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第3章 家光の元服 編
第26話 二人の駆け込み女
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コホッ、コホッ。
女は歩きながら、自身から出た咳に顔を曇らせた。
「季節外れの風邪かねぇ。一度、お医者さまに診てもらった方がいいかしら」
そんな女が足を止める。
今晩の夕食の買い出しを終え、家路に戻る途中、聞きなれた声が耳に飛び込んできたのだ。思わず普段使わない路地の方へと足を運ぶ。
女は路地を曲がった瞬間、すぐに身を隠した。
そこには、小競り合いしている男たちがいたのだが、その中心にいる人物に見覚えがあったからである。
というか、どう見ても自分の亭主である由吉なのだ。
「おい、その手を放せ」
「何だ、てめぇは?」
数人の男たちを前に由吉が、一人の女性を庇っている。
そんな状況を女は、不思議そうに見つめた。
『あの人、何をしているのかしら?普段、虫も殺さないような顔をしているというのに』
由吉の陰に隠れる女性は、小柄で愛くるしい顔立ちをしていた。
やや大柄な自分とは、まるで正反対の女性である。
『もしかして、あの人、浮気でもしているんじゃあないでしょうね』
そんな考えが頭をよぎった時、由吉の口から決定的な言葉が放たれた。
「美代は、俺にとって大切な人だ」
その言葉を聞いた瞬間、女は頭の中が真っ白になる。由吉に気づかれないように、その場から逃げ出すのだ。
早く、ここから離れたい。
その一心で、次第に足は早まり、涙が溢れ出した。
我が家に着いた時、急に胸が苦しくなり、その場に崩れ落ちるのである。
「何、今の?夢じゃないわよね。・・・私は、どうしたらいいの?」
考え込むが、答えは出なかった。
コホッ、コホッ。
不意に女の咳が止まらなくなる。震える体を自分自身で、強く抱きしめるのだった。
東慶寺、柏屋の中、お多江の向かいに一人の女性が座っていた。
お多江の後ろには、番頭の利平と天秀が座っている。
今朝、駆け込みをしてきた女性の身元調べは、今、始まったばかりであった。
「えーと、お名前は登羽さんで、間違いないかい?」
顔が青白くやや大柄な女性は、大きく頷いた。亭主の名前は、由吉というらしい。
祝言を挙げて、まだ、一年未満だと聞いて、天秀は驚くが、隣の利平から、「これが意外と多いんだよ」と耳打ちされて、更に驚いた。
それじゃあ、何ために結ばれたのだろうかと思うが、実際に二人で暮らしてみると想像していた生活とは違うというのは、よくあること。
亭主の態度が急変することも、しばしばあって、そこで嫁は我慢を強いられることになるのだ。
そこから持ち直す夫婦もいるようだが、登羽のように駆け込み寺に助けを求める女性も少なからずいるのである。
「離縁の理由は、何だい?」
「夫の浮気です」
「こりゃ、また、早いこったねぇ」
嫁の妊娠中に浮気ってのは定番の話だが、登羽に確認するも懐妊はしていないという。
だとしたら、お多江の感想はもっともなことだった。
「何か、亭主に浮気されるようなことに、心当たりはあるかい?」
「さぁ、分かりません。ただ、相手の女性とは、私と知り合う以前からの付き合いのように感じました」
やれやれ、とお多江は肩をすくめる。
その話が本当だとすれば、由吉は二股をかけていながら、登羽と祝言を挙げたことになるのだ。
とんだ女ったらしである。
「それじゃあ、まず、由吉さんから離縁状をもらうよう手続きを進めるけど、いいかい?」
「はい。よろしくお願いいたします」
登羽が頭を下げたとき、「ごめん下さいまし」と、女性の声が柏屋の中を通った。
「こちら、東慶寺の御用宿で、よろしかったでしょうか?」
何の用事かと思えば、本日、二件目の駆け込みのようである。
お多江は身元調べの途中のため、利平が対応し、しばらく待つように促した。
その女は、素直に利平の指示に従い、脇にある椅子に腰を掛ける。
今日は、忙しいなと思いながら、お多江が再開しようとすると、登羽がわなわなと震えているのに気づいた。
「どうしたんだい?体調が悪いのかい?」
お多江の心配をよそに、登羽が立ち上がって、後からやって来た女を指さす。
「こ、この女です。私の亭主の浮気相手は」
「えーっ」
お多江と天秀が異口同音に声を上げた。その次の瞬間、登羽がその女性に飛びかかるのである。
あっという間に女性同士の取っ組み合いが始まってしまったのだ。
「ちょっと、あんたたち、お止めなさいよ」
まず、利平が止めようとしたが、あっさり返り討ちに合う。
女性二人から、顔を引っかかれて、その場に蹲ってしまった。
丁度、そこに甲斐姫がやって来たので、お多江は助力を求めるのだが・・・
「なに、刃物もなく力のない女性同士じゃ。そのまま、やらせて疲れを待つのがよい」と、すぐに介入するのを拒まれた。
お多江も仕方なく、甲斐姫の提案通り、二人が納得するまで暴れさせることにする。
そして、溜息を一つ。
「こりゃ、後片付けをするのが大変だねぇ」
確かに二人が動いて右往左往するので、柏屋の中が滅茶苦茶になっていた。
天秀も後始末のことを考えると、少し憂鬱になる。
その中、甲斐姫一人が女性同士の争いを笑いながら眺めているのだった。
女は歩きながら、自身から出た咳に顔を曇らせた。
「季節外れの風邪かねぇ。一度、お医者さまに診てもらった方がいいかしら」
そんな女が足を止める。
今晩の夕食の買い出しを終え、家路に戻る途中、聞きなれた声が耳に飛び込んできたのだ。思わず普段使わない路地の方へと足を運ぶ。
女は路地を曲がった瞬間、すぐに身を隠した。
そこには、小競り合いしている男たちがいたのだが、その中心にいる人物に見覚えがあったからである。
というか、どう見ても自分の亭主である由吉なのだ。
「おい、その手を放せ」
「何だ、てめぇは?」
数人の男たちを前に由吉が、一人の女性を庇っている。
そんな状況を女は、不思議そうに見つめた。
『あの人、何をしているのかしら?普段、虫も殺さないような顔をしているというのに』
由吉の陰に隠れる女性は、小柄で愛くるしい顔立ちをしていた。
やや大柄な自分とは、まるで正反対の女性である。
『もしかして、あの人、浮気でもしているんじゃあないでしょうね』
そんな考えが頭をよぎった時、由吉の口から決定的な言葉が放たれた。
「美代は、俺にとって大切な人だ」
その言葉を聞いた瞬間、女は頭の中が真っ白になる。由吉に気づかれないように、その場から逃げ出すのだ。
早く、ここから離れたい。
その一心で、次第に足は早まり、涙が溢れ出した。
我が家に着いた時、急に胸が苦しくなり、その場に崩れ落ちるのである。
「何、今の?夢じゃないわよね。・・・私は、どうしたらいいの?」
考え込むが、答えは出なかった。
コホッ、コホッ。
不意に女の咳が止まらなくなる。震える体を自分自身で、強く抱きしめるのだった。
東慶寺、柏屋の中、お多江の向かいに一人の女性が座っていた。
お多江の後ろには、番頭の利平と天秀が座っている。
今朝、駆け込みをしてきた女性の身元調べは、今、始まったばかりであった。
「えーと、お名前は登羽さんで、間違いないかい?」
顔が青白くやや大柄な女性は、大きく頷いた。亭主の名前は、由吉というらしい。
祝言を挙げて、まだ、一年未満だと聞いて、天秀は驚くが、隣の利平から、「これが意外と多いんだよ」と耳打ちされて、更に驚いた。
それじゃあ、何ために結ばれたのだろうかと思うが、実際に二人で暮らしてみると想像していた生活とは違うというのは、よくあること。
亭主の態度が急変することも、しばしばあって、そこで嫁は我慢を強いられることになるのだ。
そこから持ち直す夫婦もいるようだが、登羽のように駆け込み寺に助けを求める女性も少なからずいるのである。
「離縁の理由は、何だい?」
「夫の浮気です」
「こりゃ、また、早いこったねぇ」
嫁の妊娠中に浮気ってのは定番の話だが、登羽に確認するも懐妊はしていないという。
だとしたら、お多江の感想はもっともなことだった。
「何か、亭主に浮気されるようなことに、心当たりはあるかい?」
「さぁ、分かりません。ただ、相手の女性とは、私と知り合う以前からの付き合いのように感じました」
やれやれ、とお多江は肩をすくめる。
その話が本当だとすれば、由吉は二股をかけていながら、登羽と祝言を挙げたことになるのだ。
とんだ女ったらしである。
「それじゃあ、まず、由吉さんから離縁状をもらうよう手続きを進めるけど、いいかい?」
「はい。よろしくお願いいたします」
登羽が頭を下げたとき、「ごめん下さいまし」と、女性の声が柏屋の中を通った。
「こちら、東慶寺の御用宿で、よろしかったでしょうか?」
何の用事かと思えば、本日、二件目の駆け込みのようである。
お多江は身元調べの途中のため、利平が対応し、しばらく待つように促した。
その女は、素直に利平の指示に従い、脇にある椅子に腰を掛ける。
今日は、忙しいなと思いながら、お多江が再開しようとすると、登羽がわなわなと震えているのに気づいた。
「どうしたんだい?体調が悪いのかい?」
お多江の心配をよそに、登羽が立ち上がって、後からやって来た女を指さす。
「こ、この女です。私の亭主の浮気相手は」
「えーっ」
お多江と天秀が異口同音に声を上げた。その次の瞬間、登羽がその女性に飛びかかるのである。
あっという間に女性同士の取っ組み合いが始まってしまったのだ。
「ちょっと、あんたたち、お止めなさいよ」
まず、利平が止めようとしたが、あっさり返り討ちに合う。
女性二人から、顔を引っかかれて、その場に蹲ってしまった。
丁度、そこに甲斐姫がやって来たので、お多江は助力を求めるのだが・・・
「なに、刃物もなく力のない女性同士じゃ。そのまま、やらせて疲れを待つのがよい」と、すぐに介入するのを拒まれた。
お多江も仕方なく、甲斐姫の提案通り、二人が納得するまで暴れさせることにする。
そして、溜息を一つ。
「こりゃ、後片付けをするのが大変だねぇ」
確かに二人が動いて右往左往するので、柏屋の中が滅茶苦茶になっていた。
天秀も後始末のことを考えると、少し憂鬱になる。
その中、甲斐姫一人が女性同士の争いを笑いながら眺めているのだった。
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