君と私の恋愛教室〜女性アレルギィの恋愛小説家と恋を知らない女性たち〜

凪司工房

文字の大きさ
8 / 88
第一章 「もう恋なんてしない」

7

しおりを挟む
「先生。心配したんですよ」

 息を切らせながら村瀬ナツコは膝に手を置いて、何度も「先生」と口にする。

「村瀬さん。ここ外だからね」
「分かってますよ。ほんと、先生に何かあったらわたしの監督責任になるんですから」

 まるで保護者のような口ぶりだ。
 ただ実際、なるべく人との接触を避けたい原田の面倒な要求を通してくれ、色々と折衝せっしょうを重ねてくれている彼女にはそれなりに世話になっていた。

「それにしてもなんで先生、文庫新刊発売の視察がしたいって言って下さらなかったんですか? やはりわたしが女だからですか? もっと髪とか切った方が良いですか?」

 そこまで地味になってもおそらく君は女性らしさを消せないよ。
 と口に出そうとして、止めておく。更にヒステリックに盛り上がられても原田が困るだけだ。とにかく「わかった」と連呼して、何とか彼女の血圧を下げようとする。

「やっぱりアンタ先生なんだ!」

 ああ……。
 待合室から出てきた彼女は、その目立つ大きな瞳を原田に向けて子供のようにきらきらとさせていた。短いスカートの一部がめくれ上がり、腿に張り付いている。もう少しでショーツが見えてしまうかと思ったが、布地があるようには感じなかった。きっと村瀬ナツコが持っていないような狭い布地面積のものを履いているのだろう。
 そこまで想像して、二人に対して失礼だなと、原田は苦笑する。

「何か勘違いしているようだが、僕はその結城某ゆうきなにがしではないよ」
「え? 嘘だ。だってこれアンタじゃん」

 彼女は手にしていた恋愛教室の著者近影を見せる。

「そんな後ろ姿で同じ人物かどうかなんて分からないだろう?」
「何言ってんのよ。ほら、このコート。あんたのと同じじゃん。それにここ。後ろの旋毛。全く同じ位置にある」

 原田は村瀬ナツコを睨みつけた。
 どうしても彼女が著者近影を載せたいというので仕方なく後ろ姿ならと妥協した結果が、これだった。

「あのね、ここに写っているのは確かに彼なんだけど、結城貴司ゆうきたかし先生じゃないのよ。ほら、影武者とかあるでしょう。そういう系なの」
「今は歴史の話してないから。とにかく、お願い」

 彼女は村瀬ナツコを腕を払い除け、原田の前に出る。

「お願い。アタシに恋愛を教えて」

 真っ直ぐな混ざり気のない瞳が、原田を捉えて離さない。

「ここに書いてあったんだ。恋は病気だって。未だに治療法が見つかっていない、全人類が逃げられない呪いなんだって。けど恋を学ぶことでその病気に対して抗体ができる。抗体ができれば今までみたいに恋で苦しんだりすることがなくなるって!」

 それは小説恋愛教室の中で、主人公の女子高生が出会った大学教授から言われる言葉だった。酷い失恋をして死まで考えていた彼女に、生きる力を与える為に口にした彼の嘘の言葉だった。

「ただのフィクションだ。それに恋愛というのは」

 瞳が水分を伴って潤んでいた。
 その瞳の形、だろうか。よく似ている。学生時代に原田が初めて恋というものを知ったある女性の、不純物の一切ないあの瞳だ。一度見つめられたらもう離れられない。そういう吸引力のある眼差しだった。

「いいじゃないですか、先生」

 そう提案したのは村瀬ナツコだ。

「どういうことかな」

 何を言い出すんだ、と内心では思っていたが、原田はぐっと堪えて彼女の意見を聞く。

「最近先生スランプ気味だったじゃないですか。やっぱり今の若い女子の気持ちをもっと知った方が原稿もはかどると思うんですよ」

 村瀬ナツコは原田の反応を見るように覗き込んだが、彼は嫌嫌と小刻みに首を横に振り続ける。

「人に教えると勉強になるっていうしさ。もう観念しなよ、センセ」

 その女は村瀬ナツコの隣に立ち、「ねー」と何故か意気投合して笑っている。
 それから一歩二歩前に出て原田の手を掴もうとしたので、慌てて後ずさると、

「と、とにかく近づかないでくれ。また倒れたら困る」

 注意してから、一メートルの距離を確保した。

「じゃあ、アタシに教えてくれる?」

 そんな原田に再び近づく振りをして、女は笑う。

「先生」

 村瀬ナツコは諦めろとばかりに苦笑を浮かべている。

「……わかった。ただし、一ヶ月だけ」
「ほんとに?」
「それじゃあその一ヶ月は先生の原稿の締め切り止めておきます。これなら良いですよね?」

 その提案はありがたかった。

「まあ、仕方ないな」
「それじゃあセンセ。アタシに恋愛教室、して下さいね」

 ――何が恋愛教室だ。

 内心で愚痴っていたが、原稿の締め切り延期の為だと我慢する。

「アタシは沖愛里おきあいり。愛に里って書いて、愛里だよ。宜しく」

 彼女は戸惑うことなく右手を差し出す。

 ――沖、愛里か。

 それは原田の初恋の女性の名前に、よく似ていた。
 彼女の名は、沖優里おきゆうり
 原田を女性アレルギィに追いやった女性だった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

後宮なりきり夫婦録

石田空
キャラ文芸
「月鈴、ちょっと嫁に来るか?」 「はあ……?」 雲仙国では、皇帝が三代続いて謎の昏睡状態に陥る事態が続いていた。 あまりにも不可解なために、新しい皇帝を立てる訳にもいかない国は、急遽皇帝の「影武者」として跡継ぎ騒動を防ぐために寺院に入れられていた皇子の空燕を呼び戻すことに決める。 空燕の国の声に応える条件は、同じく寺院で方士修行をしていた方士の月鈴を妃として後宮に入れること。 かくしてふたりは片や皇帝の影武者として、片や皇帝の偽りの愛妃として、後宮と言う名の魔窟に潜入捜査をすることとなった。 影武者夫婦は、後宮内で起こる事件の謎を解けるのか。そしてふたりの想いの行方はいったい。 サイトより転載になります。

🥕おしどり夫婦として12年間の結婚生活を過ごしてきたが一波乱あり、妻は夫を誰かに譲りたくなるのだった。

設楽理沙
ライト文芸
2026.1.4 73話見直した際、瑛士の台詞《本音/懺悔》を加筆しました。😇 ☘ 累計ポイント/ 200万pt 超えました。ありがとうございます。 ―― 備忘録 ――    第8回ライト文芸大賞では大賞2位ではじまり2位で終了。  最高 57,392 pt      〃     24h/pt-1位ではじまり2位で終了。  最高 89,034 pt                    ◇ ◇ ◇ ◇ 紳士的でいつだって私や私の両親にやさしくしてくれる 素敵な旦那さま・・だと思ってきたのに。 隠された夫の一面を知った日から、眞奈の苦悩が 始まる。 苦しくて、悲しくてもののすごく惨めで・・ 消えてしまいたいと思う眞奈は小さな子供のように 大きな声で泣いた。 泣きながらも、よろけながらも、気がつけば 大地をしっかりと踏みしめていた。 そう、立ち止まってなんていられない。 ☆-★-☆-★+☆-★-☆-★+☆-★-☆-★ 2025.4.19☑~

還暦の性 若い彼との恋愛模様

MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。 そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。 その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。 全7話

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

優しい雨が降る夜は

葉月 まい
恋愛
浮世離れした地味子 × 外資系ITコンサルのエリートイケメン 無自覚にモテる地味子に 余裕もなく翻弄されるイケメン 二人の恋は一筋縄ではいかなくて…… 雨降る夜に心に届いた 優しい恋の物語 ⟡☾·̩͙⋆☔┈┈┈ 登場人物 ┈┈┈ ☔⋆·̩͙☽⟡ 風間 美月(24歳)……コミュニティセンター勤務・地味でお堅い性格 雨宮 優吾(28歳)……外資系ITコンサルティング会社勤務のエリートイケメン

裏切りの代償

中岡 始
キャラ文芸
かつて夫と共に立ち上げたベンチャー企業「ネクサスラボ」。奏は結婚を機に経営の第一線を退き、専業主婦として家庭を支えてきた。しかし、平穏だった生活は夫・尚紀の裏切りによって一変する。彼の部下であり不倫相手の優美が、会社を混乱に陥れつつあったのだ。 尚紀の冷たい態度と優美の挑発に苦しむ中、奏は再び経営者としての力を取り戻す決意をする。裏切りの証拠を集め、かつての仲間や信頼できる協力者たちと連携しながら、会社を立て直すための計画を進める奏。だが、それは尚紀と優美の野望を徹底的に打ち砕く覚悟でもあった。 取締役会での対決、揺れる社内外の信頼、そして壊れた夫婦の絆の果てに待つのは――。 自分の誇りと未来を取り戻すため、すべてを賭けて挑む奏の闘い。復讐の果てに見える新たな希望と、繊細な人間ドラマが交錯する物語がここに。

紙の上の空

中谷ととこ
ライト文芸
小学六年生の夏、父が突然、兄を連れてきた。 容姿に恵まれて才色兼備、誰もが憧れてしまう女性でありながら、裏表のない竹を割ったような性格の八重嶋碧(31)は、幼い頃からどこにいても注目され、男女問わず人気がある。 欲しいものは何でも手に入りそうな彼女だが、本当に欲しいものは自分のものにはならない。欲しいすら言えない。長い長い片想いは成就する見込みはなく半分腐りかけているのだが、なかなか捨てることができずにいた。 血の繋がりはない、兄の八重嶋公亮(33)は、未婚だがとっくに独立し家を出ている。 公亮の親友で、碧とは幼い頃からの顔見知りでもある、斎木丈太郎(33)は、碧の会社の近くのフレンチ店で料理人をしている。お互いに好き勝手言える気心の知れた仲だが、こちらはこちらで本心は隠したまま碧の動向を見守っていた。

処理中です...