君と私の恋愛教室〜女性アレルギィの恋愛小説家と恋を知らない女性たち〜

凪司工房

文字の大きさ
47 / 88
第六章 「恋におちて」

4

しおりを挟む
 朝食の後片付けを終えた愛里が、一向に原稿を書き進められないまま椅子に座ってぼんやりと真っ白な画面を眺めている原田の背中から、

「質問があるんだけど」

 と声を掛けてきた。

「愛里君の恋愛教室についてだったら、僕以外にちゃんと気になる男性を見つけるというところでずっとステップが止まったままだよ」
「そっちの恋愛教室じゃない」

 そう言うなり、彼女はまだ化粧もままならない素顔のままでサイドテーブルの上に山積みになっているプリントアウトやら資料やら本の中から、一枚を取り出して原田に突きつけて見せる。

「これ。何なのよ」

 それはもう一人の結城貴司ゆうきたかしからの恋愛教室最終巻の指示書をプリントアウトしたものだった。

「プロットだよ。作家なら誰でも書くんじゃないかな」

 愛里の目は笑っていない。真っ直ぐに原田を見たまま、冗談や誤魔化ごまかしでない言葉が返されるのを待っている。

「どこまで読んだ?」
「全部」
「感想は?」

 そう聞き返しただけなのに彼女の目には涙がまっていた。

「何なんだよ。言いたいことがあるなら」
「なんでセンセはこの人の言いなりになってんの? こんなものを書きたくて小説書いているの? それでも作家先生なの?」

 怒っているのか、悲しんでいるのか、よく分からない。
 ただ原田を非難しているということだけはくまでもなかった。

「愛里君はさ、この前僕が書いた短編小説と、今までの結城貴司の小説の違いに気づいた?」

 え? ――という表情だ。思ってもみない質問に彼女は涙を引っ込めて唇をゆがめた。

「……なんか、この前のやつの方がセンセっぽい気がする」

 愛里らしい感想だと感じ、原田は小さく吹き出す。

「何よ! 文学とか分かんないんだから仕方ないでしょ?」
「そうじゃなくて、僕らしいって言われたから、やっぱりそうなんだって思っただけ。実際、僕一人の力で書いたものはいつもあんな感じで、物語としてのまとまりや基本的な文章は商品として出せないこともないけど、いざ小説として売る、それも結城貴司の小説として売るとなると、物足りないんだ」
「けどセンセが結城貴司なんじゃ……」

 そこまで口にして、愛里はハッとした。

「これ……」
「その通り」

 彼女は改めて視線をプリントアウトに落とすと、何度もそこと原田の顔を往復させた。

「ゴーストライターだったってこと!?」
「よくそんな言葉知ってたね」
「だって美樹がよく言ってたし。タレント本は全部ゴーストライターが書いたものだ、とか」
「でも違うよ。ゴーストじゃなくて、僕は本物の結城貴司だよ」
「けど」

 原田は理解できないと小首を傾げる愛里に座るように言って、パソコンを操作する。メーラーを立ち上げて『Y』とタイトルされたフォルダを開き、画面いっぱいに彼女から送られたメールの件名を並べた。大半が「Re:」のみで構成されているが、中には「原田貴明はらだたかあきへ」と名指しされたものも混ざっている。

「これ……全部この女?」
「ああ。彼女はもう一人の結城貴司だ」

 原田の言葉に彼女は目を細める。まだすっぴんなのに、二重の瞳はくっきりとしていて、実に彼女の姉、沖優里おきゆうりのことを思い出させた。

「彼女が作品の骨格と方向性、登場する人や物、舞台といった部品までの大半を指定して、僕がそれを文章化して小説にする。結城貴司は二人の合作なんだよ」
「センセって……半分だったんだ」

 半人前、と言いたかったのだろうか。
 確かに小説家としては未熟な部分が多い。それでも原田は自分が結城貴司の半分だ、とは思っていない。おそらく原田抜きでも結城貴司は成立する。それくらいに彼女はそういった方面に長けているのだ。
 そういう意味では、結城貴司は彼女の原田へのせめてもの情けかも知れなかった。

「どうしてそんなことになったのか。それを話すには、以前話さなかった複雑な家庭環境というやつについて話さないといけなくなる」
「うん」
「話せば、知ってしまえば、君は僕を軽蔑することになるかも知れない。それでも良い?」

 彼女は何も言わずに立ち上がると、キッチンに向かってしまう。

 ――話そう。という気持ちになったのに、何なんだ。

 そんな憤りを覚えたが、すぐに彼女が聞きたくないから席を外した訳ではなかったことを知る。

「はい、センセ」

 コーヒーと、編集部からの差し入れだと言われて村瀬ナツコからもらったパリの何とかというショコラティエの高級アソートセットだ。大事な時にと仕舞っておいたものだが、それらが包み紙のまま皿の上に載せてあった。
 彼女は正座をすると、

「聞くよ。軽蔑なんかしないから、全部話して」

 そう言って原田を見上げた。

「わかったよ」

 彼女の覚悟を感じ取り、一度気持ちを落ち着けるように深呼吸すると、原田はゆっくりと自分と父、そして母親との関係について語り始めた。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

後宮なりきり夫婦録

石田空
キャラ文芸
「月鈴、ちょっと嫁に来るか?」 「はあ……?」 雲仙国では、皇帝が三代続いて謎の昏睡状態に陥る事態が続いていた。 あまりにも不可解なために、新しい皇帝を立てる訳にもいかない国は、急遽皇帝の「影武者」として跡継ぎ騒動を防ぐために寺院に入れられていた皇子の空燕を呼び戻すことに決める。 空燕の国の声に応える条件は、同じく寺院で方士修行をしていた方士の月鈴を妃として後宮に入れること。 かくしてふたりは片や皇帝の影武者として、片や皇帝の偽りの愛妃として、後宮と言う名の魔窟に潜入捜査をすることとなった。 影武者夫婦は、後宮内で起こる事件の謎を解けるのか。そしてふたりの想いの行方はいったい。 サイトより転載になります。

🥕おしどり夫婦として12年間の結婚生活を過ごしてきたが一波乱あり、妻は夫を誰かに譲りたくなるのだった。

設楽理沙
ライト文芸
2026.1.4 73話見直した際、瑛士の台詞《本音/懺悔》を加筆しました。😇 ☘ 累計ポイント/ 200万pt 超えました。ありがとうございます。 ―― 備忘録 ――    第8回ライト文芸大賞では大賞2位ではじまり2位で終了。  最高 57,392 pt      〃     24h/pt-1位ではじまり2位で終了。  最高 89,034 pt                    ◇ ◇ ◇ ◇ 紳士的でいつだって私や私の両親にやさしくしてくれる 素敵な旦那さま・・だと思ってきたのに。 隠された夫の一面を知った日から、眞奈の苦悩が 始まる。 苦しくて、悲しくてもののすごく惨めで・・ 消えてしまいたいと思う眞奈は小さな子供のように 大きな声で泣いた。 泣きながらも、よろけながらも、気がつけば 大地をしっかりと踏みしめていた。 そう、立ち止まってなんていられない。 ☆-★-☆-★+☆-★-☆-★+☆-★-☆-★ 2025.4.19☑~

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

還暦の性 若い彼との恋愛模様

MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。 そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。 その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。 全7話

優しい雨が降る夜は

葉月 まい
恋愛
浮世離れした地味子 × 外資系ITコンサルのエリートイケメン 無自覚にモテる地味子に 余裕もなく翻弄されるイケメン 二人の恋は一筋縄ではいかなくて…… 雨降る夜に心に届いた 優しい恋の物語 ⟡☾·̩͙⋆☔┈┈┈ 登場人物 ┈┈┈ ☔⋆·̩͙☽⟡ 風間 美月(24歳)……コミュニティセンター勤務・地味でお堅い性格 雨宮 優吾(28歳)……外資系ITコンサルティング会社勤務のエリートイケメン

裏切りの代償

中岡 始
キャラ文芸
かつて夫と共に立ち上げたベンチャー企業「ネクサスラボ」。奏は結婚を機に経営の第一線を退き、専業主婦として家庭を支えてきた。しかし、平穏だった生活は夫・尚紀の裏切りによって一変する。彼の部下であり不倫相手の優美が、会社を混乱に陥れつつあったのだ。 尚紀の冷たい態度と優美の挑発に苦しむ中、奏は再び経営者としての力を取り戻す決意をする。裏切りの証拠を集め、かつての仲間や信頼できる協力者たちと連携しながら、会社を立て直すための計画を進める奏。だが、それは尚紀と優美の野望を徹底的に打ち砕く覚悟でもあった。 取締役会での対決、揺れる社内外の信頼、そして壊れた夫婦の絆の果てに待つのは――。 自分の誇りと未来を取り戻すため、すべてを賭けて挑む奏の闘い。復讐の果てに見える新たな希望と、繊細な人間ドラマが交錯する物語がここに。

紙の上の空

中谷ととこ
ライト文芸
小学六年生の夏、父が突然、兄を連れてきた。 容姿に恵まれて才色兼備、誰もが憧れてしまう女性でありながら、裏表のない竹を割ったような性格の八重嶋碧(31)は、幼い頃からどこにいても注目され、男女問わず人気がある。 欲しいものは何でも手に入りそうな彼女だが、本当に欲しいものは自分のものにはならない。欲しいすら言えない。長い長い片想いは成就する見込みはなく半分腐りかけているのだが、なかなか捨てることができずにいた。 血の繋がりはない、兄の八重嶋公亮(33)は、未婚だがとっくに独立し家を出ている。 公亮の親友で、碧とは幼い頃からの顔見知りでもある、斎木丈太郎(33)は、碧の会社の近くのフレンチ店で料理人をしている。お互いに好き勝手言える気心の知れた仲だが、こちらはこちらで本心は隠したまま碧の動向を見守っていた。

処理中です...