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第8章 智勇激突編

第49話 疑兵の計

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豫洲から戻って来た曹操は、東阿県に戻る前に兗州の済陰郡せいいんぐん山陽郡さんようぐんの奪還を目指した。
まずは、済陰郡の乗氏じょうしを取ることにする。

この土地は、もともと曹操に仕える李典の叔父、李乾りけんが治めていた。
ところが、陳宮による造反工作に巻き込まれ、賛同しなかった李乾は、呂布軍の薛蘭せつらん李封りほうに殺されてしまったのだ。

その薛蘭と李封は、乗氏の東にある鉅野きょやを拠点にしており、今、乗氏には呂布軍の有力な武将はいない。

そこで、城外から、李乾の血縁の李典が呼びかけることにより、住民は簡単に蜂起した。
城主を叩き殺し、その城門を曹操のために開放する。

曹操は乗氏を占拠し、ここを新たな拠点とするのだった。
「兗州奪還のために、呂布を倒すことばかり考えていたが、今回の乗氏のように僅かずつでも勢力を取り戻していこうと思う」
「それがよろしいでしょう。そうすることによって、一度、呂布になびいた城主立ちも殿のもとに戻ってくると思われます」

最短で兗州を取り戻そうと躍起になっていたが、濮陽での火計による敗戦などを経て、曹操は路線を変更する決断をしたのだ。
その足掛かりを済陰郡と山陽郡にするつもりだった。

荀彧の後押しも得られたので、地に足をつけて時間をかけてでも兗州全土を取り戻すことにする。
実際、この方法を選択されるのは陳宮にとって、嫌な一手だった。

勢いで兗州を制したが、じっくり呂布と曹操を天秤にかけられると、分が悪いからだ。
実際、人質を取られても呂布になびかなかった靳允きんいんの影響が出始め、明確に反抗するわけではないが、ここにきて中立を決め込む城主が何人か出ている。

曹操は早めに潰すべき。
兗州における力が拮抗する前に、決着をつける必要があった。
陳宮は、間者を使って、曹操の動向を余すことなく確認するのだった。


曹操が乗氏に入って、三日後のこと、近くの麦畑の穂が実った情報を得たため、兵を動員して収穫を指示した。
喉から手が出るほど欲しいであろう兵糧の情報を流したのは陳宮である。

多くの兵が乗氏を出たこと、間者をつかって確認すると、陳宮は曹操を討つ絶好の機会であると呂布に進言した。
その頃、呂布軍は乗氏の西、定陶県に駐屯しており、早速、呂布自ら軍を起こす。

けして油断していたわけではないが、ここまで情報が筒抜けと思っていなかった曹操は、城兵が一千にも満たない状態で、呂布軍三万を迎え撃つことになった。

「直ちに、兵を呼び戻します」
「頼む」

荀彧が慌ただしく、曹操の前を辞す、代わって郭嘉が現れた。
「今から、逃げても間に合いません。残った城兵で、死守するしかございません」
「残る城兵は一千で間違いないか?」
「はい。・・・後は、兵とは呼べない者たちが、百名ほど・・・」

兵士ではなく、城に従事している者は給仕や雑用をこなす婦女子のみ。
通常は戦力として考えることはできなかった。

ところが、この緊急事態に曹操は、
「分かった。それでは、その婦女子たちにも鎧を着せて旗を持たせろ」
少しでも戦力を多く見せようとしたのだ。

しかし、所詮は張子の虎。
攻められれば、ひとたまりもない。

「殿、それでは残りの一千の兵を、西の林に潜ませしょう」
「しかし、一千では伏兵にもならないぞ」
「殿の疑兵の計と同じでございます。わざと伏兵の存在を気づかせて、呂布の侵攻を止めるのです」

曹操は郭嘉の言に従い、城内を空にして伏兵の手配を行う。そして、鎧を着た婦女子と普段より、多めに旗を城壁に配置するのだった。


呂布が乗氏に到着すると、事前情報と異なり、意外に多くの兵が城に残っているのに驚いた。
遠目からだったので、それが婦女子の偽装兵だとは見破れなかったのだ。

その他、曹操はわら人形にも鎧を着せて立たせていたので、気づかなければ、普段と同じ守備兵がいるように見える。

「あちらの林に曹操軍の旗竿が見えます」
物見の報告に、呂布は行軍を一旦、止めた。
報告があった林の位置だと、城攻めをしている最中に背後を取られることになる。
挟撃を受ければ、攻城戦どころではなくなる可能性があった。

「くそ、偽の情報をつかまされたか」
そう言うと、攻撃をとりやめ、軍を定陶県へ戻すことを決めるのだった。
戻る途中、歩兵を率いて遅れていた陳宮が合流する。

「どうしました、呂布さま」
もうすでに、攻城戦を開始しているはずの軍が、このような中途半端なに場所にいることを訝しんで、多少、きつい口調で呂布に問いかけた。

呂布は、ただでさえ無駄足を踏まされたことにいら立っていたところに、陳宮の態度が癇に障り、方天画戟を突き付けて怒鳴り返した。

「お前の偽情報のおかげで、軍を無駄に動かしたのだぞ」
「偽情報とは?」
「乗氏にはいつも通り、守備兵がいた。おまけに伏兵まで用意されていたわ」

信頼ある間者からの情報だったため、陳宮は呂布の言葉が信じられない。
方天画戟を前にしても陳宮は、怯むことなく、自分の目で確かめてくるので、軍の待機を懇願した。

「分かった。ただし、あとでどのような処分でも受けてもらうぞ」
「分かりました。仰せのままに」

陳宮は急ぎ、馬を走らせる。
そして、乗氏についたとき、愕然とした。

凝視するまでもなく陳宮の目は、曹操陣営の策略を看破する。
林に潜む伏兵は、寡兵を多く見せているだけ。
乗氏の守備兵に至っては、兵士ですらない。

・・・これは、どう見ても疑兵の計ではないか。そんなことも見抜けぬ猪武者め。
呂布に対する怒りと失望の念が生まれるが、ここで心を折ってはいけない。
すぐに取って帰せば、まだ、間に合うかもしれない。
陳宮は、急いで呂布の元へ戻るのだった。

「何だと。曹操の奴め、俺を騙しやがって」
報告を聞いた呂布の第一声に、陳宮は思うところがないではないが、今は急いで軍を引き返さなければならない。

「とりあえず、急いで乗氏に戻りましょう」
歩兵の指揮は、別の者に任せて、呂布の騎馬隊に陳宮も随伴する。

呂布軍は、乗氏に着くと、息を整える間もなく、総攻撃を開始した。
城に近づくと確かに鎧を着ているのは婦女子で、その他、守備兵と思っていたのはわら人形だったことに気づく。
「小細工を弄したが、無駄に終わったな曹操」
呂布軍は、勢いに乗って城壁にはりつく。

その時、婦女子やわら人形と入れ替わって、本物の守備兵が現れるのだった。
城郭から、矢の雨が降り注ぐ。
「遅かったな、呂布。おかげで、送りだしていた兵が間に合ったよ」
疑兵と決めつけ、無防備に近づいた呂布兵は次々と倒されていく。

そして、挟撃を気にしていた林からは、一万の伏兵が押し寄せてきた。
「くっ。間に合いませんでした。こうなれば手遅れです。ここは退きましょう」
下手に粘ると全滅もありえる。
呂布は陳宮の進言に従った。

定陶県を目指し、置いて来た歩兵との合流を目論む。
しかし、この期を見逃す曹操ではない。

曹操軍は激しい追い討ちをかけるのだった。
結局、曹操軍の追撃をかわすために歩兵を捨てることになる。
呂布が定陶県についたころには、騎兵の数は五千にまで減っていた。

定陶県についても、曹操軍の勢いは衰えず、ついにはこの城も手放す羽目となった。
疑兵の計を見破れなかったばかりに、呂布にとって痛い一敗となってしまう。

逆に曹操にとっては、乗氏につづいて定陶県もとったことにより、鄄城県と併せて済陰郡の復権がほぼ叶うのだった。

曹操が次に狙うのは、山陽郡。
乗氏の東に位置する、鉅野を取りにいく。
鉅野を守るのは、李典にとって因縁深い薛蘭と李封である。

曹操は、許褚とともに期待を込めて李典にも先鋒を命じた。
野戦に応じた、薛蘭と李封に対し、早速、李典が進み出る。

薛蘭と李典がお互いに武器を構えると、その横で許褚が、あっさりと李封の首を大薙刀で飛ばした。

「おらので敵でねぇわ」
対峙して、すぐの出来事だったので、恐らく一合目で勝負が決まったと思われる。
それを見た薛蘭は、驚愕の表情をうかべるとすぐに逃げる算段を始めた。李典に向かって、自分の矛を投げつけると、その隙をついて逃げ出したのだ。

しかし、逃げたところを呂虔の弓が、薛蘭の馬を射抜き、騎手は地に投げ出される。
「もらった」

立ち上がったところを李典の刃が、薛蘭の命を絶った。
叔父の仇を無事に討つことができたのである。

両将がいなくなると、鉅野の抵抗も弱くなり、簡単に落城した。
これで山陽郡にも足掛かりができ、鉅野で睨みを利かせていた二武将がいなくなったことで、山陽郡も曹操の勢力下に戻る。

残るは、おそらく呂布が向かったであろう州都濮陽。
この地が曹操のもとに帰順すれば、兗州は取り戻したも同然である。
曹操は、最終決戦を見据えて、濮陽攻略にむけた行軍を開始するのだった。
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