君と私の恋愛教室〜女性アレルギィの恋愛小説家と恋を知らない女性たち〜

凪司工房

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第三章 「恋心」

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 マンションに戻ると、一瞬部屋を間違えたのかと思って外に出て部屋番号を確認した。
 上がりかまちにペールピンクのマットが敷かれている。それにもこもことした素材のスリッパまで置いてあった。小さい目が原田を見上げ、さながら熊の顔に見える。

「ああ、それセンセの」

 そう言って奥から出てきた愛里の足にも同じ熊スリッパの色違いのものが履かれていた。彼女の方が若干色味が薄い茶だ。

「これどうしたんだ?」
「ナツコさんに相談したら買ってきてくれたの」

 そういえば彼女のスニーカーがある。

「先生、おはようございます」

 愛里の後ろから出てきた村瀬ナツコは、ブルーの熊スリッパだった。
 そのまま再び外出しようかと背を向けたが、

「先生」

 という、村瀬ナツコのねっとりした呼びかけに足を踏み出すことはできなかった。
 仕方なく熊のスリッパに足を通してリビングに向かう。
 足元に散らばっていた本や資料、プリントアウトした束が、片付いていた。それに部屋の隅に固めてあった沖愛里おきあいりの荷物も姿を消している。彼女には一応荷物置き場になっていた六畳の洋間を使ってもらっていたが、そちらに運び入れたのだろう。

「本とかはセンセの寝室に入れといたから」
「おい。寝室には入るなって言ったろ?」
「別にえっちぃ本とかなかったからいいじゃん」

 探したのか。
 原田は額に手をやって首を振る。

「あのな、そういう問題じゃないんだ。約束を守るかどうかというのは相手にとっての信頼度に関わる。簡単な約束を守れないなら将来的にその人は自分を裏切るかも知れない、と考える。君はそういうことに心当たりがあるだろう?」

 愛里はてらてらとした唇に真っ赤なマニキュアの目立つ指を持っていき、小さくうなって見せる。

「どうしても約束が守れない時だってあるじゃん。そんなことにまで目くじら立ててたら、眉間にしわが寄っちゃうよ?」
「だから今僕は眉間に皺を寄せているんじゃないかな」
「ほらほら、そんな顔しないで」

 そう言いながら愛里は原田の額に手を伸ばす。眉間の皺を広げようというのだ。

「や、やめろ」

 だが触れられては敵わない。

「よいではないか」

 愛里は笑いながらも意外と強い力で触ろうとしてくるが、原田が本気で嫌がる様に、

「もう。冗談だよぉ」

 とあきらめた。

「ほんとかよ。昨日はそう言いながら触っただろ?」
「あれは、センセがもう教えることはないとか言い出すから」
「先生と恋愛したいとか、君が言うからだよ」

 そんなやり取りを傍で見ていた村瀬ナツコが、お腹を抱えて笑い出した。

「何だよ」
「だって先生、こんなに普通に女性と話せるなんて思わなかったんですもん。これならインタビューとか受けてもらっても平気ですね」
「絶対にやらないって言ってるだろ。そもそも僕は女性じゃなく他人が苦手なんだ……」
「わたしだって苦手な人いっぱいいますよ。それは普通のことなんです」

 胸を張る村瀬ナツコに、原田は溜息しか出ない。

「あ、ナツコさんコーヒーでいい?」
「ありがとう。先生はミルク付けてあげてね」
「分かってるよ。こう見えてもアタシ、物覚え良いんだから」

 女が二人に増えるだけでこうも賑やかになるのかと、苦笑どころか涙すらにじみそうだった。



「そういえばさ、愛里さんてまだあそこでアルバイト続けてるの?」

 ミルクをティースプーンでかき混ぜると、マーブル模様が崩れてピーナツ色に変化する。

「流石に続けるのは無理だよ。一応辞めるつもりではいるけどぉ……」

 愛里は牛乳にわずかにコーヒーを混ぜただけの薄いカフェオレを作っていた。更に砂糖もたっぷり溶かしてあるらしい。数日一緒に暮らして知ったのは、彼女がかなりの甘党だということだった。

「そのカフェって愛里ちゃんの元彼がいるんだったわよね。男って案外ネチネチするから、やっぱ職場恋愛はめんどいわ」

 村瀬ナツコはいつも通りブラックだったが、猫舌なのでまだ一口も飲まずにスプーンでぐるぐるとかき回しているだけだ。
 三人は丸テーブルにちょうどう正三角形を作るように並んでいたが、気づけば村瀬ナツコと沖愛里は肩をそろえて隣り合わせになっている。

「ねえナツコさん。なんか良いバイトないですか」
「愛里ちゃん結構気が利くからどこでもやってけそうだけど……生憎うちは今バイト足りてるしね」

 原田は黙ったまま二人の話の行方を見守っている。
 最初は仕事の話から職場の人間関係の話、それが突然男の好みの話になり、やがて原田はどうなんだろうということを言い出した。

「だから先生は女性が苦手以前に興味持ってないんですって。ねえ」
「あのな、村瀬さん。僕だって一応男なんだからそれなりに女性というものへの関心はあるよ。ただね、こういう体質だからどうしても遠巻きに見てるくらいしかできないんで、もう半分諦めてるんだよ」
「センセって見た目悪い訳じゃないし、話せば面白いから、もっと人とからんでいけば絶対すぐ彼女ができるって。てか、愛里でいいじゃん!」
「駄目」

 即答すると、愛里は大きく目を広げて原田を見た。

「ナツコさぁん。こんなだからセンセって駄目だと思うんだ」
「そうよね。もうちょっとサービスっていうものを考えてもらいたいものです。ねえ先生」

 二対一ではどう足掻あがいても勝ち目がない。
 原田は立ち上がるとパソコンに向かった。

「あれ? 原稿書いてくださるんですか?」
「君たちに責められるよりはまだ原稿を前にしていた方が恐くないからね」

 そう言った原田を見て、二人は顔を見合わせてから口元を押さえて笑った。
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