9 / 88
第二章 「ナチュラルに恋して」
1
しおりを挟む
「アタシは沖愛里。愛に里って書いて、愛里だよ。宜しく」
そう言って目の前の露出の多い女は、自分の右手を原田貴明の前に差し出した。けれど彼はそれを目を細めて見ながら、握り返すということができずにいた。
「ん? ねえ、握手。してくれないの?」
大きな瞳を何度か瞬かせ、沖愛里は原田を覗き込む。膝頭が丸見えな丈の短いスカートからその肉付きの良い太腿がよく見えたけれど、原田はそれが見たくて俯いた訳じゃない。
「ねえ」
声が不機嫌になる。
「ねえってば」
原田は隣に立つ高正誠司の顔を、助けを求めるように見やる。白衣の間から覗くブルーのストライプ柄のタイは年季が入り、随分と色褪せて見える。
「まあまあ。彼も病み上がりで疲れているんだ。それにちょっと訳ありでね。あまり他人と接触することが得意ではないんだ」
「そうなの? ごめんなさい」
素直に謝った彼女は、突然はっとして「あ」と声に出す。
「もしかして、センセが倒れたのって、アタシの所為?」
「気にしなくていい。僕が気をつけるべきことだ」
「そんなことない」
そう言って、彼女は原田の前に進み出る。勢いで、そのまま自分に抱きついてくるんじゃないかと思ったが、五十センチくらいまでで、何とか彼女は踏みとどまってくれた。
「駄目なことはちゃんと駄目って言ってよね。アタシ、そういうの、ちゃんと守るタイプだから」
「ああ、わかった。けど……あまり近づかないでくれ」
「ええー。それじゃあ恋愛できない」
まるで駄々っ子だ。唇を尖らせてふくれて見せる。意識してやってるのか自然とそうなるのかは分からないが、こういうのを「かわいい」と感じる男性も一定数いるだろう。原田はこの手の仕草をする女性を「面倒そうだ」としか思わなかった。
「村瀬さん」
原田のやや苛立った声に、赤縁の眼鏡を外して拭いていた彼女が返事をしながら慌ててそれを掛け直す。
「彼女をタクシーで家まで送ってあげてもらえないかな」
「なんで?」
そう言ったのは愛里だ。
「いや、救急車でここまで来てもらったんだから、送っていかないと悪いだろう?」
「センセが送ってくれればいいのに」
返事を期待する目を向けられたが、原田はそれを無視して村瀬ナツコに「頼む」と口だけ動かして伝えた。
「それじゃあ、先生。また後で連絡します。じゃあ、行きましょうか……えーと」
「愛里」
「愛里ちゃん」
村瀬ナツコは先に歩き出したが、愛里はそれを追いかけようとして立ち止まり、
「ちょっとスマホ貸して」
と、原田のシャツの胸ポケットから飛び出ていたそれを強引に取り出す。
高正は苦笑してそれを見たが、返せと口に出す前に彼女は勝手に何やら登録を済ませてしまった。
「アタシのLINEのIDとメールアドレス、それに電話番号も入れてあるから、あとで確認のLINEしとくね。じゃ、センセ」
ほい、と宙に投げて、手を振って行ってしまう。危なく落としかけたが、何とか両手でスマートフォンを受け取ると、原田はモニタに表示されている『新しいアドレスが登録されました』という文字を黙って見つめ、溜息を零した。
「どう思います、あれ」
「可愛い子じゃないか。君にはああいうタイプの方が合ってるかも知れないよ」
高正は笑いを噛み殺しながら答えたが、原田はそれに対して首を横に何度も振る。
「そうじゃなくて、僕が無事でいられるかどうかって話です。そもそも恋愛を教えるなんて、女性アレルギィの僕には到底無理な命題なんですよ」
「そんなことはないだろう。君はベストセラー恋愛作家の結城貴司じゃないか」
――自分は結城貴司じゃない。
そう口に出そうとしたが、高正に言っても仕方ないと思って止めておく。
「そもそも恋愛というのはね、誰でもできるけれど何一つ正解がない。そういう人生の難問の一つなんですよ」
手にしたスマートフォンは短く震え、LINEの通知を告げる。早速愛里からだ。思わず指が触れ、画面に展開されたメッセージが視界に入る。それを睨みつけるようにした原田は頭を振り、再び特大の溜息を落としたのだった。
> センセって彼女いないんだ? ヨカッタ。ナツコさんから聞いたの。
そう言って目の前の露出の多い女は、自分の右手を原田貴明の前に差し出した。けれど彼はそれを目を細めて見ながら、握り返すということができずにいた。
「ん? ねえ、握手。してくれないの?」
大きな瞳を何度か瞬かせ、沖愛里は原田を覗き込む。膝頭が丸見えな丈の短いスカートからその肉付きの良い太腿がよく見えたけれど、原田はそれが見たくて俯いた訳じゃない。
「ねえ」
声が不機嫌になる。
「ねえってば」
原田は隣に立つ高正誠司の顔を、助けを求めるように見やる。白衣の間から覗くブルーのストライプ柄のタイは年季が入り、随分と色褪せて見える。
「まあまあ。彼も病み上がりで疲れているんだ。それにちょっと訳ありでね。あまり他人と接触することが得意ではないんだ」
「そうなの? ごめんなさい」
素直に謝った彼女は、突然はっとして「あ」と声に出す。
「もしかして、センセが倒れたのって、アタシの所為?」
「気にしなくていい。僕が気をつけるべきことだ」
「そんなことない」
そう言って、彼女は原田の前に進み出る。勢いで、そのまま自分に抱きついてくるんじゃないかと思ったが、五十センチくらいまでで、何とか彼女は踏みとどまってくれた。
「駄目なことはちゃんと駄目って言ってよね。アタシ、そういうの、ちゃんと守るタイプだから」
「ああ、わかった。けど……あまり近づかないでくれ」
「ええー。それじゃあ恋愛できない」
まるで駄々っ子だ。唇を尖らせてふくれて見せる。意識してやってるのか自然とそうなるのかは分からないが、こういうのを「かわいい」と感じる男性も一定数いるだろう。原田はこの手の仕草をする女性を「面倒そうだ」としか思わなかった。
「村瀬さん」
原田のやや苛立った声に、赤縁の眼鏡を外して拭いていた彼女が返事をしながら慌ててそれを掛け直す。
「彼女をタクシーで家まで送ってあげてもらえないかな」
「なんで?」
そう言ったのは愛里だ。
「いや、救急車でここまで来てもらったんだから、送っていかないと悪いだろう?」
「センセが送ってくれればいいのに」
返事を期待する目を向けられたが、原田はそれを無視して村瀬ナツコに「頼む」と口だけ動かして伝えた。
「それじゃあ、先生。また後で連絡します。じゃあ、行きましょうか……えーと」
「愛里」
「愛里ちゃん」
村瀬ナツコは先に歩き出したが、愛里はそれを追いかけようとして立ち止まり、
「ちょっとスマホ貸して」
と、原田のシャツの胸ポケットから飛び出ていたそれを強引に取り出す。
高正は苦笑してそれを見たが、返せと口に出す前に彼女は勝手に何やら登録を済ませてしまった。
「アタシのLINEのIDとメールアドレス、それに電話番号も入れてあるから、あとで確認のLINEしとくね。じゃ、センセ」
ほい、と宙に投げて、手を振って行ってしまう。危なく落としかけたが、何とか両手でスマートフォンを受け取ると、原田はモニタに表示されている『新しいアドレスが登録されました』という文字を黙って見つめ、溜息を零した。
「どう思います、あれ」
「可愛い子じゃないか。君にはああいうタイプの方が合ってるかも知れないよ」
高正は笑いを噛み殺しながら答えたが、原田はそれに対して首を横に何度も振る。
「そうじゃなくて、僕が無事でいられるかどうかって話です。そもそも恋愛を教えるなんて、女性アレルギィの僕には到底無理な命題なんですよ」
「そんなことはないだろう。君はベストセラー恋愛作家の結城貴司じゃないか」
――自分は結城貴司じゃない。
そう口に出そうとしたが、高正に言っても仕方ないと思って止めておく。
「そもそも恋愛というのはね、誰でもできるけれど何一つ正解がない。そういう人生の難問の一つなんですよ」
手にしたスマートフォンは短く震え、LINEの通知を告げる。早速愛里からだ。思わず指が触れ、画面に展開されたメッセージが視界に入る。それを睨みつけるようにした原田は頭を振り、再び特大の溜息を落としたのだった。
> センセって彼女いないんだ? ヨカッタ。ナツコさんから聞いたの。
0
あなたにおすすめの小説
後宮なりきり夫婦録
石田空
キャラ文芸
「月鈴、ちょっと嫁に来るか?」
「はあ……?」
雲仙国では、皇帝が三代続いて謎の昏睡状態に陥る事態が続いていた。
あまりにも不可解なために、新しい皇帝を立てる訳にもいかない国は、急遽皇帝の「影武者」として跡継ぎ騒動を防ぐために寺院に入れられていた皇子の空燕を呼び戻すことに決める。
空燕の国の声に応える条件は、同じく寺院で方士修行をしていた方士の月鈴を妃として後宮に入れること。
かくしてふたりは片や皇帝の影武者として、片や皇帝の偽りの愛妃として、後宮と言う名の魔窟に潜入捜査をすることとなった。
影武者夫婦は、後宮内で起こる事件の謎を解けるのか。そしてふたりの想いの行方はいったい。
サイトより転載になります。
🥕おしどり夫婦として12年間の結婚生活を過ごしてきたが一波乱あり、妻は夫を誰かに譲りたくなるのだった。
設楽理沙
ライト文芸
2026.1.4 73話見直した際、瑛士の台詞《本音/懺悔》を加筆しました。😇
☘ 累計ポイント/ 200万pt 超えました。ありがとうございます。
―― 備忘録 ――
第8回ライト文芸大賞では大賞2位ではじまり2位で終了。 最高 57,392 pt
〃 24h/pt-1位ではじまり2位で終了。 最高 89,034 pt
◇ ◇ ◇ ◇
紳士的でいつだって私や私の両親にやさしくしてくれる
素敵な旦那さま・・だと思ってきたのに。
隠された夫の一面を知った日から、眞奈の苦悩が
始まる。
苦しくて、悲しくてもののすごく惨めで・・
消えてしまいたいと思う眞奈は小さな子供のように
大きな声で泣いた。
泣きながらも、よろけながらも、気がつけば
大地をしっかりと踏みしめていた。
そう、立ち止まってなんていられない。
☆-★-☆-★+☆-★-☆-★+☆-★-☆-★
2025.4.19☑~
還暦の性 若い彼との恋愛模様
MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。
そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。
その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。
全7話
優しい雨が降る夜は
葉月 まい
恋愛
浮世離れした地味子 × 外資系ITコンサルのエリートイケメン
無自覚にモテる地味子に
余裕もなく翻弄されるイケメン
二人の恋は一筋縄ではいかなくて……
雨降る夜に心に届いた
優しい恋の物語
⟡☾·̩͙⋆☔┈┈┈ 登場人物 ┈┈┈ ☔⋆·̩͙☽⟡
風間 美月(24歳)……コミュニティセンター勤務・地味でお堅い性格
雨宮 優吾(28歳)……外資系ITコンサルティング会社勤務のエリートイケメン
裏切りの代償
中岡 始
キャラ文芸
かつて夫と共に立ち上げたベンチャー企業「ネクサスラボ」。奏は結婚を機に経営の第一線を退き、専業主婦として家庭を支えてきた。しかし、平穏だった生活は夫・尚紀の裏切りによって一変する。彼の部下であり不倫相手の優美が、会社を混乱に陥れつつあったのだ。
尚紀の冷たい態度と優美の挑発に苦しむ中、奏は再び経営者としての力を取り戻す決意をする。裏切りの証拠を集め、かつての仲間や信頼できる協力者たちと連携しながら、会社を立て直すための計画を進める奏。だが、それは尚紀と優美の野望を徹底的に打ち砕く覚悟でもあった。
取締役会での対決、揺れる社内外の信頼、そして壊れた夫婦の絆の果てに待つのは――。
自分の誇りと未来を取り戻すため、すべてを賭けて挑む奏の闘い。復讐の果てに見える新たな希望と、繊細な人間ドラマが交錯する物語がここに。
紙の上の空
中谷ととこ
ライト文芸
小学六年生の夏、父が突然、兄を連れてきた。
容姿に恵まれて才色兼備、誰もが憧れてしまう女性でありながら、裏表のない竹を割ったような性格の八重嶋碧(31)は、幼い頃からどこにいても注目され、男女問わず人気がある。
欲しいものは何でも手に入りそうな彼女だが、本当に欲しいものは自分のものにはならない。欲しいすら言えない。長い長い片想いは成就する見込みはなく半分腐りかけているのだが、なかなか捨てることができずにいた。
血の繋がりはない、兄の八重嶋公亮(33)は、未婚だがとっくに独立し家を出ている。
公亮の親友で、碧とは幼い頃からの顔見知りでもある、斎木丈太郎(33)は、碧の会社の近くのフレンチ店で料理人をしている。お互いに好き勝手言える気心の知れた仲だが、こちらはこちらで本心は隠したまま碧の動向を見守っていた。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる