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第一章 「もう恋なんてしない」
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目を開けると真っ白な狭い部屋の、ベッドの上だった。
何度も運び込まれているから、原田は誰に説明されずともここが救急センターの処置室の中だと理解できた。右腕には点滴が繋がれていたが、既にもう中の液体はほとんど落ちてしまっている。
ドアの向こう側で医師と看護師の会話らしきものが聞こえたから、誰か入ってきてこれを外してくれるのだろう。言いに行かなくても済むな、と思った時、
「私が取っておくよ」
と、男性の声が言うのが確認できた。
ノブが回り、その声の主が入室してくる。
「また運ばれたそうだね」
白髪混じりの前髪を掻き上げ、皺が寄った涼し気な目を原田に向けている。特に呆れた様子はなかった。
「不意打ちだったんだよ」
本屋で原田の手を掴んできた女性の石鹸の匂いを思い出すだけで、胸元が気持ち悪くなる。
「特に問題はないそうだ。しかし本屋で倒れるとは、作家冥利に尽きるんじゃないか」
「からかって楽しいか」
「いや。ただね、最近全然なかったから症状が安定しているんじゃないかと思っていたんだ」
この症状が現れてからもう七年ほどになるが、普段の生活でなるべく他人との接触を減らすよう努力してきた。そのお陰でなかなか気を失うようなことにはならなくなったが、気を抜けばすぐにこうして救急車沙汰になってしまう。
「三時間ほど眠ったからもう気分は悪くないだろう。一応二度目の点滴をしてもらったよ。ふらつくとか、吐きそうとか、そういうことがなければこのまま帰ってもらって構わないよ」
高正は点滴の針を抜くと、そこにパッチを当ててから、器具を片付ける。
上半身を起こしてみるが、頭がぼんやりとしている以外はどうやら大丈夫そうだ。床に並べて置かれたスニーカーに足を通すと、立ち上がってみる。足に力が入ることを確認して原田はほっとした。
「ああ、そうだ」
部屋を出ていこうとしたところで、高正が立ち止まる。
「待合室で君を待っている女性がいたよ。彼女かな、君のアレルゲンは?」
撫で下ろした胸にぶつけられた高正の言葉に閉口した。
「少し派手目だが、可愛らしい子だったよ。どうせなら付き合ってみれば良いだろう。そうすれば君の症状も少しは良くなるかも知れない」
「他人事だと思って好き勝手言わないで下さい。こっちは死活問題なんですよ。それもあんなパーソナルスペースが狭そうな女、もし一緒に暮らしていたら月に三十回は救急車呼びますからね」
「今月は三十一日だから、一日は呼ばずにいてくれるのか。ありがたいね」
そう笑って高正は出て行った。
いつも彼には敵わないと感じる。確かまだ五十にはならないはずだが、人生の経験値の差が悔しかった。
一旦ベッドに腰を下ろしたものの、このまま泊まる訳にもいかない。
決意して、立ち上がる。
部屋を出ると、中央の処置台に呻き声を絞り出す壮年の会社員らしいシャツの男が載せられていた。苦しそうに顔を歪めているが、それとは対照的に飄々とした様子でお腹の出た医師が周りのスタッフに指示を出している。
「はいはい。大丈夫ですよー」
看護師も手慣れたものだ。声を掛けながら、男性のシャツのボタンを外していた。
いつも思うが大変な仕事だ。とても自分にはできない、と原田は感じてしまう。
スライドさせて通路に出ると、対面の待合室がガラス戸越しに見えた。確かにその一番奥のシートに原田の手を掴んだ彼女が横になっていた。どうやら眠ってしまっているようだ。ずっと待っていたのだろうか。
このまま帰ってしまおう。
そう思って踵を返した時だった。
「先生!」
村瀬ナツコだ。
バタバタと激しい音をさせ、彼女が廊下を走ってくる。
何度も運び込まれているから、原田は誰に説明されずともここが救急センターの処置室の中だと理解できた。右腕には点滴が繋がれていたが、既にもう中の液体はほとんど落ちてしまっている。
ドアの向こう側で医師と看護師の会話らしきものが聞こえたから、誰か入ってきてこれを外してくれるのだろう。言いに行かなくても済むな、と思った時、
「私が取っておくよ」
と、男性の声が言うのが確認できた。
ノブが回り、その声の主が入室してくる。
「また運ばれたそうだね」
白髪混じりの前髪を掻き上げ、皺が寄った涼し気な目を原田に向けている。特に呆れた様子はなかった。
「不意打ちだったんだよ」
本屋で原田の手を掴んできた女性の石鹸の匂いを思い出すだけで、胸元が気持ち悪くなる。
「特に問題はないそうだ。しかし本屋で倒れるとは、作家冥利に尽きるんじゃないか」
「からかって楽しいか」
「いや。ただね、最近全然なかったから症状が安定しているんじゃないかと思っていたんだ」
この症状が現れてからもう七年ほどになるが、普段の生活でなるべく他人との接触を減らすよう努力してきた。そのお陰でなかなか気を失うようなことにはならなくなったが、気を抜けばすぐにこうして救急車沙汰になってしまう。
「三時間ほど眠ったからもう気分は悪くないだろう。一応二度目の点滴をしてもらったよ。ふらつくとか、吐きそうとか、そういうことがなければこのまま帰ってもらって構わないよ」
高正は点滴の針を抜くと、そこにパッチを当ててから、器具を片付ける。
上半身を起こしてみるが、頭がぼんやりとしている以外はどうやら大丈夫そうだ。床に並べて置かれたスニーカーに足を通すと、立ち上がってみる。足に力が入ることを確認して原田はほっとした。
「ああ、そうだ」
部屋を出ていこうとしたところで、高正が立ち止まる。
「待合室で君を待っている女性がいたよ。彼女かな、君のアレルゲンは?」
撫で下ろした胸にぶつけられた高正の言葉に閉口した。
「少し派手目だが、可愛らしい子だったよ。どうせなら付き合ってみれば良いだろう。そうすれば君の症状も少しは良くなるかも知れない」
「他人事だと思って好き勝手言わないで下さい。こっちは死活問題なんですよ。それもあんなパーソナルスペースが狭そうな女、もし一緒に暮らしていたら月に三十回は救急車呼びますからね」
「今月は三十一日だから、一日は呼ばずにいてくれるのか。ありがたいね」
そう笑って高正は出て行った。
いつも彼には敵わないと感じる。確かまだ五十にはならないはずだが、人生の経験値の差が悔しかった。
一旦ベッドに腰を下ろしたものの、このまま泊まる訳にもいかない。
決意して、立ち上がる。
部屋を出ると、中央の処置台に呻き声を絞り出す壮年の会社員らしいシャツの男が載せられていた。苦しそうに顔を歪めているが、それとは対照的に飄々とした様子でお腹の出た医師が周りのスタッフに指示を出している。
「はいはい。大丈夫ですよー」
看護師も手慣れたものだ。声を掛けながら、男性のシャツのボタンを外していた。
いつも思うが大変な仕事だ。とても自分にはできない、と原田は感じてしまう。
スライドさせて通路に出ると、対面の待合室がガラス戸越しに見えた。確かにその一番奥のシートに原田の手を掴んだ彼女が横になっていた。どうやら眠ってしまっているようだ。ずっと待っていたのだろうか。
このまま帰ってしまおう。
そう思って踵を返した時だった。
「先生!」
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バタバタと激しい音をさせ、彼女が廊下を走ってくる。
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