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「姉さんを助けて下さい」
屋根の半分がブルーシートで覆われているそのボロ小屋の扉を思い切って開け、まだ学生だったミスギは開口一番にそう声を張り上げた。
――桜病の専門家が住んでいる森がある。
それもこの東洋の小さな国で、自分の足で行ける範囲にある、と聞き、もう体の半分が樹皮状態になっていた姉を毛布でくるみ、台車に載せて運んできたのだ。お金も人脈もない。ただ姉を助けたい思いだけは誰よりも強く、自分の命と引き換えになってもいいという覚悟でここまでやってきた。
なのに出迎えたのは何とも気の抜けた声で「はあ」と答えた丸顔の女性だった。
「ここ、桜病のお医者様がいるんですよね? あなたがそうなんですか?」
「いえ。ここにはお医者様はいらっしゃいません。わたしも専門家とは言えませんし」
「でも、ここがあの桜の森なんですよね?」
森、と呼ぶには随分と木が少ないが、それでも小屋の外を見れば数本の桜の樹が見える。
「あなたのお気持ちは分かります。ここを訪ねてくる人は誰もが同じ願いを持っている。けど、残念ですが、ここには桜病を治療する設備も技術も何もありません」
「じゃあ、ここは一体何なんですか?」
「ここは……霊園、でしょうか」
桜病になった患者が最期に訪れる場所。だから霊園と呼ばれているのだと、彼女は言った。その言葉を耳にした時にミスギは全身の力が抜け、そのまま床に倒れて気を失ってしまった。気力に加えて体力までも失われていたところに絶望が叩きつけられたからだ。
その女性はトワと名乗った。永遠と書いてそう呼ぶそうだ。トワさんは少し目が悪く、いつも閉じたような細い目で優しく微笑む。
でもその笑顔がミスギは苦手だった。
桜病の末期となっていた姉は彼がここを訪れて間もなくして、息を引き取った。いや、死んだ訳ではないけれど、それでもミスギにとっての姉はいなくなってしまった。
全身が桜の樹皮になり、そこから伸びた細い枝の先に数輪、桜の花が開いているのを目にした時に、もう完全に姉ではなくなってしまったのだと彼には思えて、ただただ涙が落ちた。
その桜になってしまった姉をトワさんは「助ける」と言った。最初は桜になってしまった人間を元に戻す方法が何かあるのだと思っていたのだけれど、彼女はミスギに布で巻いた姉を背負わせ、ある場所へと連れ出した。
それは桜の森の一画、少し高くなった丘だった。森といっても本当に木がない。見渡す限り、ぽつりぽつりと疎らに桜が生えているだけだ。しかもその桜は全て元人間だという。見ているだけでも気持ち悪くなり、何度か吐いた。
そんなミスギにトワさんはスコップで穴を掘らせた。意味も分からず、姉がなくなった苛立ちもあり、がむしゃらになって土を上げた。その穴を見てトワさんは「ちょっと大きすぎるわね」と言ったものだから彼は流石にへそを曲げ、不機嫌さを叩きつけるように手にしたスコップを思い切り地面に投げつけた。
けれどトワさんは怒ったりはしない。そもそも彼女は声を荒らげない。まるで彼女の周囲だけ穏やかに時間が流れているかのようで、それに付き合っているといつの間にか棘々としたミスギの感情の波も収まってしまう。
「それで?」
「ここに、植えてあげようと思います」
「植える? 姉さんは人間だよ? 植える、の?」
「はい。もう人ではありません。彼女は桜になったのです」
姉を覆っている布を剥がすと、そこに現れたのは桜だ。人の形に似ているけれど、もう声を出して笑うこともない。叱ったりもしてくれない。大好きなハンバーグを作ることも出来ない。ただの桜だ。
そんなことは分かっていた。そのはずなのに、いざ他人の口で言葉にされると、どうしようもない現実として伸し掛かってしまう。
その元姉を、ミスギは自分の手で植えた。土を掛け、しっかりと地面に立つようにすると、トワさんはその根本にジョウロで水を優しく掛けた。するとへたりとなっていた五輪の桜はすっと伸び、彼に向かって微笑んでいるかのように花を開いて見せた。
それを目にした時にトワさんが言っている意味が分かった気がした。確かに、姉は生きている。まだ、ここにミスギの姉は生きていた。
姉を植えてしまってからも、ミスギはしばらくトワさんのところでお世話になることにした。というより、心のどこかでまだ姉を人間に戻す方法があるのではないかと思っていた、というのが大きい。しかも学者ではないと言っていたけれど、ボロ小屋の奥の書斎には桜病について書かれた論文や書籍が沢山あり、更に誰のものかは知らない手書きの詳細なメモも見つかった。トワさんは生まれながらに弱視で、そういったものがあっても読めないからと寂しげに笑っていたけれど、その癖は姉もよくやるものだった。
――悲しい時ほど笑うのよ。
両親を早くに失い、彼の知らないところで沢山苦労もあったのだろう。それでも姉はミスギの親代わりとなって彼を大きくしてくれた。学校に行けたのも姉のお陰だ。
そんな姉への恩返しではないけれど、トワさんの仕事を手伝いながら、ミスギはここで桜病についての勉強をすることにした。
桜病が最初に見つかったのはやはり、ミスギたちが生まれた国だった。東洋の小さな島国は、その領土に対して驚くほど多くの種類の桜があり、春になれば花をつけて人間を喜ばせていた。けれどその桜を今、好きな人間はこの地球上に存在しない。桜は見るものから恐れるものへと変わってしまったからだ。
「ねえ、トワさんは、桜のこと、どう思っているんですか」
「どう、とは?」
「だから、憎むべき存在だとか、そういうことです」
「確かに桜病というのは恐いかも知れない。けど、その恐いことの正体は分からないということでしょう。分からないなら分かろうとする必要があるのに、みんな逃げてしまう。だからわたしくらいは桜の味方でいてあげたいと、そう思っているけど」
時折トワさんはこんな風にはっとするようなことを口にした。
でも大抵はぼんやりとしていて、よく何もない場所で躓くし、砂糖と塩を間違えて塩辛い肉じゃがを作ってしまったりするし、しっかり者だった姉と比べると、どうにも目が離せない。寧ろ年下のミスギの方があれこれと世話を焼いてあげないといけない。そんな関係だった。
けれど、それはミスギが姉をこの森に植えてから半年が過ぎる頃までの話でしかない。
遂に、彼にもその日が訪れたのだ。
桜病に、罹患した。
屋根の半分がブルーシートで覆われているそのボロ小屋の扉を思い切って開け、まだ学生だったミスギは開口一番にそう声を張り上げた。
――桜病の専門家が住んでいる森がある。
それもこの東洋の小さな国で、自分の足で行ける範囲にある、と聞き、もう体の半分が樹皮状態になっていた姉を毛布でくるみ、台車に載せて運んできたのだ。お金も人脈もない。ただ姉を助けたい思いだけは誰よりも強く、自分の命と引き換えになってもいいという覚悟でここまでやってきた。
なのに出迎えたのは何とも気の抜けた声で「はあ」と答えた丸顔の女性だった。
「ここ、桜病のお医者様がいるんですよね? あなたがそうなんですか?」
「いえ。ここにはお医者様はいらっしゃいません。わたしも専門家とは言えませんし」
「でも、ここがあの桜の森なんですよね?」
森、と呼ぶには随分と木が少ないが、それでも小屋の外を見れば数本の桜の樹が見える。
「あなたのお気持ちは分かります。ここを訪ねてくる人は誰もが同じ願いを持っている。けど、残念ですが、ここには桜病を治療する設備も技術も何もありません」
「じゃあ、ここは一体何なんですか?」
「ここは……霊園、でしょうか」
桜病になった患者が最期に訪れる場所。だから霊園と呼ばれているのだと、彼女は言った。その言葉を耳にした時にミスギは全身の力が抜け、そのまま床に倒れて気を失ってしまった。気力に加えて体力までも失われていたところに絶望が叩きつけられたからだ。
その女性はトワと名乗った。永遠と書いてそう呼ぶそうだ。トワさんは少し目が悪く、いつも閉じたような細い目で優しく微笑む。
でもその笑顔がミスギは苦手だった。
桜病の末期となっていた姉は彼がここを訪れて間もなくして、息を引き取った。いや、死んだ訳ではないけれど、それでもミスギにとっての姉はいなくなってしまった。
全身が桜の樹皮になり、そこから伸びた細い枝の先に数輪、桜の花が開いているのを目にした時に、もう完全に姉ではなくなってしまったのだと彼には思えて、ただただ涙が落ちた。
その桜になってしまった姉をトワさんは「助ける」と言った。最初は桜になってしまった人間を元に戻す方法が何かあるのだと思っていたのだけれど、彼女はミスギに布で巻いた姉を背負わせ、ある場所へと連れ出した。
それは桜の森の一画、少し高くなった丘だった。森といっても本当に木がない。見渡す限り、ぽつりぽつりと疎らに桜が生えているだけだ。しかもその桜は全て元人間だという。見ているだけでも気持ち悪くなり、何度か吐いた。
そんなミスギにトワさんはスコップで穴を掘らせた。意味も分からず、姉がなくなった苛立ちもあり、がむしゃらになって土を上げた。その穴を見てトワさんは「ちょっと大きすぎるわね」と言ったものだから彼は流石にへそを曲げ、不機嫌さを叩きつけるように手にしたスコップを思い切り地面に投げつけた。
けれどトワさんは怒ったりはしない。そもそも彼女は声を荒らげない。まるで彼女の周囲だけ穏やかに時間が流れているかのようで、それに付き合っているといつの間にか棘々としたミスギの感情の波も収まってしまう。
「それで?」
「ここに、植えてあげようと思います」
「植える? 姉さんは人間だよ? 植える、の?」
「はい。もう人ではありません。彼女は桜になったのです」
姉を覆っている布を剥がすと、そこに現れたのは桜だ。人の形に似ているけれど、もう声を出して笑うこともない。叱ったりもしてくれない。大好きなハンバーグを作ることも出来ない。ただの桜だ。
そんなことは分かっていた。そのはずなのに、いざ他人の口で言葉にされると、どうしようもない現実として伸し掛かってしまう。
その元姉を、ミスギは自分の手で植えた。土を掛け、しっかりと地面に立つようにすると、トワさんはその根本にジョウロで水を優しく掛けた。するとへたりとなっていた五輪の桜はすっと伸び、彼に向かって微笑んでいるかのように花を開いて見せた。
それを目にした時にトワさんが言っている意味が分かった気がした。確かに、姉は生きている。まだ、ここにミスギの姉は生きていた。
姉を植えてしまってからも、ミスギはしばらくトワさんのところでお世話になることにした。というより、心のどこかでまだ姉を人間に戻す方法があるのではないかと思っていた、というのが大きい。しかも学者ではないと言っていたけれど、ボロ小屋の奥の書斎には桜病について書かれた論文や書籍が沢山あり、更に誰のものかは知らない手書きの詳細なメモも見つかった。トワさんは生まれながらに弱視で、そういったものがあっても読めないからと寂しげに笑っていたけれど、その癖は姉もよくやるものだった。
――悲しい時ほど笑うのよ。
両親を早くに失い、彼の知らないところで沢山苦労もあったのだろう。それでも姉はミスギの親代わりとなって彼を大きくしてくれた。学校に行けたのも姉のお陰だ。
そんな姉への恩返しではないけれど、トワさんの仕事を手伝いながら、ミスギはここで桜病についての勉強をすることにした。
桜病が最初に見つかったのはやはり、ミスギたちが生まれた国だった。東洋の小さな島国は、その領土に対して驚くほど多くの種類の桜があり、春になれば花をつけて人間を喜ばせていた。けれどその桜を今、好きな人間はこの地球上に存在しない。桜は見るものから恐れるものへと変わってしまったからだ。
「ねえ、トワさんは、桜のこと、どう思っているんですか」
「どう、とは?」
「だから、憎むべき存在だとか、そういうことです」
「確かに桜病というのは恐いかも知れない。けど、その恐いことの正体は分からないということでしょう。分からないなら分かろうとする必要があるのに、みんな逃げてしまう。だからわたしくらいは桜の味方でいてあげたいと、そう思っているけど」
時折トワさんはこんな風にはっとするようなことを口にした。
でも大抵はぼんやりとしていて、よく何もない場所で躓くし、砂糖と塩を間違えて塩辛い肉じゃがを作ってしまったりするし、しっかり者だった姉と比べると、どうにも目が離せない。寧ろ年下のミスギの方があれこれと世話を焼いてあげないといけない。そんな関係だった。
けれど、それはミスギが姉をこの森に植えてから半年が過ぎる頃までの話でしかない。
遂に、彼にもその日が訪れたのだ。
桜病に、罹患した。
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