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第7章 寛永御前試合 編
第76話 破門の真相
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天秀尼が静子から相談を受けた難問。
解決するためには、どうしても確認しておかなければならないことがあった。
「ここまで、話していただいたのであれば、お聞きしますが、右衛門さんは、どうして破門の憂き目にあったのでしょうか?」
天秀尼の質問に静子は、一瞬、苦い表情を見せる。しかし、その質問がくるのは想定済み。
はじめから全てを包み隠さず話す気でいた静子は、過去を回想する。
ある事件がきっかけなのだが、そこには静子自身の手落ちが大きく関係していた。
話は、今から十数年前にまで遡る。
静子の父親の名は木村文吾郎、祖父の名は、厳斎。
祖父は柳生新陰流の流祖である柳生宗厳より、『厳』の一文字を賜るなど、柳生の庄でも、指折りの剣士と名を馳せる。
また、息子の文五郎も若いころから、流派の印可を受けるほどの腕前を持ち、木村一門は多くの門下を抱えて隆盛を誇っていた。
孫の代に当たる静子の兄、謙佑も将来を嘱望される剣士。同期の右衛門とは切磋琢磨する仲であった。
木村の弟子の中でも謙佑と右衛門は、頭一つ、二つ飛び抜けており、嫡流の謙佑同様、右衛門も大きな期待を背負う。
その証拠に早くから、孫娘である静子との婚約が決まるのだ。
剣の腕前だけではなく、人柄も良かった右衛門は、静子も望む婚姻相手であり、それは兄の謙佑も認めるところ。
好敵手に、「俺のことをお兄さまと敬えよ」と、よく冗談を言っていたものである。
ところが、順風満帆に見えた右衛門の人生も、思わぬことから影を落とす。
それは稽古中の出来事から始まるのだった。
柳生の稽古は激しい猛稽古で知られる。
実際、柳生宗矩の息子、十兵衛も父との稽古の中、片目を失っていた。
そして、同様のことが木村門下の中でも起きる。
右衛門との乱取り稽古の中、突然、謙佑の足が悲鳴を上げ、体勢を崩したところ、振り下ろしていた木刀が彼の右肩を痛打したのだ。
その後、肩の傷は癒えるものの足の方が治らず、謙佑は、二度と剣を握れぬ体となる。
但し、これは右衛門が破門となる直接の原因ではなかった。
あくまでも稽古中に起きた不幸な事故であり、柳生の中では珍しくもない話。右衛門には何の罪もない。
謙佑も、「俺の不徳だ。お前が気にすることではない」と、逆に右衛門を気遣った。
だが、狂い始めた歯車が止まることはなく、その後、右衛門の人生を分岐させたある事件が起きる。
怪我の後、人の介助が必要だった謙佑は、静子に肩を借りながら柳生の庄を歩いていた。
そこを運悪く、不逞の輩、五、六人に絡まれたのである。
この頃、柳生新陰流はすでに将軍家の兵法指南役の地位を得ていた。
その柳生を打ちのめして、名を上げようという者が後を絶たなかったのである。
いちいち、そんな無法者の相手をするわけにもいかず、柳生では当主が認めた以外の他流試合を一切禁止していた。
そんな事情を知っている輩は、無理矢理にでも戦いに結び付けようと、卑劣な因縁を吹っかけてくる。
女の肩を借りる武士などは、まさに格好の的だった。
「おい、柳生が最強と嘯いているようだが、女に担がれるのは、新しい兵法の一つか?」
「まぁ、女を盾にされては、俺も手は出せない。そりゃ、最強だわな」
謙佑を必要以上に辱めて、その浪人崩れどもは大笑いをする。
構うなと謙佑は、静子を嗜めるのだが、尊敬する兄を侮辱されては、黙っていられなかった。
「その下品な口を閉じたら、どうです」
「なんだ女。何か文句でもあるのか?」
「ええ。この清潔な柳生の庄で、これ以上、臭い息をまき散らさないでください」
静子の喧嘩腰の売り言葉を男たちは買う。
すかさず抜き身を抜くのだった。
しかし、静子も柳生の女。白刃など恐れず、小太刀で相手をすると、あっさり二人ほどを討ち沈める。
分が悪いと思った輩は、動きの不自由な謙佑を捕まえた。
「おい、女。こいつの命が惜しかったら、動くんじゃねぇ」
「な、どこまでも卑怯なの」
たちまち形勢は逆転してしまい、静子は小太刀を地に捨てる。
男たちは、そのまま静子をさらい、謙佑に告げるのだった。
「俺たちは、柳生の庄の外れで野宿している。今日中に助けに来なければ、この女の身がどうなっても知らねぇからな」
「まぁ、俺たちは、その方が楽しみが増えるがな」
謙佑は、悔しさに唇を噛むが、如何ともしがたい現実が目の前にある。
結局、右衛門に静子を託すしかなかった。
その時の話を聞いた右衛門の怒りぶりは、普段の彼を知る者からすれば、想像できないほどだったらしい。
親友を侮辱され、愛する婚約者を連れ去られた。彼の逆鱗に触れるのにこれ以上、悪辣な行為はない。
右衛門が我を忘れて、刀を振るったのは、この時が生涯、唯一のことだった。
単身、悪漢の巣に飛び込んだ右衛門が、鬼神のような強さを発揮して、そこにいた全ての浪人崩れを斬り倒す。
柳生の庄に来ていたのは六人ほどだったが、野宿していたのは四人増えて、全部で十人。
右衛門の足元には、その十の死体が転がる。
返り血に濡れる右衛門は、見事に静子の救出に成功するのだった。
但し、その代償も大きい。この乱闘で右衛門は当主が決めた禁を破ったことになったのだ。
事前に師である厳斎に相談していれば、もっと良い手立てがあったかもしれないが、死体の山が十も数えることになれば、抗弁も中々、難しい。
結局、独断で他流試合を行ったとして、処分されることになった。
当主の宗矩も不憫とは思ったが、里の規律を守るため、心を鬼にした結果である。
この件に引責して、厳斎は隠居することになり、代わって文五郎が木村一門を引き継いだ。
そして、右衛門はというと柳生新陰流から破門を受ける身となり里を去る。
もっとも宗矩が、福を通して右衛門の身を引き受けてもらったのは、せめてもの慈悲の現われだったのだ。
説明の全てを聞いた天秀尼は、事情を理解する。この破門には、情状酌量の余地があり、何かきっかけさえあれば、風向きが変わるような気がするのだ。
柳生宗矩に戻ってもいいと思わせるだけの成果、右衛門の名誉を回復する機会が、何かないかと天秀尼は考えるのだった。
解決するためには、どうしても確認しておかなければならないことがあった。
「ここまで、話していただいたのであれば、お聞きしますが、右衛門さんは、どうして破門の憂き目にあったのでしょうか?」
天秀尼の質問に静子は、一瞬、苦い表情を見せる。しかし、その質問がくるのは想定済み。
はじめから全てを包み隠さず話す気でいた静子は、過去を回想する。
ある事件がきっかけなのだが、そこには静子自身の手落ちが大きく関係していた。
話は、今から十数年前にまで遡る。
静子の父親の名は木村文吾郎、祖父の名は、厳斎。
祖父は柳生新陰流の流祖である柳生宗厳より、『厳』の一文字を賜るなど、柳生の庄でも、指折りの剣士と名を馳せる。
また、息子の文五郎も若いころから、流派の印可を受けるほどの腕前を持ち、木村一門は多くの門下を抱えて隆盛を誇っていた。
孫の代に当たる静子の兄、謙佑も将来を嘱望される剣士。同期の右衛門とは切磋琢磨する仲であった。
木村の弟子の中でも謙佑と右衛門は、頭一つ、二つ飛び抜けており、嫡流の謙佑同様、右衛門も大きな期待を背負う。
その証拠に早くから、孫娘である静子との婚約が決まるのだ。
剣の腕前だけではなく、人柄も良かった右衛門は、静子も望む婚姻相手であり、それは兄の謙佑も認めるところ。
好敵手に、「俺のことをお兄さまと敬えよ」と、よく冗談を言っていたものである。
ところが、順風満帆に見えた右衛門の人生も、思わぬことから影を落とす。
それは稽古中の出来事から始まるのだった。
柳生の稽古は激しい猛稽古で知られる。
実際、柳生宗矩の息子、十兵衛も父との稽古の中、片目を失っていた。
そして、同様のことが木村門下の中でも起きる。
右衛門との乱取り稽古の中、突然、謙佑の足が悲鳴を上げ、体勢を崩したところ、振り下ろしていた木刀が彼の右肩を痛打したのだ。
その後、肩の傷は癒えるものの足の方が治らず、謙佑は、二度と剣を握れぬ体となる。
但し、これは右衛門が破門となる直接の原因ではなかった。
あくまでも稽古中に起きた不幸な事故であり、柳生の中では珍しくもない話。右衛門には何の罪もない。
謙佑も、「俺の不徳だ。お前が気にすることではない」と、逆に右衛門を気遣った。
だが、狂い始めた歯車が止まることはなく、その後、右衛門の人生を分岐させたある事件が起きる。
怪我の後、人の介助が必要だった謙佑は、静子に肩を借りながら柳生の庄を歩いていた。
そこを運悪く、不逞の輩、五、六人に絡まれたのである。
この頃、柳生新陰流はすでに将軍家の兵法指南役の地位を得ていた。
その柳生を打ちのめして、名を上げようという者が後を絶たなかったのである。
いちいち、そんな無法者の相手をするわけにもいかず、柳生では当主が認めた以外の他流試合を一切禁止していた。
そんな事情を知っている輩は、無理矢理にでも戦いに結び付けようと、卑劣な因縁を吹っかけてくる。
女の肩を借りる武士などは、まさに格好の的だった。
「おい、柳生が最強と嘯いているようだが、女に担がれるのは、新しい兵法の一つか?」
「まぁ、女を盾にされては、俺も手は出せない。そりゃ、最強だわな」
謙佑を必要以上に辱めて、その浪人崩れどもは大笑いをする。
構うなと謙佑は、静子を嗜めるのだが、尊敬する兄を侮辱されては、黙っていられなかった。
「その下品な口を閉じたら、どうです」
「なんだ女。何か文句でもあるのか?」
「ええ。この清潔な柳生の庄で、これ以上、臭い息をまき散らさないでください」
静子の喧嘩腰の売り言葉を男たちは買う。
すかさず抜き身を抜くのだった。
しかし、静子も柳生の女。白刃など恐れず、小太刀で相手をすると、あっさり二人ほどを討ち沈める。
分が悪いと思った輩は、動きの不自由な謙佑を捕まえた。
「おい、女。こいつの命が惜しかったら、動くんじゃねぇ」
「な、どこまでも卑怯なの」
たちまち形勢は逆転してしまい、静子は小太刀を地に捨てる。
男たちは、そのまま静子をさらい、謙佑に告げるのだった。
「俺たちは、柳生の庄の外れで野宿している。今日中に助けに来なければ、この女の身がどうなっても知らねぇからな」
「まぁ、俺たちは、その方が楽しみが増えるがな」
謙佑は、悔しさに唇を噛むが、如何ともしがたい現実が目の前にある。
結局、右衛門に静子を託すしかなかった。
その時の話を聞いた右衛門の怒りぶりは、普段の彼を知る者からすれば、想像できないほどだったらしい。
親友を侮辱され、愛する婚約者を連れ去られた。彼の逆鱗に触れるのにこれ以上、悪辣な行為はない。
右衛門が我を忘れて、刀を振るったのは、この時が生涯、唯一のことだった。
単身、悪漢の巣に飛び込んだ右衛門が、鬼神のような強さを発揮して、そこにいた全ての浪人崩れを斬り倒す。
柳生の庄に来ていたのは六人ほどだったが、野宿していたのは四人増えて、全部で十人。
右衛門の足元には、その十の死体が転がる。
返り血に濡れる右衛門は、見事に静子の救出に成功するのだった。
但し、その代償も大きい。この乱闘で右衛門は当主が決めた禁を破ったことになったのだ。
事前に師である厳斎に相談していれば、もっと良い手立てがあったかもしれないが、死体の山が十も数えることになれば、抗弁も中々、難しい。
結局、独断で他流試合を行ったとして、処分されることになった。
当主の宗矩も不憫とは思ったが、里の規律を守るため、心を鬼にした結果である。
この件に引責して、厳斎は隠居することになり、代わって文五郎が木村一門を引き継いだ。
そして、右衛門はというと柳生新陰流から破門を受ける身となり里を去る。
もっとも宗矩が、福を通して右衛門の身を引き受けてもらったのは、せめてもの慈悲の現われだったのだ。
説明の全てを聞いた天秀尼は、事情を理解する。この破門には、情状酌量の余地があり、何かきっかけさえあれば、風向きが変わるような気がするのだ。
柳生宗矩に戻ってもいいと思わせるだけの成果、右衛門の名誉を回復する機会が、何かないかと天秀尼は考えるのだった。
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