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第六章 「悲劇の帝国」
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城壁の内側は相変わらずの熱気だった。色々な地方から出てきたアルタイ族がぞろぞろと歩いている。
建物は全て煉瓦を組んで造り上げたものばかりで、それが雑然と並び、その雑に建てられた物に沿うように道がついているものだから、直線に走っている場所などは見当たらなかった。
あまり広くはない道の脇には露店が並び、食べ物や武具、衣類から嗜好品まで、様々なものが売られていた。
それを見に集まっている連中を避けながら歩くのは、自然のジャングルの中を歩く以上に気を遣う。だがフロスは平然と進んでいた。それを目にし、やはり自分とは身のこなしに差があることをウッドは実感する。
「ここに宿を取ろう」
迷うことなくどんどん先を行くフロスは、幾つも角を曲がって入り組んだ路地を沢山歩き回った挙句に、唐突にそう言って立ち止まった。
それに何とか追いついたウッドは既に肩で息をしていたが、見上げるとドアの上に小さく『宿』とだけ出ている。帝国軍発行の営業許可証が見当たらなかったから、ひょっとすると潜りの宿かも知れない。
フロスはウッドにも一緒に来るように視線で合図し、自分は先に中へ入る。ウッドも遅れてドアを開けた。
中に入るとドアは自然と閉まった。滑車を使ってドアと繋がれた重石が上下する仕組で、帝都では一般的などの店の玄関もこうなっている。
店内は薄暗く、奥でランプが焚かれているだけのようだ。そもそも建物の窓が小さい。よく見れば壁際には何体かボロを纏った者が横たわっていた。部屋を借りるだけの金か食料を持たない者が、辛うじて一泊の寝床を分けてもらっているのだろう。玄関先に寝かせるのは警備の意味もあった。最悪、己の命が宿代という訳だ。
監獄のような部屋を出て奥に進む。
そこにはこの宿の主らしい髭面が居て、フロスと何やら言葉を交わしていた。
「この奥を使っていいそうだ」
髭面はにっと笑っただけで、ウッドには何も言わなかった。フロスについて仕方なくウッドも奥へと歩いて行く。
客室は四つ有るらしかった。三つは二階に、一つは受付の奥に。
一階の部屋をフロスたちには宛がわれたが、貨幣も交換物資も殆ど持ってない筈のフロスがどうやって交渉したのか、ウッドには不思議だった。昔からの知り合いなのだろうか。
「ここまで来れば大丈夫だ」
フロスはベッドすら置かれていない部屋の隅にどっかりと腰を下ろし、部屋のドアを閉めたウッドを見上げた。それから座ろうとしたウッドに向けて右手を差し出し、「それ」と短く呟く。
最初は何のことなのか分からなかった。だがフロスの視線がじっとウッドの左肩を射していることから、彼がネモのことを言っていることだけは分かった。
「彼女は俺が」
「歌虫を連れて帝国の中枢に潜り込むつもりか」
「だが研究所へ行くと言ったのはあんただ」
「誰もみんなで行くとは言っていない」
ウッドは何があってもネモを守る。そういう覚悟でこの帝都へやってきた。
だが言われてみれば確かにそれでは自ら命を投げ出すようなものだ。
けれど、だとすればフロスはどうやって研究所にいる彼の知り合いと接触するつもりなのだろう。フロスはそうやってウッドにゆっくりと考える時間を与えないように、もう一度強く、ネモを引き渡すように要求した。
「彼女はわしが預かる」
いくらフロスがウッドよりも様々な面で優れているとはいえ、彼女を渡す気にはなれなかった。
自分の手を離れてしまえば、もう二度と会えないかも知れない。
生きるということは常に戦場で、明日自分が生きているかさえ誰も保障してくれない。一度別れたら二度と会えないと思え、とはウッドが師匠に言われた言葉だ。
その雰囲気を感じ取ってか、ネモが袋から頭を出し、ウッドとフロス、双方の顔を見る。何度も目を瞬かせるネモを挟んで、ウッドもフロスも互いに譲ろうとはしない眼差しをぶつけていた。
「彼女を歌えるようにしたいのだろう」
フロスの言葉は杭のように、的確にウッドの精神に突き刺さる。
「ペグ族にとって歌が無いとは、生きている価値すら無いようなものだというな」
ネモを見たが、すっとウッドから視線を逸らす。
「何も常に傍にいることだけが、彼女の為という訳では無いと思うのだが」
一つ一つがどれも正論だった。そうウッドには思えた。
頭陀袋からネモを取り出す。その表情は何を思っているのか分からない。ただじっとウッドを見つめ、彼が何かを口にするのを待っているような気がした。
「俺が行けばいいんだな」
フロスはその言葉を待っていたように大きく頷き、それからウッドの手から渡されたネモを自分の胸元に抱き寄せた。彼の手の中でネモはきゅっと目を吊り上げてウッドを見ていた。それは悲しみとは別のもののようだったが、何故彼女がそんな表情をしていたのか、この時のウッドには理解することが出来なかった。
「絶対に歌を取り戻させてやる」
そんなネモに約束して、彼は部屋を出る。
ウッドが探すべき者の名は『ブバオ』と言った。
建物は全て煉瓦を組んで造り上げたものばかりで、それが雑然と並び、その雑に建てられた物に沿うように道がついているものだから、直線に走っている場所などは見当たらなかった。
あまり広くはない道の脇には露店が並び、食べ物や武具、衣類から嗜好品まで、様々なものが売られていた。
それを見に集まっている連中を避けながら歩くのは、自然のジャングルの中を歩く以上に気を遣う。だがフロスは平然と進んでいた。それを目にし、やはり自分とは身のこなしに差があることをウッドは実感する。
「ここに宿を取ろう」
迷うことなくどんどん先を行くフロスは、幾つも角を曲がって入り組んだ路地を沢山歩き回った挙句に、唐突にそう言って立ち止まった。
それに何とか追いついたウッドは既に肩で息をしていたが、見上げるとドアの上に小さく『宿』とだけ出ている。帝国軍発行の営業許可証が見当たらなかったから、ひょっとすると潜りの宿かも知れない。
フロスはウッドにも一緒に来るように視線で合図し、自分は先に中へ入る。ウッドも遅れてドアを開けた。
中に入るとドアは自然と閉まった。滑車を使ってドアと繋がれた重石が上下する仕組で、帝都では一般的などの店の玄関もこうなっている。
店内は薄暗く、奥でランプが焚かれているだけのようだ。そもそも建物の窓が小さい。よく見れば壁際には何体かボロを纏った者が横たわっていた。部屋を借りるだけの金か食料を持たない者が、辛うじて一泊の寝床を分けてもらっているのだろう。玄関先に寝かせるのは警備の意味もあった。最悪、己の命が宿代という訳だ。
監獄のような部屋を出て奥に進む。
そこにはこの宿の主らしい髭面が居て、フロスと何やら言葉を交わしていた。
「この奥を使っていいそうだ」
髭面はにっと笑っただけで、ウッドには何も言わなかった。フロスについて仕方なくウッドも奥へと歩いて行く。
客室は四つ有るらしかった。三つは二階に、一つは受付の奥に。
一階の部屋をフロスたちには宛がわれたが、貨幣も交換物資も殆ど持ってない筈のフロスがどうやって交渉したのか、ウッドには不思議だった。昔からの知り合いなのだろうか。
「ここまで来れば大丈夫だ」
フロスはベッドすら置かれていない部屋の隅にどっかりと腰を下ろし、部屋のドアを閉めたウッドを見上げた。それから座ろうとしたウッドに向けて右手を差し出し、「それ」と短く呟く。
最初は何のことなのか分からなかった。だがフロスの視線がじっとウッドの左肩を射していることから、彼がネモのことを言っていることだけは分かった。
「彼女は俺が」
「歌虫を連れて帝国の中枢に潜り込むつもりか」
「だが研究所へ行くと言ったのはあんただ」
「誰もみんなで行くとは言っていない」
ウッドは何があってもネモを守る。そういう覚悟でこの帝都へやってきた。
だが言われてみれば確かにそれでは自ら命を投げ出すようなものだ。
けれど、だとすればフロスはどうやって研究所にいる彼の知り合いと接触するつもりなのだろう。フロスはそうやってウッドにゆっくりと考える時間を与えないように、もう一度強く、ネモを引き渡すように要求した。
「彼女はわしが預かる」
いくらフロスがウッドよりも様々な面で優れているとはいえ、彼女を渡す気にはなれなかった。
自分の手を離れてしまえば、もう二度と会えないかも知れない。
生きるということは常に戦場で、明日自分が生きているかさえ誰も保障してくれない。一度別れたら二度と会えないと思え、とはウッドが師匠に言われた言葉だ。
その雰囲気を感じ取ってか、ネモが袋から頭を出し、ウッドとフロス、双方の顔を見る。何度も目を瞬かせるネモを挟んで、ウッドもフロスも互いに譲ろうとはしない眼差しをぶつけていた。
「彼女を歌えるようにしたいのだろう」
フロスの言葉は杭のように、的確にウッドの精神に突き刺さる。
「ペグ族にとって歌が無いとは、生きている価値すら無いようなものだというな」
ネモを見たが、すっとウッドから視線を逸らす。
「何も常に傍にいることだけが、彼女の為という訳では無いと思うのだが」
一つ一つがどれも正論だった。そうウッドには思えた。
頭陀袋からネモを取り出す。その表情は何を思っているのか分からない。ただじっとウッドを見つめ、彼が何かを口にするのを待っているような気がした。
「俺が行けばいいんだな」
フロスはその言葉を待っていたように大きく頷き、それからウッドの手から渡されたネモを自分の胸元に抱き寄せた。彼の手の中でネモはきゅっと目を吊り上げてウッドを見ていた。それは悲しみとは別のもののようだったが、何故彼女がそんな表情をしていたのか、この時のウッドには理解することが出来なかった。
「絶対に歌を取り戻させてやる」
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ウッドが探すべき者の名は『ブバオ』と言った。
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