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第二章 硝子の靴

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 王子の部屋までは何度も階段を登ったり、降りたり、しなくてはならなかった。正直一度ではとても覚え切らない。
 ジルによると近道をしていると言うのだが、チェルにはどう考えてもわざと遠回りをしているようにしか思えなかった。
 どこかの塔の最上階近く、最後の螺旋らせん階段を登り終えると、チェルは膝に手を置いて肩で息をしていた。

「あんた意外と体力ない?」
「こんなに沢山の階段、登ったことない……」
「まあそうか。アタイだってここに来たばっかの頃は一度登って降りただけで足腰ガクガクだったからね。慣れよ、慣れ」

 得意げに鼻を鳴らしたジルは息一つ乱れていない。その上ワインのボトルが四本も入ったバスケットを手にした上でのことだ。チェルはまだ早いからと、一本だけしか持たせてくれなかった。
 木戸の前に立つと、ジルはチェルを一度振り返る。何かを確認するように大きく頷き、それからノックをした。一度、二度、三度だ。
 それが使用人のノックの仕方だと、ここに来るまでに教わった。
 だがいくら待っても中から返事がない。

「あれ、寝ちゃったかしらねえ、あの馬鹿王子」

 ジルがもう一度同じようにノックをするが、やはり反応はなかった。

「あたしが後はやっておきますから、ジルさんは他の仕事に回って下さい」

 チェルは彼女からワインの入った重いバスケットを受け取ると、

「悪いわねえ。あいつ、一度寝たら半日と起きないから、何度やっても返事がないようなら、中にワインを置いて帰ってきちゃってもいいから」
「でも、それでは」
「いいのよ。いつものことだから」

 じゃあ頼んだわね。そう手を振り、ジルは階段を降りて行った。何とも軽い足取りだ。
 笑顔で見送ったチェルは彼女の姿が見えなくなると途端にその表情を崩す。

「綺麗なお城だと思ったけど、こんなに歩き回る必要があるなら絶対に住みたくないわね」

 足元に置いたワインのバスケットをにらみつけ、これからどうすべきか考える。壁に背をつけ、ひと呼吸置くと、ドアの向こう側で何か物音がすることに気づいた。そっと耳をつけ、それが何の音なのかを伺う。

「……もう……無理です……」

 それは明らかに女性の声だった。

「……いいじゃないか……」

 続いて男性の声も聞こえた。

 ――何だ。起きてるんじゃないの。

 それを聞いて小さな溜息をこぼしたチェルは、けれど今中に入る訳にはいかないと、腕組みをし、思案する。中で行われているのは子どものチェルでも少し考えれば分かりそうな、男と女の行為だろう。ヨギにはああ言ったものの、全くそういうことに対して興味のないチェルは、男女によって行われるそれについて何も知らないと言ってよかった。
 幾つかの案が同時多発的に浮かんだけれど、チェルはその中でも最も無謀に思えるものを選択することにした。
 ドアをノックすらせずに、開ける。
 部屋には裸の男女がいるだろうというチェルの予想は、けれど外れてしまった。

「あ……」

 最初に息を呑んだのはその手にむちを握って、ベッドの上に立つ侍女らしき女性だ。ごわごわとした痛みの目立つ長い黒髪から何かの液体が滴り落ちている。それは彼女が踏みつけるもう一人の背中で、跳ね、ベッドを濡らしていた。
 チェルは一瞬、彼女の下にいる物体が何なのか、理解ができなかった。そこに寝ているものが何かは分かったけれど、頭が理解することを拒否したのだ。
 綺麗な耳までの金髪がだらりとシーツの上に広がり、後頭部に女性の素足が載っている。いや、それは載っているという表現では優しいくらい思い切り体重を掛け、ベッドに押し付けている。白く艶の良い肌は上気し、こちらに向いた左側の耳は朱色に染まっている。そこからうなじ、肩と続くが服は着ていない。下着ですらない。裸だ。背中や脇には細く赤い筋が付いていて、下半身にはパンツだけが申し訳程度にかれていた。
 その彼女の足が緩む。
 踏まれていた男性の頭部がわずかに持ち上がると、くるりとチェルの方に向けられた。

「新顔か?」

 彼の綺麗な碧の瞳がチェルを捉え、笑みを浮かべてそう言った。

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