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第六章 「恋におちて」
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外は雪ではなく、霧のような雨だった。
朝日は見えず、傘を差して歩きながら愛里はぼんやりと昨夜聞いた原田の話について考えていた。
おそらく原田が思っていたような嫌悪とか軽蔑とか同情とか、そういった種類の感情を愛里は抱いていない、と思う。うまく言葉が見つけられないけれど、でも一つだけ理解できたのは“自分たちと似ている”ということだった。
十メートルほど先でバスが停車すると、そこから病院に向かう人間が沢山降りてくる。
金網越しに駐車場を見やると既に一杯で、それが土曜日だからなのかそれとも常に午前中はこんな状態なのか愛里には分からなかったが、こんなことならもっと遅い時間に会いに来れば良かったかも、と少しだけ後悔していた。
姉の優里が入院している織田病院は中央棟とは別に入院棟があり、どちらも見上げるような真っ白なビルになっていて、それぞれ地上十階と十八階建てという大きさだ。愛里は中央棟へと向かう人の列を横目に、入院棟の方へ伸びるタイルの歩道を進む。
優里が初めて入院した時は、確かまだ愛里が五歳だった。
母親が家にいない時期で、叔母に連絡をして救急車を呼んでもらった。
愛里の手を掴んで「だいじょうぶ」と言う姉が毛布に包まれたまま担架に載せられ、救急車へと運ばれていく。一緒に乗ろうとした愛里の手を、叔母が必死に掴んでいた、あの手の痛みは今でも忘れられない。
――心臓に奇形がある。
その意味が当時はよく分からずに、そう長く生きられないのだ、と言われたことだけが愛里の記憶にこびりついていた。
すっかり止んでしまい、不要になった傘を帰りには忘れそうだなと思いつつ畳むと、傘立てに突き刺して自動ドアから中に入った。
病院の臭い。
受付ロビィはマスクをした事務員や看護師、面会客などで溢れ、インフルエンザや他の流行病を移されないようにしないといけないと思い出し、愛里は自分もコートのポケットからマスクを取り出して装着した。
エレベータの前にも沢山の人が待っていたが、一台をやり過ごすと何とか次のに乗り込むことができた。
十階に到着すると、ナースセンターの中で忙しそうに行き来する看護師さんたちの姿が目に入る。その中に姉の担当である三井さんらしき女性は見つけられず、愛里は素通りして、一番奥の姉の病室に向かう。
最近は症状が落ち着いている、と聞いていて、以前ほど心配にはならないが、それでも週に一度くらいは会いに来るようにしていた。
ただ今日はそういった普通の面会とはちょっと事情が異なっていて、その所為か、足が重い。
通路の一番奥。
その病室のドアを緊張気味にノックする。
「愛里でしょ。来ると思ってた」
「……う、うん」
声の調子は普通だ、と思う。
それでもわざわざ来ることが分かっていたと口にしたのは、それなりに警戒して掛かった方が良い。
「入るよ」
マスクを取ってそう答えてから、ドアを開けた。
カーテンが閃いて、風が抜けていく。
優里は珍しく窓を全開にして空気を部屋に入れていた。
「気分良さそうだね。体調良いの?」
「そんな余計な前置きはやめなさい。原田君のことで、来たんでしょ」
逆光になって、うまく姉の表情が読み取れない。
それでも分かる。小さい頃から愛里の前だけで見せる、本当の姉の顔をしているはずだ。泣きじゃくる妹に、怒るでも叱るでもなく、ただ淡々と言葉を重ねて説明をして、最後には「くだらない」と吐き捨てる。
そういう姉が、今目の前にいる。
朝日は見えず、傘を差して歩きながら愛里はぼんやりと昨夜聞いた原田の話について考えていた。
おそらく原田が思っていたような嫌悪とか軽蔑とか同情とか、そういった種類の感情を愛里は抱いていない、と思う。うまく言葉が見つけられないけれど、でも一つだけ理解できたのは“自分たちと似ている”ということだった。
十メートルほど先でバスが停車すると、そこから病院に向かう人間が沢山降りてくる。
金網越しに駐車場を見やると既に一杯で、それが土曜日だからなのかそれとも常に午前中はこんな状態なのか愛里には分からなかったが、こんなことならもっと遅い時間に会いに来れば良かったかも、と少しだけ後悔していた。
姉の優里が入院している織田病院は中央棟とは別に入院棟があり、どちらも見上げるような真っ白なビルになっていて、それぞれ地上十階と十八階建てという大きさだ。愛里は中央棟へと向かう人の列を横目に、入院棟の方へ伸びるタイルの歩道を進む。
優里が初めて入院した時は、確かまだ愛里が五歳だった。
母親が家にいない時期で、叔母に連絡をして救急車を呼んでもらった。
愛里の手を掴んで「だいじょうぶ」と言う姉が毛布に包まれたまま担架に載せられ、救急車へと運ばれていく。一緒に乗ろうとした愛里の手を、叔母が必死に掴んでいた、あの手の痛みは今でも忘れられない。
――心臓に奇形がある。
その意味が当時はよく分からずに、そう長く生きられないのだ、と言われたことだけが愛里の記憶にこびりついていた。
すっかり止んでしまい、不要になった傘を帰りには忘れそうだなと思いつつ畳むと、傘立てに突き刺して自動ドアから中に入った。
病院の臭い。
受付ロビィはマスクをした事務員や看護師、面会客などで溢れ、インフルエンザや他の流行病を移されないようにしないといけないと思い出し、愛里は自分もコートのポケットからマスクを取り出して装着した。
エレベータの前にも沢山の人が待っていたが、一台をやり過ごすと何とか次のに乗り込むことができた。
十階に到着すると、ナースセンターの中で忙しそうに行き来する看護師さんたちの姿が目に入る。その中に姉の担当である三井さんらしき女性は見つけられず、愛里は素通りして、一番奥の姉の病室に向かう。
最近は症状が落ち着いている、と聞いていて、以前ほど心配にはならないが、それでも週に一度くらいは会いに来るようにしていた。
ただ今日はそういった普通の面会とはちょっと事情が異なっていて、その所為か、足が重い。
通路の一番奥。
その病室のドアを緊張気味にノックする。
「愛里でしょ。来ると思ってた」
「……う、うん」
声の調子は普通だ、と思う。
それでもわざわざ来ることが分かっていたと口にしたのは、それなりに警戒して掛かった方が良い。
「入るよ」
マスクを取ってそう答えてから、ドアを開けた。
カーテンが閃いて、風が抜けていく。
優里は珍しく窓を全開にして空気を部屋に入れていた。
「気分良さそうだね。体調良いの?」
「そんな余計な前置きはやめなさい。原田君のことで、来たんでしょ」
逆光になって、うまく姉の表情が読み取れない。
それでも分かる。小さい頃から愛里の前だけで見せる、本当の姉の顔をしているはずだ。泣きじゃくる妹に、怒るでも叱るでもなく、ただ淡々と言葉を重ねて説明をして、最後には「くだらない」と吐き捨てる。
そういう姉が、今目の前にいる。
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