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第四章 「絶望の砂漠」
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膝下くらいまでの短い草が延々と続く草原を、まだ高いところにいる陽が降り注ぐ中、歩いて行く。
「かつて師匠が教えてくれたことがある」
ネモは袋から申し訳程度に頭を出し、話を聞いているようだ。
「出来ないことを憂いていても何も出来ないことに変わりは無い。大事なことは今何が出来るかで、出来ないことには意味など無いのだ。とな」
かつての自分を何度も励ましてくれた言葉だった。
ネモは分かったような分からないような、何とも複雑な表情をしていたが、一つ強く頷いてウッドに感謝してくれたようだった。
どれくらい歩いただろうか。
「あれは」
木を組み合わせて作られた櫓のようだった。それが傾いている。地震でもあったのだろうか。
「少し我慢してくれ」
ウッドはネモを袋の中に隠し、そこに向かう。
歩いていくと途中から細い地道が現れ、それが真っ直ぐに櫓の方へと続いていた。どうやらそこは以前アルタイ族の里だったようで、入り口らしき場所にウッドの背丈の倍ほどの巨大な門の後が残っていた。
里の外周を取り囲んでいたであろう石垣はところどころ崩れ、苔や草の芽が出ている。蔦も這っていた。蓋をしていたであろう扉は足元に粉々の木屑となって転がっていた。
その門跡を潜り、中へと入る。
大きな通りが綺麗に縦横に走り、その並びに沿って木作りの家が建てられていたようだった。ただどれも燃え滓となっていて、そこにどのような家があったのかはウッドが想像するしか無かった。住民の気配は感じられず、通り抜ける風は砂埃を巻き上げた。
道端にはかつての住民の生活の痕跡が僅かに見て取れる程度だ。殆どが燃えてしまっているが、水を汲む桶や柄杓、他にも農作業用の鍬だろうか、辛うじてその形を見てとれた。どれも焼かれてしまったのだ。
大通りをずっと真っ直ぐに行くと突き当たりに石造りの大きな砦にぶち当たる。その入り口には砂が溢れていて、簡単には中に入れない。それでも砂に足を突っ込んで、何とか数歩、踏み込んでみた。窓が小さいせいで陽の差込が悪く、あまり奥まで見渡せないが、どうやらずっと砂で埋まっているらしい。
と、足に何かがぶつかった。手を突っ込んでそれを取り出してみる。弓だった。それも真っ二つに折れてしまった弓。
――誰かが使っていた弓。
そう思うと何とも胸の中に冷たい風が吹き込んだ。
既に自分の身の安全を感じ取って顔を出していたネモも同じように感じているのだろう。目を合わせるとやはり頷いた。
ウッドは手にした弓の残骸を砂の上に突き立て、その砦を出た。
それから里の中を歩いてどこか休める場所と、使えそうなものが何か残っていないか、探して回る。
砦の裏手に倉庫らしき石造りの建造物があったが、扉が曲がっていて開かない。ウッドはそれを力任せに捻じ曲げて押し開け、何とか中に入った。
蒸し風呂のようになっていたそこは、幾つか貯蔵されていた穀類のどれもが既に虫食いで、一部芽が伸びているものもあった。それに大半は何かに食い荒らされたようで、奥の壁が崩壊して外から陽が差し込んでいた。何かネモが食べられるものがあればいいと思ったが、とても見つかりそうには無かった。
「いつかは分からない。だがこの里は、殺されたんだ」
ウッドがまだ若かった頃、里を滅ぼしたことがあった。その頃はただがむしゃらに戦い、上官に言われるままに敵の首を取り、家や食料に火を放って回っていた。
相手に絶望を与えるまでやる。
それがアルタイ族最強の軍隊と云われる帝国軍の強さの由縁だった。
――相手の墓までも破壊し尽くせ。
そう言われて戦場に駆り出された彼は、己の手で一体幾つの命を奪っただろう。相手の命の途切れる音を聞く度に血が滾っていた。強いことが正しくて、楽しかった。
この里の惨状を目にしてそんなかつての己を思い起こし、ウッドはどうしようもなく自分が許せなくなって、急に膝をついたかと思うと、地面を素手で殴り始めた。
「お、俺は、一体……」
その衝動は自分でも歯止めが利かなかった。
ただじっとしていられない。苦しくて耐えられない。拳は地面を抉り、それでも尚、叩くことを止めない。血が滲んでいたが、目に入ってくるのはあの時、確かに喜んで殺していたその感触だった。
そんなウッドの顔に小さなネモの手が当てられる。そのか弱そうな体でぐっと、ウッドの頭部を抱きしめる。声が出せない彼女は、それでも必死で何かを伝えようとしていた。
「やめろ。邪魔だ。俺に、関わるな」
それでも彼女は離れなかった。頭を振って彼女を引き剥がそうとするウッドから、決して手を離さなかった。
ウッドはそんな彼女の小さな体を両手で掴み、顔から無理やりに引き剥がすと、その彼女を地面に叩きつけようと思い切り持ち上げた。全身を覆うその苦しみから逃れる為に手にした何かをぶちまけようとするが、その瞬間、何かが体の中に流れ込んでくる。ウッドは雷に打たれたかのように静止した。
――何を、しようとしているんだ。
ウッドはゆっくりと、自分の手が掴んでいるものを見る。それはとても小さく、そして震えていた。見上げたウッドの顔に、何かが零れてくる。瞳の雫だ。
悲しい。
そう、これは「かなしい」だ。
ウッドは脱力し、その手からネモがゆっくりと離れた。
彼女は呆然としているウッドの顔に抱きついて、声を立てずに泣いた。
「かつて師匠が教えてくれたことがある」
ネモは袋から申し訳程度に頭を出し、話を聞いているようだ。
「出来ないことを憂いていても何も出来ないことに変わりは無い。大事なことは今何が出来るかで、出来ないことには意味など無いのだ。とな」
かつての自分を何度も励ましてくれた言葉だった。
ネモは分かったような分からないような、何とも複雑な表情をしていたが、一つ強く頷いてウッドに感謝してくれたようだった。
どれくらい歩いただろうか。
「あれは」
木を組み合わせて作られた櫓のようだった。それが傾いている。地震でもあったのだろうか。
「少し我慢してくれ」
ウッドはネモを袋の中に隠し、そこに向かう。
歩いていくと途中から細い地道が現れ、それが真っ直ぐに櫓の方へと続いていた。どうやらそこは以前アルタイ族の里だったようで、入り口らしき場所にウッドの背丈の倍ほどの巨大な門の後が残っていた。
里の外周を取り囲んでいたであろう石垣はところどころ崩れ、苔や草の芽が出ている。蔦も這っていた。蓋をしていたであろう扉は足元に粉々の木屑となって転がっていた。
その門跡を潜り、中へと入る。
大きな通りが綺麗に縦横に走り、その並びに沿って木作りの家が建てられていたようだった。ただどれも燃え滓となっていて、そこにどのような家があったのかはウッドが想像するしか無かった。住民の気配は感じられず、通り抜ける風は砂埃を巻き上げた。
道端にはかつての住民の生活の痕跡が僅かに見て取れる程度だ。殆どが燃えてしまっているが、水を汲む桶や柄杓、他にも農作業用の鍬だろうか、辛うじてその形を見てとれた。どれも焼かれてしまったのだ。
大通りをずっと真っ直ぐに行くと突き当たりに石造りの大きな砦にぶち当たる。その入り口には砂が溢れていて、簡単には中に入れない。それでも砂に足を突っ込んで、何とか数歩、踏み込んでみた。窓が小さいせいで陽の差込が悪く、あまり奥まで見渡せないが、どうやらずっと砂で埋まっているらしい。
と、足に何かがぶつかった。手を突っ込んでそれを取り出してみる。弓だった。それも真っ二つに折れてしまった弓。
――誰かが使っていた弓。
そう思うと何とも胸の中に冷たい風が吹き込んだ。
既に自分の身の安全を感じ取って顔を出していたネモも同じように感じているのだろう。目を合わせるとやはり頷いた。
ウッドは手にした弓の残骸を砂の上に突き立て、その砦を出た。
それから里の中を歩いてどこか休める場所と、使えそうなものが何か残っていないか、探して回る。
砦の裏手に倉庫らしき石造りの建造物があったが、扉が曲がっていて開かない。ウッドはそれを力任せに捻じ曲げて押し開け、何とか中に入った。
蒸し風呂のようになっていたそこは、幾つか貯蔵されていた穀類のどれもが既に虫食いで、一部芽が伸びているものもあった。それに大半は何かに食い荒らされたようで、奥の壁が崩壊して外から陽が差し込んでいた。何かネモが食べられるものがあればいいと思ったが、とても見つかりそうには無かった。
「いつかは分からない。だがこの里は、殺されたんだ」
ウッドがまだ若かった頃、里を滅ぼしたことがあった。その頃はただがむしゃらに戦い、上官に言われるままに敵の首を取り、家や食料に火を放って回っていた。
相手に絶望を与えるまでやる。
それがアルタイ族最強の軍隊と云われる帝国軍の強さの由縁だった。
――相手の墓までも破壊し尽くせ。
そう言われて戦場に駆り出された彼は、己の手で一体幾つの命を奪っただろう。相手の命の途切れる音を聞く度に血が滾っていた。強いことが正しくて、楽しかった。
この里の惨状を目にしてそんなかつての己を思い起こし、ウッドはどうしようもなく自分が許せなくなって、急に膝をついたかと思うと、地面を素手で殴り始めた。
「お、俺は、一体……」
その衝動は自分でも歯止めが利かなかった。
ただじっとしていられない。苦しくて耐えられない。拳は地面を抉り、それでも尚、叩くことを止めない。血が滲んでいたが、目に入ってくるのはあの時、確かに喜んで殺していたその感触だった。
そんなウッドの顔に小さなネモの手が当てられる。そのか弱そうな体でぐっと、ウッドの頭部を抱きしめる。声が出せない彼女は、それでも必死で何かを伝えようとしていた。
「やめろ。邪魔だ。俺に、関わるな」
それでも彼女は離れなかった。頭を振って彼女を引き剥がそうとするウッドから、決して手を離さなかった。
ウッドはそんな彼女の小さな体を両手で掴み、顔から無理やりに引き剥がすと、その彼女を地面に叩きつけようと思い切り持ち上げた。全身を覆うその苦しみから逃れる為に手にした何かをぶちまけようとするが、その瞬間、何かが体の中に流れ込んでくる。ウッドは雷に打たれたかのように静止した。
――何を、しようとしているんだ。
ウッドはゆっくりと、自分の手が掴んでいるものを見る。それはとても小さく、そして震えていた。見上げたウッドの顔に、何かが零れてくる。瞳の雫だ。
悲しい。
そう、これは「かなしい」だ。
ウッドは脱力し、その手からネモがゆっくりと離れた。
彼女は呆然としているウッドの顔に抱きついて、声を立てずに泣いた。
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