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第3章 家光の元服 編
第31話 天秀の追い込み
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甲斐姫は、烏屋の前で平次郎ににじり寄った。すると、突然、体をずらして正面を空ける。
平次郎の目には、まだ、少女と言っていい天秀が映った。
「天秀、お主の出番じゃ。任せたぞえ」
いきなり、託されて驚く天秀であったが、自身で思うところを整理すると、平次郎の前に進み出る。
「東慶寺、見習い尼僧の天秀と申します」
「これは、ご丁寧にどうも」
話し相手が手強い甲斐姫から、天秀に代わったことに平次郎は、内心、ほっとした。
数多の戦場を駆け抜けてきた甲斐姫の圧力は、やはり、半端ない。
その圧に押しつぶされそうになっていたところ、相手が子供に代わったのは幸運だと思ったのだ。
天秀が相手であれば、どうとでも言いくるめることが出来ると、軽く考える。
ところが、この後、平次郎はこの天秀によって、追い込まれるのだった。
「美代さんのお話を聞いて不思議なことがありました。月に一貫文返して、それを三年間継続すると、三十六貫文返済したことになります」
「おお、そうだね。お嬢ちゃん、計算は合っているよ」
この時は、まだ余裕を見せる平次郎は天秀を小馬鹿にした態度を見せる。だが、そんなことなど、天秀は意に介さず、続けて自身の見解を述べた。
「利息が月に二十両で一分の場合、五両借りたのならば、一年間の利息は三分です。支払いで元金は減っていますが、細かい計算は省いて、仮に三年間の利息を九分、返済金額を七両1分とします」
「まぁ、かなり大雑把だけど、返済金はそれくらいになるだろうねぇ。小さいのに凄いよ、君」
舐め切っている平次郎の言質を取った後、天秀は、わざと考え込んだ表情をする。
小首を何度も傾げるのである。
その仕草に平次郎が増長し、小馬鹿にした態度に拍車がかかった。
その隙をついて、一歩、踏み込むと同時にギロリと天秀が平次郎を睨む。
「私の計算では、既に美代さんは完済しているはずなんですよね」
「どういう計算をしているのか分からないけど、まだ、一両以上は借金が残っているんだよ」
「変ですねぇ。平次郎さん、御定相場ってご存知ですか?」
天秀から思いもよらない言葉が出て、平次郎は嫌な顔をした。
御定相場とは、まだ、家康が存命の西暦1609年に、使用されている貨幣、小判、丁銀、銅銭を交換する際の相場について、幕府が定めた法定評価のことである。
ただ、これは市場価値によって民間の取引では、変化することがよくある話だった。
「あのねぇ。博識ぶっているところ、申しわけないが相場なんて常に変化するんだよ。つまり、御定相場なんてものは、あってないようなものなのさ」
平次郎はやれやれと言わんばかりだったが、天秀は、その言葉を聞きたかったのである。
「岡林さま。貴方はご公儀の役人でいらっしゃいますが、幕府が定めた決まりをあってないようなものだというのを、どう思われますか?」
「なっ・・・私は関係なかろう」
思いもよらない話題を振られて、武疋は動揺した。ここは、知らんぷりを決め込んだ方がよさそうだと判断する。
しかし、そんなことを許す天秀でも甲斐姫でもなかった。
「おお、岡崎某殿。これまで、散々、役人風を吹かせて威張り散らしいたところ、いきなり関係ないでは格好が悪いのう。御定相場を守るべきか、守らぬべきか、はっきり申したらどうじゃ」
「いや、・・・しかし・・」
「では、岡林さまが、幕府の言うことは聞かなくてもよいと、そう吹聴していたと口伝しても構いませんか?」
甲斐姫、天秀に追い込まれた武疋は、観念するしかなくなる。
「当然、ご公儀が決めたことは、皆、守るべきである」
「そうですよね。御定相場だと一両四貫文です。七両一分は二十九貫文。美代さんが返済したのは三十六貫文。あれれ、おかしいですよね」
「まぁ、大方、一両六貫文程度で計算しておったのじゃろう」
平次郎が武疋を睨むが、そっぽを向いた。そもそも、この場にいるだけでよいと言われて、烏屋にやって来たのである。
こんな展開になったからと言って、怒られる筋合いは自分にはないと、開き直るのだった。
この役人があてにならないとなると、平次郎の元にいる用心棒は三人。
普通であれば、実力行使に出るのだが、相手が甲斐姫となれば話が変わる。
頭の中で、色々、計算をするのだが、どうやら詰んだことが分かった。
これ以上、粘っても無理だと平次郎は諦める。
「いやぁ、参りました。今回は、私の負けのようですね。美代さんの借金は完済。それどころか、過払い金も返しましょう」
負けを認めた平次郎は、太っ腹にも七貫文も返すと言い切った。
あくどい商売で稼いでいるとはいえ、この切り替えの早さと決断力は、いかにも鼻の利く商売人らしい。
「それと、由吉じゃ」
「そうでしたね。おい、客人のお帰りだ」
平次郎に言われると、用心棒の一人が烏屋の中に入って行った。
程なくして、顔に殴られたような痣が残っている男が店から出て来る。
甲斐姫も天秀も、由吉の顔を知らないので、美代に確認してもらうしかない。
その美代はというと、借金の完済と由吉の救出。
色んなことが、一遍に起きてしまい、頭の中の整理が追い付いていない様子。
涙を流して、その場に座り込んでしまったのだ。
そんな美代の元に由吉が踏み出した矢先、「お前さん」と声がかかる。
そこには柏屋で横になっているはずの登羽が立っていた。
思いがけない人物の登場に由吉も天秀も甲斐姫でさえも驚く。
由吉は、妻の顔を見ると、表情にぱっと花が咲き、一気に駆け寄って行くのだった。
平次郎の目には、まだ、少女と言っていい天秀が映った。
「天秀、お主の出番じゃ。任せたぞえ」
いきなり、託されて驚く天秀であったが、自身で思うところを整理すると、平次郎の前に進み出る。
「東慶寺、見習い尼僧の天秀と申します」
「これは、ご丁寧にどうも」
話し相手が手強い甲斐姫から、天秀に代わったことに平次郎は、内心、ほっとした。
数多の戦場を駆け抜けてきた甲斐姫の圧力は、やはり、半端ない。
その圧に押しつぶされそうになっていたところ、相手が子供に代わったのは幸運だと思ったのだ。
天秀が相手であれば、どうとでも言いくるめることが出来ると、軽く考える。
ところが、この後、平次郎はこの天秀によって、追い込まれるのだった。
「美代さんのお話を聞いて不思議なことがありました。月に一貫文返して、それを三年間継続すると、三十六貫文返済したことになります」
「おお、そうだね。お嬢ちゃん、計算は合っているよ」
この時は、まだ余裕を見せる平次郎は天秀を小馬鹿にした態度を見せる。だが、そんなことなど、天秀は意に介さず、続けて自身の見解を述べた。
「利息が月に二十両で一分の場合、五両借りたのならば、一年間の利息は三分です。支払いで元金は減っていますが、細かい計算は省いて、仮に三年間の利息を九分、返済金額を七両1分とします」
「まぁ、かなり大雑把だけど、返済金はそれくらいになるだろうねぇ。小さいのに凄いよ、君」
舐め切っている平次郎の言質を取った後、天秀は、わざと考え込んだ表情をする。
小首を何度も傾げるのである。
その仕草に平次郎が増長し、小馬鹿にした態度に拍車がかかった。
その隙をついて、一歩、踏み込むと同時にギロリと天秀が平次郎を睨む。
「私の計算では、既に美代さんは完済しているはずなんですよね」
「どういう計算をしているのか分からないけど、まだ、一両以上は借金が残っているんだよ」
「変ですねぇ。平次郎さん、御定相場ってご存知ですか?」
天秀から思いもよらない言葉が出て、平次郎は嫌な顔をした。
御定相場とは、まだ、家康が存命の西暦1609年に、使用されている貨幣、小判、丁銀、銅銭を交換する際の相場について、幕府が定めた法定評価のことである。
ただ、これは市場価値によって民間の取引では、変化することがよくある話だった。
「あのねぇ。博識ぶっているところ、申しわけないが相場なんて常に変化するんだよ。つまり、御定相場なんてものは、あってないようなものなのさ」
平次郎はやれやれと言わんばかりだったが、天秀は、その言葉を聞きたかったのである。
「岡林さま。貴方はご公儀の役人でいらっしゃいますが、幕府が定めた決まりをあってないようなものだというのを、どう思われますか?」
「なっ・・・私は関係なかろう」
思いもよらない話題を振られて、武疋は動揺した。ここは、知らんぷりを決め込んだ方がよさそうだと判断する。
しかし、そんなことを許す天秀でも甲斐姫でもなかった。
「おお、岡崎某殿。これまで、散々、役人風を吹かせて威張り散らしいたところ、いきなり関係ないでは格好が悪いのう。御定相場を守るべきか、守らぬべきか、はっきり申したらどうじゃ」
「いや、・・・しかし・・」
「では、岡林さまが、幕府の言うことは聞かなくてもよいと、そう吹聴していたと口伝しても構いませんか?」
甲斐姫、天秀に追い込まれた武疋は、観念するしかなくなる。
「当然、ご公儀が決めたことは、皆、守るべきである」
「そうですよね。御定相場だと一両四貫文です。七両一分は二十九貫文。美代さんが返済したのは三十六貫文。あれれ、おかしいですよね」
「まぁ、大方、一両六貫文程度で計算しておったのじゃろう」
平次郎が武疋を睨むが、そっぽを向いた。そもそも、この場にいるだけでよいと言われて、烏屋にやって来たのである。
こんな展開になったからと言って、怒られる筋合いは自分にはないと、開き直るのだった。
この役人があてにならないとなると、平次郎の元にいる用心棒は三人。
普通であれば、実力行使に出るのだが、相手が甲斐姫となれば話が変わる。
頭の中で、色々、計算をするのだが、どうやら詰んだことが分かった。
これ以上、粘っても無理だと平次郎は諦める。
「いやぁ、参りました。今回は、私の負けのようですね。美代さんの借金は完済。それどころか、過払い金も返しましょう」
負けを認めた平次郎は、太っ腹にも七貫文も返すと言い切った。
あくどい商売で稼いでいるとはいえ、この切り替えの早さと決断力は、いかにも鼻の利く商売人らしい。
「それと、由吉じゃ」
「そうでしたね。おい、客人のお帰りだ」
平次郎に言われると、用心棒の一人が烏屋の中に入って行った。
程なくして、顔に殴られたような痣が残っている男が店から出て来る。
甲斐姫も天秀も、由吉の顔を知らないので、美代に確認してもらうしかない。
その美代はというと、借金の完済と由吉の救出。
色んなことが、一遍に起きてしまい、頭の中の整理が追い付いていない様子。
涙を流して、その場に座り込んでしまったのだ。
そんな美代の元に由吉が踏み出した矢先、「お前さん」と声がかかる。
そこには柏屋で横になっているはずの登羽が立っていた。
思いがけない人物の登場に由吉も天秀も甲斐姫でさえも驚く。
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