黒猫館の黒電話

凪司工房

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第四章 「狂気の末路」

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 どうしようもなくなった右腕を押さえながら足立里沙と共に部屋を出ると、リビングには桐生も美雪もいなかった。
 小さな窓越しに見えたのは毛むくじゃらの何か。
 何か、としか表現できない、人でも猿でもない物体が体に対して異常なほどに筋肉がふくらんだ右腕を振り回している。その先が、桐生に当たり、彼の体は見えなくなった。

「何なの?」

 里沙は良樹を置いて外に出て行く。彼も本当は出て行きたかったが、とても腕の痛みからその場を動くことが難しい。

「久しぶりのお客さんだと思ったら、ただうるさいだけだったわね」

 隣にやってきたのはこの家の主だ。少女はつまらなさそうにそう言うと、良樹を見てにこにことしながら「あなた、誠一郎のお友だち?」と訊いた。

「大学の、同級生」

 答えるのも嫌だったが腕を折られた瞬間のことが思い出され、短くではあるが返答した。

「そもそも君は誰だ」
「彼から何も聞いてない?」
「ああ」
「じゃあ、里沙からは?」

 その言葉で、事前に足立里沙から聞かされていた情報が一気に脳内を巡った。

「本物、なのか」
「なあに?」
「君は西雲寺英李さいうんじえり。亡くなった、うちの大学の理事長の孫娘」
「おじいちゃん、なくなったの? 残念ね。もっと遊んでもらいたかったのに」
「君は本当にホムンクルスなのか?」

 良樹はその言葉と共に彼女を正面から見た。
 一見すると人間の少女のようだが、最初に目にした時からずっと違和感がまとわりついていた。それは彼女の頭が、反対に付いている。つまり背中側をずっと向いているのだ。

「何? そのホムなんとかって。わたしは英李よ。おじいちゃんがとても大切にしてくれている、可愛い英李。あなたもわたしのことを可愛いと、そう言ってくれるでしょう?」

 精神は子どもそのものだ。けれど仮に本物の西雲寺英李が死んでいなかったとすると、良樹たちと同い年、つまり三十前後ということになる。少女のような見た目は別として、その思考にはとても年相応というものは見られない。
 良樹はホムンクルスのことをよく知らない。そもそも実在する訳がないと思っているし、仮にこれがホムンクルスだと紹介されたとしても機械が仕込まれているとか、何かまやかしがあるのだろうと考えるだろう。
 けれど目の前の少女はどう考えても生命を持った人形だった。
 そう。人間とは呼べない。その決定的な差が何かは分からないが、対峙しているとまるで野生の熊か何かに遭遇した時のような底知れない恐怖が湧き上がるのだ。

「安斉に、誠一郎に何をしたんだ?」
「わたしは何もしてないわ。寧ろ彼が望んだのよ? ああなることを」

 彼女は寝室を覗く。そこにはもう生きていない安斉誠一郎の、頭部と上半身だけになった人形が置かれているだけだ。当然、彼は何も答えない。
 そう思って良樹も見たのだが、彼の顔がにやりと笑ったように見えた。

「安斉が、望んだのか?」
「そう言ったでしょう?」
「あれに安斉が望んでなったというのか?」
「あなたは誠一郎のことを何も知らないのね。彼はわたしを愛しているの。ただそれだけよ」

 なんて軽い「愛」という言葉なんだろう。子どもの声で口にされたその言葉はまるで「アイスクリームが好きなの」とでも言うかのように、ふわふわとしていて実感が伴わない。

「わたしと誠一郎は将来を誓い合った仲なの。あなたたちには分からないわ」

 徐々に腕が痺れ、感覚が麻痺していく。気にならなくなってきたのか、それとも頭がバグってきたのか。額から首筋に掛けて嫌な汗が滲んでいたが、それもすっかり引いている。
 良樹は寝室に入り、左手で、ベッドの上の安斉誠一郎だったものの頭部を掴む。成人の頭部の重量は体重の十分の一程度と云われているが、持ち上げた感覚はとても六、七キロといった重さを感じない。意外なほどすっと持ち上がる。
 髪の毛を掴んだが、その感触も生きている人間のそれではない。
 一瞬これはただの作り物で、やはり安斉誠一郎はどこか別の場所で亡くなってしまっているのかと考えた。
 けれどその良樹の考えを、手元の頭部が否定した。

「久しぶりだな、黒井」

 その言いようのない気持ち悪さに思わず良樹は手にした頭部を落としてしまった。

「何するんだよ。十年ぶりに出会った友人のことを、もっと大切に扱ったらどうだ?」

 そう言って、床で横になったままの安斉誠一郎の頭部は笑った。
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