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第二章 「ナチュラルに恋して」
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愛里は原田から渡された紙を手に、喫茶ブラウンシュガーにやってきた。
店内を覗き込むと、スタッフとしてフロアに出ているのは涌井祐介一人きりだ。ちょうどランチの時間が終わり、もう一人の社員の小田川美保は休憩に入ったのだろう。客は女性の二人組が窓際のテーブル席に一組、それからシングルの客が二人いるだけだった。ちょうど良いかも知れない。
――ただ。
愛里はもう一度その紙を見る。
そこには恋愛教室の第一ステップとして「涌井祐介にふられること」と書かれていた。
その文言をしばらく見つめていたが大きく息を吸い込むと、愛里は意を決して、店に入った。
「いら……」
そこまで口にして祐介は動きを止めた。目線は確かに一度愛里を捉えたが、その顔は気づかないふりをしようとキッチンの方に向けられる。
「一つだけ訊かせて」
愛里は構わず話しかけた。
「アタシって、まだ子供かな?」
「お客さまの仰っていることが、よく分かりません」
彼女の声が落ち着いた調子なのに気づいて、涌井祐介は正面を向いて軽く会釈をする。
「祐介さ、言ったよね。アタシじゃ『ちゃんとした彼女』になれないって。祐介が言う『ちゃんとした』って何?」
「言っている意味が分かりかねますが」
「アタシは祐介が、最初にセックスしてみないと付き合っていけるかどうか分からないって言ったから、したの。料理得意だって言ったら今日の晩御飯作ってくれって言ったから、作りに通うようになった。その内にずっとここで暮らせよって言うから同棲を始めたのよ。全部祐介の言う通り、思う通りにやってきた。それでも祐介が言う『ちゃんとした』じゃなかったってことなのかな?」
愛里の言葉に女性二人組がざわついていた。
キッチンスタッフの竹垣賢人も出てきてこちらを見たが、構わずに愛里は続ける。
「店のバイトの子に次から次に手を出す癖の悪い男だってのは、小田川さんから聞いて知ってたよ。でもね、アタシにとって祐介は手癖は悪くても最悪の彼氏なんかじゃなかった。ちゃんと愛してくれるし、好きって言って抱き締めてくれる。アタシの作った料理をうまいって言って全部食べてくれるし、掃除しておいたら綺麗になって嬉しいって褒めてくれる。シャツにアイロン掛けても勝手にやるなとか殴ったりしなかった」
涌井の目が泳いでいた。
「新しく好きな人ができたから別れようっていうなら分かるよ。でもね、自分に相応しくない女だから別れようっていうのは誰だって納得できないよ。だって今までしてきた努力が全部間違ってましたって言われてるようなもんだもん。そうしろって言ったのは全部祐介なのに」
「お客さま。他のお客さまのご迷惑になります。今すぐ帰っていただけないでしょうか」
女性二人組が立ち上がり、レジへと向かう。
シングルの客もそれぞれに領収書を手に立ち上がった。
そこにちょうど小田川が帰ってきて、慌てたようにレジに駆けていく。
「お客さま。もう宜しいんですか?」
小田川は一瞬だけ涌井を睨みつけると、すぐに女性客に対して頭を下げる。
「すみません、お客さま」
けれど愛里はそんな空気もぶち壊すように大声を出した。
「涌井祐介! 女が恥を忍んで理由を訊いてるんだぞ。最後くらいしっかり答えろよ!」
「お、俺は……お前の体目当てでしかなかったんだよ。少し寝てみて、それで満足するつもりだった。最初からその程度の女としか見てなかったんだよ、お前なんてさ!」
愛里の右側を、影が走った。
左右の目が段違いに歪んだ涌井祐介の顔に、水が掛けられる。
見れば原田貴明だ。その手には空っぽになったグラスが握られていた。
「え」
「行くぞ」
原田は愛里の右手を掴むと、そう言って店の外に駆け出す。
彼の手は熱くて、何が怒ったのか考える暇もなく、そのまま引っ張られて愛里も走り出す。
右手はまるで淹れたてのコーヒーカップを握った時のような熱を感じながら、二人はどんどん喫茶ブラウンシュガーから遠ざかっていった。
店内を覗き込むと、スタッフとしてフロアに出ているのは涌井祐介一人きりだ。ちょうどランチの時間が終わり、もう一人の社員の小田川美保は休憩に入ったのだろう。客は女性の二人組が窓際のテーブル席に一組、それからシングルの客が二人いるだけだった。ちょうど良いかも知れない。
――ただ。
愛里はもう一度その紙を見る。
そこには恋愛教室の第一ステップとして「涌井祐介にふられること」と書かれていた。
その文言をしばらく見つめていたが大きく息を吸い込むと、愛里は意を決して、店に入った。
「いら……」
そこまで口にして祐介は動きを止めた。目線は確かに一度愛里を捉えたが、その顔は気づかないふりをしようとキッチンの方に向けられる。
「一つだけ訊かせて」
愛里は構わず話しかけた。
「アタシって、まだ子供かな?」
「お客さまの仰っていることが、よく分かりません」
彼女の声が落ち着いた調子なのに気づいて、涌井祐介は正面を向いて軽く会釈をする。
「祐介さ、言ったよね。アタシじゃ『ちゃんとした彼女』になれないって。祐介が言う『ちゃんとした』って何?」
「言っている意味が分かりかねますが」
「アタシは祐介が、最初にセックスしてみないと付き合っていけるかどうか分からないって言ったから、したの。料理得意だって言ったら今日の晩御飯作ってくれって言ったから、作りに通うようになった。その内にずっとここで暮らせよって言うから同棲を始めたのよ。全部祐介の言う通り、思う通りにやってきた。それでも祐介が言う『ちゃんとした』じゃなかったってことなのかな?」
愛里の言葉に女性二人組がざわついていた。
キッチンスタッフの竹垣賢人も出てきてこちらを見たが、構わずに愛里は続ける。
「店のバイトの子に次から次に手を出す癖の悪い男だってのは、小田川さんから聞いて知ってたよ。でもね、アタシにとって祐介は手癖は悪くても最悪の彼氏なんかじゃなかった。ちゃんと愛してくれるし、好きって言って抱き締めてくれる。アタシの作った料理をうまいって言って全部食べてくれるし、掃除しておいたら綺麗になって嬉しいって褒めてくれる。シャツにアイロン掛けても勝手にやるなとか殴ったりしなかった」
涌井の目が泳いでいた。
「新しく好きな人ができたから別れようっていうなら分かるよ。でもね、自分に相応しくない女だから別れようっていうのは誰だって納得できないよ。だって今までしてきた努力が全部間違ってましたって言われてるようなもんだもん。そうしろって言ったのは全部祐介なのに」
「お客さま。他のお客さまのご迷惑になります。今すぐ帰っていただけないでしょうか」
女性二人組が立ち上がり、レジへと向かう。
シングルの客もそれぞれに領収書を手に立ち上がった。
そこにちょうど小田川が帰ってきて、慌てたようにレジに駆けていく。
「お客さま。もう宜しいんですか?」
小田川は一瞬だけ涌井を睨みつけると、すぐに女性客に対して頭を下げる。
「すみません、お客さま」
けれど愛里はそんな空気もぶち壊すように大声を出した。
「涌井祐介! 女が恥を忍んで理由を訊いてるんだぞ。最後くらいしっかり答えろよ!」
「お、俺は……お前の体目当てでしかなかったんだよ。少し寝てみて、それで満足するつもりだった。最初からその程度の女としか見てなかったんだよ、お前なんてさ!」
愛里の右側を、影が走った。
左右の目が段違いに歪んだ涌井祐介の顔に、水が掛けられる。
見れば原田貴明だ。その手には空っぽになったグラスが握られていた。
「え」
「行くぞ」
原田は愛里の右手を掴むと、そう言って店の外に駆け出す。
彼の手は熱くて、何が怒ったのか考える暇もなく、そのまま引っ張られて愛里も走り出す。
右手はまるで淹れたてのコーヒーカップを握った時のような熱を感じながら、二人はどんどん喫茶ブラウンシュガーから遠ざかっていった。
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