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第3章 宮中騒乱編

第13話 お尋ね者

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冀州中山国安喜県きしゅうちゅうざんこくあんきけん
劉備はこの地で、黄巾の乱の武功により県尉けんいの職についていた。

その劉備のもとに郡守ぐんしゅからの報せが届く。
その内容は、領内を視察するための役人、督郵とくゆうを送るとのことだった。

この報せを受けとると、劉備は、
「で、結局、俺は何をすればいいの?」と質問する。

「普段通り、仕事をなさっていればいいのです」
「何だ、そうなの」
劉備はお気楽に考えていたが、受け答えをしていた簡雍はやや浮かない表情である。

「憲和、どうした?」
心配になった関羽が尋ねた。

「いえ、今度くる督郵は、あまりいい噂を聞かないものですから」
「なるほど、そういう訳か」
「なに、変な奴がきたら、ぶん殴ってやればいいんだろ」

張飛が二人の会話に入り込み、豪快に笑う。
「・・・だから、心配なんですけどね」
関羽は、そっと簡雍の肩に手を置くのだった。


そして、実際に督郵が視察に訪れる日がやってきた。
「お前が劉備玄徳か」
「いや、それはもういいから」

督郵は関羽に対して、そう尋ねたのだ。
「俺が劉備です。督郵殿」

督郵が改めて、劉備を見定めると、
「ふん、田舎者らしい面構えだな。さっさと出すものを出したらどうだ?」との

・・・第一声から、それですか・・・
簡雍の心配がのっけから的中する。

「出すものって何だい?」
「少しは私をねぎらおうという気持ちはないのかと言っている」

・・・これは駄目だ。
簡雍がこの場から立ち去るのを見止めた関羽が声をかけた。

「どこへ行く?」
「旅支度です。雲長さんも早くした方がいいですよ。」

劉備と督郵のやり取りをみて、納得する。
「・・なるほど」
関羽もあとを追って、退出するのであった。

劉備は督郵の言動、態度に苛立ちを見せる。口元を引きつらせるのだ。
「俺の師が誰だか知っているのかい?」
「それが関係あるのか?」

「俺の師は盧植尚書しょうしょだぞ。師を手本とする弟子が、賄賂など渡すわけがないだろう」

今の状況とは関係ないが、盧植は皇甫嵩のとりなしで黄巾の乱の時の罷免をとかれ、尚書の職に就いていた。
劉備は遠く離れた地で、それを喜んだものである。

「ふん、あの堅物か。師弟そろって世渡りというものを知らんようだな」
督郵の言葉に、ほうと唸り、劉備の目が座る。

「師までも、侮辱したんだ。覚悟はできているんだろうな」
そう言うと、劉備は督郵の胸倉をつかむのだった。


「あそこまでする必要があったんですか?」
劉備、関羽、張飛、簡雍の四騎が並んで走っている。

簡雍が話しているのは、督郵に対しての仕打ちだった。
腹を立てて、職を辞するだろうなとは予測していたが、督郵に対する扱いは想像以上だった。

督郵は着ていた衣服をすべて剥ぎ取られた上、縄で木に吊るされたのだ。
そして、その口の中には県尉の印が突っ込まれていた・・・・。

「いや、あれは益徳の奴が・・」
「何言ってんだよ。長兄が言い出したんだぜ」
要するに二人が悪のりした結果なのである。

「どうするんですか?私たち、はれてお尋ね者ですよ」
「まぁ、何とかなるだろ」
「違いない」

劉備と張飛が二人して笑う。
簡雍は呆れて、何も言えなかった。


劉備が安喜県の県尉を辞した後、放浪の旅を続けた。
その僅かな期間でさえも、各地で乱が相次いだ。
まさに漢王朝の斜陽を示す。

その中でも、涼州における辺章へんしょう韓遂かんすいの乱は、規模が大きく黄巾の乱の再来かとささやかれるほどだった。
発端は羌族きょうぞくの反乱だったが、それに西方で名士だった辺章と韓遂が呼応したのである。

朝廷は、すぐさま黄巾の乱の英雄、皇甫嵩を左車騎将軍さしゃきしょうぐんに任命して討伐に当たらせる。
皇甫嵩の下には、黄巾の乱で失態を重ねるも十常侍への賄賂で上手に立ち回り、罪を逃れた董卓が中郎将として従軍した。

董卓は若いころ、羌族の顔役たちと親交があり、そのよしみを利用し、羌族の有力者たちに対話を求めると称して呼び出す。

今は敵対しているとはいえ、昔は親身になって世話や礼をつくしてくれた男の招待に、羌族は信をもって応じるが、董卓は集まった有力者をその場で皆殺しにするのだった。
中には今回の反乱に加担していない者もいたが、その凶刃に一切の分け隔てはない。

その後、指導者を失った羌族は、董卓軍の蹂躙じゅうりんを受け、部族が壊滅の危機にまで陥る。

羌族の後ろ盾がなくなった辺章と韓遂は、兵をとき、涼州の奥へと逃げ込んだ。
こうして反乱は鎮圧。首謀者を取り逃がすものの、この功で董卓は涼州刺史となるのであった。


「・・・早く、逃げなきゃ・・・」
娘の靴は破け、ほとんど裸足に近い状態で走り続ける。

・・見つかったら、・・・捕まったら・・・
「・・・私も殺される。・・・そんなの嫌だ」

その思いだけで、走り続ける。
疲労からか、ふと、意識が遠のいていった。

そして、路上に倒れてしまう。
「おい、道に人が倒れているぞ」
遠くにそんな声を聞いた気がするが、道で倒れるなんて、一体、誰のことだろう・・・
意識は完全になくなるのだった。


反乱などが相次ぎ中華全土が荒れていたが、洛陽の宮中も大いに荒れていた。
時の皇帝、霊帝れいていには二人の御子がいる。

一人は、何皇后かこうごうが産んだ劉弁りゅうべん
もう一人は、王美人おうびじんが産んだ劉協りゅうきょう

何皇后は、非常に嫉妬深く権力欲が強い女性で、自身の子供と後継者争いをするであろう劉協を憎んだ。

しかし、さすがに天子の御子に手を下すことはできないため、その母、王美人を毒殺するという暴挙にでる。

母親を失った劉協は、祖母の董太后とうたいこうに育てられることとなるが、そこから何皇后と董太后の対立は激しくなった。

そんな中、霊帝が体調を崩し、あっけなく崩御してしまう。
ここに二人の皇子とその後見人による後継者争いが始まるのであった。


「董太后さま。この蹇碩けんせき、霊帝さまより御遺言を託されております」
霊帝崩御に偶然、立ち会うことができた十常侍の蹇碩は、霊帝の今わの際の言葉を董太后に告げに来た。

「お慶び下さい。劉協皇子が次の天子となるごとを受けております」
「そうですか。それは非常におめでたいですね」

蹇碩の言葉に大層、喜ぶが、当然、不安もある。
「・・しかし、何皇后をはじめ、何進かしん何苗かびょうの両将軍が大人しく引き下がるとは思えませんが?」

何皇后には、二人の兄がいた。何進大将軍かしんだいしょうぐん何苗車騎将軍かびょうしゃきしょうぐんである。

何皇后から見て、何進は異母兄弟、何苗は異父兄弟。何進と何苗の間には直接の血のつながりはなかった。
確かに何皇后だけではなく、武官をまとめる何兄弟には注意が必要である。
しかし、蹇碩は、それ以上に同じ十常侍の郭勝かくしょうの動きが気になった。

何皇后は郭勝の後押しで、その地位を得ている。裏を返せば、何皇后の栄達は郭勝の栄達にもつながるのだ。
後継者争いには、必死に関わってくるはず・・・

「どうしたら、いいのでしょう?」
権力争いに疎い、董太后では、当然、人を出し抜いたり陥れたりする知恵など浮かばない。

そこで蹇碩は考え込んだ。
自分が何とかしなければならない。自身の出世のためにも。
新皇帝の即位に貢献したとなれば、十常侍の中でも絶対的な地位が確立されるはず。
もう、張譲の顔色をうかがう必要もなくなるのだ。

「それでは、何進に後継者について、相談があるといって宮中に呼び出しましょう。宮中の中には兵を連れてこられません。そこで・・・」
「それでうまくいくでしょうか?」

「そうですね。董太后さまの甥、董重とうちょう殿を驃騎将軍ひょうきしょうぐんに任命し、何進を牽制しましょう。そちらに気を取られている内に宮中に誘いこむのです」

この案を董太后も了承し、蹇碩は早速、準備にとりかかる。
「これで、漢王朝は私の手に・・・」


「まさか、こんなに早く霊帝がお隠れあそばすとは・・・」
朝廷内において、現状に憂慮する人物は大勢いたが、盧植もその一人だった。

「宦官の動きにも不穏なものがございます」
「一つにならねばならぬ時に、くだらぬ権力闘争ですな」

盧植は、朝廷に仕える高官の荀爽じゅんそう楊彪ようひょうらと自分の屋敷の中で、これからの漢王朝について語らっていた。

「皇太子をお決めになっていただいていれば、争いはなかったのですが」
「うむ。ご遺言などはなかったのだろうか?」

勢力が二分され、争いが長期化するのだけは避けなければならない。
これは三人の共通意見だった。

三人が思い悩んでいるところに、
「ご主人さま。申し訳ございません」
「何だ。今は大事な話をしている最中だぞ」
「承知しておりますが・・・」

盧植の屋敷の者が、主人の不興を買うことを分かっていて声をかけてきた。
よほど対処に困る事態なのかもしれない。
盧植は、つい語気を強めてしまったことを反省した。

「それで、いかがした」
「それが・・・ここでは・・」

屋敷の者が言い淀んでいると、遠くから、
「お待ち下さい。お客さま・・・」
他の使いの者の慌てた声が聞こえる。

「ん?この部屋じゃないな」
家の者とは違う男の声が聞こえた。
しかも、この声、どこかで聞いたことが・・・まさか。

すると、バンと強く扉が開かれ、盧植たちが話し合っていた部屋に旅塵まみれの男が、一人、飛び込んできた。
「先生。ご無沙汰しております。玄徳です」
この突然の訪問に盧植は、頭を抱えてしまう。

劉備はかわいい弟子だが、今はお尋ね者。
そして、今、この部屋には朝廷の高官が二人もいるのだ。
「盧植殿、そのお方はどなたですか?」

盧植が、言い訳を色々、考えていると、
「私、劉備玄徳と申します」
大きな声が屋敷中に響いたのだった。
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