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第1章 桃園結義編

第4話 勘違い

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「黄巾党が動き出しました」
かがり火の中、長い得物を振るう男の影がゆらゆらと動いた。

上半身が裸であり、動くたびに汗がほとばしる。
最初の声は、この男のものではない。

日課としている鍛錬のさなか、別の男が声をかけたようだ。
特に返事はないが、言葉数が少ないのはいつものことなので話を続ける。
「例の村の近くです」

その言葉に反応すると鍛錬をしていた男は動きを止めた。
体の汗を拭い、水を一杯飲み干す。

「出るぞ」
着衣を整えて、灯りの届かない闇へと歩いていく。
夜風が男の長髯をなびかせた。

黄巾党とは、太平道たいへいどうの教祖、大賢良師たいけんりょうし張角ちょうかく、その弟、張宝ちょうほう張梁ちょうりょうを主幹とした組織である。

張角は卓越した医術をもって信者を増やし、一大教団にのし上がると、漢王朝に宣戦布告する。

漢王朝の腐敗と農民たちの不満が相まって、その勢力は拡大し、戦禍は中華十三州のうち、八州にまで及ぶのであった。

また、この狂信的集団は、皆一様に黄色い頭巾を頭に巻いていたため、黄巾党と呼ばれるようになった。

顔中、泥だらけ、衣服は擦り切れて、その用途を満たしていない。
そんな男が息も絶え絶え、村のど真ん中の往来で座り込んでいた。
村人は眉をひそめて、男を見つめるが、誰も近づこうとはしなかった。

「大将、黄巾党が近くに出たらしいですね」
いつものように莚売りをしている劉備に簡雍が話しかけた。

簡雍が楼桑村にきて、五年が経つ。
いつの間にか劉備のことを『大将』呼びするようになっていた。

あのずたぼろになっている男が生き証人。
黄巾党の襲来は間近に迫っていると見ていいだろう。

劉備は頷くと、
「ああ、どこかの商人らしいぜ」
どこで調べたのか地べたに座り込む男の身元を説明すると、劉備はその男に近づいて行った。

「災難だったね。ほら、飲みなよ」
男は劉備が差し出した水筒を奪い取るように受け取ると、口元から水が溢れるのも構わず、一気に流し込んだ。

「生き返りました」
男は、一息ついて空になった水筒を劉備に返す。

「恩人は、あなたで二人目です。ありがとうございます」
「大袈裟だな。恩人ってほどじゃないけど、・・・二人目?」
「ええ。襲われたときに黄巾党から、助けてくれた人が・・・ほら、そこの人」
男が指さす先には、巨漢の大男が立っていた。

その風貌に、簡雍は思わず、
「え?あの人が賊じゃ・・」
大男ににらまれて、簡雍は途中で言葉を飲み込んだ。


「さっきの男は誰ですか?」
「確か・・隣村の肉屋だな。たまにこの村に卸しに来てるぜ」
「へぇー。何というかすごい迫力でしたね」

簡雍は、大男の姿を思い浮かべる。
八尺はある身長と炯眼けいがん虎髯とらひげ

どう見ても只者ではない。
黄巾党が何人いたのかわからないが、一人で立ち向かったのであれば相当、腕に覚えがあるのだろう。

「あいつも気になるが・・・」
「ですね」

気になるのは黄巾党が現れた事実。
少数だったのなら、恐らく斥候部隊だろう。
つまり、本隊は近くにいて、この村が戦渦に巻き込まれる日も近いということだ。

「どうします?」
「んー。なるようになるだろ」

とぼけて話す劉備に簡雍も追随する。
「まぁ、なるようにしてくれるの期待してますよ」


「おい、これはどういうことだよ?」
劉備は料理屋の中にいた。

そして、目の前には、例の虎髯の大男が座っている。
小声で話すと、簡雍の脇をつついた。

睨む劉備を涼しい顔で受け流した簡雍は、手元にある盃を飲み干す。
「美味しい」
「そうだろ。ここは俺の肉を扱ってる店だ。酒だけじゃなく料理も旨いぞ」
そういうと、虎髯の大男も自分の盃を空けて、愉快に大笑いする。

二人仲良く、やっている中、劉備は憮然としていた。
「おい、金なんかないぞ」
「大将の懐なんかあてにしてませんよ。ここは任せて下さい」

簡雍は胸を反らすと、続けて劉備に顔を近づけて声を落とす。
「とりあえず、この人とは仲良くなっていた方がいいですって」

まだ得体の知れない大男と仲良くなれと言われても・・・
まぁ、どんな人間か見極めてやるか。

県の役人が動くわけもなく、自衛するしかない。
そうなったとき、黄巾党を蹴散らしたという膂力りょりょくは魅力的だ。

「ふん。ただ酒ってんなら、楽しませてもらうぞ」
そう言って、劉備は自分の盃を一気に飲み干すのであった。


「おい、兄弟。飲んでるか?」
「飲んでるぜ」
二人の笑い声がこだまする。

劉備と肩を組む虎髯の大男の名は、張飛益徳ちょうひえきとく
幽州、涿県の生まれらしい。

同郷と知ってから、急に馴れ馴れしくなった二人。
今は、昔馴染みと言われても誰も疑わないくらいである。

『仲良くした方がいいって言ったけど・・・本当にこの人は・・・』
簡雍は心の中で呆れかえった。

知人、友人になるだけが今回の目的ではなく、情報収集とこの人物が信用に足るか見極めないといけない。

劉備がこの調子では、自分が頑張るしかないと、
「張飛さん。襲ってきた黄巾党って、何人くらいですか?」
「ん?・・・五、六人だったかな?」

武勇伝を誇張したがる人がいるが、人数的には多すぎず少なすぎず。
恐らく真実なのだろう。
いい加減なお調子者ではなさそうだ。

「すごいですね。どうやって、撃退したんですかね?」
簡雍の前に大きな拳が出される。

「手ごろな得物なかったんで、全員、ぶん殴ってやったよ」
確かに下手な得物より、威力がありそうな拳である。

これは、もしかしたら黄巾党の人数も過少報告しているかもしれない。
弱すぎる相手は数えていないというか、覚えない人かも・・・
張飛を観察するに、そんな人物のような気がしてきた。

もし、十人前後だったら・・・本隊は五百人以上になるかもしれない。
「いや・・もう一人いたが、ありや何だったのかな?」
「もう一人?」
「ああ、物陰に隠れている奴が一人いた。襲ってくるでも奴らを助ける素振りもなかったから、相手にはしなかったが・・・」

あの商人の身内だろうか?たまたま通りかかった旅人か?
「多分、あいつも黄巾党だぜ」
最後に張飛が気になることを話すのだった。


三人の親睦会と呼ぶべきか・・・
その二日後、簡雍が慌てて劉備の家にやって来た。

「大将、黄巾党が近くまで来ているらしい。村中、大騒ぎですよ」
確かに普段とは違う喧噪けんそうと緊張感が村の中にあふれている。
そんな中、村の入り口付近から、喚声が上がった。

「来たか」
劉備と簡雍は、村の入口へと向かって走り出した。

しかし、到着すると想像とは全く違う状況に出くわす。
張飛と長髯の男が激しく打ち合っているのだ。

張飛も人目をひく大男だが、相手の男は更に大きい。
この世の者とは思えない怪物同士の闘いに見えた。

関羽かんう、違う。そいつは・・・」
「承知しておりますが・・・」

長髯の男が劉備の言葉に反応するが、相手が止まらないため闘い続けるしかない。
よく見ると、足元には倒れている男たちがおり、その数は三十人を超えていた。

「これは手遅れか・・」
「誰ですか?」
「黄巾党を迎え撃つための仲間だったんだが・・・」

劉備が仲間と称した武装集団、立っている者は五十人ほどいる。
しかし、まともに戦えそうなのは、その半分くらいだろう
どこかかしらに怪我をおっている者が目立つ。

「ったく。いい加減にしろよ」
劉備はそう言うと、関羽と張飛の間に飛び込んでいった。

不覚にも簡雍は、まともに見ていられず目をつぶってしまう。
激しい金属音が鳴ったのだけは分かった。

ゆっくりと目を開けてみると、
「良かった」
劉備が無事であることを確認して、安堵した。

「兄弟、危ねぇじゃねぇか」
「危ねぇじゃねぇよ。どう見たって、こいつら黄巾党じゃないだろ」

この武装集団、誰も黄色い頭巾、その他黄色いものは何一つ身に着けていなかった。
張飛は首をかしげると、

「ん?そう言われれば・・・」
「まったく・・」

立てそうな連中に手を貸しながら、劉備がぼやく。
関羽も手伝いながら、劉備に頭を下げた。

「劉備殿、すまない」
「大体、想像はつくから、・・・分かったよ」

大方、張飛に敵ではないと説得を試みたが、聞く耳持たず。
味方に大きな被害が出始めたので、関羽が止めに入った。
そんなところで間違いない。

「大将、こちらの方々は?」
「ああ、この男は関羽雲長かんううんちょう。・・・まぁ、昔、ちょっと」
その言葉に関羽が目を落とした。

そんな関羽の背中を軽く叩きながら、
「青龍団って、義賊やってるんだけど、昔のよしみで助力をお願いしたのさ」
「なるほど」

改めて、関羽に目をやると惚れ惚れするほどの傑物である。
九尺はある体躯に赤面、鳳眼《ほうがん》。
二尺はある顎鬚あごひげは見事というほかない。

「・・でも、ゆっくり語らっている暇はないようですね」
「だな。本命のご到着だ」

遠くに土埃が見え始めた。
これは、黄巾党で間違いないだろう。
数は、五百くらいか。

「仕方がない。迎え撃つぞ」

完全に立て直すのは不可能だが、迎撃態勢はとらなければならない。
「本当に盛り上げてくれるよ」
劉備は手持ちの武器を構えなおした。
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