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第六章 「恋におちて」
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原田の父は裸婦画で名を馳せた画家で、物心ついた頃にはいつも家の中を知らない半裸の女の人が出歩いていた。最初の内こそ母親がそういったものを見せないようにと原田のことを彼女たちから遠ざけていたが、中には母親が嫌がるのを知った上で、原田のことを可愛がる女もいて、そんな女性たちと何かにつけて口論する母の姿を目にする毎日だった。
まだ女性の裸の意味も、男性とは違うその造形や毛で覆われた秘部のこともよく分からない年齢だったこともあり、そういった母の怒りや何故原田の目から彼女たちを隠そうとするのか、その理由も理解できないまま、ただ母が嫌うから彼女たちを嫌悪しなければならないのだ、と思い込もうとしていた。
けれどある日、今度は母が自ら裸になり、原田に絵筆を持たせた。
彼に自分を描け、というのだ。
まだクレヨンで何とか人の形が描ける程度だった原田に、油絵の具を与えてむせ返るような臭いの中、真っ白なキャンバスを汚させた。当然芸術性の欠片もない、絵なのかどうかすらよく分からないものが出来上がったが、母はそれを見て、
「お前はもっと描けるんだよ」
と苛立つように言っては破り捨てて、新しい裸を描かせた。
以前は父が描いた作品のように素晴らしい曲線の持ち主だったのだろうが、毎日観察するうちに、お腹は出て、皺が寄り、乳房は垂れて、まるでアニメや特撮に出てくる化物のようにも思えてきて、やがて原田は吐いた。
それでも無理矢理に絵筆を持たされるものだから、遂には原因不明のまま痙攣を起こし、救急車で搬送された。
小学校に上がってからもその行為は繰り返され、原田は遂に家に帰りたくなくなり、学校を抜け出しては歩ける限りになるべく遠くへと出かけた。
そうして迷子になった原田を探し出してくれたのは、父に描かれていたモデルの女性たちだった。
彼女たちの手によって家に連れ戻される姿を母親が見つけると、彼女は包丁を持ち出しては怒り狂った。
やがて父のモデルの女性でなくとも、原田が別の女、それは大人だけでなく同級生の女子ですら、無差別に襲いかかるようになった。
そんなことが続いたある日、母は家に泊まっていた父の絵のモデルの女性を、刺し殺そうとした。
その女性は脊髄を傷つけられ下半身不随となり、母は逮捕されるという形で、原田の前を去っていった。
父と二人だけの生活が始まると、原田の面倒は父の世話をする名前も知らない女たちによって行われるようになった。
けれどその頃には既に原田は、彼女たちに触れられるだけで戻したり、倒れたりするような女性アレルギィの傾向を示すようになってしまっていた。
「そんな状態で、人を避けるような生き方をしながら大きくなった。転機が訪れたのは、彼女に出会った高校時代だ。そう。君の姉。沖優里に出会ったからなんだ」
愛里は相槌すら打たず、黙って原田の話を聞いていたが、姉の名前が出たところでようやくほっと小さく息を吐き出して、
「やっぱそうなんだ」
と口にした。
「彼女はね、特別だった。たぶん僕がそう言わなくても、周囲の人間も理解していると思う。なんて言うんだろう。女性を感じない。かと言って男性っぽい訳でもない。それこそ沖優里という人間なんだと思う」
「それ、わかる」
彼女の入れてくれたコーヒーはすっかり冷めてしまっていたが、原田はそれで一度口の中を湿らせる。
「その彼女に卒業式の日、告白をした」
愛里はその言葉に目を伏せる。
「結果は手酷く振られた。そのことについては以前話したよね。まあ、本当に酷い言われようだったが、冷静に考えて仕方ないと思うよ。それまで大した接点がなかった訳だからね。けど、僕を振った後だった。彼女がね、突然こんなことを言い出したんだ」
――原田君。あなた、小説家になってみない?
まだ女性の裸の意味も、男性とは違うその造形や毛で覆われた秘部のこともよく分からない年齢だったこともあり、そういった母の怒りや何故原田の目から彼女たちを隠そうとするのか、その理由も理解できないまま、ただ母が嫌うから彼女たちを嫌悪しなければならないのだ、と思い込もうとしていた。
けれどある日、今度は母が自ら裸になり、原田に絵筆を持たせた。
彼に自分を描け、というのだ。
まだクレヨンで何とか人の形が描ける程度だった原田に、油絵の具を与えてむせ返るような臭いの中、真っ白なキャンバスを汚させた。当然芸術性の欠片もない、絵なのかどうかすらよく分からないものが出来上がったが、母はそれを見て、
「お前はもっと描けるんだよ」
と苛立つように言っては破り捨てて、新しい裸を描かせた。
以前は父が描いた作品のように素晴らしい曲線の持ち主だったのだろうが、毎日観察するうちに、お腹は出て、皺が寄り、乳房は垂れて、まるでアニメや特撮に出てくる化物のようにも思えてきて、やがて原田は吐いた。
それでも無理矢理に絵筆を持たされるものだから、遂には原因不明のまま痙攣を起こし、救急車で搬送された。
小学校に上がってからもその行為は繰り返され、原田は遂に家に帰りたくなくなり、学校を抜け出しては歩ける限りになるべく遠くへと出かけた。
そうして迷子になった原田を探し出してくれたのは、父に描かれていたモデルの女性たちだった。
彼女たちの手によって家に連れ戻される姿を母親が見つけると、彼女は包丁を持ち出しては怒り狂った。
やがて父のモデルの女性でなくとも、原田が別の女、それは大人だけでなく同級生の女子ですら、無差別に襲いかかるようになった。
そんなことが続いたある日、母は家に泊まっていた父の絵のモデルの女性を、刺し殺そうとした。
その女性は脊髄を傷つけられ下半身不随となり、母は逮捕されるという形で、原田の前を去っていった。
父と二人だけの生活が始まると、原田の面倒は父の世話をする名前も知らない女たちによって行われるようになった。
けれどその頃には既に原田は、彼女たちに触れられるだけで戻したり、倒れたりするような女性アレルギィの傾向を示すようになってしまっていた。
「そんな状態で、人を避けるような生き方をしながら大きくなった。転機が訪れたのは、彼女に出会った高校時代だ。そう。君の姉。沖優里に出会ったからなんだ」
愛里は相槌すら打たず、黙って原田の話を聞いていたが、姉の名前が出たところでようやくほっと小さく息を吐き出して、
「やっぱそうなんだ」
と口にした。
「彼女はね、特別だった。たぶん僕がそう言わなくても、周囲の人間も理解していると思う。なんて言うんだろう。女性を感じない。かと言って男性っぽい訳でもない。それこそ沖優里という人間なんだと思う」
「それ、わかる」
彼女の入れてくれたコーヒーはすっかり冷めてしまっていたが、原田はそれで一度口の中を湿らせる。
「その彼女に卒業式の日、告白をした」
愛里はその言葉に目を伏せる。
「結果は手酷く振られた。そのことについては以前話したよね。まあ、本当に酷い言われようだったが、冷静に考えて仕方ないと思うよ。それまで大した接点がなかった訳だからね。けど、僕を振った後だった。彼女がね、突然こんなことを言い出したんだ」
――原田君。あなた、小説家になってみない?
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