空いた穴を見ると、はぁと呆れたようにため息をついた。
「怪我人が怪我人増やすんじゃねぇよ」
「余計なこと言うからや」
「……まずその頭から治療してやろうか」
「冗談。ほな、よろしく頼むわ、医師」
春斗さんの不穏な言動にも全く動じず、お医者さんは使える部屋の確認をしていた。そしてちらっと私を見て、一瞬だけ同情の色を浮かべる。けれどそれは本当に一瞬で、すぐに春斗さんの脇腹に視線を戻した。
お屋敷の人たちは私を避けるように離れた部屋から私の様子を伺っている。そして、どこかピリピリとした雰囲気があった。
派手な格好の人や強面の人にじっと見られて落ち着けるはずもなく、私は膝の上に置いた手が震えないように抑えるので精一杯だった。
「どう見ても堅気だよな」
「あの会長が笑ってんの、初めて見たかもしれねぇ」
「最近やけに機嫌がよかった理由か」
ひそひそ声で交わされる会話の主語は、きっと私だろう。私にきこえているのに気付いた他のヤクザさんがひそひそと喋っていたヤクザさんたちをお屋敷の奥に追いやった。
10分くらい経って、からりと玄関扉が開く音がして私は顔を上げる。
「え……」
「こんなとこに置いてけぼりにして、悪かったなぁ」
何事もなかったかのように自然な動作で、春斗さんは扉を開けて立っている。微笑むその整った顔は、私の知ってる春斗さんだった。でも、私の目を奪ったのは春斗さんの顔じゃなくて、赤く染まっているその脇腹だった。
春斗さんは何気ない仕草で脇腹を抑えているけれど、赤く染まる範囲は徐々に広くなっていく。
「春斗さん」
その怪我はどうしたんですか。
問いかける言葉が喉につかえて出てこない。
あまりにも非日常で、モノクロ写真に赤いインクを零したみたいに、妙に鮮やかに映った。
「ちょっと面倒な客やったから、丁重にお帰りいただいたわ。大丈夫や、こんなもん大したことない。半分くらいは返り血や」
春斗さんは平然とそう言っているけれど、横に立つ吉井さんは難しい表情で部下らしき人に医者を呼ぶよう指示を出していた。
「ただの来客だって、どうして……」
「いきなり来た思ったら、返せとかわけわからんこと言われたんや。帰れ言うたら逆ギレされた。ほんま、頭おかしい奴の相手なんてするもんやないなぁ」
まるで変なクレーマーに絡まれたような言い方だった。
思わずそう言うと、春斗さんは僅かに目を見開いて、しばらくして愉快そうに笑い始めた。
「ははっ、クレーマーか」
遠巻きにしながらも周りに集まっていた人たちがぎょっとした顔で春斗さんを見る。まるで夜中に突然鳴り出したラジオを見るような、そんな不気味なものを見る目だった。
「クレーマーっちゅうよりは、ドロボウやな。人のモン取ったらドロボウって言うやろ?」
春斗さんは意味深な笑みを浮かべるけれど、どういうことなのか私にはわからなかった。
そのどこか退廃的な微笑みに、私の体が本能的に震える。その泥棒とやらは、どうなったんだろう。
考えるのは危険な気がした。
「組の問題や。楓には関係ないで?」
私の怯えを見透かして落ち着かせるように、春斗さんは優しい声音で言う。周りのヤクザさんたちが、いよいよ恐ろしいものを見る目で春斗さん……ではなく私を見ていた。
沈黙がこの場を支配する。ピリピリしているようでどこか甘やかなこの雰囲気は異様だった。誰かが一声発するだけで、何が起こるか全く予想がつかない。逆を言えば、何が怒ってもおかしくない雰囲気だ。
誰も何も言わない。少なくともこの場にいる人たちはそうだ。
「会長、外の連中が……ヒッ!」
玄関扉を開けて中に入ってきた若いお兄さんが春斗さんに向かって何かを言いかける。
その瞬間、パンと乾いた音がして少し遅れて火薬のような匂いが鼻をついた。
見れば、春斗さんが怒りの形相で拳銃を構えて、その若いお兄さんに突き付けていた。
扉には黒っぽい穴が空いて、お兄さんの頬からは鮮血が滴り落ちていく。
「自分、誰がそんなデカい声で報告しろ言うた?黙れや」
お兄さんはその剣幕に怯えきった様子でこくこくと頷くと、近くにいた人に小声で何か伝えてすぐ出ていった。
その姿を目で追っていたら、ぴしゃりと扉が閉められる。そしてグイっと顎を掴まれて、私は無理矢理春斗さんと目を合わせることになった。
「こっち見とき、楓」
まるで別人のような表情と声音。目はうっとりと細められて、その奥にちらちらと熱が見え隠れする。
一瞬、私はこの人が怪我をしているということを忘れそうになった。それくらい平然と、春斗さんは私の前に立っている。
「……会長、守谷医師が来ました」
そんな吉井さんの声がかかるまで、私と春斗さんは見つめ合っていた。
やがて扉が開いて、白衣姿の男が顔を出した。
「守谷医師。あんたが来てくれるとは思わんかったわ」
「……たまたま俺が受けたから来ただけだ。中立の俺にとっちゃ、怪我人はただの怪我人だ。先客と金払いのいい方を優先しはするが……大人しく縫われてろ」
お医者さんらしき壮年の男の人はちらりと柱に空いた穴を見ると、はぁと呆れたようにため息をついた。
「怪我人が怪我人増やすんじゃねぇよ」
「余計なこと言うからや」
「……まずその頭から治療してやろうか」
「冗談。ほな、よろしく頼むわ、医師」
春斗さんの不穏な言動にも全く動じず、お医者さんは使える部屋の確認をしていた。そしてちらっと私を見て、一瞬だけ同情の色を浮かべる。けれどそれは本当に一瞬で、すぐに春斗さんの脇腹に視線を戻した。
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