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第六章 「恋におちて」
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朝食の後片付けを終えた愛里が、一向に原稿を書き進められないまま椅子に座ってぼんやりと真っ白な画面を眺めている原田の背中から、
「質問があるんだけど」
と声を掛けてきた。
「愛里君の恋愛教室についてだったら、僕以外にちゃんと気になる男性を見つけるというところでずっとステップが止まったままだよ」
「そっちの恋愛教室じゃない」
そう言うなり、彼女はまだ化粧もままならない素顔のままでサイドテーブルの上に山積みになっているプリントアウトやら資料やら本の中から、一枚を取り出して原田に突きつけて見せる。
「これ。何なのよ」
それはもう一人の結城貴司からの恋愛教室最終巻の指示書をプリントアウトしたものだった。
「プロットだよ。作家なら誰でも書くんじゃないかな」
愛里の目は笑っていない。真っ直ぐに原田を見たまま、冗談や誤魔化しでない言葉が返されるのを待っている。
「どこまで読んだ?」
「全部」
「感想は?」
そう聞き返しただけなのに彼女の目には涙が溜まっていた。
「何なんだよ。言いたいことがあるなら」
「なんでセンセはこの人の言いなりになってんの? こんなものを書きたくて小説書いているの? それでも作家先生なの?」
怒っているのか、悲しんでいるのか、よく分からない。
ただ原田を非難しているということだけは訊くまでもなかった。
「愛里君はさ、この前僕が書いた短編小説と、今までの結城貴司の小説の違いに気づいた?」
え? ――という表情だ。思ってもみない質問に彼女は涙を引っ込めて唇を歪めた。
「……なんか、この前のやつの方がセンセっぽい気がする」
愛里らしい感想だと感じ、原田は小さく吹き出す。
「何よ! 文学とか分かんないんだから仕方ないでしょ?」
「そうじゃなくて、僕らしいって言われたから、やっぱりそうなんだって思っただけ。実際、僕一人の力で書いたものはいつもあんな感じで、物語としてのまとまりや基本的な文章は商品として出せないこともないけど、いざ小説として売る、それも結城貴司の小説として売るとなると、物足りないんだ」
「けどセンセが結城貴司なんじゃ……」
そこまで口にして、愛里はハッとした。
「これ……」
「その通り」
彼女は改めて視線をプリントアウトに落とすと、何度もそこと原田の顔を往復させた。
「ゴーストライターだったってこと!?」
「よくそんな言葉知ってたね」
「だって美樹がよく言ってたし。タレント本は全部ゴーストライターが書いたものだ、とか」
「でも違うよ。ゴーストじゃなくて、僕は本物の結城貴司だよ」
「けど」
原田は理解できないと小首を傾げる愛里に座るように言って、パソコンを操作する。メーラーを立ち上げて『Y』とタイトルされたフォルダを開き、画面いっぱいに彼女から送られたメールの件名を並べた。大半が「Re:」のみで構成されているが、中には「原田貴明へ」と名指しされたものも混ざっている。
「これ……全部この女?」
「ああ。彼女はもう一人の結城貴司だ」
原田の言葉に彼女は目を細める。まだすっぴんなのに、二重の瞳はくっきりとしていて、実に彼女の姉、沖優里のことを思い出させた。
「彼女が作品の骨格と方向性、登場する人や物、舞台といった部品までの大半を指定して、僕がそれを文章化して小説にする。結城貴司は二人の合作なんだよ」
「センセって……半分だったんだ」
半人前、と言いたかったのだろうか。
確かに小説家としては未熟な部分が多い。それでも原田は自分が結城貴司の半分だ、とは思っていない。おそらく原田抜きでも結城貴司は成立する。それくらいに彼女はそういった方面に長けているのだ。
そういう意味では、結城貴司は彼女の原田へのせめてもの情けかも知れなかった。
「どうしてそんなことになったのか。それを話すには、以前話さなかった複雑な家庭環境というやつについて話さないといけなくなる」
「うん」
「話せば、知ってしまえば、君は僕を軽蔑することになるかも知れない。それでも良い?」
彼女は何も言わずに立ち上がると、キッチンに向かってしまう。
――話そう。という気持ちになったのに、何なんだ。
そんな憤りを覚えたが、すぐに彼女が聞きたくないから席を外した訳ではなかったことを知る。
「はい、センセ」
コーヒーと、編集部からの差し入れだと言われて村瀬ナツコから貰ったパリの何とかというショコラティエの高級アソートセットだ。大事な時にと仕舞っておいたものだが、それらが包み紙のまま皿の上に載せてあった。
彼女は正座をすると、
「聞くよ。軽蔑なんかしないから、全部話して」
そう言って原田を見上げた。
「わかったよ」
彼女の覚悟を感じ取り、一度気持ちを落ち着けるように深呼吸すると、原田はゆっくりと自分と父、そして母親との関係について語り始めた。
「質問があるんだけど」
と声を掛けてきた。
「愛里君の恋愛教室についてだったら、僕以外にちゃんと気になる男性を見つけるというところでずっとステップが止まったままだよ」
「そっちの恋愛教室じゃない」
そう言うなり、彼女はまだ化粧もままならない素顔のままでサイドテーブルの上に山積みになっているプリントアウトやら資料やら本の中から、一枚を取り出して原田に突きつけて見せる。
「これ。何なのよ」
それはもう一人の結城貴司からの恋愛教室最終巻の指示書をプリントアウトしたものだった。
「プロットだよ。作家なら誰でも書くんじゃないかな」
愛里の目は笑っていない。真っ直ぐに原田を見たまま、冗談や誤魔化しでない言葉が返されるのを待っている。
「どこまで読んだ?」
「全部」
「感想は?」
そう聞き返しただけなのに彼女の目には涙が溜まっていた。
「何なんだよ。言いたいことがあるなら」
「なんでセンセはこの人の言いなりになってんの? こんなものを書きたくて小説書いているの? それでも作家先生なの?」
怒っているのか、悲しんでいるのか、よく分からない。
ただ原田を非難しているということだけは訊くまでもなかった。
「愛里君はさ、この前僕が書いた短編小説と、今までの結城貴司の小説の違いに気づいた?」
え? ――という表情だ。思ってもみない質問に彼女は涙を引っ込めて唇を歪めた。
「……なんか、この前のやつの方がセンセっぽい気がする」
愛里らしい感想だと感じ、原田は小さく吹き出す。
「何よ! 文学とか分かんないんだから仕方ないでしょ?」
「そうじゃなくて、僕らしいって言われたから、やっぱりそうなんだって思っただけ。実際、僕一人の力で書いたものはいつもあんな感じで、物語としてのまとまりや基本的な文章は商品として出せないこともないけど、いざ小説として売る、それも結城貴司の小説として売るとなると、物足りないんだ」
「けどセンセが結城貴司なんじゃ……」
そこまで口にして、愛里はハッとした。
「これ……」
「その通り」
彼女は改めて視線をプリントアウトに落とすと、何度もそこと原田の顔を往復させた。
「ゴーストライターだったってこと!?」
「よくそんな言葉知ってたね」
「だって美樹がよく言ってたし。タレント本は全部ゴーストライターが書いたものだ、とか」
「でも違うよ。ゴーストじゃなくて、僕は本物の結城貴司だよ」
「けど」
原田は理解できないと小首を傾げる愛里に座るように言って、パソコンを操作する。メーラーを立ち上げて『Y』とタイトルされたフォルダを開き、画面いっぱいに彼女から送られたメールの件名を並べた。大半が「Re:」のみで構成されているが、中には「原田貴明へ」と名指しされたものも混ざっている。
「これ……全部この女?」
「ああ。彼女はもう一人の結城貴司だ」
原田の言葉に彼女は目を細める。まだすっぴんなのに、二重の瞳はくっきりとしていて、実に彼女の姉、沖優里のことを思い出させた。
「彼女が作品の骨格と方向性、登場する人や物、舞台といった部品までの大半を指定して、僕がそれを文章化して小説にする。結城貴司は二人の合作なんだよ」
「センセって……半分だったんだ」
半人前、と言いたかったのだろうか。
確かに小説家としては未熟な部分が多い。それでも原田は自分が結城貴司の半分だ、とは思っていない。おそらく原田抜きでも結城貴司は成立する。それくらいに彼女はそういった方面に長けているのだ。
そういう意味では、結城貴司は彼女の原田へのせめてもの情けかも知れなかった。
「どうしてそんなことになったのか。それを話すには、以前話さなかった複雑な家庭環境というやつについて話さないといけなくなる」
「うん」
「話せば、知ってしまえば、君は僕を軽蔑することになるかも知れない。それでも良い?」
彼女は何も言わずに立ち上がると、キッチンに向かってしまう。
――話そう。という気持ちになったのに、何なんだ。
そんな憤りを覚えたが、すぐに彼女が聞きたくないから席を外した訳ではなかったことを知る。
「はい、センセ」
コーヒーと、編集部からの差し入れだと言われて村瀬ナツコから貰ったパリの何とかというショコラティエの高級アソートセットだ。大事な時にと仕舞っておいたものだが、それらが包み紙のまま皿の上に載せてあった。
彼女は正座をすると、
「聞くよ。軽蔑なんかしないから、全部話して」
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「わかったよ」
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